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【符号 ≢ もんじ】本木良永|長音符号(音引き)を、漢の字「引」の旁 ツクリ からとって「ー」と制定|『太陽窮理了解説』和解 ワゲ草稿

『太陽窮理了解説』和解 ワゲ草稿 ── 本木良永
長音符号(音引き)を、漢の字「引」の旁 ツクリ からとって、「ー」と制定した

【本木良永 もとぎよしなが 1735-1794】
江戸中期の蘭学者。通称栄之進、のち仁太夫-にだゆう、あざなは士清、蘭皐-らんこう-と号した。長崎の医師:西 松仙-にし しょうせん-の次子として生まれる。伯父本木良固-りょうこ-の嗣子-しし-となり、本木家第三代の通詞となる。オランダ商館長の江戸参府にも随行した。

わが国にはじめて「地動説」を『天地二球用法』(1662年刊のオランダのブラウ Willem J. Blaeu(1571-1638)の著書の抄訳本)から訳出して1774年(安永3)に紹介した。
さらに1791年(寛政3)、長崎奉行の命を受けて、『星術本原太陽窮理了解新制天地二球用法記』7巻325章附録1巻(イギリスのアダムスGeorge Adams(?-1773)の1769年刊のものの蘭訳本が原著とされる)を1793年に訳了、幕府天文方に献上した。
これらの書物は公刊されなかったが、当時長崎に留学してきた蘭学者らによって広まり、とくに司馬江漢-しばこうかん-の『刻白爾-コッペル-天文図解』(1808年刊)などは有名である。ニュートン力学を紹介した志筑忠雄-しづき ただお-は彼の弟子である。
[参考:『日本大百科全書』小学館、『日本人名大辞典』(講談社)]

本木良永肖像 肩衣と羽織に本木家歴代の正紋「本」を図形化したものがみられる
『医家先哲肖像集』(藤浪剛一、刀江書院、1936年)国会図書館デジタルコレクションゟ
長崎大光寺にある本木家塋域:本木良永墓標 燭台に家紋「本」をみることができる
『太陽究理了解説 和解草稿』第二巻冒頭  凡例に相当するページ
(「本木家文書」長崎市立博物館旧蔵 2002年 佐治康生氏撮影 稿者立ち会い)

算数文字別形
1  一  2   二    3  三   4   四  5  五   6  六  7   七   8   八   9  九  0  十
一 オランダ語の音声をあらわすとき、日本のカタ仮名文字を用いる。
濁音[ガギグゲゴなど]には、カタ仮名の傍らに〝 のようなふたつの点を加える。
その余の異なる音声[半濁音、パピプペポ]には、やはりカタ仮名の傍らにこのように ° 小圏[小丸]をしるす。
また促呼する音声[促音]には、ツノ字[角書きツノ-ガキのこと・菓子や書物の題名などの上に複数行にわけて副次的に書く文字]を接し、
長く引く音には、引の字のツクリを取りて『ー』のごとくしるす。
かつカタ仮名の[以下数文字判読不能)新字を為し、このように記し、かつカタ仮名の傍らにこのような字をつけてしるしても、まだオランダ語の語音をあらわしがたい。
そこで唐通事[中国語の通訳]石崎次郎左衛門に唐音をまなんで、オランダ文字と漢字[当て字]をあわせてしるすなり。

いずれにしても、本木良永訳『太陽窮理了解説』和解草稿上下二冊には、今回紹介したようなおどろくべき事実がしるされている。もちろんこうしたあたらしい表記方法は、個人の創意工夫だけによるものではなく、同時発生的に、各地、各個人も実施していた可能性は否定できない。
またここではあくまで印刷術研究の一環としてふれたものであり、記号論・音声学・音韻学的な分析までは及ばないことをお断りしたい。だからこそ『太陽窮理了解説』和解草稿上下二冊のデータ公開が待たれるいまなのである。

[関連:花筏 タイポグラフィあのねのね*005 長音符「ー」は「引」の旁から 『太陽窮理解説』
[参考:国立天文台 暦計算室 貴重資料展示室 江戸時代後期書物に見る「宇宙のはて」