活版凸凹フェスタ2010の記録

沢山の皆さまのご来場ありがとうございました!
出展者の皆さま、おつかれさまでした!
また来年も《五月の連休は活版三昧!》をめざし
身体性をともなった真の造形活動にいそしみます。

【会 期】2010年5月2日(日)―5日(水・祝)
【会 場】日展会館 2F イベントスペース
【主 催】朗文堂 アダナ・プレス倶楽部

《活版凸凹フェスタ2010》は、爽やかな五月の風、新緑が目にまぶしい上野の森、それまでのぐずついた天候が嘘のような、アッパレ日本晴れ。抜けるような青空のもと、新会場「日展会館」での開催となりました。
ともかく大勢のお客さまにご来場いただきました。そして50名を超える出展者との1年ぶりの懐かしい再会、そしてあらたな交流がはじまり、会場は終始熱気につつまれ、歓声と笑い声で沸きかえっていました。活版ルネサンスを指向している朗文堂 アダナ・プレス倶楽部としてはとても嬉しい4日間でした。
ここに、さまざまなご事情でご来場になれなかったアダナ・プレス倶楽部会員の皆さまと、多くの活版ファンの皆さまに向け《活版凸凹フェスタ2010》のもうひとつの記録をご紹介いたします。

【搬入前夜 4月30日】
朗文堂の社内がうずたかく積みあげられた段ボールの山で埋まる。こんな狭い社内のどこに、こんな大量な荷物があったのだ、というくらい、段ボールの山。出展者からの細部の問い合わせと、その対応に追われながらも、内心は焦燥感いっぱいで、最後のひとつの荷物の到着を待つ。
それは、1986年に閉鎖された、英国スコットランドの「ロバート・スメイルズ印刷所」が残した貴重な映像『 The Craft of Letter Printing 』の到着です。この映像が撮影された当時はビデオテープが主流だったため、DVDに焼き直しを依頼して1ヶ月余が経過していた。
「PALは認識するか?――PALとはなんぞや?(早速Googleで検索)日本とアメリカはNTSC方式らしい――アプリケーションソフトを使えば認識可能 ――それならPALでもOK――DVDは1本だけでいいの?――違法コピーはしないから安心して――Robundoは出版社だからその点は信用しているよ――」。
こんな@メールのやりとりが続くばかりで、何事ものんびり進行するヨーロッパ時間にはまってモタモタ。
「5月2日からのイベントで上映するから急いで! 間に合わないならもういらないよ」
ようやく先方も焦りだし
「4月中に届くように、20日には発送するよ」
ところが、アイスランドの火山爆発で英国の航空機が全面停止。出荷のメドがつかないと@メールが! ヨーロッパはこの数日間、孤立状態。
万事休す! しかも連日の震えあがるほど寒い雨続きに焦りがたかまる。
しかし「グッド・ニュース」到来!
航空機もなんとか離着陸できるようになり、4月29日に到着するように手配したとの@メール。
「29日? たしか何かの祝日で休みだったと思うけど、どのみちフェスタの準備のため出社になるだろうから、受け取れるか……」
もちろん4月29日(昭和の日)も準備のため出社。梱包・荷造りをしながら、内心はジリジリしながら荷物の到着をまつ。
「コンニチワ、航空貨物です」
4月30日の午後、ヤット来た……。間に合った……。DHLの配送者に訳もなく食って掛かる。
「4月29日に到着のはずだったけど」
「きのう、当社は、休日でした」
そうだよね……。今時分は今日も含めて世間さまは休みだよ。ともかくヤレヤレ。これで準備万端OKかな? 出展者の皆さんの準備はいかがかな……?

【搬入日 5月1日】
朗文堂スタッフと応援の活版カレッジ修了生有志が10:00朗文堂集合。大量の段ボールを積み込んで新宿を出発。上野・日展会館12:00前に到着。ただちに搬入と会場設営を終え、14:00から登場する出展者を迎える。
まず意欲満々で乗り込む初出展者の皆さんが登場。ついで、すっかり「活版凸凹フェスタ」の目的と雰囲気を把握している継続出展者が、ゆとりの表情で会場に続々と詰めかける。アッという間に100名近い出展者・出展企業と、そのお手伝いの応援者が集合。それからは旧交をあたためるいとまもなく、各自で梱包を解き、展示に慌ただしく取り組むものの、目標の17:00の閉館時間に間に合わず……会館担当者登場
「準備が進んで会場が華やかになりましたね。ところで延長料金をお願いします……」

【初日 5月2日】
10:00 開場と同時にドッと詰めかけたお客さま。「活版凸凹フェスタ」は連続3回目というリピーターのお客さまも多く、
「お久しぶりです。お元気でしたか?」
「今年の挑戦は、皆さん面白いですねぇ」
前2回よりだいぶ広くなったはずの会場が、アッという間に来場者で埋まり、あとは押すな押すなの大盛況。そして間もなく、出展者の一部からは、
「エアコンをもっと強くしていただけますか」
早速開始された《昔なつかしい厚手のきっぷを印刷しよう》は事前予約が不要なワークショップ。次々と訪れるお客さまへの対応に追われはじめました。
千葉県から駆けつけてくださったきっぷ印刷の専門業者F氏は、
「活版印刷に興味があるひとがこんなにたくさんいるとは……しかも、若い女性が多いですね……出展した甲斐がありました」
と始終ニコニコ。多くのお客さまがあまりに熱心に質問をされるので、きっぷの日付印字機の構造と仕組みが良くわかるように、カバーをはずしての実演となりました。

17:00 まだまだ名残惜しそうな来場者をせきたてて、会場閉鎖……ごめんなさい……今回の会場は時間管理が厳格です。

風俗店が林立する鶯谷駅前を抜け、脇道に消え入る者が出ないように気を配りながら、出展者懇親会会場「北の家族」へ移動。道中出展者が
「こんなに好いお天気の日は、鶯谷からじゃなくて、上野公園を抜けてくると新緑が鮮やかでちょうどいい散歩道。根津から歩くのもいいね」
たしかに来場者は、同時開催の古書市をのぞいたり、根津からきて伊勢辰をのぞいたり、さまざまに工夫してのご来場。
懇親会参加者は50名以上。とび入り参加も含め、宴会場の定員40名をはるかに越えている!
参加者からは「総勢50人もの飲み会なんてはじめてだ!」との声も。
来場者されたお客さまとの交流はもちろん、出展者どうしの親睦も、この活版凸凹フェスタの大きな収穫のひとつ。日頃は黙々とカッパン実践に取り組んでいる「リトル・プレス」の皆さんも、逆風のなかで踏んばっている「活版業者」の皆さんも、このときばかりは和気藹々、同じ道を歩むもの、同志の話しが弾みます。
昨年の懇親会では自己紹介が大いに盛り上がりましたが、今年はひとり1分で実施したとしても、この人数では60分が必要。会場は2時間の制限付きだったために残念ながら自己紹介は省略。それでも、お互いに名刺を交換しながら、情報交換や再会の喜びの渦。
19:30 だいぶお酒もまわって、意気投合した幾つかのグループに分かれて2次会、3次会へ。

【2日目 5月3日】

会期中最大数の来場者を迎える。開場と同時に3室とも溢れんばかりのお客さま。談笑の渦があちこちにできる。
「年々、作品のレベルが上がっていますね」
「3回目になって、カッパン初級者と中級者の違いがはっきりしましたね」
お客さまの視線は厳しいものです。もちろん誰もが最初は初心者。活版ルネサンスが本格化してまだ3年ほど。出展者の皆さん、ここは驕ることなく、臆することなく、謙虚に、まずは中級者へステップアップ。そして来場者の皆さんから上級者と認めていただくまで頑張りましょう。
ところで、会場内を「ピンクのシャツのオジイサン」が徘徊。若い来場者を捕まえては、「昔はねぇ……」と延々と。
「あのオジイサンはどなた? きのうも来てたでしょう」
出展者の間でちいさな話題に。やがて詳細情報をゲット。会場近くの印刷所のご隠居さんで、カッパンが懐かしくてやってきているとのこと。椅子をお勧めしても、ともかく昔話を若い皆さんに聞いてもらえるのが嬉しくて……。こういうかたも大歓迎です。昔がたりも貴重です。それでも会場には意外にカッパン実践者が多いのですが……。
階下の自販機の前が特設喫煙場に解放される。たちまちここが紫煙をくゆらせた愛煙者によって第2会場の様相を呈する。「ピンクのシャツのオジイサン」をここにご案内。
ペットボトルを片手にカッパン談義。
「イヤー、久しぶりにカッパンばなしができて、興奮して疲れちゃったよ。だけどさぁ、ここの若いコ、結構カッパンのこと知ってるね。驚いたよ」
「小型機とはいえ、一応カッパン実践者がたくさんいますから」
「そんなんで、喰えんのか」
「喰える、喰えないでいったら、喰えないでしょう。それよりもっと、別の喜びをカッパンに求めているみたいですよ」
「ウチじゃぁ、カッパンで喰えなくなって、オフセットで印刷やってるけど、オフも喰えねえ時代になっちゃってさ」
「ピンクのシャツのオジイサン」、お疲れになったようで、足をさすりながらこぼします。来年もまた、お元気できてくださいね。

13:00 はじめてのアウトドアでのワークショップ《印刷人掃苔会ツアー》の点呼がかかりました。これはあまりにマニアックなイベントで、おそらく申込みもないだろう……と予測。ところがまったく予想外、多数のお申込みがあり、あわてて締め切り告知を出したのですが、それでも押し寄せた20名近い参加者。集合後、まず参加賞をAdana-21Jを用いて、ご自身の手で印刷。アメリカ産の愉快な子熊の活字で、「歩いて、よく見て、ご苦労さん」。

準備段階では連日肌寒い雨続き。担当者3名はひそかに「雨の日版/晴れの日版」のふたつのコースと栞を用意していましたが、杞憂を吹き飛ばすほどのつよい日差しを浴びながらの出発でした。
出発間際まで、担当者はブツブツ……。
「掃苔会はオタクじゃないよ。マニアックといわれれば、そんなもんかとおもうけど、オタクはないぜ。こっちは真剣に研究しているんだから」
いえいえ、先達3名はもちろん、もしかすると参加者も、物好きを超え、十分オタクなようです。

13:30 簡単なレクチャーのあと、「晴れの日版」の栞を片手に《印刷人掃苔会ツアー》メンバーが出発すると、間もなく《活字と凸版画 メッセージカードをつくろう》のワークショップが「山猫や」の木月楨子さんの指導のもとではじまりました。カッパンと版画、これまではとかく別のものとおもわれていた造形活動が、Adana-21Jというひとつの機器で、同時に制作できるという、アダナ・プレス倶楽部の新提案をもとに開催されたワークショップでした。
参加者はまず、木月さんの指導のもとで、黙々とゴム版画を制作。喧噪を極める会場で、ここだけが静寂が支配する空間となりました。予約申込者はさすがに皆さん手慣れた手つきで版画を刻んでいき、やがてゴム版画をAdana-21Jにセットして版画をプレス。ついで隣のAdana-21Jで、欧文活字で組んだメッセージをプレス。二つ折りの素敵なメッセージカードのできあがりです。参加者は色彩も鮮やかな「印刷物・版画」を手にしてニッコリ。
従来は、活字と、亜鉛凸版や、樹脂凸版が中心だったAdana-21Jのプレスが、版台と版材に工夫をこらすことによって、ゴム版画やリノカットのプレスに大きく裾野を広げることになり、造形の範囲がグッと拡張されました。

16:30 「疲れたけど、面白かったぁ!」と《印刷人掃苔会ツアー》のメンバーが汗みずくになって戻ってくるころには、《活字と凸版画 メッセージカードをつくろう》のワークショップは予定通り終了して、印刷機の清拭作業の最中でした。
「どうだったの? 汗びっしょりじゃない」
「ともかく歩け、歩けで、つかれたぁ。最後の仮名垣魯文なんて、笑ったり泣いたりだったよ。でも最高に面白かった。ゴム版画はどうだった。作品見せて」
ふたつのワークショップのメンバーが、たちまち合流、歓談。
3号室はおもにカッパン関連業者のブース。初回からの継続出展の「活版工房」さんは、応援部隊のベテラン勢が加わり、話題も豊富で来場者の人気でした。
前回から参加の「真映社」さんは、《真映社春のハンまつり》をキャッチフレーズに意欲的な出展。このシャレ(オヤジ・ギャグ?)、解ったのは若者中心で、中年層は怪訝な表情。皆さん、このシャレおわかりでしたか? 樹脂凸版はできたら1回限りの使い捨て……、と聞いて、驚かれたユーザーもいたようです。
「アワガミファクトリー」の中島さんは、カッパン・ルネサンスの動向が、あらたなユーザー開拓につながると判断されての初出展。1日の休みもなく休日出勤され、接客にいとまがない慌ただしさでした。情勢視察に来場した社長は、あまりの人混みに目を白黒。
「書道の展覧会とは、だいぶ雰囲気がちがいますねぇ。こっちは活気がある」
「通称 活版印刷屋 株式会社大伸」さんは、大澤一家をあげてのご参加。大澤一家の皆さんは、どなたも個性的で魅力的でした。大澤親分はいかにも苦労人といった風貌です。若奥様がまたいいですねぇ。しっかり、さりげなく一家を仕切って。そして若旦那! お祭り男の見栄と、気っ風の良さと、ひそかな照れ屋さんで、しっかりカミサンの手のひらに納まって。それでも威勢良く、来場者をなで切り、ぶった切り。
そして、こちらも初出展の「印刷工房 河内や」さんです。社長以下、社員総出で実演に励んでいただきました。河内やさんはこういう展示会にはあまりご参加されなかったのですが、知る人ぞ知る、特殊印刷を得意とされる意欲的な印刷専業者。オフセット平版印刷にとどまらない、多様で多彩な印刷総合技芸を十分発揮していただきました。会社を陰から支える奥様手作りの暖かいお赤飯は、開催初日の縁起物として、また準備に疲れたスタッフの心をほかほかと癒してくれました。

ところで……、あの新着DVD「ロバート・スメイルズ印刷所」の『 The Craft of Letter Printing 』のその後です。第3室では大型モニターをもちいて、この映像を含む貴重なDVDを3種用意して順次公開していましたが、モニターの前にデンと座ったのが、大澤親分と、掃苔会にも参加された小宮山印刷のK社長、そしてワタシの3人だけ。平均年齢75歳! もちろんワタシが大分平均年齢を引き下げていました。
「ムラ取りもちゃんと規則通りやるんだなぁ。コッチは巻貼りでおわりだったけど」
「巻貼りのあとに、もう1枚胴貼りをかぶせると、修整が滑らかになるんだけど、めんどうだからねぇ」
担当者によると、このDVDに見入っていたのはこの3人だけ。それでも本格派のおふたりが喜んでくれ、間に合わせた甲斐があったというものです。

【3日目 5月4日】
湿り気のない薫風が肌に心地好い一日。経験がら、イベントのなか日は、おおむね来場者数も落ち着くものと予測していましたが、来場者の波は相変わらず途切れることなく続いていました。喫煙スペースのにぎわいも続いています。
会館の担当者から、昨日までに800人以上の入場者をカウントしたとの報告。
「みんなで何回も喫煙室に通うから、それもカウントされてるんじゃない」
「オタクは、一日10回はここに来ているでしょう?」
紫煙をくゆらしながらのカッパン談義の合間に雑談が続きます。
2号室の築地活字・平工希一さんは、朗文堂とは呼吸をあわせて活版ルネサンスに取り組んできた同志です。今年は「暑中お見舞い申しあげます」の三号活字を、書体を変えたものを数種類用意しての意欲参加。
「平工さん、ここにみえるかたの大半は、暑中見舞いは出さないとおもう」
「そんなことはないでしょう。思い切った値段を付けたんだから、売れますよ」
初日からこんな会話があって……。
「平工さん、暑中見舞い活字、売れた?」
「聞かないでくださいよ……、まったく」
年賀状はともかく、エアコンが普及したせいもあって、暑中見舞いのはがきを交換する慣習はだんだんに減少しているようです。
台湾の手漉き紙メーカー「紙匠工房」の林政立さんは、今回が初の参加。林政立さんは台湾うまれ。東北大学工学部を卒業され、流ちょうな日本語を操ります。朗文堂とはいつからのお付き合いだったのか忘れるほど、親しい交流が続いています。企業参加ですが、人脈づくりが優先とされ、眼鏡の奥のよく動く視線を駆使して、会場のあちこちに出没。懇談、懇親の連続です。4日間の会期中、出展者、来場者のなかから多くの友人を得られ、良い人脈を構築されていたようです。
2号室は朗文堂が中心で展開しましたが、ここに出展者として銅販画作家・たなか鮎子さんが参加されていました。たなか鮎子さんには、透明感のある色彩とユーモアが溢れる造形で『 VIVA!! カッパン♥ 』のジャケットを飾っていただきました。

13:00 《ハンドモールドで活字をつくろう!》のワークショップが13時と、15時からの2回開催される。講師は伊藤伸一さん。予約制有料の講座。今回はアメリカのスミソニアン歴史博物館のスタン・ネルソンさんによる、忠実な活字ハンドモールドを用いての講座となりました。
活字ハンドモールドの伝来は意外にふるく、キリシタン版の活版伝習者たちが1591年ころには使用したものとみられ、嘉永年間(1848―54)には、長崎のオランダ語通詞/本木昌造らが好奇心あふれる視線で「活字ごっこ」に夢中になったと想像され、さらには江戸期末期にはわが国の長崎・出島で「活版早業師/インデマウル」らがもちいたと想定されるものの、その道具を「割り型/割り鋳型」とし、できた活字を「流しこみ活字」としたために、豊富に存在する外国文献「活字ハンドモールド」と合致せず、活字ハンドモールドは印刷史のミッシング・リンクともいえる存在でした。
近年のタイポグラフィ研究の進捗によって、東京国立博物館、長崎・諏訪神社に収蔵されている金属片が、活字ハンドモールドであることが判明し、渡辺優さんは復元モデルを製造し、伊藤伸一さんはスタン・ネルソン氏から直接譲渡を受けたものでした。
この近代金属活字の創始から400年余にわたって活字をつくりつづけた「ハンドモールド」の忠実な復元版を用いて、活字をつくり、印刷までするという、わが国の近代タイポグラフィのあけぼのの時代を追体験し、原点回帰を試みるという意欲的な企画でした。
活字鋳造法は開国を待ち、明治2年(1869)長崎活版製造会社・本木昌造が上海からブルース型活字鋳造機を導入。幕末からはじまったわが国の活字開発は、ここに「道具から機械へ → 産業革命の成果の導入 → 殖産興国」への道をひたはしることになりました。
参加者は、まずヤケド防止の軍手をはめ、緊張した手つきで「活字鋳造体験」、ついで贅片を折り取って、「活字高さ見」を用いて、活字の高さを規定通りの寸法に仕上げます。それができたら、Adana-21Jを使って「手作りの活字で、自ら印刷する」という貴重な体験をしていただきました。
ところで……、これらのワークショップのお手伝いはもちろん、活版凸凹フェスタの搬入・会場設営・展示・受付・搬出の陰の力となっていただいたのは「活版カレッジ」の修了生のみなさん。「活版カレッジ」を通じて、身体性をともなった造形活動の喜びを知った皆さんでした。ほとんどの方が出展者でもありながら、黙々と裏方の大役を担っていただきました。心からのありがとうを。

【最終日そして搬出 5月5日】

最終日。今年は毎日のように子供連れのご夫婦が多くご来場されましたが、この日は「子供の日」ということもあり、特にお子さんの姿が多く見られました。1号室の出展作家コーナーには、混雑のあまり乳母車が入れず、エレベーター・ホールに乳母車が並ぶことも。ご夫婦が交代で会場に入り、子守にあたるほほ笑ましい風景もみられました。
第3室の学校法人の参加は壁展示が中心で、女子美術大学短期大学部造形学科デザインコース/多摩美術大学造形表現学部デザイン学科/常葉学園大学造形学部杉田研究室/日本大学藝術学部美術学科/武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン学科の意欲作が並びました。
参観に訪れた学生諸嬢が、
「来年は第1室の出展作家コーナーに個人で出展したいんですけど」
「あちらは出展費が有料ですけど、そのぶん頑張っていい作品をつくって参加してね」
Adana-21J操作指導教室からのお付き合いの学生さんとも、すっかり打ち解けた会話が弾みます。
第1室の出展作家コーナーは、青葉瀧/アダナ・プレス倶楽部(大石 薫)/アダナランド(Hedgehog Press, Alan Brignull)/ananas press(都筑晶絵+山元伸子)/阿部真弓/石神嘉兼/印刷の余白Lab.+あちらべ/smbetsmb/おいかわみちよし/凹凸舎(大沼ショージ)/尾田美樹/小畑裕子/海岸印刷/亀井純子/九ポ堂/真田幸文堂(真田幸治)/しまりすデザインセンター(石松あや)+まさなりみゆき/たなか鮎子/田中裕子/ツバメ活版堂+knoten+山本裕子/つるぎ堂/Tokyo Pear(スミスダレン・恵梨子)/はな工房(田中智子)/ハナブサ・プレス/ヒロイヨミ社(山元伸子)/史緒/文香(栃木香織)/megropress/山﨑祐三子/山崎洋介/山田理加/山猫や(木月禎子)/ユニバーサル・レタープレスと溝川なつ美/横島大地/羅久井ハナ/Raku Design Studio(渡邉正央)/riviera press(浅井陽子)/龍骨堂/リュース オ ボウ(佐藤礼子)/Lingua Florens(桐島カヲル)の皆さんが、ところも狭しと、日頃の研鑽の技を発揮されました。

この日の特別企画展示関連ワークショップは《VIVA!! カッパン♥ 発売記念カードを印刷しよう!》と、《リノ・カットをAdana-21Jで印刷しよう!》の同時開催。いずれも事前予約不要、参加費も無料とあって、第2室も家族連れで大賑わいとなりました。なかでもリノ・カットを、大型の版画プレス機ではなく、卓上のAdana-21Jで印刷するテクニックは、アダナ・プレス倶楽部が版材と版台を工夫するなかから開発・提唱したもので、関連図書の展示とともに、おおきな関心をよんでいました。

「ピカソもリノ・カットに没頭した時代があったのですね」
「日本のダダイストが、ここまでタイポグラフィに執着し、リノ・カットに挑戦していたとは……、知りませんでした」
「スイス・タイポグラフィの指導者のひとり、エミール・ルダーも、こんなにリノ・カットを多用していたとは気がつきませんでした。疑いもなく写真製版だと思っていたこの網点が、すべてリノ・カットによる手彫りだったとは……、おどろきです!」
イベントのお決まりパターン、最終日の閉場時間が近付くにつれて駆け込みの来場者が続出、ますます混雑が増す。
いよいよ16:00。減灯作業を開始。名残惜しそうな来場者から恨みの視線が集中。ご免なさい。ここは時間管理が厳格なので……。搬出作業に入る。
17:00 出展者の全面的なご協力で、撤収作業終了。「間に合ったー!」の歓声とともに拍手が上がる。

来年もまた、五月の連休は活版凸凹フェスタ! 日展会館で再会しましょう。