【信濃川火焔街道】信濃川火焔土器街道連携協議会 <アピール>火焔型土器を2020年東京オリンピック・パラリンピックの聖火台に ── を紹介/長岡市 馬高縄文館『縄文土器入門 ~ 縄文土器の特色をさぐる』+新宿餘談

信 濃 川 火 焔 街 道
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信濃川火焔土器街道連携協議会

協議会設立主旨(平成14年8月設立)

火焔土器に代表される縄文をキーワードに、信濃川中流域の市町村と交流・連携をはかり、地域振興及び広域観光を推進することを目的とし、各市町村の遺跡や展示施設を拠点にしたハード・ソフト両面での有機的な連携により、地域内外へ、積極的に情報発信していきます。
また、火焔土器にとどまらず、共通の自然・文化による広域的な連携・交流を視野に入れ、官民で幅広く取り組むこととします。

なお、設立当初は、長岡市、十日町市、津南町、中里村の2市1町1村で立ち上げましたが、平成15年度に三島町が加入し、市町村合併を経て構成市町村が2市1町となりました。
その後、沿川市町村に対して連携を呼びかけ、平成21年度に新潟市、平成22年度に三条市、平成29年度に魚沼市が加入し、現在5市1町によって構成されています。

今後も沿川市町村に対して、連携を呼びかけていきます。

全体事業概要

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第13回縄文サミット

火焔型土器を2020年東京オリンピック・パラリンピックの聖火台に

信濃川火焔街道連絡協議会

 <アピール宣言>

火焔型土器を2020年東京オリンピック・パラリンピックの聖火台に

縄文土器を代表する火焔型土器は、日本文化の源流であり、浮世絵や歌舞伎とならぶ厳然たる存在である。火焔型土器を2020年東京オリンピック・パラリンピックの聖火台の造形に昇華するという提案は、日本文化の意志を国際舞台に発言することにほかならない。

新潟市、三条市、長岡市、十日町市、津南町で構成する信濃川火焔街道連携協議会は、2020年東京オリンピック・パラリンピックの聖火台に火焔型土器の造形を提案し、その実現にむけて活動することを宣言する。
平成26年7月10日

信濃川火焔街道連携協議会

 <趣意書>

火焔型土器を2020年東京オリンピック・パラリンピックの聖火台に

小 林  達 雄

縄文土器が、一万五千年前の日本列島に登場したのは、人類史上における奇跡ともいうべき大事件であった。とにかく、土器発明までの足どりがもっとも良く解明されている西アジアよりもざっと三千年以上も先駆けているのである。
やがて縄文土器は、縄文文化の表看板として北は北海道北方四島、南は九州からはるか南西海上の沖縄諸島にまで行き渡った。そしてあたかも方言ことばに似て、各地域毎に独特な様式が生起した。しかし、それぞれの地方色を超えて共通する注目すべき性格がある。それが口縁部に立ち上がる突起である。

そもそも土器の本分は、容れ物としての機能であり、必要十分な容量が確保さるべき存在である。それ故、口縁を飾る突起は、土器の使い勝手に直接関わるものではないのだ。つまり人目を魅く大仰な突起といえども、実は文字通りの無用の長物以外のなにものでもない。むしろ役に立たないどころか、モノの出し入れの障害、邪魔にさえなるものである。
しかも、汗水たらしてムラに運びこんだ粘土を相当量消費するばかりか、敢えて突起をつけるのに要する手間暇もばかにならない。だからこそ、古今東西のヤキモノに突起が一切見当たらないのも蓋し当然のなりゆきである。まさに縄文土器だけの特別な主張なのである。

この事実は、縄文土器の突起は力夕チのデザインの問題ではなく、縄文人の世界観に関係するものであったことを示唆している。つまり、縄文土器は単なる容器にとどまるものではなく、縄文人が心に抱くことどもを体現しているのである。

その火焔型土器が所属する縄文文化は日本文化の源流であり、日本文化の歴史の中に組みこまれた厳然たる存在である。その意味では火焔型土器は、浮世絵や歌舞伎とともに、日本文化そのものなのである。
かくて、火焔型土器を2020年東京オリンピック・パラリンピックの聖火台に昇華するべきであるという提案は、日本文化の意志を国際舞台に発言することにほかならないのである。

【詳細: 信濃川火焔街道 】 { アピール宣言 プリント用PDF }

top_mainfigA1 H30土器展ポスターA4長岡市 馬高縄文館 
平成30年度企画展
『縄文土器入門 ~ 縄文土器の特色をさぐる』
開催時期  平成30年4月7日[土]-7月1日[日]
開館時間  午前9時-午後5時  * 入館は午後4時30分まで
休  館  日  月曜日(祝日の場合は次の平日)
会  場  長岡市馬高-うまたか-縄文館 展示室
観 覧 料  一般200円、高校生以下無料、20名以上の団体150円
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長岡や周辺地域から発見された縄文土器の、さまざまな形や文様からは、縄文文化の特徴と魅力を見ることができます。弥生時代以降の土器とも比較しながら、縄文土器の特色をさぐってゆく展覧会です。

【主な展示資料の出土遺跡】
小瀬ヶ沢洞窟遺跡(阿賀町)、泉龍寺遺跡、下別当遺跡(十日町市)、三仏生遺跡(小千谷市)、矢郷橋遺跡(出雲崎町)、山下遺跡・中道遺跡・岩野原遺跡・藤橋遺跡(長岡市)など

【詳細: 長岡市 馬高縄文館 】

{新宿餘談}
【 活版アラカルト 実りの秋の越後路新潟で新潟会員との熱い交流ふたたび[Ⅲ] 2016年9月30日-10月2日 最終日10月02日編「三条鍛冶道場」ほか

R0056770tei2016年10月02日<馬高-うまたか-縄文館>の火焔型土器の印象を「こんな感じ」とかたる二人
右)加久本真美さん 左)ノー学部 撮影:春田ゆかりさん

 

◎ 10月02日[日]-最終日午前中 長岡周辺 博物館めぐり
「馬高縄文館 (愛称:火焔土器ミュージアム)」、「新潟県立歴史博物館」

前夜は長岡駅周辺のホテルに宿泊していた数名の参加者が、早朝08:30長岡駅前に集合。
「紙漉 サトウ工房」佐藤徹哉氏の車などに同乗して、「火焔型土器」の発見で知られる「馬高・三十稲場遺跡」の隣接地に、火焔土器をテーマとした博物館として設立された「馬高-うまたか-縄文館(愛称:火焔土器ミュージアム)」と、「新潟県立歴史博物館」の参観に出発。
top_mainfigA[1]馬高縄文館(愛称:火焔土器ミュージアム)」にはやつがれもおおいに関心があったが、なにぶん早起きが苦手なことと、初日訪問先「光の館」の大風呂で長湯をしすぎて風邪気味だったのでスルーした。
両博物館の見学を終えて戻ってきた加久本真美くん、大石に、
「馬高-うまたか-縄文館、火焔土器ミュージアムはどんな感じだった」
と感想を聞いたところ、
R0056770tei「こんな凄い迫力の縄文土器がい~っぱい」
として、とったポーズが上掲写真(春田さん写真)。わが国縄文時代の土器、なかんずく火焔型土器とは斯様な姿であったらしい。
いずれにせよ、質問相手を間違えた。この加久本・大石のふたりが一緒になるとろくなことは無い。

朗文堂サラマ・プレス倶楽部には、「おかわかめ倶楽部」、「掃苔会」などのいくつかの分科会がある。そのひとつ、<本邦拉麵文化調査研究会 会員:真田幸文堂 ・ 横島大地>はいくら会員募集をしても、「拉麵は肥満のもと」としてたれも加入しないようだ。
そのふたりぼっちの「拉麵文化調査研究会」会員の横島大地さんは、「馬高縄文館」見学後、仕事のため泣く泣く新幹線で帰京した。それでもやはり横島さんに聞くべきだった。
火焔土器

火焔型土器参考図版 ウィキペディアより
「伝馬高出土」として東京国立博物館に所蔵されている火焔型土器(列品番号J -39036)