残暑お見舞い & 新塾餘談 おもかげのはし

2015残暑見舞い
《 新 宿 餘 談 》

七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに なきぞ悲しき

新宿区神田川に架かる「 面影橋 」ちかくの空き地に咲いていた名をしらぬ野艸。
このあたりは、江戸千代田城の築造者とされる 太田道灌 の逸話にちなむ「山吹の里」の地とされ、江戸時代・明治時代には名所のひとつであった。いまは山吹はみあたらないが、橋のたもとにそれをつたえる記念碑がひっそりとたたずむ。 DSCN0022DSCN0034DSCN0041DSCN0030DSCN0046DSCN0049DSCN0052いまではなんの風情もないコンクリートの橋ではあるが、この橋は歌人:在原業平がきよらかな水面にその姿をうつしたことから「姿見の橋」とも、あるいは徳川三代将軍家光がこのあたりで鷹狩りの鷹をみつけて名づけた橋ともされる。
「おもかげのはし/俤の橋」の名は、和田於戸姫なるものが、かずかずの悲劇をなげいて、この水面に身をなげうったときの和歌から名づけられたとする。

いずれにしても、漢字だけの「面影橋」よりも、どれもが風情のある名前ではある。
その「おもかげのはし」のたもとに水稲荷神社があり、そこのおおきなマンションに友人が事務所を開設していた。その友人「松本八郎」が逝って、はやいものでまもなく一年になろうとしている。夏の夕まぐれ、「おもかげのはし」をたずね、クレマチスの真っ白な花弁を見ながら、勝手に先に逝った友人を偲んだ。