ともすると小型本の製作者は、なによりも小型であることと、装本のおもしろさにこだわりがつよいあまり、そのテキストが、読書のための 判別性 Legibility と、可読性 Readability を 失っていることがみられます。
ところがぢやむ 杉本昭生さんは、もともと読書家ですので、たとえ小型本であろうと、テキストを厳選し、みずからも読み、読者にも読んでもらおうというつよい意志を感じます。
これからゆっくりご覧ください。 なおこのページはスライドショーでもお楽しみいただけます。
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『名家遺詠集』をつくりました。
「人の将に死なんとする其の言や善し」などといわれ、死を前にしたひとのことばは
おろそかにできないものです。(中略)
これはまったく自分のためにつくった本で、なるべく簡単に仕上げようとおもいました。
そんなとき、和とじは勝手のいい製本方法だとおもいました。
みなさまも、いよいよというときには、ぜひ本書を参考に
末代まで語り継がれる、とっておきの辞世をおつくりください。 合掌 [杉本昭生]
【詳細:ぢやむ 杉本昭生 活版小本】
{新宿餘談}
「辞世を集めた本は以前から多く出版されていますが、武士や軍人の勇ましい歌が多く、なかなかこころに響くというものではございません」
杉本昭生氏はこう述べて、むしろ無名のひとの遺詠をまとめているが、やつがれは、よりとりあげられることのすくない、印刷・出版人をおってきた。
遺詠とはいえないが、谷中永久寺にある酔狂人・仮名垣魯文の墓標に刻まれた、自筆とされる「遺言 / 遺言本来空 財産無一物 假名垣魯文」は、書風といい、あっぱれなひらきなおりといい、おもしろいものだ。
秀英舎(現DNP)の創業者・佐久間貞一には、『佐久間貞一小伝』、『追懐録』のふたつの追悼集がのこされているが、そこには、
「裸で生まれてきたのだから、裸で死ぬさ」
という佐久間貞一の「つぶやき」が、子弟ともいえる庭契会の会員によって記録されている。(『秀英体研究』片塩、p.611)。
やつがれ、なにもいわず、なにものこさず、かくありたいとおもう次第である。