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【もんじ】古写真 新吉原大門-しんよしわら おおもん|福地櫻痴揮毫 春夢正濃満街桜雲 秋信先通両行燈影|撮影 小川一真

「古写真」 新吉原大門(長崎大学 附属図書館所蔵)

明治14年(1881)に建てられた新吉原の大門前から、吉原の中央を貫いていた通り仲之町に向かって撮影されたもの。門上にガス燈と思われるものが置かれ、門柱には福地櫻痴の書「春夢正濃 満街櫻花 秋信先通 両通燈影」が彫りつけられている。中央に配された人力車夫ほか数人の人物がカメラの方を見ている。
明治中期、東京、撮影者:小川一真、クレジット:長崎大学附属図書館所蔵/共同通信イメージズ 

※この説明文は、画像の委託時につけられた情報です。研究の進展により記載の情報が変わる可能性があります。
提供元:長崎大学附属図書館[整理番号6‐21‐0] 
* 写真転用はご遠慮ください。
長崎大学附属図書館から提供をいただいた吉原大門の写真と説明文を紹介した。吉原大門は上方風に「おおもん」と呼ぶのがならわし。現在はわずかに都バスの停留所名にその名をのこす。
向かって右の門柱には「春夢正濃 満街櫻花」と解説があったが、実際の画像を確認すると「春夢正濃 満街櫻雲」であった。
福地櫻痴は書芸家では無いが、いかにも粋人らしく、咲きほこる大輪の牡丹の花のように豊饒な書をいくつかのこしている。ここに読みやすく紹介した。[図版協力:青葉水龍]

新吉原大門 揮毫者:福地櫻痴(国立国会図書館所蔵)

長崎市崇福寺通りに「福地櫻痴生誕の地」碑がある。福地櫻痴はきわめて毀誉褒貶のおおい人物だが、毎日新聞の前身『東京日〻新聞』主筆兼社長、衆議院議員・東京府府議会議員(議長)・初代歌舞伎座の創設者・戯作家・文筆家など多方面で活躍した明治ならではの怪物である。
稿者は訪崎に際しては寸暇をぬすんでこの碑の前にたつことが多い。

稿者の後方、坂をくだると、そこはもう、江戸の新吉原、京都の島原とならび、三大遊郭のひとつとされた丸山遊郭である。即ち稿者にとっては、明治、もっとも興味ぶかい人物は、福地源一郎こと、福地櫻痴である。

[続編はのんびりと{花筏}に近日アップロードの予定]