【艸木風信帖】 02 長崎中島川と1982年長崎大水害の記憶 ときの助役として奮迅の活躍をされた宮川雅一氏

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蝉が啼いていた。平野富二生誕170年とあって古谷昌二さん、平野正一さんと長崎訪問。1982年7月23日かつてない驟雨が長崎を襲いおおきな被害をもたらした。世にいう{長崎大水害}。当時長崎市の助役だったのが宮川雅一氏。現在は長崎都市経営研究所所長・長崎市史談会顧問{ 文字壹凜 Summary }。あれから35年、半壊状態となった眼鏡橋も再建されて、長崎は力づよく復興した。桃渓橋は「眼鏡橋」からすこし上流にある。川面をわたる涼風が心地良かった。

中島川桃渓橋から上流方向をのぞむ 長崎中島川桃渓橋 桃渓橋解説 宮川雅一氏と平野の会

長崎名物「はか・さか・ばか」自著でそれをかたる宮川雅一氏はまさに〇〇あまりに失礼なので〝ふうけもん〟とした

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虎與書房安中半三郎を追っているうちに『宮川雅一の郷土史岡目八目』(長崎新聞社)宮川雅一氏にたどり着いた。このかたは長崎の著名人、代代の素封家で祖父は安中半三郎の事業の支援にあたり、ご本人も東大法学部卒・総務省をはじめ諸官庁を歴任し長崎市助役を勤めた。長崎市史談会会長を経て相談役。つまり街の名士。しかし長崎人特有の天性の〝ふうけもん〟信州出身のやつがれとすっかり意気投合。ノー学部の要請で中国少数民族の帽子自慢がはじまって小一時間。

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江戸うまれ明治期長崎で活躍し多藝多才の〝ふうけもん〟虎與號・安中半三郎 諱:東来 名:有年はこんな邪気の無い人物

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長崎川柳吟社 素平連 SUPEREN「故本木昌造翁の功績を追懐して贈位報告祭に活句をよみて奉る」

活字版 櫻木よりも 世に薫り 東来

安中半三郎(嘉永六年1853大正一〇年1921)の肖像写真をはじめて紹介する。長崎いちの酔狂〝ふうけもん〟とされた壮年期のものとおもえるが、瞳は好奇心にあふれ腕白坊主がそのまま大人になった風の写真がのこされていた。資料提供/宮川雅一氏。

 

安中半三郎resized 安中半三郎狂歌