もんじ」カテゴリーアーカイブ

【もんじ】長崎大光寺墓地にある門標-これは 文 はたまた 字?

大光寺墓地(浄土真宗本願寺派  850-0831 長崎県長崎市鍛冶屋町5-74)

大光寺うしろ山(風頭山-かざがしらやま)の大光寺と崇福寺墓地の境界、大光寺側の広大な墓地で、内田九一の奥城(奥津城-おくつき。墓の古称だが近年はおもに神道の鎮魂碑をいう)を訪ねた際に、たまたま発見したもの。
どんな文、はたまた、どんな字がつづられ、どんな意味があるのでしょう?

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【もん】「石畳・霰-あられ」を「 市 松 紋 様 」の名にかえた 歌舞伎役者・佐 野 川 市 松

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「石畳・霰-あられ」を「 市 松 紋 様 」の名にかえた
江戸中期の歌舞伎役者・佐 野 川  市 松-さのがわ いちまつ

日本の紋様〔紋のありさま〕の定番であり、着物や帯だけでなく、千代紙や小物などあらゆるところで目にするものに「市松紋様」がある。おなじみのこの市松紋様、実はさほどふるいものではなく、ひとりの歌舞伎俳優と深い関係があった。

色違いの正方形を、碁盤の目のように組み合わせた紋様が生まれたのは、古墳時代の埴輪の服装や、法隆寺・正倉院の染織品にも見られ、古代より織紋様として存在していた。また公家や武家の礼式・典故・官職などに関する古来のきまり『有職故実-ゆうそくこじつ』では、こうした格子紋様は「石畳・霰-あられ」などと呼ばれ、おもに着物の地紋(織り柄)として使われていたことがわかる。

これが歌舞伎の舞台で鮮やかに観客の前に出現し、一気に注目されることとなったのは、寛保年間(江戸中期 1741-44)のことである。当時の歌舞伎役者が身にまとう紋様は、その役者の感覚や心意気を人〻に伝えるツールであった。
江戸の中村座で、ある俳優が「心中万年草-高野山心中」の小姓・粂之助-くめのすけ-に扮した際、白と紺の正方形を交互に配した袴をはいて登場したことからおおいに人気を博した。折しも庶民が紋様を施した着物を楽しむようになった時代でもあり、霰の紋様をあしらった鮮やかな袴は観る人〻の目に衝撃とともに焼きついた。

この衣装を身につけて登場した俳優の名こそ「初代 佐野川市松」であった。ここであまり紹介されてこなかった「初代 佐野川市松」をみてみたい。

佐野川市松(初代 さのがわ-いちまつ 1722-1762)
江戸時代中期の歌舞伎役者。享保7年生まれ。佐野川万菊の門人。若衆方、若女方をかね、荒事にもすぐれた。宝暦12年11月12日死去。41歳。山城(京都府)出身。俳名は盛府。屋号は新万屋・芳屋。

佐野川市松はその後もこの紋様を愛用して、また浮世絵絵士:奥村正信・鳥居清重(1751-77ころ活動 生没年不詳)・石川豊信(1711-85)などがその姿を好んで描いたことから、着物の柄として流行をみた。
市松の愛用したこの紋様は、当初はふるくからの慣わしにしたがって「石畳」と称されたが、のちに「市松紋様」「市松格子」「元禄紋様」などと呼ばれるようになった。
ひとりの歌舞伎役者の美意識によって、古来の呼称「石畳・霰」が、「市松紋様」という名に置きかわったのである。この「佐野川市松」の伝承によって、当時のインパクトがどれほどのものだったのかを偲ぶことができる。

Tokyo_2020_Olympics_logo.svg2020年 夏期オリンピック エンブレム

さらに佐野川市松の時代から175年ほどのち、2020年夏季オリンピック・パラリンピックのエンブレムが若干の紆余曲折をへて決定した。デザインは野老朝雄(ところ-あさお 1969-)で、このデザインは「組市松紋」だと自ら発表している。歌舞伎役者「佐野川市松」好みの紋様が、世界のアスリートが結集する舞台に「組市松紋」として再登場したことになる。

〔参考資料〕
WebSite 歌舞伎美人-かぶきびと-歌舞伎いろは「装い」
WebSite 市松模様 ウィキペディア
「市松模様」『国史大辞典』(吉川弘文館)/「市松模様」『日本史大事典』(平凡社)
「佐野川市松(初代)」『日本人名大辞典』(講談社)

【もんじ】京都四條南座|南座発祥四百年・南座新開場記念|京の年中行事 當る亥歳 吉例顔見世興行|東西合同大歌舞伎|まねき書き

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ニュース 10月12日号ゟ


南座新開場に向け準備万端、「まねき書き」

2018年10月11日[木]、京都南座「當る亥歳 吉例顔見世興行」で、劇場正面に掲げられるまねき看板を書く「まねき書き」*01 がおこなわれました。
耐震補強工事を終えて、新開場の南座に初めて上がるまねき看板が、まねき書きを引き継いで5年目の 井上 優 さんによって書き上げられました。今年は顔見世興行が11月と12月の2ヶ月にわたっておこなわれますが、今回書かれたのは11月のまねきです。

耐震補強工事中、昨年は顔見世興行の会場が移されたのに伴い、まねき看板も顔見世興行の会場となった「ロームシアター京都」に上げられました。2年ぶりに南座に上がる「役者まねき」は約40枚で、襲名する松本白鸚のまねきが南座に上がるのは初めてです。
このほか、「當る亥歳 吉例顔見世興行」と書く「興行まねき」、「邦楽連中まねき」や、入口に置かれる「口上まねき」の合計53枚が用意されます。

南座新開場に向け準備万端 ──「まねき書き」
伝統にならい、大入りを願って隙間の少ない勘亭流の文字を書く井上 優さん

大入りと興行の成功を祈って揮毫したという井上さんが、
「2年ぶりに南座に上がるまねきですので、華やかになればと思って書きました」
と語るのを聞くと、その思いのこもった一字一字が、いっそう輝いて見えました。
例年どおり京都市内の妙傳寺でのまねき書きでしたが、11月の顔見世興行に合わせ、いつもよりひと月早いため、
「暑かったので、墨のにかわが早く乾いてしまうんじゃないかと心配だった」
と明かした井上さん。しかし、それも杞憂となる出来栄えで、ひと安心と笑顔を見せました。

画数の多い松本白鸚の「鸚」も、井上さんの手にかかれば、ほかと変わらぬ堂々とした仕上がりで、看板を見上げるのが今から楽しみです。まねき看板の大きさは、これまでと同じ長さ1間(約1.8メートル)、幅1尺(約30.3センチメートル)、厚さ1寸(約3センチメートル)で、書き上げられたまねきの上部につける庵形-いおりがた-も同じ。*01
南座の伝統行事がこうして新しい南座へと受け継がれ、今月の25日[木]には南座の正面に「まねき上げ」が行われて、初日を待つばかりとなります。
南座の新開場は、「南座発祥四百年 南座新開場記念 京の年中行事 當る亥歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」が初日を迎える11月1日[木]。公演は11月25日[日]までで、チケットは、チケット Web 松竹、チケット Web 松竹スマートフォンサイト、チケットホン松竹で発売予定です。2018年10月12日
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【まねき看板】*01
京都市にある劇場、南座で、毎年年末に行なわれる「吉例顔見世興行」の際、劇場正面に掲げられる役者の名をいれた看板。縦1.8m、横30cmほどの大きさのヒノキ板でできた看板。上部には庵形(いおりがた)がついており、文字は「勘亭流」*03 という江戸時代から伝わる書体で書かれる。単に「まねき」ともいう。

【まねき上げ】*02
京都市にある劇場、南座で毎年年末に行なわれる歌舞伎の顔見世興行の際に、出演する役者の名を入れたまねき看板を劇場正面に掲げる行事。京都の冬の風物詩として知られる。

【勘亭流-かんていりゅう】*03
歌舞伎の看板、絵本番付(プログラム)などに用いる独特の書体。筆太で、隙間なく、内へ丸く曲げるように書く。寄席、相撲などで使う書体とは違う。内へ丸く曲げるのは、観客が入るという縁起をかついだものである。
安永八(1779)年、江戸堺町の書道指南岡崎屋勘六(1746-1805)が中村座のために創始したのがはじまり。勘六は号を勘亭といい、そこから勘亭流という書芸の流派がうまれた。

京都四条南座「當る亥歳 吉例顔見世興行」襲名披露特別ポスター『勧進帳』

 耐震工事を中心にしばらく大幅改修工事が進行していた京都四條南座が
2018年11月 愈〻オープン ── 新会場記念公演を迎えます。

【 YouTube 松竹チャンネル / SHOCHIKUch  南座新開場ご紹介 音が出ます 5:57 】
平成30年11月、いよいよ南座が新開場いたします。400年の歴史を新たな時代へ


【 詳細: 歌舞伎美人-かぶきびと 】