{ 承 前 }
Viva la 活版 Let’s 豪農の館
【 イベント名 】 Viva la 活版 Let’s 豪農の館
【 展示 期間 】 2015年10月10日[土]-12日[月・祝]
【 会 場 】 「北方文化博物館 豪農の館」 内 「吉ヶ平古民家」
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あついこころの交流があった<Viva la 活版 Let’s 豪農の館>からほぼ一年。
2016年9月30日[金]-10月2日[日]にかけ、実りの秋をむかえた越後路で、ふたたびあわただしく旅をした。今回もまたサラマ・プレス倶楽部 新潟会員の多大なご支援をいただいた。
会員の皆さんは多忙な秋の日日とあって、今回の新潟旅行は三日間とはいえ、中途帰京・中途参加と、在京会員九名の出入りがはげしく、二日目の10月01日[土]長岡市(旧栃尾市)軽井沢の「紙漉 サトウ工房」でのワークショップが、新潟会員四名も加わって最大人数の参加であった。
したがって整理の都合上、旅行行程からいうと逆順、つまり二泊三日の旅のうち、最終日の10月02日[日]から紹介したい。
それでも三回連載の本項の紹介は、ブログロールでは降順にアップされるので、のちからみれば行程順になる・・・・・・といいわけをばしておこう。
◎ 10月02日[日]-最終日午前中 長岡周辺 博物館めぐり
「馬高縄文館 (愛称:火焔土器ミュージアム)」、「新潟県立歴史博物館」
前夜は長岡駅周辺のホテルに宿泊していた数名の参加者が、早朝08:30長岡駅前に集合。
「紙漉 サトウ工房」佐藤徹哉氏の車などに同乗して、「火焔土器」の発見で知られる「馬高・三十稲場遺跡」の隣接地に、火焔土器をテーマとした日本で唯一の博物館として設立された「馬高縄文館(愛称:火焔土器ミュージアム)」と、「新潟県立歴史博物館」の参観に出発。
「馬高縄文館(愛称:火焔土器ミュージアム)」にはやつがれもおおいに関心があったが、なにぶん早起きが苦手なことと、初日「光の館」の大風呂で長湯をしすぎて風邪気味だったのでスルーした。
あとで加久本くん、大石に、
「馬高縄文館、火焔土器ミュージアムはどんな感じだった」
と感想を聞いたところ、
「こんな凄い迫力の縄文土器がいっぱい」
として、とったポーズが上掲写真(春田さん写真)。わが国縄文時代の火焔型土器とは斯様な姿であったらしい。
いずれにせよ、質問相手を間違えた。このふたりが一緒になるとろくなことは無い。
朗文堂サラマ・プレス倶楽部には、「おかわかめ倶楽部」、「掃苔会」などのいくつかの分科会がある。そのひとつ、<本邦ラーメン文化研究会 会員:真田幸文堂 ・ 横島大地>はいくら会員募集をしても「肥満のもと」としてたれも新加入しないようだ。
そのふたりぼっちの会員の横島大地さんは、ここで仕事のため、泣く泣く新幹線で帰京した。それでもやはり横島さんに聞くべきだった。
火焔型土器参考図版 ウィキペディアより
「伝馬高出土」として東京国立博物館に所蔵されている火焔型土器(列品番号J -39036)
◎ 10月02日[日]-最終日午後 燕市/三条市へ移動
「燕市産業史料館」、「三条鍛冶道場」、「燕三条地場産業振興センター」、「ととや(魚屋)」
午後13:00 ふたたび長岡駅前に集合。午後からはイラストレーターにして、パワフルな造形者「しおた まこ」さんが乗用車に乗ってわざわざ新潟からの参加。
しおたさんのご自身の紹介によれば、以下のようなかたである。
「プロフィール : 新潟在住のユルいイラストレーター。三人の男の子に君臨するアマゾネスの母。そして自称キュートでセクシーな妻」。
たまたま「しおた まこ」さんの個展<ひとり文化祭>が東京・青山で予定されている。皆さんの参観をお勧めする次第である。
午後からは佐藤さんと、「しおた まこ」さんの二台の車に分乗して、長岡から燕市・三条市方面をめざして北上した。
上越新幹線の「燕三条駅」は燕市と三条市の市境に設置されている。この両市は隣接しているが、もともと旧選挙区の地割りでは、燕市は新潟一区、三条市は故田中角栄が地盤としていた新潟三区であったため、なにかとライバル心が強かったという。
そのため新幹線の駅舎の位置や駅の名称で紛糾し、議論の末に、駅名を燕を先にした「燕三条駅」とし、駅長室を三条市側に配置して、駅の所在地を「三条市」とすることで最終的に合意したという。
燕市は新潟県の中央部に位置し、ゆたかな田園がひろがってものなりがゆたかである。
また洋食器の生産では世界的なシェアを誇る工業都市でもある。
三条市もまた穀倉地帯でありながら、金属加工を中心に栄えたこともあって、この両市はふるくから競合しながらも相互補完の関係が深く、燕は「職人の町」、三条は「商人の町」とも称されている。
<燕市産業史料館>
燕市産業史料館をたずねるのは、田中さんら古参会員にとっては二回目。むしろ地元の「紙漉 サトウ工房」さん、「しお たまこ」さんが熱心に参観。
野鍛冶の現場再現、木製の大型ふいご(鞴)の展示が改善されていた。また「和釘」の見本がたくさん陳列されていた。
東京築地活版製造所出身の最後の活字父型彫刻士とされた安藤末松は、こうした砂鉄からつくられた良質の和釘が活字原字の彫刻刀に最適だとして、ふるい土蔵の取り壊しなどがあると、しばしば出かけて貰いうけて彫刻刀に研磨していたとされる(参考 : 『活字に憑かれた男たち』片塩二朗 朗文堂)。
この「燕市産業史料館」の参観をおえて、車で10分ほど、「三条鍛冶道場」で参加者は和釘ならぬ市販の五寸釘と格闘してペーパーナイフをつくることになる。
<三条鍛冶道場>
「三条鍛冶道場」で 鍛冶の世界を体験
鍛冶の世界は、叩く(鍛造)の技術だけでなく、砂鉄と炭から鉄と鋼を生み出す独特の製鉄方法や、熱処理(焼き入れ・焼きなまし)、削る(研削)、磨く(研磨)、刃付けなど、多様な範囲にわたっている。
「三条鍛冶道場」のワークショップ、「五寸釘からペーパーナイフ作る」では、いまやさすがに炭火や木製ふいご(鞴)にかえて、コークス炉、電気送風ファンをもちいるが、伝統鍛冶独特の、叩く、ねじる、削る、磨くの工程を体験し、より広い鍛冶の世界を味わうことができた。
この市販の五寸釘(意外におおきい)が、みごとに「ペーパーナイフ」に変貌する。
古来鍛冶士や鋳物士は、紅蓮の火焔を怖れ、敬い、火焔から製造され再生する金属機器や鋳物に執着する特殊技能者であった。
かれらの心性は、火をあがめ、おそれてきたので、すっかり近代化した工場のここ「三条鍛冶道場」にもひっそりと火伏せの祭神が祀られていた。
[参考:花筏 平野富二と活字*02 東京築地活版製造所の本社工場と、鋳物士の習俗]
作業中は火の粉が飛び散るので、眼球保護のためゴーグルをつけ、ともかく火傷防止。
できあがった「自作ペーパーナイフ」を手に、満足げな会員の皆さん。しばしスマホ写真の撮り合いと、うれしそうな自撮りがつづいた。
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このあと、しおたさんお勧めの「燕三条地場産センター物産館」にたちよる。今回の旅では唯一のお買い物タイムとなった。
足指の爪が曲爪で悩みがつづいていたやつがれは、ここでチョイと高かったが爪切りを購入。これは絶品、やつがれもお勧めしたい。長年の悩みが解消される切れ味だった。
旅の最後の〆は「和旬喰燗 魚家 TOTO-YA」。18:00予約済み。ここもしおたさんお勧めの店。
ともかくいうことなし。旨かったし、安かった。これで上戸ならばここに越後の銘酒がくわわり、さらに印象はふかくなるのだろうが・・・・・・。いずれにせよいうことなし、お勧めの店である。
収穫の多い旅だった。佐藤さん、しおたさん、松尾さんといった新潟会員にすっかりお世話になった。また新生児を抱えているため顔は見れなかったが山下情報もずいぶん助かった。
そんなおもいでを胸に燕三条駅20:31「Max とき348号」東京行きで帰京した。