【公演】歌舞伎美人──かぶきびと──NEWS 2018年06月12日 「信州・まつもと大歌舞伎」『切られの与三』開幕

歌舞伎美人──かぶきびと──NEWS   2018年06月12日
「信州・まつもと大歌舞伎」『切られの与三』開幕

matsumoto_aa06106月12日[火]、長野県のまつもと市民芸術館で、信州・まつもと大歌舞伎『切られの与三』が初日を迎えました。
開幕前には出演者と、演出・美術の串田和美が「登城行列」に登場。また、公開舞台稽古前の囲み取材では初日に向けての意気込みを語りました。

初日を前にした10日[日]に行われたのが、出演の七之助、梅枝、萬太郎、笹野高史、片岡亀蔵、扇雀と、演出・美術の串田和美が人力車に乗って参加した「登城行列」。松本市民の皆さんが神輿を担ぎ出し、威勢のよいかけ声に沿道からの屋号のかけ声、「お帰りなさい!」の声も加わっておおいに賑やかな行列となりました。
今年は七回忌を迎えた十八世勘三郎の神輿も繰り出し、信州・まつもと大歌舞伎をこよなく愛した故人に、あらためて思いを寄せる行列となりました。
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「信州・まつもと大歌舞伎」『切られの与三』  左より、中村鶴松、中村歌女之丞、笹野高史、中村梅枝、中村七之助、串田和美、中村扇雀、片岡亀蔵、中村萬太郎、真那胡敬二。〔中央でマイクをもっているのが二代目中村七之助/十八代目中村勘三郎の次男〕

松本城に到着した一行は、本丸庭園の特設ステージに登壇。「とうとう 6 回目になりました」と、声を大にして市民の皆さんの応援に感謝した串田の呼び込みで、壇上に10人が並びました。
七之助が「私は皆勤賞、歌舞伎俳優で一番まつもと市民芸術館の舞台に立っているのは僕でございます。この記録はずっと続けていきたいと思っております」と笑顔を見せると、会場から大きな拍手が送られました。

「松本は初めてでございまして、コクーン歌舞伎も初参加でございます」と挨拶した梅枝を、温かい歓迎の空気が包み込み、「また蕎麦三昧の日々が続くと思うと、楽しみでしょうがありません」という笹野のひと言に、会場がどっと沸きました。
「松本の歌舞伎には10年ぶりの出演でございます」と切り出した歌女之丞には、たくさんのお帰りなさいの声が飛び、鶴松は「大好きな松本の地でお芝居ができるのがうれしい」と喜びを弾けさせました。

真那胡敬二が「6 回のうち 4 回も来ていると、ちょっと誇らしげな気持ちになりました」と述べたのに続き、「一日一日を大切に、また松本に呼んでもらえるように頑張ります」と意気込みを見せたのは、初参加の萬太郎。亀蔵は、七之助と同じく「僕も皆勤賞です。今年は公演が 1 カ月早いので助かりますね、涼しくて。でも、舞台は熱いのでよろしくお願いします」と呼びかけてこれまた熱い声援を浴びました。

285px-Nakamura_Kanzaburo_XVIII五代目 中村勘九郎 十八代目 中村勘三郎
屋号 中 村 屋
1955-2012 享年57
ウィキペディアゟ(PDデーター)

最後に「松本愛」の強さを語った扇雀〔三代目中村扇雀 成駒屋〕が、十八世勘三郎七回忌にふれて「七之助さんをはじめゆかりの俳優さん、私を含めてお兄さん〔十八代目中村勘三郎〕の魂を引き継いで、一所懸命舞台を勤めますので、中村屋一門と私たちの心意気をぜひ、舞台で感じていただきたいと思います」と、公演へのご来場をお願いした後、松本の皆さんと三本締めをしてステージを後にしました〔以下略〕。

【詳細: 歌舞伎美人   NEWS 0612

{ 新 宿 餘 談 }

松本市のキャッチフレーズは「文化香るアルプスの城下町」と、「三ガク都 ── 岳都、学都、楽都」の三つのガク都である。すなわち、山岳、学問、音楽で著名なためである。
この「楽」をエンターテイメント-歌舞伎としてとらえると、音楽における松本と小澤征爾との関係と同様の、おもい位置をしめるのが「十八代目 中村勘三郎」である。やつがれにとっては、わずかな機会であったが「釣行」をともにした「勘九郎さん」のほうがどうしても座りがよい。

285px-Nakamura_Kanzaburo_XVIII五代目 中村勘九郎 十八代目 中村勘三郎
屋号 中 村 屋
1955-2012 享年57

この「歌舞伎美人 NEWS」がアップされた初日、お練り(国宝松本城のまち松本では「登城行列」というらしい)の写真のなかに「十八代目 中村勘三郎」の御輿の写真があって、おもわず込みあげるものがあった。
「今年は七回忌を迎えた十八世勘三郎の神輿も繰り出し、信州・まつもと大歌舞伎をこよなく愛した故人に、あらためて思いを寄せる行列となりました」

なにかおもんぱかるところがあったのか、この写真はまもなく消去されている。そこで ウィキペディア「十八代目 中村勘三郎」をみてみたら、余ほど幕の内のことに精通されているかたがしるしたとみえて、随分ていねいにかきこんであった。
読んでいると、さまざまなおもいが想起されたが、すこし辛いので、「コクーン歌舞伎」と「十八代目 中村勘三郎」のこととあわせて、「勘九郎さん」が病を得て亡くなった最後の年、2012年(平成24)の一部を紹介したい。
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【コクーン歌舞伎】
コクーン歌舞伎は、東京・渋谷の Bunkamura 内の劇場、シアターコクーンでおこなわれる歌舞伎公演こと。
1994年5月、歌舞伎役者の十八代目中村勘三郎(初演時は五代目中村勘九郎)、 三代目中村橋之助(現八代目中村芝翫)らが『東海道四谷怪談』を上演したのがはじまり。
その後も勘三郎、九代目中村福助(現在病気療養中)、中村橋之助、二代目中村勘太郎(現六代目中村勘九郎、十八代目中村勘三郎の長男)、 二代目中村七之助(十八代目中村勘三郎の次男)をはじめとする花形役者・若手役者が出演して、1-2年に一回、およそ 1 ヶ月間の公演がおこなわれている。

コクーン歌舞伎の特色としては以下のようなものがあげられる。
・古典歌舞伎の演目を新たな演出で上演する公演である。
・舞台のうえで、本物の水、本物の泥を使用したり、石野卓球、椎名林檎ら現代のポップミュージシャンを起用した演出が話題になった。
・1 階席の前方に、通常の椅子席ではなく座布団に座る「平場席」が設けられている。
・客席での飲食が認められている(通常シアターコクーンでは客席での飲食は禁止)。──────────
【 ウィキペディア 
中村勘三郎 (18代目)ゟ 最終部抜粋 】

2012年(平成24年)
5月30日、57回目の誕生日を迎え、翌31日に平成中村座ロングラン公演千穐楽。長期公演を無事成功させ、その後に受けた健康診断で、初期の食道癌に罹患していることが判明したため、6月18日、年内の演劇活動を停止し療養に専念することを発表した。

癌公表後の7月18日に長野県松本市のまつもと市民芸術館での『平成中村座 信州まつもと大歌舞伎』の『天日坊』千穐楽に、木曽義仲の役でサプライズ出演。そのカーテンコールで舞台衣装姿のまま登場し、観客の声援に応えて「必ずや松本(の舞台)に帰って来てみせます」と挨拶。これが最後の舞台出演であり、かつ公の場での最後の姿となった。

手術は桑田佳祐と同じ執刀医により行われ、7月27日に食道癌摘出手術を行う。一時は病棟内を歩行できるまでに回復した。
11月13日、快方に向かっていたが、9 月に入り、肺疾患が見つかったことが松竹・所属事務所ファーンウッドの連名で発表。翌14日には、肺疾患が癌の転移ではなく、抗がん剤治療などに伴う免疫力低下の影響からウイルスに感染、肺炎を発症したこと、さらに、その悪化により急性呼吸窮迫症候群から肺水腫を発症し、人工肺および人工呼吸器を使用しているなど、詳細な病状とともに、重篤な状態であることが報道された。

12月5日午前2時33分、急性呼吸窮迫症候群のため、東京都文京区の日本医科大学付属病院で死去。57歳没。最期は家族の他、親交の深かった女優の大竹しのぶ・演出家の野田秀樹・野球評論家の江川卓が看取った。

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まつもと市民芸術館「信州・まつもと大歌舞伎」『切られの与三』は6月18日[月]までの公演、当日券の詳細は こちら をご覧ください。
「信州・まつもと大歌舞伎2018」特設サイト