【展覧会】 東京大学総合研究博物館 特別展示「赤門」— 溶姫御殿から東京大学へ+新宿餘談

東大総研赤門展東京大学総合研究博物館
特別展示 「赤門」— 溶姫御殿から東京大学へ」
2017年3月18日-5月28日[日]
入館無料  お問い合わせ:ハローダイヤル 03-5777-8600
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東京大学本郷キャンパスの大半は加賀百万石、前田家本郷邸跡地と重なっている。
したがって、数〻の加賀前田家ゆかりの歴史的遺構が本郷キャンパスの景観をいろどっている。中でも最も著名なのは旧加賀屋敷御守殿門、すなわち赤門であろう。

現在ある赤門は文政10年(1827)、徳川家斉の息女溶姫が前田家13代藩主、斉泰へ輿入れするにあたって建立された。以来、190年、本郷邸の歴史の半分近くもの間、赤門は、江戸の終焉から東京大学の創設、発展の歴史を見守ってきた。
加えて、2017年は本郷邸開設400年の節目の年にあたり、かつ、東京大学設立140周年の節目の年にあたる。これらを機に、赤門という国指定重要文化財が語る本郷邸の歴史を提示するのが本展である。

近年著しく進展した本郷キャンパス埋蔵文化財の発掘、歴史文書の集成、そして本学施設部記録の調査。それらの成果をあわせ、赤門の由来を本郷邸開設にまでさかのぼって知る機会としたい。

【 詳細 : 東京大学総合研究博物館

{ 新宿餘談 }
800px-University_of_Tokyo_Tetsumon東京大学には正門・赤門などのほかにも、いくつかの著名な門がある。森鷗外や夏目漱石の時代、帝国大学(現:東京大学)の正門は<鉄門>であった。
この門は同大の源流のひとつ、神田和泉町「種痘所・西洋医学所・医学所」の遺構を移築したのであった。
(「医学部付属病院〔鉄門〕再見記念式典」
『東大病院だより No.54』 PDF 1.50 MB)。

東大医学部は安政5年(1858年)に、長崎や大阪でオランダ医学を学んだ伊東玄朴を中心とする82名の者の寄附金で設立された〝お玉ヶ池種痘所〟をルーツとする(中略)。すでに種痘は全国で実施されていたが、江戸では江戸城の将軍の御典医の漢方学派の多紀グループが反対したためにそれまで実施できなかった。

これはジェンナーの種痘のことで、日本中に猛威を振るった天然痘の予防ワクチンのことである。伊東玄朴らは拒否され続けた種痘所が遂に設立が認められた年である。しかし〔お玉ヶ池種痘所は設立後〕たった6ヶ月で火事で類焼した。
佐倉の豪商の援助で、すぐに現在の三井記念病院のある下谷の和泉橋通りに再建され、〝西洋医学所〔種痘所・医学所〕〟と名称を変えた。医学所は教育・診療をかねた医学校の前身であった。医学所には鉄の門扉が取り付けられていたので、江戸町民はこの医学所そのものを鉄門と呼んだ。

明治10年に東京大学が10万坪もある加賀藩のお屋敷跡に設立された。しかしすべての学部が同時に出来たのではない。一番目にやってきたのが医学部である。
大学構内の南側に医学部本館、病院、教室が置かれた。無縁坂寄りに第4通用門があって、ここから入ると富山藩の御殿があった。この門は明治12年医学部の開業式が行われたときには表門と呼ばれた。この表門は鉄製の美しいデザインで鉄門と呼ばれるようになった。
(上掲『東大病院だより No.54』より抜粋。同資料は豊富な図版も掲載されている)

したがって鷗外や漱石がのこした作品には、しばしば無縁坂とあわせて<鉄門>が登場する。現在は改装されて昔日の面影は少ないが、不忍池から上野へとくだる無縁坂にそって、東大医学部中央診料棟 2 の前にある。
「赤門展」とあわせて、ぜひおたずねいただきたいものである。