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【展覧会】 董其昌とその時代-明末清初の連綿趣味/東京国立博物館・台東区立書道博物館 連携企画

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ぢゃむ 杉本昭生【活版小本】 次の本が出来るまで その41

七十二候(しちじゅうにこう)
「七十二候」とは、「二十四節季」をさらに約五日ごとに分類し気候の変化や動植物の様子を表現したものです。
12月2日より12月31日までを掲載します。
※大雪 次候の虎始交は書家であり画家の中村不折氏の作品です。最後に製作者のリストを掲載しておきます。いつか本にできればと思っています。
しかし印をひとつずつ押すのは大変でしょうね。でも楽しそう。
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書道博物館 施設概要】 冒頭部・部分
書道博物館は、洋画家であり書家でもあった中村不折(1866-1943)が、その半生40年あまりにわたり独力で蒐集した、中国及び日本の書道史研究上重要なコレクションを有する専門博物館である。
殷時代の甲骨に始まり、青銅器、玉器、鏡鑑、瓦当、塼、陶瓶、封泥、璽印、石経、墓券、仏像、碑碣、墓誌、文房具、碑拓法帖、経巻文書、文人法書など、重要文化財12点、重要美術品5点を含む東洋美術史上貴重な文化財がその多くを占めている。

こうしたコレクションと、昭和11年11月に開館した当初の博物館建設に伴う一切の費用は、すべて不折自身の絵画や書作品の潤筆料から捻出した。その偉業は日中書道史上においても特筆されるべきものである。
こうして書道博物館は、開館以来約60年にわたって中村家の手で維持・保存されてきたが、平成7年12月、台東区に寄贈された。そして平成12年4月に再開館したのが現在の台東区立書道博物館である。
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{新宿餘談}
中国明王朝は朱元璋(太祖)がほかの群雄を倒し、蒙古族王朝元を北に追い払って金陵(南京)に建朝した。三代成祖(永楽帝 1402-24)のとき北京(順天府 1421)に遷都。
明代前半期は久しぶりの漢族正統王朝のもとで「文藝復興」の時代とされ、また奇妙なことに西欧の「ルネサンス」の時代ともかさなっている。
ところが後半期は、皇族は奢侈にはしって治世が安定せず、宦官の専権が目立ち、各地で農民の叛乱が勃発し、異民族からの圧迫も多く、国勢は次第に衰微をみた。

董其昌(とう-きしょう 1555-1636)はそんな明朝末期に活躍した文人であり、特に書画に優れた業績を残して「藝林百世の師」とされた。また清朝の康煕帝が董其昌の書を敬慕したことは有名で、その影響で清朝においては正統の書とされた。

ところで、董其昌が活躍した明末清初の時代とは、わが国では徳川時代初期にあたり、徳川幕府の正統の書とは、楷書でも行書でもなく「お家流」とされた連綿体であった。
またここ最近、規矩の明確な明朝体・ゴシック体の使用に「活字ばなれ」と称されるような疲労感がみられ、ひら仮名からはじまり漢字にいたる「連綿体」が世上の関心をあつめている。
この奇妙な符合がどこから発しているのかを考えるのに好適な展覧会が、新春早早から開催される。
書道博物館オモテ 書道博物館ウラ

東京国立博物館・台東区立書道博物館 連携企画
董其昌没後380年
董其昌とその時代一明末清初の連綿趣味-

中国明王朝の時代に文人として活躍した董其昌(とう-きしょう 1555-1636)は、高級官僚として官途を歩むかたわら、書画に妙腕を発揮しました。
書ははじめ唐の顔 真卿を学び、やがて王羲之らの魏晉時代の書に遡ります。さらに当時の形式化した書を否定して、平淡な書風を理想としながら、そこに躍動感あふれる連綿趣味を盛り込みました。
画は元末の四大家から五代宋初の董 源に遡り、宋や元の諸家の作風を広く渉猟して、文人画の伝統を継承しつつ、一方では急進的な描法によって奇想派の先駆けとなる作例も残しています。

董其昌は書画の理論や鑑識においても、卓越した見識を持っていました。『画禅窒随筆』は、董其昌の書画に対する深い理解と理念を示すものとして知られています。

明王朝から清王朝への移行は、単なる政権交代ではなく、漢民族が異民族である満州族に覇権を奪われた歴史上の一大事でもありました。
董其昌によって提唱された書画の理念は、明末から清初にかけた激動の時代の書画にも濃厚に反映されました。連綿趣味は、当時の人〻の鬱勃たる心情を吐露する恰好の場となったのです。
ところが満州族である清の康熈帝と乾隆帝が董其昌の書画を愛好したことで、その後三百年に及ぶ清朝においても董其昌は大きな影響を与え続けました。

今年度は、董其昌の没後380年にあたります。このたび14回目を迎える東京国立博物館と台東区立書道博物館の連携企画では、中国書画の流れを大きく変えることとなる董其昌に焦点をあてながら、そのあとさきに活躍した人〻の書画を取りあげます。
両館の展示を通して、魅力あふれる董其昌ワールドをお楽しみください。
【詳細:書道博物館
【詳細:国立博物館 東洋館

【東京国立博物館】 特別展「古代ギリシャ―時空を超えた旅―」

20160719211830_00001 20160719211830_00002東京国立博物館 特別展「古代ギリシャ―時空を超えた旅―」
平成館 特別展示室   2016年6月21日[火] - 2016年9月19日[月]

ギリシャの彫刻、フレスコ画、金属製品などを展示します。新石器時代からヘレニズム時代までの各時代、キュクラデス諸島、クレタ島ほかエーゲ海の島々や、ア テネ、スパルタ、マケドニアなど、ギリシャ各地に花開いた美術を訪ねる旅に出発しましょう。
ギリシャ本国の作品のみによるものとしては、かつてない大規模なギリシャ美術展です。

【 詳細 : 東京国立博物館 特別展
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{ 新 宿 餘 談 }
DSCN9524 DSCN9546 DSCN9537もう蟬がないていた。 むしあつい夏の日の午後だった。
「エジプト展」とならんで、「ギリシャ展」はいつも混雑がひどい。7月17日[日]もそうだった。
人にアタル(人混み中毒症)のやつがれ、予習をだいぶしてきたので、平成館のせっかくのひろい展示場を、くねくねと細い通路でしきった、冷房の効きののわるい展示会場をかけ足でみてあるいた。
なにしろ本展は九割以上が日本初公開で、全325点の展示がなされている。やつがれの画像許容量をはるかに超える作品群だった。

人混みを避けて前庭に出る。ことしの東京は水飢饉が心配されるほど雨がすくなかったが、国立博物館(トーハク)の樹木と艸花は庭士がかわったのかとおもわせるほど元気だった。芝生では雀がむれていたし、蟻もさかんに活躍していた。
正面プラザからはいって、正面の「本館 日本ギャラリー」の前のユリノキ( 百合の木、学名 :  Liriodendron tulipifera は、袢纏にも似た葉をいっぱいにつけて元気だった。

ユリノキ 北アメリカ中部原産  
日本へは明治時代初期に渡来した。東京国立博物館本館前庭の巨木に添えられた銘板に、次のように記されている。
明治8、9年頃渡来した30粒の種から育った一本の苗木から、明治14年に現在地に植えられたといわれ、以来博物館の歴史を見守り続けている。
そのため東京国立博物館は「ユリノキの博物館」「ユリノキの館」などといわれる。

DSCN9536 DSCN9546 DSCN9548 DSCN9552 DSCN9559平成館の前庭には「芙蓉」らしき艸が、深紅の大輪の花をつけていた。
アレレッとおどろいた。いままで見逃していたのかも知れないが、庭のそこ此処に「龍爪槐 リュウソウ-エンジュ しだれえんじゅ」(画像集)がこんもりと繁っていた。

この低灌木は、冬になって剪定されると形相をかえて、鋭い龍の爪のように変貌する。このことは、<花筏 聚珍倣宋版と倣宋体-04 宋朝体活字の源流:四川宋朝体龍爪 と 龍爪槐をめぐって>で紹介した。
龍爪パッケまたことしの五月末にでかけた北京清華大学の指定ホテル「甲所」の前にも、生け垣のようにして龍爪槐がたくさんあった。

DSCN7899DSCN8137陽ざしはつよかったが、こうして平成館の前庭をぐるぐるまわり、喫煙所で一服をかさねた。
一時間余ののち、鑑賞をつづけていたつれあいが図録を重そうにかかえてはしりでてきた。
どういうわけか、「エジプト展」とならんで「ギリシャ展」はいつも混雑がひどい。
家に帰って図録鑑賞をゆっくり楽しもうとこころにきめた。