Type review

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エミグレ

トリビュート


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3

Emigre
Tribute
古典書体シリーズ第3弾
(組版工学研究会 河野三男)



「エミグレ」誌、古典書体シリーズ第3弾

書体デザインにおいてオリジナリティ(独創性)ということばは、いったいどのような意味をもつのでしょうか。意味というよりはそもそもオリジナリティが近・現代における書体設計の上でどこまで可能かまたは有効かという問題を含むものといえます。
 少なくともある新しい書体を評するには、このことばは常に意識の底に置くべき課題です。同じように活字書体の再刻、改刻、復刻などのことばの違いについても、私たちはいつまでも曖昧なままではいられないと思います。
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 今回の「エミグレ」誌では、フランク・ハイネ作のトリビュート書体が発表されています。これも古典書体に範をとって設計した書体です。これも、というのは、「エミグレ」誌の主宰者ズザーナ・リッコはすでに数年前からバスカヴィル書体をもとにした「ミセス・イーヴス」書体と、ボドニ書体を新たに解釈した「フィロソフィア」書体を、それぞれ続けて発表しているからです。ともに本格的な本文書体への意欲的な試みです。
 これを評して奇抜さを売り物したような「エミグレ」誌の変身とみるよりは、実はこのような古典書体を蘇らせる仕事こそかれらの元来の意図だったと知るのです。
 トリビュート書体については、設計者ハイネ自身が短いエッセイで書いているとおり、1565年ころ発行の見本帳にみられる、フランス人活字父型彫刻師のフランソワ・ギュヨが彫った活字をベースに設計したものです。
 ギュヨというあまりなじみのない人名が登場しています。そこでこのギュヨについて若干の解説を加えてその位置づけを試み、ハイネ設計のトリビュート書体を論評してみます。


フランソワ・ギュヨ

ギュヨの正確な生年は不明ですが、1517−18年だとの推定もあるようです。ともかくそのころにパリで生まれています。1539年10月にアントワープに赴いてそこに住民登録されたことがわかっています。アントワープでは1536年以来空席になっていたデ・キーゼルとかいう活字鋳造所を引き継いだということですので、ベルギーに入国する以前に活字父型彫刻と活字鋳造の技術は備えていたのではと想像できます。
ギュヨはそのような腕を義理の弟で活字鋳造者のアレキサンドレ・ボジョンから習得したか、金細工職人から活字の道に足を踏み入れたかでしょう。またギュヨは活字製造の技術だけに集中していて、印刷の実践には手をつけていなかったようです。
 1540年ころに製作された印刷物にはすでにかなりの確率でギュヨが彫った活字が使われているらしいのです。また後年にはギュヨが彫ったと特定される見本帳があります。1546年以降ギュヨは俄然頭角をあらわしました。1550年後半になってその腕が認められて名が知られるようになった理由は、当時のヨーロッパを代表することになる印刷者プランタンの工場にギュヨが1558年から関わったことにあります。その後の14−15年にわたって途切れることなくプランタンに活字を供給したのです。
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 プランタンがアントワープで印刷業を本格的に始めたのは1556年前後のことですから、プランタン工場の外部から雇われた初期の優れた専門の活字父型彫刻師といえます。プランタンがギュヨの技量を目にして声をかけたのか、あるいはギュヨのほうから接近したのかは明らかではありません。
 ギュヨのあとプランタン印刷所には続々と同業者が近づきました。たとえば1566年からはギュヨの好敵手として実力と人気を二分したアミート・タヴェルニール(1522−70)、翌1567年からはギリシャ語活字を供給したピエール・オールタン(?−1587)が、その翌年の1568年からは活字のフランス様式からオランダ様式への橋渡しをなしたファン・デン・キーレ(1540?−80)が、それぞれプランタンと手を組み始めています。名にし負うロベール・グランジョン(1513−89)も1563年ころから70年まで、ジャック・サボンも1561年から63年までそれぞれプランタン印刷所に出入りしていました。 
 ギュヨなどの活字父型彫刻師たちの名前とその設計または彫刻した活字書体が、なぜ特定されて今日まで言及されているのかといえば、それはプランタンが10回行った大規模な活字類の棚卸の記録が残されていたことと、それをもとに20世紀に徹底した調査が行われたからです。
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 さて、ギュヨの活字はイギリスまで渡ってジョン・デイという有名な印刷者に使用されているそうです。イタリック体のye、yt、yu、wtなどの英語の縮約語が特徴とされています。ギュヨのローマン体は素朴でフランスのオールド・フェイス書体の様式を残していると評されています。
 そのギュヨのローマン体は意外と広範囲で使われた形跡があるようで、ネザーランドをはじめとして、イギリス、スカンディナビア諸国、ドイツ、スペイン、ポルトガル、アジア方面にも売られたという専門家の調査があります。ここにアジアというのは、インドばかりか、なんと日本も含まれているのです。ハリー・カーターの著作によれば、「ポルトガルのジェスイット派の伝道師たちはギュヨの活字をインドや日本に持ち込んだ」と書かれています。このインドとは、ことによると日本の天正遺欧使節団が印刷術を学んだゴアかもしれません。
 日本ではいったいだれがどんな目的でどんな使い方をしたのか、また実際に使われたのかどうかなどの調査が待たれる、みのがせない記述です。
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 しかしギュヨのタイポグラフィにおける最大の興味ある貢献は、「ローマン体とイタリック体は調和すべきだ」と考えたことにあります。当時はまだだれも実行していなかったことです。アルダスがはじめて活字化したイタリック体はローマン体の代わりとなる本文用文字でしたが、カーターによれば「ダブル・パイカ(22ポイント)とパイカ(12ポイント)の2種のローマン体にイタリック体を用意した」そうです。そのイタリック体の大文字はスワッシュ系の優雅なストロークを伸ばしています。


モデル書体へのアプローチ


 さてトリビュート書体は1565年ころの見本帳にあるギュヨの活字を参考にして、フランク・ハイネが描き起こした書体です。
 ハイネによれば、ギュヨの活字デザインは一貫性に欠けていて、「未熟さや奇異な感じを与えるもの」です。たしかにハイネがモデルにしたと思われる1565年から68年にかけて発行の見本帳(印刷されている範囲はおよそ25.7x26cm)の縮小図版をみると、大文字全体のセリフのほどこし方が不徹底で、各数字のバランスも悪く、小文字yのテイルの奇妙な形象などは、名匠ギャラモンと比べても、ゆりかごの時代を抜け出たころの活字としても、素朴さともいうべき荒っぽい仕上げがうかがえます。
 総体の印象はローマン体ではいかにも当時のフランスをおおっていたと思われるギャラモン活字のプロポーションが支配的です。また、イタリック体は先刻触れたように、スワッシュ系の優雅さを取り入れて、同じ大文字でも変形を用意して、選択肢を広げています。
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 そのようなわけで、ハイネはギュヨのこのような書体をモデルにしたときには、いくつかの困難があったと述懐しています。とりわけセリフや終筆部の一貫性を欠くギュヨのデザインのために、エレメントの典型例が探し出せなかった、とハイネは告白しています。
 ということを逆にとれば、そこにハイネの解釈が入り込む余地がおおく残されていることになります。フランス・ルネサンス期のアンティカ書体の文字形象に親しんでいたハイネにとっては、そこに「やや直感的な判断を加えられる」と挑発されたのです。
 サイズの小さい書体設計にたいする自分の好みもあって、このトリビュート書体は力強い描線と太さのコントラストが少ない活字となった。これは小さいサイズでの判別性に必要な黒味の強さと均質性を保証するものだ。
 このように書くハイネは、モダン・フェイス系の特徴であるストロークのコントラストに差をつけるという、いわば近・現代的な解釈や設計の傾向に反して独自の視点を主張しています。技術に依存して精緻と洗練を追い続けてきた20世紀以降の活字設計に、新たな視点を用意しているのかもしれません。
 さらに小さいサイズを主用途にして太めのストロークを用意したのは、リニア・スケーリング(活字原図の比例的な縮尺)によってオプティカル・スケーリング(活字原図のサイズ別視覚補整)のむずかしさを克服する試みでしょうか。判別性と可読性が文字形象とそのバランスに集中している点に、新たな提案を示しているともいえます。
 太いストロークというと、マージナル・ゾーンを思い出しますが、ハイネはこれを逆利用した効果と考えられます。用紙と活字書体と印圧との相互作用によって生じる金属活字のマージナル・ゾーンという現象は、いわば明快で機能的な輪郭の追及をはばむものとして退けられ、雑音として排除されています。この追求はいまやひとつの頂点に達しているといってもいいすぎではなく、新たな判別性と可読性の探求がはじまったと捉えられます。
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 ライノタイプ・ライブラリー社が2003年春に発行したジャン・ポルシェ設計のサボン・ネクスト書体には、期を同じくして小さいサイズ用として、レギュラー・ウェイトが用意されました。これは判別性や可読性を高めるためのオプティカル・スケーリングによって小さいサイズの文字形象に微細な視覚上の補整をほどこす代わりに、やや太めの設計を試みたのです。これはハイネの考えかたに通じます。
 活字書体の本来の重要な機能のひとつは、長文の読書や読解に耐えうる特質を有することです。その特質は一般化できる最大の可読性を保証しつづけることと、視覚の馴致を促すことにあります。
 トリビュート書体の設計では、過去の活字とのつながりを視覚的にとどめておくのが私の意図したところだ。
 ハイネはトリビュート書体設計における基本の視点を、そのようにきっぱりと表明しています。
 このように書いて20世紀における新しい技術による金属活字を含む古典書体をベースにした設計は、シュテンペル版ギャラモン書体の復刻を含めて「粗すぎて無味乾燥な姿をしており、もとの書体の痕跡を消し去っている」として、過剰気味な解釈に難があるとの考えを示しています。
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 現代のデジタル技術では、紙面に刷られた文字としての活字のストロークは、インキ供給量や印圧などの微調整、平滑な用紙の選択などによってかなりの制御が可能です。ですからマージナル・ゾーンに気をとられる必要はなく、任意の太さで設計できます。
 活字書体が絶えることなく復活され、新しい環境に位置をしめられることは、すばらしいと思う。
 過去のモデルは簡単に新しく再生できて、現代の文字生成技術に適応でき、現代の媒体に役立つように適応できる。このことは初期人文主義者が作った活字の勝利といえるし、何世紀にもわたって活字書体の展開がつづけられているのは、判別性という特質にある。
 ハイネはそのように書いて、短い文章をしめくくっています。


トリビュート書体を点検する

トリビュート書体の全体の特徴としては、先行する古典書体をモデルにした「エミグレ」版バスカヴィル書体に似て、小文字が丸みを帯びていることがあげられます。そして文字幅はゆるめに見えますが、これを好意的にみれば、ストロークの太さによるやや過剰な黒味をかわすために、わずかな明るさを出せるようにとの工夫だと思えます。

 特徴を列挙すると次のようなところが目立ちます。

1:エックス・ハイトが低く、丸みのあるストロークによって判別性を保持している。
2:キャップ・ハイトの設定がかなり低く、そのために大文字はやや平たい。
3:ローマン体もイタリック体もリガチュアが多く用意されている。

とりわけイタリック体では使用頻度が高いコモン・リガチュアと、装飾的意匠をこらされた特殊なファンシフル・リガチュアがある。

4:数字ではライニング、オールド(別名ハンギング、ノン・ライニング)に加えて、表組み用として微妙なレタースペースを施したタビュラーの3種ある。
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 すこし細かくみると、ローマン体では大文字Tのバーの両端のセリフがそろって内向きですが、これは珍しい形象です。小文字のyでは右上からの第2画は左上からの第1画との交点まで細く、そのあとのディセンダーで太くなっています。かなり大胆な処理です。また小文字gの上のループはかなり小さいのですが、かえってスマートに見えます。
 イタリック体では大文字のVとWの文字幅がきわだって狭いのが目立ちます。スワッシュ系のリガチュアは2つのグループに分けられ、モデル書体と同じく豪華なくらい多種類あります。そのなかには、リガチュアではないのですが、終筆のストロークが長く延びている小文字と大文字が目立ちます。小文字yのテイルは他のディセンダー文字よりも短いのですが、なぜでしょうか。小文字hは弓形で、bに似ています。この形象はいわゆるルネサンス時代の活字の特徴として、不必要に継承されています。この文字はハイネのいう「過去の活字とのつながり」を重視した典型例です。
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 以上目につく部分を概観したわけですが、基本のローマン体から判定すると、ハイネはノンパレイル(6ポイント相当)からブルジョア(9ポイント相当)を主眼においているそうですが、7から12ポイントくらいまでの使用に最適でしょう。それ以下ですとさすがに読みにくいし、それ以上では紙面が重く感じられ、特徴ある文字が読書行為を妨げます。あるいは12ポイント以上の場合はディスプレイ効果としての誘目性が際立つはずです。
 使用を誤らなければ、これは面白い効果が期待できます。とはいえこのトリビュート書体からはテキスト中で大文字同士のバランスを崩しかねない一種の気むずかしさが感じられ、使用に際しては特段の配慮が必要な形象が特徴です。
 ですからイタリック体も含めてトリビュート書体は、タイポグラフィにかなり経験を積んだタイポグラファでないと使いこなせないでしょう。つまりそれだけモデル書体の時代性を理解して、「エミグレ」誌のキャッチコピーのどこか抽象的なことばも解釈しなければなりません。
「初期のルネサンス・アンティカ書体には、時代の矛盾が巧妙に反映している。いいかえれば消え入る中世とそれに相対する人文主義であり、認識とか詮索と対立する改革への衝動だ」。このようなことばは、活字書体という微細な工芸世界に起こる、保守的な学者や専門家の饒舌と、新しい価値観を求めて時代の潮流に竿をさす者の改革への欲求との相克を表しています。時代の大きなうねりが染みこんだ形象と創造的な意欲との格闘でもあるでしょう。
 現代の技術革命における人間の根源的な創造へのいらだちを、ルネサンスというおおきな流行現象になぞらえて、憧れているとも思えます。
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 トリビュート書体に総じていえることは、フランス・ルネサンス期の活字書体の様式を踏襲しているとはいえ、それはおもにイタリック体においてみられる特徴です。またローマン体などではモデル書体であるギュヨの活字を基にしていても、それは設計者ハイネの着想と解釈のためのアイデア・ソースの意味合いが強いとみえます。


ジョン・ダウナーの指摘


 書体設計を語ることばについては、トリビュート書体を紹介する「エミグレ」誌ではダウナーという専門家の「忠実に呼ぼう」というタイトルの面白い文章を載せています。
 活字の専門家と書誌学系の学者ではことばの選び方や用法が違うという学者の主張を引用しつつ、みずからことばを用意してその概念を端的に説明しています。そして矛盾する語法や時代錯誤なことばを見直すべきだといいます。
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 そこに紹介されている学者のポール・ゲールは、アルダス・マヌティウスの活字をベンボ書体として発表したときに、スタンリー・モリスンが再刻(リカッティング)ということばを使ったことに疑問を呈しています。「再刻」というのならば、モデル書体が作られたときと同じ手法である、手で彫られて金属に鋳込まれる工呈を踏むべきだ、というのです。モリスンが生きていたならば、なんらかの強烈な反論を用意したでしょう。
 ここでは詳しくは紹介できませんが、ダウナーはオリジナルに「忠実なデザイン」と「忠実でないデザイン」の大きくふたつに分けて論じています。たとえば前者のカテゴリーでは、「復刻」、「再刻」、「再構成」、「複製」、「偽造」などを含み、後者では「再解釈」、「賛辞」、「再製造」、「変種」、「パロディ」などが提唱されています。
 そしてトリビュート書体にはそのストロークの描き方に「活字のもじり(カリカチュア)」があると判定しています。ですが「パロディを超越して」いて、古典書体に期待する専門家の姿勢や仮説に挑戦しているといいます。それはしかし、敬意(トリビュート)と再解釈をつなぎ合わせているから面白いはずだ、とのことばで締めくくっています。ダウナーはトリビュート書体をオリジナルに忠実でないデザインだとみなしているのです。
 ダウナーはデジタル技術の時代の書体設計に関して、次のような意見をもっています。
 彫る対象としての実体のないデジタル媒体では、特定のサイズで活字を切り刻んでできた上面だけの影を作ることでしかない。
 電子活字は画面上で輪郭を操作して形をつけられる。比喩的にだけ「電子再刻」といいかえられるのだ。


オリジナリティとは

オリジナルへの忠実度を基本におくダウナーの分け方は、書体設計におけるおおかたのデザイナーが惑わされるオリジナリティへの執着を当初から認めていないのです。ダウナーは「ルネサンス期のローマン体はそれ以降現代にいたるまでの活字書体の原型だ」といいます。それはすべての書体はオリジナルまたはそれの亜流を、程度の差こそあれ模倣・意識していると解釈できます。
 たしかに歴史が教えるところではそのとおりです。オリジナリティとは独創性であって、創意工夫が新鮮強烈で、それが現れる以前にはみられない新奇さを備え、他の追随を許さないひとつの個性です。まったく新しい発想にもとづく考えです。
 そうであれば、初期ローマン体はどこまで独創的かという問いが浮かびます。かれらの活字は人文主義者のスクリプト体を活字化したものであり、そのスクリプトは数世紀をさかのぼるカロリング期時代に確立しつつあった文字形象にもとがあるわけです。それはまたカロリング期以前の文字のハーフ・アンシャルやラスティック・キャピタルとつながっています。独創性のありかは、強いていえば、カロリング期以降における大文字と小文字の融合にあります。
 8−9世紀にフランク王国のシャルルマーニュ大帝がアルクインという人物を指名して正書法と文字の改革を断行させたとはいえ、文字形象の独創性が発揮されたかという点では、判定は困難です。長い時代を経て洗練をかさねて完成をみるのです。つまり活字書体の独創性云々は、書体設計者の視点では実のない話になりかねません。
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 ある影響を受けながら微細な変化によって「新しさを付加する」のが、書体の歴史に現れた事実です。書体設計家に創造性は必須でしょうが、その能力が発揮される部分は見えにくく、その判定評価には専門的な鑑識眼が要求されるほどです。しかもそこにおける工夫は、あくまで過去の何かがモデルになっているのが大半です。そこに時間と空間を越えて影響関係にあるのも事実です。
 独創的と評されるモダン・フェイス書体群にしても、ボドニやディドの前にはフールニエがいますし、さらにはフライシュマンやイバラなどのモダン系書体の萌芽がみられます。かれらは互いを強く意識していたことを認めていました。オリジナリティとは、影響関係が濃厚な文脈では、あまり重要な意味をもちえないのではないでしょうか。
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 さて、ダウナーがオリジナルへの忠実度というとき、そのオリジナルは現代まで伝存するモデルとなるわずかな数のクラシックな書体です。忠実度を客観的に計測したり肉眼で精査することはむずかしく、したがってダウナーのいう忠実さは、書体設計者自身による見解の表明に依存しています。そこに限界があり、それ以上は無益な議論に帰するのです。
 またたとえばジェンソンのローマン体活字をモデルにしたいくつかの書体を比べてみて、どれがオリジナルに忠実かという査定は、自由な解釈の多様性の前では危ういのです。
 もちろんダウナーはそんなことは承知でしょう。ですからダウナーの提案の意味は、設計者やタイポグラファが各自のことばを用意せよという一点で、示唆に富む価値ある表明と受け取れます。オリジナルへの態度表明こそが先決です。
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 活字書体には必ずモデルがあって、その実際の行為は「焼き直し(再設計)」と「変種(派生品)」の繰り返しであって、しかもその変化の様は時代の技術と思潮、土地と民族性にゆるやかに依存しながら微細です。この認識は保守的でもなければ定まった見解でもありません。歴史が教えるひとつの解釈です。この認識をどのようにタイポグラフィという技芸の実践に活用するかが問われます。その認識は書籍印刷の多様な豊かさに資するものです。読者への奉仕に生かすのが本来ですし、それが優先される視点であり、活字書体の判定の主眼でしょう。
 オリジナルへの忠実度ではなくて、むしろ「オリジナルへの敬愛」の程度を値踏みするほうが分かりやすいと思います。設計者のことばと実際の書体とを検証すれば、それほどむずかしくないはずです。
 ダウナーの提案によって意識的な姿勢が深まり、活字を語ることばがすこしでも正確さを増して、同意を得られればことばを定着させるのが望ましいのです。
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 トリビュート書体は以上みてきた意味では、プロの厳しい目に曝されることによって評価が定まるでしょうし、さらにはなによりも活字書体には無関心な練達の読者層に潜在する無意識な眼識によっても自然選択されるでしょう。活字書体はなによりも読者の目に曝されて淘汰されるのであり、活字書体の設計者やタイポグラファの独占物ではないのです。
「エミグレ」誌で紹介さている見本組みでは、ラテン語テキストも組まれています。これはタイポグラファへの巧妙な問いかけやエミグレ・グループの戦略かもしれないと感じるのは、当方の思い過ごしでしょうか。

                                 河野三男




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