Type review

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ライノタイプ・ライブラリー


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01

Linotype Library Platinum Collection
嬉しくて、頭の痛い時代がはじまった。
(組版工学研究会 片塩二朗)



 新世紀を迎えた。なにかが静かに確実に変動している。

 タイポグラフィの世界にも着実に変化と前進がみられる。

 もちろん予兆はあった。カリフォルニア・ニュー・ウェーヴの旗手と呼ばれていたエミグレが、世紀末の1996年にこんなマニフェストを発表した。

「パーソナル・コンピュータの進歩はめざましいものです。そこにはすでに3つの道が用意されています。

 ひとつはエンターテイメントやアミューズメントをめざす道、すなわちマルチメディアと呼ばれる方向です。この方向はわたしには適していません。

 ひとつはデータ処理とか、通信ネットワークをめざす道です。ふつうはインターネットと呼ばれています。この方向は利用者として関係するだけで十分でしょう。

 最後の道は、アメリカではすでにふるいとされているDTPの道です。もはやこの道は荒地で、落穂すらあまりない、荒涼たる大地がひろがるだけだとするひともいます。

 しかしわたしはずっと紙の上の描写にこだわってきました。ですから……、わたしはいまこそ活字にこだわり、紙の上の描写にこだわる道、すなわちタイポグラフィの道にもどろうと決意したのです」

 これ以後のエミグレは、ジョン・バスカヴィルのトランジショナル・ローマン体に範をとった「ミセス・イーヴス」を発表し、ジャンバティスタ・ボドニのモダン・ローマン体に範をとった「フィロソフィア」を発表した。そしていまや、たれもエミグレをニュー・ウェーヴの旗手とは呼ばなくなったし、たれもがエミグレをタイポグラフィの真摯な造形者として認めるにいたった。

 エミグレは新世紀を迎えた2003年、満を持して「トリビュート」を発表した。トリビュートは16世紀にフランスにうまれて、ベルギーのアントワープで活動したパンチカッター、フランソワ・ギュヨによるオールド・ローマン体を、21世紀の時代におけるエミグレとフランク・ヘイネにおける解釈を付与した、あたらしい本文用書体である。その最大の特徴はキャプ・ハイトがひくく、アセンダーとディセンダーが長いことである。また黒みがつよくて、ちいさなサイズでも判別性を維持できることにある。

 フランソワ・ギュヨはまた、それまで別個に存在していた、アップライト・ローマン体と、アルダスとギャラモンの系譜にあるイタリック体を、ひとつの書体体系として形成することに成功したことでもしられる。したがって「トリビュート」のイタリック体は多数のリガチュアをもち、優雅で汎用性のたかい使途を誇っている。

 このように1996年からのエミグレの書体開発を追跡してみると、トランジショナル、モダン、オールド・ローマン体と、壮大なスケールと構想をひめて書体開発にあたっていることがわかる。

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 こうしたエミグレのデジタル・タイプと『エミグレ』誌の日本での販売は、当初のうちは朗文堂が担当した。その後物販専業者のほうが好適だろうとされて、白鴎洋書が代理店となった。エミグレの雑誌はカリフォルニア・ニュー・ウェーヴとしてもてはやされたころ、日本でも大量に販売された。それから15年ほど、エミグレは着実に前進しておおきく変貌した。ところがわが国におけるエミグレの代理店は流転し、いまやその役をになう業者は消滅した。理由は簡単である。「儲からないから」。われわれはこうした消費社会のただなかにいる。

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 エミグレのようなちいさな企業は、その舵を自在にきって、すばやく方向変換することができる。ところがハイデルベルク・グループという巨大企業グループに属する、ライノタイプ・ライブラリー社においては、たとえ進路変更の舵をきっても、舳先が進路を向けるまでにはおおきな円周を描くことになる。すなわち動きは鈍重で時間がかかるが、いったんその進路がきまると、その社会的な影響はエミグレの比ではない。

 また企業にとっては、自社の過去の行状を否定することはほとんど不可能である。つまり現在市場で販売されている商品を、みずから「あれはじつは、ふるいテクノロジーによってつくられています」とはいえない。

 いまのところ、ライノタイプ・ライブラリー社の電子活字は「フォント・エクスプローラ」という商品形態が主流である。すなわち1枚のCDロムにすべての電子活字が収録されている。そのCDロムを購入して、あとは希望する書体の個別のアクセス・キーを入手して、該当書体のプロテクト・ロックを外すという、きわめて手軽で便利な、そしてまた低廉でコンヴェニエントな仕掛けになっている。

 ところが……、電子情報革命のひとつの旗手でもあったライノタイプ・ライブラリー社で、あらたな動向がみられるようになった。つまり「ライノタイプ・プラチナ・コレクション」の登場である。ライノタイプ・プラチナ・コレクションはもはや「フォント・エクスプローラ」に包含されたり、パック販売されることはない。

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 ここからのしばらくはメーカーの公式見解ではない。つまりメーカーにとってはいいにくいことを、誤解をおそれずにしるす。

 つまり附会を恥じずにしるすと、ライノタイプ・ライブラリー社では、もはや「フォント・エクスプローラ」の書体は、コンピュータ時代の時計ではすでに遠い過去、1980年代のふるいタイプ生成テクノロジーによっていたとみている。

 この時代の電子活字とは、カーヴ線はどれも拙い円弧を描き、起筆と終筆はひとの手の動きではありえないような、硬質で不様な水平・垂直線に了っていた。それは1980年代のコンピュータ・テクノロジーと、タイプの知識と技術に未成熟なデジタル・エンジニアのスキルでは如何ともしがたかったものであった。同時にまた、あらたな巨大市場に向けて、あまりにも急速に活字の電子情報化を急ぎすぎたせいでもあった。

 それから20年、コンピュータの性能と容量は長足の進化を遂げた。ひとり電子活字だけが旧態依然とした不様な姿のままであっていいわけがない。

「あたらしい器には、あたらしい酒を盛れ」

 と述べたのはヘルマン・ツァップであった。いまや電子活字は量の充足の時代を終え、品質と精度と造形美という、活字に当然求められる性能の追求の時代にはいった。電子活字は、あたらしい時代の、あたらしい姿になって、再生したのである。

 しかしながらこのあわただしかった20年間は、けっして無駄ではなかった。かつてのタイポグラフィ界とはちいさなもので、たとえてみれば、たかだか畝傍山か耳成山ほどの、小高い丘がポツポツ存在する程度のものでしかなかった。それがこの20年ほどのDTP時代と呼ばれたときに、おおくのタイポグラフィに関心を抱く知的な青年層との連帯に成功した。この意欲的で積極的な知識層をおおきな裾野として、いまからここに雄大で壮麗な富士山のような独立峰や、延々とつらなる勇壮な山脈を描くことが可能になった。

 その頂点をめざすものにとっては、まず入門編が「フォント・エクスプローラ」所収のデジタル・タイプとなろう。その簡便性と一定の品質は、いまだ光彩をうしなってはいない。しかしながら出版・印刷・デザインの現場に立つものにとっては、もはや「フォント・エクスプローラ」はその有効力を急速に失いつつある。残念ではあるがこの商品は徐々に、そして確実に、オフィス・ユーザやサンデー・プリンタの武器になる。つまり本職の大工、それもすこしでも名工と呼ばれたいと念願するほどのものなら、日曜大工と同じような工具などは使わないものだ。

 それにしても「ライノタイプ・プラチナ・コレクション」の書体は高額である。もはや組版の彩りとして、あるいはまた、お洒落なアクセサリーやワンポイントとして、欧文書体をちょっとばかり使うという範疇では無理な金額になっている。かくいう筆者自身、天を仰いで思いは千々に乱れるが、容易には購入できないでいる。

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 そもそもわが国では印刷・出版・造形界のプロフェッショナルですら、パーソナル・コンピュータに付属している書体を、なんの疑いもなく基本書体として使うという奇妙な風土がある。つまりもっとも基本的な本文書体としての明朝体ですら、プロとしての書体の選択肢にははいっていない。

 わが国の巨大コンピュータ・メーカーは、熾烈なシェア争いを演じている。当然商品たるパーソナル・コンピュータの、性能・機能・デザインには意をこらし、他社との差異化に熱心である。

 ところがそこに基本搭載された書体となると、ほとんどが同じ書体であり、差異化も差別化もどこにもみられない。同業他社とのただの横並びであり安全策でしかない。しかもそこに搭載された書体とは、けっして威張れるものでもなければ、優秀なものでもない。

 なによりもこれらの企業にあっては、書体開発にメドがつくと、おおかたの企業における書体制作チームがすでに解散してしまっていることが、熱意の乏しさの証しとなる。つまりコンピュータ・メーカーには、当然といえば当然であるが、書体にたいする見識も愛情も誠意もない。コンピュータ・メーカーが基本搭載している書体とは、所詮「ただのもの」を提供する存在でしかない。もちろん外国製のコンピュータも、アプリケーション・ソフトウェアに組み込まれているたぐいの書体も、当然のように同断の謗りを免れまい。

 その結果、印刷・出版・デザイン界とオフィスユーザがともに(潜在下の意識としては無料の)同じようなレヴェルの書体を平然として使っている。無料なものを使ってオフィス・ユースを展開することにはなんの問題もない。オフィスにとっては、利便性と低廉な価格、そしてむしろ、周囲との同一性がつよく求められる。しかしプロとしての出版人・印刷人・造形人となると、はなしはおのずから異なる。

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 ここしばらく、電子活字はパソコン・ショップという商店で、パソコン・ゲームやアプリケーションのソフトウェアとともに大量陳列され、大量販売されてきた。このように活字が大衆商品となったのは五百五十年におよぶ活字の歴史でもはじめてであった。

 そこでは当然2−3割引きの値引きとパック販売が恒常化し、商品としての信頼性がいちじるしく害なわれてきた。その結果はやくも需要が一巡すると、急速に販売量が凋落した。当然ながら大衆は活字にそれほどのこだわりはない。したがってもはやパソコン・ショップに電子活字が平積みされることはない。幻想と喧騒の時代はあっけなく終わった。

 1980年代から急激に登場してきたデジタルタイプの制作会社は、はやくも撤退を余儀なくされている。また既存の活字制作会社も、すっかりコンピュータ業界に独特の乱売合戦に巻き込まれて、意欲的で挑戦的な、そして前進のためにも必要不可欠な、新書体開発にはまったく手が回らないという状況を現出した。雨後のタケノコのように誕生した「フォント・ショップ」も当然ほとんどが閉店した。理由は簡単である。「儲からないから」。われわれはこうした消費社会の真っ只中にたたされている。

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 ふたたび誤解をおそれずにしるそう。もともと活字書体とは高額で、入手しがたいものである。そして文字組版とは、面倒で、小煩くて、儲からない代物である。それをいまこそふたたびおもい知るべきときがきた。

「ライノタイプ・プラチナ・コレクション」は、もはやe−ショップで、クレジット・カード・ナンバーの告知だけで購入できるような商品ではない。活字本来のまっとうな価格に戻った。値引き販売が恒常化しているパソコン・ショップに陳列されることもない。つまりもはや値引きの原資もないのだ。「ライノタイプ・ライブラリー」は購入時にメーカーに氏名を登録する必要があるし、10−30万円という高額な商品である。

 したがって書体にすこしでもこだわる産業人と造形人であるならば、もはや腹を括るしかない。もちろんすでに大衆化した書体で持ちこたえられればそれにこしたことはない。しかしここ20年のあいだ、真摯に研鑽を積み、研究と実践を重ねてきたタイポグラファなら腹を括るしかない。

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 欧文書体で起きていることは、当然和文書体にも起きる。まだ水面下にあるが、複数のメーカーが、印刷・出版・造形界に向けた、プロフェッショナル・ユースの和文書体の開発に着手している。それが水面上に現れたときに狼狽してももはや遅い。これらのプロ・ユースの和文書体は、おそらくパックもされなければ、値引き販売もされない。相当の高額な商品として登場することが予測される。つまり習慣として書体選択に鈍感でいると、いざとなっても書体投資の原資としての蓄積がないはずだからである。

 繰返すと、印刷・出版・造形人にとっての書体とは、見掛け上だけとはいえ無料の商品であるはずがない。それは蕎麦屋にとってのソバ粉であり、パン屋にとっての小麦粉と同様に、厳選され、吟味され、そののちに仕入先を選択して慎重に購入されるものである。

 書体はもはや気軽に通信で買ったり、ディスカウントの嵩で選択する代物でもない。ソバ屋やパン屋が主要な素材たる食材を厳選することなく、他社との横並びに安住していたり、あるいはただ見た目のトッピングの巧拙に耽っていたら、その店はまもなく閉店を余儀なくされることは必定である。活字書体とは使い手によって、ときに変貌し、ときには牙をむくのである。

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 それは振り返ってみると、1997年に発表された、あたらしいユニヴァース「ライノタイプ・ユニヴァース」からはじまっていた。

 巨大企業とはいえ、それを形成するのは所詮はひとである。よくみるとこの「ライノタイプ・プラチナ・コレクション」の仕掛人はオットマー・フォーファーである。

 フォーファーは1953年うまれのドイツ人である。シュトットゥガルトの印刷工芸大学を卒業して、当時金属活字界の名門だったステンペル活字鋳造所に入社し、1987年から企業統合にともなってライノタイプ社に転じた人物である。現在の肩書きは「ライノタイプ・ライブラリー社マネジャー」である。仕事の中身は活字書体の開発から、広報・販売までのすべてを精力的にこなす人物である。そしてなにより活字が死ぬほど好きだという奇妙人でもある。

 このフォーファーが「ヘルヴェチカ」の改刻、すなわち「ノイエ・ヘルヴェチカ」の開発を担当し「ライノタイプ・ユニヴァース」の改刻も担当した。

 2003年、ライノタイプ・ライブラリー社は、ひっそりと、そして誇りだかく「ライノタイプ・プラチナ・コレクション」の発売を宣言した。

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 すでに発売されていた「ライノタイプ・ユニヴァース」などのいくつかの書体も「ライノタイプ・プラチナ・コレクション」に包含された。したがって現在のラインナップは以下の8書体である。

・ライノタイプ・ユニヴァース
   63書体 \180,000
   デザイン:アドリアン・フルティガー

・フルティガー・ネクスト
   18書体 \ 94,000
   デザイン:アドリアン・フルティガー

・シンタックス1
   30書体 \116,000
   デザイン:ハンス・エドワード・マイヤ−

・シンタックス2 レター
   24書体 \ 94,000
   デザイン:ハンス・エドワード・マイヤ−

・シンタックス3 セリフ
   30書体 \116,000
   デザイン:ハンス・エドワード・マイヤ−

・オプチマ・ノヴァ
   40書体 \155,000
   デザイン:ヘルマン・ツァップ

・サボン・ネクスト
   47書体 \172,000
   デザイン:ジャン・フランソワ・ポルシェ

・コンパチル
   16書体 \347,000

このほかにもプラチナ・コレクションに入らなかったサイン用の興味深い書体がある。

・バイアローグ
   22書体+14セット \257,000
   デザイン:ワーナー・シュナイダー/ヘルムート・ネス

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 もともとタイポグラフィとは技術を基盤としている。当然活字も応用科学の発展と軌をいつにして発展してきた。

 1902年うまれのヤン・チヒョルトは『エゲノルフとバーナーの活字見本帳』に掲載されていたギャラモン系のオールド・ローマンを、パンチカッターの名前から「サボン」と名づけて1967年に復刻した。そこでの命題はライノタイプとモノタイプという、ことなったふたつの機械式自動活字鋳植機と、さらには手組み活字方式の3方式をもちいても、そこに共通した表情と違和感のない組版を実現するという困難な命題であった。

 そこには物理的にも、システム上にも、あまりに多くの制約があった。その制約を超克することにチヒョルトは呻吟し、一定の成功をみた。そのサボンは、金属活字から出発して、写植活字をへて電子活字となった。電子活字にはもはや金属という物理的な制約はなかった。ところがもっとも技術的には進化したとみられる電子活字として登場したサボンは、金属活字よりも、写植活字よりも、ずっと稚い造形のまま登場していた。

 その大幅な改刻が2003年に、ジャン・フランソワ・ポルシェによって「サボン・ネクスト」としてなされた。

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 おなじくドイツのタイプデザイナーのヘルマン・ツァップは1918年にうまれた。このひとは金属活字の時代のまだ健康な時代に、アウグスト・ローゼンベルガーという名パンチカッターの助力を得て、タイポグラファとしての人生をスタートした。ところがまもなく、機械式活字父型彫刻機によって活字父型が彫刻される時代となり、そのおおくの書体群はその不幸な時代に発表された。

 なにごとも長所と短所は裏表の関係にあり、紙一重ともいえる。またあたらしい技術が成熟するためには一定の時間も必要とする。機械式活字父型彫刻機の急速な普及は、活字の小型化と量産と低廉化にはおおきな貢献をなした。その反面活字がひそかに内包していた、人の手による、いうにいえないカーブや凹凸は、機械の都合によって脱落した。また習熟度の低い工匠が活字父型彫刻を機械の助力を頼りに担うことになったり、開発速度の競争によって、即製の安易な活字書体の登場もまねいた。ツァップはそんな金属活字の最末期を生きてきた。

 2003年、オプティマは「ライノタイプ・プラチナ・コレクション オプティマ・ノヴァ」として再生した。ノヴァとは新星の意である。

 すでにツァップは85歳を迎えたが矍鑠として活躍を続けている。オプティマは1950年に想を得て、1952年に最初のドローイングが完成した。したがって今回の「オプティマ・ノヴァ」は、じつに50年後の改刻ともいえる。そのイタリックは金属活字や写植活字、それに初期の電子活字におけるオブリークとはことなって「トゥルー・イタリック体」として初登場した。また本文用本格書体としては不可欠な、ノンライニングの数字とスモール・キャップなどが加わった。

 もともとイタリック体とは単に傾斜した文字形象を指すことばではなく、ルネサンス期の筆記書体「チャンセリー・カーシヴ」をもとに活字化された書体のことを指す。したがって活字の生成法と組版システムが変容した五百年におよぶイタリック体の変遷にあっても、ラテン・アルファベット使用圏のタイポグラファは、アップライト・ローマン体の形象を維持したまま右に傾斜(スラント)させたものを「オブリーク」と呼び、エリック・ギルによるジョアンナのように、その傾斜角度が緩やかなものを「スロープド・ローマン」と呼んで、筆記体としての「チャンセリー・カーシヴ」の文字形象を受け継いでいるものと、総称としてのイタリック体とを明確に区別してきた。

 ツァップはタイポグラファであるが、同時にまたカリグラファとしても知られる。したがって本来のイタリック体にはおおきなこだわりをもっており、写植活字の時代にも「ツァップ・チャンセリー」などを発表してきた。そしてついに構想から半世紀、21世紀の劈頭に発表されたのが「ツァッフィーノ」であった。

 それまでの活字書体としてのイタリック体のおおくが、アルダス工房系のチャンセリー・バスタルダをその出自としているのにたいして、ツァッフィーノは銅版印刷で育まれた、チャンセリー・バスタルダの子孫としてのラウンドハンド・スクリプトをもとに発表された。そしてこのツァッフィーノは、電子工学の発展なくしては活字としては実現できなかったとみずからがしるしている。ツァップは技術の進化にたいしてつねに意欲的であり、肯定的な姿勢を維持している。

 ツァップはまた、今回の「オプティマ・ノヴァ」のカタログのデザインまでをみずから担当するほど元気である。なんと幸せなひとであったのであろう。ツァップはその代表作のオプティマをみずから改刻・拡充するという、タイポグラフィ史上でもきわめて稀な幸運にめぐまれた。その協力者として、日本人のタイプデザイナー・小林章氏の名前がカタログに記録された。あわせて欣快とするところである。

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 ヘルマン・ツァップより10年遅れて、スイス人のアドリアン・フルティガーが1928年に誕生した。この寡黙なタイプデザイナーは、その出発の時点から機械式自動活字鋳植機のモノタイプの全盛時代と、写植活字の勃興期の時代を生きてきた。

 当初のユニヴァースは1956年に制作され、1957年にドベルニ・アンド・ペイニョ社から写植活字として発売された。ついでモノタイプ社から機械式自動活字鋳植機用の金属活字として発売され、最後に手組み用の金属活字がドベルニ・アンド・ペイニョ社から発売された。まさにユニヴァースは第二次世界大戦後の大量生産時代の象徴として誕生した。

 つまり当初の21書体からなるユニヴァース・ファミリーは、写植活字のために制作されたものであった。したがって手彫りの金属活字父型のように、ポイント・サイズごとに元図を描きわける、つまり視覚調整を施したオプティカル・スケーリングは不要であった。

 その分ウェイトや文字幅への展開、つまりユニヴァースにおける多様なファミリー展開は、リニア・スケーリングによる写植活字と機械式活字父型彫刻機をもちいたからこそ実現できた。それまでの手彫りの活字父型師では、アップライト・ローマン体、イタリック体、スモール・キャピタル、数字・約物を描き、そのポイントごとのシリーズを描きわけることでせいいっぱいであった。

 その後1972年にドベルニ・アンド・ペイニョ社が閉鎖されたために、その販売権はスイスのハース社から、ドイツのステンペル活字鋳造所、ライノタイプ社、ライノタイプ・ライブラリー社へといそがしく移動した。

 このように誕生からおよそ40年にわたって、ユニヴァースの販売権は流転をかさね、世界中のおよそ百社ほどの活字会社から発売された。当然各社はそれぞれのシステムのフォーマットにあわせてアレンジを施したために、いつのまにかユニヴァースは変質し、原型を失って、痩せ衰えた存在となっていた。

 そこでフルティガーは1977年にオットマー・フォーファーらの若手の助力と、コンピュータの支援を得て、誕生から40年ぶりにすべてのユニヴァースを改刻し、ファミリーも21書体から59書体に拡張した。その名称は「ライノタイプ・プラチナ・コレクション ユニヴァース」となった。

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 20世紀の後半を代表するタイプデザイナーとして、ヘルマン・ツァップとアドリアン・フルティガーのふたりを挙げることに異論はないはずだ。このふたりは巨人は、金属活字の衰退と、写植活字の勃興と凋落、そして電子活字の急激な台頭をみてきた。うれしいことにふたりがともに長寿をたもち、みずからが直接手を下してその代表作を改刻するという幸運を得た。

 再生したオプティマ・ノヴァとラノタイプ・ユニヴァースは、新世紀の21世紀にむかって雄々しくはばたいていった。そしてプロフェッショナルに向けた電子活字は、プラチナ・コレクションというあたらしい器を通じて販売されるようになった。




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