【展覧会】掛川市二の丸美術館|徳川家康と掛川三城 ─ ゆかりの武将物語|戦国の世から 悩み、苦しみ、生き抜いた武将たち|’23年1月28日-3月12日

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徳川家康と掛川三城──ゆかりの武将物語
戦国の世から悩み、苦しみ、生き抜いた武将たち
展示期間  2023年1月28日[土]- 3月12日[日]
会  場  掛川市二の丸美術館
436-0079 静岡県掛川市掛川1142番地の1 TEL:0537-62-2061
開館時間  9時から17時まで(入館は 16時30分 まで)
休 館 日  2月13日[月]、27日[月]
観 覧 料  無 料
主  催  〔公財〕掛川市文化財団、掛川市掛川市二の丸美術館
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徳川家康と掛川三城
悩み、苦しみ、生き抜いた武将たちを 美術資料により紹介します。
< 掛  川  城 >
掛川城は室町時代末期に駿河の守護大名今川氏が遠江攻略の拠点として、家臣の朝比奈氏に命じ築かせたのが始まりです(掛川古城)。
永禄3年(1560)桶狭間の戦いで今川義元が討たれると、今川氏は急速に力を失います。永禄11年(1568)武田軍に追われて掛川城に逃げ込んだ今川氏真(義元の息子)を家康が攻め、半年に及ぶ攻防の末、掛川城は家康に明け渡されました。
家康が関東に移った後は、豊臣系の大名山内一豊が入城しました。一豊は天守閣などを築造し、掛川城を近世城郭へと発展させました。慶長6年(1601)、前年の関ヶ原の戦い後の大名再配置により、掛川城には徳川家康の異父弟、松平(久松)定勝が3万石で入りました。その後、掛川城は石高2万6千石から6万石の徳川氏譜代大名の居城として、江戸時代を通じて存続しました。

< 高 天 神 城 >
『高天神を制するものは遠州を制す』と称された 高天神城(たかてんじんじょう 別称:鶴舞城)は、戦国時代末期、武田信玄・勝頼親子と徳川家康により,数々の攻防が繰り広げられ、激しい戦いの舞台となりました。
天正2年(1574)に武田勝頼が攻め落としますが、天正9年(1581)には家康が奪還します。落城とともに廃城となり、高天神城は歴史の表舞台からは姿を消Iしました。

< 横 須 賀 城 >
横須賀城は、家康が高天神城奪還のための拠点として、天正6年(1580)家臣の大須賀康高に命じ築かせました。

天正9年(1581)に高天神城が廃城となると、その後は遠江国南部地域を治める拠点として位置づけられました。近世を通じて石高2万5千石から5万5千石の譜代大名の居城となり、江戸幕府の老中を務めた城主もいました。

※ 感染症予防対応実施中。下掲詳細を確認の上ご参観を。
[ 詳 細 : 掛川市二の丸美術館 ] { 参 考 : ウィキペディア 掛川城 高天神城 横須賀城 }[ 関 連 : 活版アラカルト【展覧会】掛川市二の丸美術館|特別展 掛川物語 事任八幡宮と日坂宿 ─ 事任八幡宮の宝物と日坂ゆかりの人々 ─|’22年10月8日-12月4日 ]