【展覧会】高志の国文学館|開館 10 周年記念企画展|没後 50 年 川端康成展 ─ 愛を乞う魂 会|’22 年12月24日-’23 年2月27日|終了

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高志の国文学館
開館 10 周年記念企画展 没後 50 年 川端康成展 ── 愛を乞う魂
会  期  2022 年(令和4年)12 月 24 日[土]- 2023 年(令和5年)2月 27 日[月]
会  場  高志の国文学館 930-0095 富山県富山市舟橋南町 2-22
開館時間  9:30 - 18:00(観覧受付は 17:30 まで)
休  館  日  毎週火曜日、年末年始、2月 13 日[月]、2月 24 日[金]
観  覧  料  一 般 500 円、大学生 250 円、前売り・一 般 400 円
      * 企画展観覧券で常設展もご覧いただけます。
      * 小・中・高校生 及び これに準ずる方、各種障害者手帳をお持ちの方は無料。
編集委員  荻野アンナ
企画編集  神奈川県立神奈川近代文学館、公益財団法人神奈川文学振興会
特別協力  公益財団法人川端康成記念会  協力  公益財団法人日本近代文学館
主  催  高志の国文学館   共  催   富山新聞社、富山テレビ放送
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「伊豆の踊子」「雪国」などの代表作で知られる川端康成(1899 - 1972)。アジアで2
人目のノーベル文学賞受賞者として世界にその名を謳われ、没後 50 年となる現在も数多
くの著書が読まれ続けている、日本を代表する文豪のひとりです。
日本の美を描いた作家という印象が強い川端ですが、初期のころは〈新感覚派〉の一員
として、先鋭的な作品で注目されています。また、長い作家生活のなかで常に新しい芸術
表現を試み、幅広いジャンルの作品を手がけました。戦後は、一般的な道徳を超えたとこ
ろにある独自の美=〈魔界〉を追求し続け、変幻自在な筆で紡いだその物語は、驚くべき
多様性・多面性に満ちており、頁をめくるたびに読者を新たな世界へと誘います。
川端は、14 歳の時には唯一の肉親であった祖父とも死別し、孤児となりました。人の愛
情をありがたいと感じながらも、癒されることのないさびしさは、孤独を乗り越えようと
人とのつながりを追い求める、各作品の登場人物にも映しだされています。
本展では、作品に底流する〈人間・川端〉のさびしさとやさしさ、人間の根源を見つめ、
紡いだ、〈川端文学〉のさまざまな愛の世界をご紹介します。

川端康成 Profile ─────
川端 康成 作家 1899(明治 32)年 大阪府生まれ
明治 32 年(1899)6 月 14 日、大阪府大阪市に生まれる。1 歳の時に開業医の父が死去、翌年には母も亡くなったため、祖父母に引き取られたが、14 歳の時には唯一の肉親であった祖父とも死別し孤児となった。中学校は寄宿舎で生活し、読書に熱中。小説家を志して、文学に強い情熱を傾けていった。大正 6 年(1917)第一高等学校に入学、学寮生活に入ったが、自らの「孤児根性」が気にかかり、寮生活にも馴染めないなか、初めて伊豆を訪れ、旅芸人の一行と道連れになる。大正 9 年(1920)東京帝国大学に入学、その秋に同級と第 6 次「新思潮」の発行を計画し、菊池寛の了承を得たことをきっかけに長く恩顧を受ける。初恋の相手と婚約するも、破談の手紙が突然届く。大正 13 年(1924)、横光利一らと「文芸時代」を創刊、新感覚派として文壇に新風を吹き込む。昭和 2 年(1927)、『伊豆の踊子』刊行。昭和 9 年(1934)、『雪国』連作開始。その後も様々な作品を精力的に発表した。多くの作家と親交を結び、新人作家の支援を行う傍ら、数多くの葬儀委員長を務めた。『千羽鶴』『山の音』『みづうみ』『眠れる美女』等の数々の名作を発表、昭和 43 年(1968)、日本人として最初のノーベル文学賞を受賞した。
昭和 47 年(1972) 逗子の仕事部屋にて自死。享年 72。

※ 感染症予防対応実施中。下掲詳細を確認の上観覧を。
[ 詳 細 : 高志の国文学館  {高志の国とは-ウィキペディア}