【艸木風信帖】こころはいつもカレル・チャペック|Lingua Florens と 空中花壇

IMG_20200424_150535写真上)Lingua Florens での艸むしり
下)空中花壇でことしはじめて開花した白バラ  フィンブリアータ Fimbriata
空中庭園ごてごてと 草花植ゑし小庭かな

── この小園は余が大地にして 草花は余が唯一の詩料となりぬ 子規庵 ──
正岡子規(俳人・歌人 1867─1902)「小園の記」より

子規庵には及びもつかぬが、やたらに植物を密植するという悪弊においては、吾が「Lingua Florens」と「空中庭園」は良い勝負をしそうである。また、チェコの作家にして戯曲家・造園家:カレル・チャペックに、及ばぬのは百も承知ながら、密かな対抗心がある。DSCN0027 DSCN0017 DSCN0005
《兄・造形家:ヨゼフ・チャペック Josef Čapek 弟・作家:カレル・チャペック 
Karel Čapek》
かねて『園芸家12カ月』(カレル・チャペック 小松太郎訳 中公文庫)を読んでいた。
2014年晩夏、三泊五日のあわただしい日程でチェコ、プラハにいった。
そのとき、画家にして装本家:兄 ヨゼフ・チャペック と、作家・戯曲家:弟 カレル・チャペック の墓をチェコプラハの民族墓地にたずねた。
カレルの墓標は、「ロボット」ということばを創出したこのひとらしく、まさに現代の多段式ロケットの形態そのものであり、ヨゼフの墓はその背後に、戦争収容所で没したために、没した年月日の表示のないままにひっそりと佇んでいた。
891ebad257c3d67fdff8b3805a300815[1]弟:カレルは造園家としてもしられ、植物愛に満ちた著作をいくつか残している。ノー学部はこの短い滞在中に、プラハの古書店を巡ってチャペック兄弟の著作漁りに忙しかった。その間わが輩はカフェでの長~い一服。ウエイターが怪訝な表情になるので、パフェやケーキをやたらと注文。
この『園芸家12カ月』の日本語訳は丁寧な翻訳書であるが、原版のチェコ版にみられる、兄:ヨゼフの挿絵や、作庭図などは、文庫版では仕方ないとはいえ一点をのぞいてすべて脱落している。
また表紙の写真は、カレルが本書を執筆した当時の家と庭とはことなり、結婚して晩年に居住し、ドイツ軍がチェコ領に侵攻する直前に逝去したときの家である。

かつてヨゼフとカレルの兄弟が居住していた住居は、それぞれ門を構えた連棟式のおおきな二世帯住宅で、プラハ10区に「記念公園予定地」として非公開ながら現存している。
上掲写真、向かって右側が弟・カレルの住居で住人はいない。養蜂箱がおかれている左側の玄関が、兄・ヨゼフの住居であり、現在も住人がいるらしい。
ふたりはこの連棟式の建物に、いっとき二世帯としてともに住んでいた。そしてカレルは結婚後に郊外に住居を求めて移転し、ドイツ軍ゲシュタポの襲撃のわずか前に病歿した。兄・ヨゼフはゲシュタポにとらわれ、収容所で歿した。
それでもヨゼフの子孫が現在もここに居住しており、プラハ市10区は、とりあえずカレルの住居跡を購入・管理しているが、まだ一般公開はされていない。したがって主が逝去して七十余年を経たカレルの庭園は、壁の崩壊部にデジタルカメラを突っ込んで、無理矢理撮影したものである。思いでの一枚となった。

[ 参考:[ボヘミアン、プラハへゆく】 03 再開プロローグ:語りつくせない古都にして活気溢れるプラハの深層