アダナ・プレス倶楽部会報誌 活版まんが 2014年春号 Vol.24 の背景には ? 

会報誌24号表紙 活版まんが_17 愛すべき ゆるキャラ「ひこにゃん」のことは、朗文堂タイポグラフィ・ブログロール《花筏》で二度にわたってしるしてきた。
当時は知識不足で、「ヒコニャン」とカタ仮名で表記してしまったくらいで、さほど関心があったわけではない。
★ 朗文堂-好日録 010  ひこにゃん、彦根城、羽原肅郎氏、細谷敏治翁  2011年08月27日
朗文堂-好日録 028  がんばれ!  ひこにゃん !! 彦根城。 2013年02月19日

ここに〈アダナ・プレス倶楽部 会報誌〉連載の「活版まんが」を、よりお楽しみいただけるように、再再にわたっての紹介で恐縮ながら掲載させていただいた。

ふるい資料で恐縮だが、上述の「朗文堂-好日録 010、朗文堂-好日録 028」を、ここに「ひこにゃん」応援のこころも込めて、一部を修整してあらためて紹介したい。

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¶ 2011年07月某日、関西方面出張。 この年は「東日本大震災」の年であった。
例年の新年度のイベントや、ゴールデンウィーク恒例開催の「活版凸凹フェスタ 2011」も中止となっていた。なんとなく全般に意気消沈して低調な東日本だった。
ところがその間、西日本各地では意外なほどの活況を呈していた。

朗文堂 アダナ・プレス倶楽部はそれを受け、2011年07月某日、タイポグラフィゼミナール、活版ゼミナールを兼ねて、強行軍で関西出張となった。
たまたまほぼ同じ時期でのおはなしだったので、スケジュールを集約調整して、大阪3ヶ所、京都2ヶ所、滋賀1ヶ所を駈けまわる強行スケジュールとなった。
京都駅に降りたっておどろいたのは、駅舎もまちも明るいことだった。計画停電、節電が声高に叫ばれていた関東地区とは大違いだった。

このころの東京の駅舎は昼でも夜でも減燈され、まちなみは暗く、活気にとぼしかった。
なにはともあれ交通の便だと、オノボリサン丸出しもいいところで、京都駅前の「京都タワーホテル」を根拠地とした。これはのちほど、京都育ちのH さんに、古都の景観を損傷した京都タワービルには入ったこともない……と呆れられた。

ともかくそこをベース・キャンプにして仕事に集中。 それから4日間というもの、大阪・京都・大津といったりきたり。それなりの成果もあったし、充実感もあった。
されど、ここで仕事のはなしをするのは野暮というもの。なにせノー学部といっしょだったから、忙中に閑あり。やってくれました !  なんともまぁ、唖唖、こんなこと !!

¶ なにかおかしいぞ……、と、嫌な予感はした。ノー学部の巧妙な誘導質問だった。
「京都から大津にいって、そこから彦根にいくって、たいへんですか」
「直線距離ならたいしたことはないけど、なにせ琵琶湖の縁をこうグルッとまわってだね……、結構面倒かな」
「彦根城には、いったことはあるんでしょう。前に好きなまちだと聞いたことがあります」
「水戸天狗党の藤田小四郎のことを調べていたころに、敵対していた井伊大老の居城ということで1回だけいったかな」
「じゃぁ、日曜日が空いているから、京都の観光巡りじゃなくて、彦根城にいきましょう」

やつがれ、なにを隠そう、ちいさいながらも城下町で育ったせいか、いかにも城下町といった風情をのこす、彦根のふるいまち並みが好きである。
ここには大坂夏の陣で破れた忠義の武将、木村重成公の墓(首塚)もあるし、お馴染みの「徳本トクホン行者  六字名号碑  南無阿弥陀仏」もある。それよりなにより、近江牛のステーキは垂涎ものなのである!

それにしても、なんのゆえありて、彦根ではなく、
「じゃぁ、日曜日があいているから、京都の観光巡りじゃなくて、彦根城にいきましょう」
ト、わざわざ〈彦根城〉とのたもうたのか、考えなかった時点でもはや敗北。

¶ 雨中の江州路をゆく……。
こうしるせば、ふみのかおりたかいのだが、実相は違った。
ハレ男を自認しているやつがれにしては、この日はめずらしくひどい雨がふっていた。
「並んで、並んで。ハイハイ並んでくださ~い」。
やつがれ、駅からタクシーで彦根城にきて、いきなりわけもわからず、傘をさしたまま、雨のなかのながい行列に並ばされた。2-300人はいようかという大勢の行列である。みんな「ひこにゃん」なるものを見るのだそうである。

きょうは雨なので、お城に付属した資料館のようなところ(彦根城博物館ホール)に、50人ほどの来館者を次次と入れて、そこに「ひこにゃん」なるものは登場するらしい。
濡れながら行列に並んで、やつがれはまだ「ひこにゃんとは、いったいなんぞい」とおもっていた。

ところがナント、まことにもって不覚なことながら、やつがれ(順番の都合で偶然とはいえ)、最前列に陣どって、ともかく嗤いころげて「ひこにゃん」をみてしまったのだ。
要するにかぶり物のキャラクターだったが、ちいさな仕草がにくいほどあいらしかった。

かつて徳川家康の麾下にあった井伊直政は、徳川四天王とされ、その麾下は勇猛で、つねに先鋒の役をつとめたとされる。
井伊家の軍勢とは甲斐武田勢の一部を継承したもので、「井伊の赤備え」と敵方からおそれられた赤い兜も、愛嬌のあるものにかわっていた。
ここではうんちくは不要だろう。ともかく「ひこにゃん」はあいらいく、おもしろかったのだから。

             
エッ、この人力車に乗ったのかって ── 乗るわけないでしょうが、いいおとなが ──。
ところがやつがれ、こういうキッチュなモノが意外と好きなのだ。
ハイハイ 正直に告白。
「ひこにゃん」も大わらいして見ましたし、このど派手な人力車にも乗りましたですよ、ハイ。
チト恥ずかしかったケド、しっかりとネ。

ともかく急峻な坂道を天守閣までのぼり、さらに内堀にそってずっと玄宮園のほうまで歩いたために、足が棒になるほど疲れていた(言い訳)。
実際は、なによりもはやく、旨い近江牛を食すために、このど派手な人力車に乗って、車中堂堂と胸をはって(すこし小さくなっていたような気もする ケド)いった。
ステーキはプチ贅沢、されど旨かった。
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あとはもうやけくそ! 字余り、破調、季語ぬけおかまいなしで、一首たてまつらん。

◎ 雨中に彦根城を訪ねる   よみしひとをしらず
ひこにゃんに  嗤いころげて  城けわし
青葉越し  天守の甍に  しぶき撥ね
湖ウミけぶり  白鷺舞いて  雨しげく

◎ 木邨重成公の墓に詣る  よみしひとをしらず
あはれなり  苔むす首塚  花いちりん

   

¶  簡素な浄土宗の寺、宗安寺
彦根市本町2丁目3-7に 宗安寺 はある。この寺の通称赤門とされる「山門」は、石田三成の居城、佐和山城の正門を移築したものとされる。
その脇には徳本トクホン行者の筆になる六字名号「南無阿弥陀仏」の巨大な碑がある。
ご本堂向かって左手奥の墓地には、戦国武将・木村長門守重成( ? -1615)の首塚が、ひっそりとたたずんでいる。

木村(木邨・木邑)重成は豊臣秀頼の家臣として、大坂冬の陣で善戦し、その和議交渉に際して、徳川家康の血判受けとりの使者をつとめた知略のひとであった。 翌年大坂冬の陣若江堤で戦死したが、首実検ののちに安藤長三郎が譲り受け、代代安藤家の墓域で守護をつづけているものであった。
どちらもあっぱれ、忠義の家というべきだろう。
活版まんが_17さて、ここに、またまた「ひこにゃん」をご紹介した。
アダナ・プレス倶楽部の会報誌の最終ページを飾っている〈活版まんが〉の製作担当は、ご本人の希望でお名前は〈ミスター〉さんとだけご紹介したが、これまでの連載のすべてを、ここ〈活版アラカルト〉のコーナーで紹介した。
アダナ・プレス倶楽部 会報誌連載 〈活版まんが〉 全17回 一挙紹介。2014年04月04日

アダナ・プレス倶楽部会報誌 活版まんが 2014年春号 Vol.24 は「無双罫」をあつかったものだったが、〈ミスター〉さんは朗文堂、アダナ・プレス倶楽部のWebSiteをよくご覧いただいているようで、「ひこにゃん」をテーマとしながら、「無双罫」をわかりやすく説かれていた。
朗文堂 アダナ・プレス倶楽部は、活版印刷にご関心のある皆さまに、ひろく、ひらかれた、ちいさな組織である。その季刊会報誌が『アダナ・プレス倶楽部 会報誌』である。
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