東京都美術館
田中一村展 奄美の光 魂の絵画
Tanaka Isson: Light and Soul
会 期 2024年9月19日[木]- 12月1日[日]
休 室 日 月曜日、9月24日[火]、10月15日[火]、11月5日[火]
* ただし、9月23日[月・休]、10月14日[月・祝]、11月4日[月・休]は開室
開室時間 9:30 - 17:30 * 金曜日は 20:00まで * 入室は閉室の30分前まで
会 場 東京都美術館 企画展示室
〠 110-0007 東京都台東区上野公園8-36
TEL 050-5541-8600(ハローダイヤル)
観覧料金 個人・当日・税込料金を表示
一 般 2,000円、 大学生・専門学校生 1,300円、 65歳以上 1,500円
☆ 土曜・日曜・祝日 及び 11月26日[火]以降は日時指定予約制
(当日空きがあれば入場可)
* 11月22日[金]までの平日は 日時指定予約 は不要です。{早めの観覧を推奨}
* 高校生以下無料。各種割引、優待情報、関連イベント情報などは下掲詳細参照。
特別協力 千葉市美術館
主 催 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都美術館、
鹿児島県奄美パーク 田中一村記念美術館、NHK、NHKプロモーション、
日本経済新聞社
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自らの芸術の探究に生涯を捧げた画家・田中一村(たなか・いっそん/1908-1977)。
本展は、一村の神童と称された幼年期から、終焉の地である奄美大島で描かれた最晩年の作品まで、その全貌をご紹介する大回顧展です。
世俗的な栄達とは無縁な中で、全身全霊をかけて「描くこと」に取り組んだ一村の生涯は、「不屈の情熱の軌跡」といえるものでした。
自然を主題とする澄んだ光にあふれた絵画は、その情熱の結晶であり、静かで落ち着いた雰囲気のなかに、消えることのない、彼の魂の輝きをも宿しているかのようです。
本展は、奄美の田中一村記念美術館の所蔵品をはじめ、代表作を網羅する決定版であり、近年発見された資料を多数含む構成により、この稀にみる画家の真髄に迫り、「生きる糧」としての芸術の深みにふれていただこうとする試みです。
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◆ みどころ ◆
1. 最大規模の回顧展!
絵画作品を中心に、スケッチ・工芸品・資料を含めた250件を超える作品で、一村の全貌に迫ります。
奄美で描いた代表作《不喰芋(くわずいも)と蘇鐵》、《アダンの海辺》はじめ、未完の大作も展示。近年発見された初公開作品も多数出品し、未知の軌跡もたどります。
2. 一村ゆかりの地、上野での展覧会がついに実現!
現在の東京藝術大学に東山魁夷等と同級で入学したものの、2ヶ月で退学。その後は独学で自らの絵を模索した一村。「最後は東京で個展を開いて、絵の決着をつけたい」と述べたその機会が訪れます。
3. 奄美の文化や自然を体感!
展示空間の中で、一村が魅了された奄美の自然を高精細映像で紹介。
会期中に奄美の文化を紹介する関連イベントも実施します。
◉ 田中一村(たなか・いっそん/明治41年[1908]-昭和52年[1977])
栃木町(現・栃木市)に生まれる。本名は孝。大正3年(1914)、東京に転居。翌年、彫刻師の父から米邨(べいそん)の画号を与えられる。幼年期から卓越した画才を示し、神童と称される。南画を得意とした。大正15年(1926)、東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科に入学するも、2ヶ月で退学。「家事都合」とされるが詳細は不明(同級生には後の日本画壇を代表する東山魁夷や橋本明治らがいた)。その後、3人の弟と両親を立て続けに亡くす。昭和13 年(1938)、姉、妹、祖母と千葉に転居。農業をしながら制作に従事。昭和22年(1947)、柳一村と画号を改め、《白い花》が青龍展に入選。翌年、田中一村の名で同展に入選するも、自信作が落選したため辞退。
その後、日展、院展と相次いで落選。わずかな支援者を頼りの制作が続くが、昭和33年(1958)、50歳にして単身奄美大島へ移住。紬織の染色工として働き、生活費を貯めては、奄美の自然を主題とした絵に専念する日々を送る。昭和52年(1977)、夕食の支度中、心不全により亡くなった。享年69歳。
昭和54年(1979)、有志により奄美で遺作展が開催され、異例の3千人もの動員を記録。昭和59年(1984)、NHK「日曜美術館」の特集放映で全国的に注目を集め、その後も展覧会の開催や評伝刊行など、顕彰の動きは止まず、平成13年(2001)、奄美に田中一村記念美術館が設立された。