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【展覧会】書道博物館 企画展|みんなが見たい優品展 パート14|歴史に名を残した日本人の書|3月12日-6月16日

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企画展 歴史に名を残した日本人の書
展示期間  3月12日[火]-6月16日[日]
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14回目を迎える恒例のリクエスト展。アンケートでリクエストの多かった作品を、可能なかぎり組み込んで展示を構成します。

【展覧会】東京国立博物館・台東区立書道博物館 連携企画|王羲之書法の残影 ― 唐時代への道程 ― |東京国立博物館 東洋館8室|書道博物館

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東京国立博物館・台東区立書道博物館 連携企画
王羲之書法の残影―唐時代への道程―

東京国立博物館 東洋館8室

開催期間  2019年1月2日[水]-3月3日[日]
開館時間  9:30-17:00 * 金・土曜日は21:00まで開館
休  館  日  月曜日(1月14日、2月11日は開館。1月15日[火]、2月11日は休館)
観  覧  料  一般 620円、大学生 410円

台東区立書道博物館
開催期間  2019年1月4日[金]-3月3日[日]
開館時間  9:30-16:30 * 入館は閉館の30分前まで
休  館  日  月曜日(1月14日、2月11日は開館。1月15日[火]、2月11日は休館)
観  覧  料  一般・大学生 500円、高・中・小学生 250円
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王羲之-おうぎし-が活躍した東晋時代と、顔真卿-がんしんけい-が活躍した唐時代は書法が最高潮に到達した時代でした。ここでは、両者の架け橋となる南北朝時代と隋時代の書に注目します。
時代を先取りした王羲之の前衛的な書は、南北朝の書に深い影響を与えました。東晋の後、貴族の勢力が強い南朝では、強大な王朝は出現せず、宋・斉・梁・陳の4王朝が数十年間で次々と交替しました。その全盛期は、48年にわたって君臨した梁の初代皇帝・武帝-ぶてい-の時代です。南朝には、王羲之・王献之-おうけんし-による洗練された書が脈々と継承されていました。

一方、北朝には北魏・東魏・西魏・北斉・北周の5王朝が興亡しました。150年も存続した北魏に対して、他の4王朝はいずれも短命でした。北魏の書は、はじめ魏晋の古風な書に胡人の意趣を盛り込んだものでしたが、洛陽-らくよう-に遷都してからは、当時の南朝の書風に影響を受けた、雄偉で構築性に富んだ書風となりました。
やがて西魏が梁の都の江陵-こうりょう-を陥落すると、南朝の書風が北朝に流入します。そして589年の隋の統一によって、南北で育まれてきた書風はさらに融合し、唐時代の理知的で美しい書が生まれるのです。

この展示は台東区立書道博物館(1月4日-3月3日)との連携企画第16弾です。
特別展「顔真卿 王羲之を超えた名筆」(1月16日-2月24日、東京国立博物館平成館)とあわせて、中国の書の世界をお楽しみ下さい。

【 詳細: 東京国立博物館 東京国立博物館 東洋館8室 台東区立書道博物館 】
{初掲載:2018年12月25日}

【展覧会】書道博物館 企画展|中村不折の し・ご・と|─ 画家として、書家として─|9月26日-12月16日

20180918115742_00001 20180918115742_00002書道博物館 企画展
中村不折の し・ご・と
── 画家として、書家として──
期  間  平成30年9月26日[水]-12月16日[日]
開館時間  9時30分-16時30分(入館は16時まで)
入  館  料  一般・大学生500円、小中高生250円
問  合  せ  電話 03(3872)2645
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中村不折(1866-1943)の職業は、画家であり書家でした。生涯の仕事であった新聞さし絵をはじめ、明治の文士たちのブックデザイナーとして手がけた装丁や本のさし絵、財界や教育界で活躍した人の記念碑、商店の看板やロゴマークなど、今でも身近なところに息づいている作品がたくさんあります。書道研究のコレクション購入費や、書道博物館の建設費を工面するため、南画や書の制作にも励みました。
休館明けの企画展では、画家、書家として、不折が生涯にわたり制作しつづけた作品を、館蔵品の中から一挙公開いたします。
そして、2018年は不折が「千字文」を書いてからちょうど100年。100年後も色あせない不折流のモダンな楷書、行書、草書の千字文を特別展示いたします。

【詳細: 書道博物館 】 {活版アラカルト 過去ログ

【展覧会】台東区立書道博物館 企画展 {みんなが見たい優品展 パート14}3月16日─ 4月15日 終了企画

書道博物館_01 書道博物館_03 書道博物館_02台東区立書道博物館 企画展
みんなが見たい優品展 パート14
期間:平成30年3月16日[金]-4月15日[日]
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休館前の一ヶ月限り! 書道博物館の名品ずらり
年に一度のリクエスト展。
今回は休館前の短期間スペシャル企画として、
書道博物館の名品を1ヶ月限定で特別公開いたします。

【 休館のお知らせ 】
この度、書道博物館は空調機器の更新および館内照明の LED 化に伴う工事のため
下記の期間休館いたします。
平成30年4月16日-平成30年9月25日  休館
ご迷惑をおかけいたしますが、施設保全のため、ご理解・ご協力をお願いいたします。

【詳細: 書道博物館

【長期展覧会 愈〻終了迫る】 書道博物館企画展 あの人、こんな字!-歴史上の人物たち- 前半《日本編》 後半《中国編》

20170619194737_00001 20170619194737_00002 20170620234234_00001台東区立書道博物館は、洋画家であり書家でもあった中村不折(1866-1943)が、その半生40年あまりにわたり独力で蒐集した、中国及び日本の書道史の研究上重要なコレクションを有する専門博物館である。
【企画展】
あの人、こんな字! -歴史上の人物たち-

《日本編》 06月27日[火]-09月18日(月・祝)
《中国編》 09月22日[金]-12月17日(日)
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日本史や中国史に登場する人たちは、どんな字を書いていたのでしょう? 歴史に名を残した人物の文字の姿を、日本編と中国編に分けて館蔵品より紹介いたします。

平成29年は、正岡子規と夏目漱石の生誕150年にあたります。
《日本編》の特別コーナーにおいては、同館所蔵の子規や漱石の関係資料を一挙公開いたします。

《中国編》では、歴代皇帝の書を紹介する特別コーナー、また歴史上重要な人物が登場する写本として、同館の重要文化財「三国志」を期間限定で特別公開するコーナーを設けます。
《日本編》 第一期・二期の詳細が発表になりました。特設URLからご紹介

【 詳細 : 書道博物館 】  { 文字壹凜 まとめ }

【 次回展予告 : 呉 昌碩とその時代-苦鉄没後90年-呉昌碩とその時代 】

【展覧会】 董其昌とその時代-明末清初の連綿趣味/東京国立博物館・台東区立書道博物館 連携企画

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ぢゃむ 杉本昭生【活版小本】 次の本が出来るまで その41

七十二候(しちじゅうにこう)
「七十二候」とは、「二十四節季」をさらに約五日ごとに分類し気候の変化や動植物の様子を表現したものです。
12月2日より12月31日までを掲載します。
※大雪 次候の虎始交は書家であり画家の中村不折氏の作品です。最後に製作者のリストを掲載しておきます。いつか本にできればと思っています。
しかし印をひとつずつ押すのは大変でしょうね。でも楽しそう。
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書道博物館 施設概要】 冒頭部・部分
書道博物館は、洋画家であり書家でもあった中村不折(1866-1943)が、その半生40年あまりにわたり独力で蒐集した、中国及び日本の書道史研究上重要なコレクションを有する専門博物館である。
殷時代の甲骨に始まり、青銅器、玉器、鏡鑑、瓦当、塼、陶瓶、封泥、璽印、石経、墓券、仏像、碑碣、墓誌、文房具、碑拓法帖、経巻文書、文人法書など、重要文化財12点、重要美術品5点を含む東洋美術史上貴重な文化財がその多くを占めている。

こうしたコレクションと、昭和11年11月に開館した当初の博物館建設に伴う一切の費用は、すべて不折自身の絵画や書作品の潤筆料から捻出した。その偉業は日中書道史上においても特筆されるべきものである。
こうして書道博物館は、開館以来約60年にわたって中村家の手で維持・保存されてきたが、平成7年12月、台東区に寄贈された。そして平成12年4月に再開館したのが現在の台東区立書道博物館である。
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{新宿餘談}
中国明王朝は朱元璋(太祖)がほかの群雄を倒し、蒙古族王朝元を北に追い払って金陵(南京)に建朝した。三代成祖(永楽帝 1402-24)のとき北京(順天府 1421)に遷都。
明代前半期は久しぶりの漢族正統王朝のもとで「文藝復興」の時代とされ、また奇妙なことに西欧の「ルネサンス」の時代ともかさなっている。
ところが後半期は、皇族は奢侈にはしって治世が安定せず、宦官の専権が目立ち、各地で農民の叛乱が勃発し、異民族からの圧迫も多く、国勢は次第に衰微をみた。

董其昌(とう-きしょう 1555-1636)はそんな明朝末期に活躍した文人であり、特に書画に優れた業績を残して「藝林百世の師」とされた。また清朝の康煕帝が董其昌の書を敬慕したことは有名で、その影響で清朝においては正統の書とされた。

ところで、董其昌が活躍した明末清初の時代とは、わが国では徳川時代初期にあたり、徳川幕府の正統の書とは、楷書でも行書でもなく「お家流」とされた連綿体であった。
またここ最近、規矩の明確な明朝体・ゴシック体の使用に「活字ばなれ」と称されるような疲労感がみられ、ひら仮名からはじまり漢字にいたる「連綿体」が世上の関心をあつめている。
この奇妙な符合がどこから発しているのかを考えるのに好適な展覧会が、新春早早から開催される。

書道博物館オモテresized書道博物館ウラresized東京国立博物館・台東区立書道博物館 連携企画
董其昌没後380年
董其昌とその時代一明末清初の連綿趣味-

中国明王朝の時代に文人として活躍した董其昌(とう-きしょう 1555-1636)は、高級官僚として官途を歩むかたわら、書画に妙腕を発揮しました。
書ははじめ唐の顔 真卿を学び、やがて王羲之らの魏晉時代の書に遡ります。さらに当時の形式化した書を否定して、平淡な書風を理想としながら、そこに躍動感あふれる連綿趣味を盛り込みました。
画は元末の四大家から五代宋初の董 源に遡り、宋や元の諸家の作風を広く渉猟して、文人画の伝統を継承しつつ、一方では急進的な描法によって奇想派の先駆けとなる作例も残しています。

董其昌は書画の理論や鑑識においても、卓越した見識を持っていました。『画禅窒随筆』は、董其昌の書画に対する深い理解と理念を示すものとして知られています。

明王朝から清王朝への移行は、単なる政権交代ではなく、漢民族が異民族である満州族に覇権を奪われた歴史上の一大事でもありました。
董其昌によって提唱された書画の理念は、明末から清初にかけた激動の時代の書画にも濃厚に反映されました。連綿趣味は、当時の人〻の鬱勃たる心情を吐露する恰好の場となったのです。
ところが満州族である清の康熈帝と乾隆帝が董其昌の書画を愛好したことで、その後三百年に及ぶ清朝においても董其昌は大きな影響を与え続けました。

今年度は、董其昌の没後380年にあたります。このたび14回目を迎える東京国立博物館と台東区立書道博物館の連携企画では、中国書画の流れを大きく変えることとなる董其昌に焦点をあてながら、そのあとさきに活躍した人〻の書画を取りあげます。
両館の展示を通して、魅力あふれる董其昌ワールドをお楽しみください。
【詳細:書道博物館
【詳細:国立博物館 東洋館

【展覧会】 書道博物館 書のスケッチ「臨書」の世界 ―― 手習いのあとさき、王羲之から不折まで

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 書のスケッチ「臨書」の世界
―― 手習いのあとさき、王羲之から不折まで

◯ 会       期  02月16日[火]ー05月29日[日]※期間中一部展示替えあり
◯ 開館時間  09:30-16:30
◯ 休  館  日   毎週月曜日(特別休館日・開館日あり)
◯ 観  覧  料   一般・大学生 500円
【 詳細 : 書道博物館 】

 

【見逃せない展覧会】 書道博物館、東京国立博物館 東洋館八室 連携企画/『顔 真卿と唐時代の書』12 月1日両館同時開始

中国唐朝の「顔 真卿没後1230年」を期して開催される書芸展。本展は書道博物館と、東京国立博物館の連携企画であり、また同時期に開催される、三井記念美術館『三井家伝世の至宝』に展示される、虞世南筆「孔子廟堂碑」(唐拓孤本)、欧陽詢筆「宮成宮醴泉銘」(海内第一本)とも共鳴するものである。

世界史でも有数の国威を誇った唐時代の書は、王羲之らの東晋の書とは異なった美しさが追求された。
唐の四代書家とされる、欧陽 詢・虞世南・褚遂良・顔 真卿(709-85)は、王羲之の書法に基づきながら洗練された気風を盛りこんだ。
唐の時代に完成された最終書体である楷書がいかに完然であったのかは、その後あらたな書体が出現しなかったことからも容易に理解される。 [書道博物館]
20151117114437805_0001 20151117114437805_0002【 詳細 : 台東区立書道博物館 】
【 詳細 : 東京国立博物館 東洋館八室 】

【展覧会】 書道博物館 美しい隷書-中国と日本展 をみる。

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中村不折コレクション 美しい隷書 ──── 中国と日本
【会    期】  2014年04月04日[金]-07月13日[日]
【開館時間】  09時30分-16時30分(入館は閉館の30分前まで)
【休  館  日】   毎週月曜日
【詳     細】  台東区立書道博物館 URL
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隷書とは、篆書を簡略化して日常書体とすることによってうまれました。
篆書は左右対象で、曲線を多く用いた威厳のある形姿でしたが、書くために時間がかかるという不便があったために、徐徐に簡略化がすすみました。
やがて曲線を減らし、水平と垂直線を増やした隷書がもちいられるようになりました。

したがって隷書の「隷」は、篆書に「隷属」するという意からうまれました。
いまだにわが国の辞書の一部には、隷書の紹介を、秦(春秋戦国時代の大国のひとつ。前221-前207年中国史上最初の中央集権国家となる。3世16年で漢の高祖に滅ぼされた)の雲陽のひと 程邈テイバクが、秦朝の公用書体だった小篆の繁雑さを省いてつくったもので、「徒隷」、すなわち卑しい身分のものにも解しやすい漢字書体だとするものがありますが、そろそろ見直しが必要のようです。

隷書が誕生した直後は比較的直線がめだちましたが、次第に波のようなうねりをともなうようになり、歯切れのよい、リズミカルな形姿を獲得していきました。その頂点をむかえたのが漢(前207-後220)の時代です。
漢代初期の隷書は、おおらかで動きのある素朴な趣が主流でしたが、その後期になると、鮮やかで美しい隷書として完成をみるにいたりました。
そしてその隷書で書かれた石碑が数多く建立されたのも漢代の特徴のひとつです。 また20世紀の初頭に、西域の敦煌トンコウやトルファンから出土した文書モンジョからも、肉筆で書かれた隷書が発見されています。

中村不折フセツコレクションには、隷書の名品が数多くあります。不折はみずからの書風を形成していく過程において、これらの隷書からも大いに刺激をうけました。したがって不折流とされる独特の書風には隷書の要素が多分に取り込まれ、表情がゆたかで、あかるく、また装飾性にも富んでいます。
ご観覧をお勧めいたします。 [同館フライヤーより。一部追加改変してご紹介しました]。
【関連情報/ウィキペディア:隷書体

<1899年・明治32年に中村不折が築造した「お蔵」が発見され、同館中庭に復原>
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同館の創立者:中村不折(1866-1943 ウィキペディア:中村不折 中村不折画像集)が1899年(明治32)に住居としていた「下谷区根岸町31番地/現・台東区根岸三丁目12番地」の敷地内に作品や収蔵品の収蔵庫として「お蔵」を建てていたことは、のこされた写真などから知られてはいました。
ところがこのあたりは関東大震災、第二次世界大戦の被害が甚大で、いつのころかその存在が忘れられていました。

発見は偶然だったといいます。2011年(平成23)郷土史家で、根岸子規会の会長:奥村雅夫氏が、道路拡張工事で姿を消す街並みの記録をのこそうとしてこの近辺を撮影していたところ、民家の一隅からこの「お蔵」を発見されました。

中村不折はこの「お蔵」があった「下谷区根岸町31番地/現・台東区根岸三丁目12番地」の住居には、1915年(大正04)に現在の書道博物館のある「台東区根岸二丁目10ー4」に転居するまで居住しており、旧宅の「お蔵」の前で撮影した写真ものこされています。
その写真は図録などでたびたび紹介されましたから、もっとおおきなものとおもっていました。実際には上掲写真のように、大谷石とおもわれる石造りの堅牢な蔵ですが、意外にちいさなものでした。

このようないきさつがあって、「お蔵」は書道博物館に復原されました。この明治期の「お蔵」が復原されたことで、同館敷地内には、明治のお蔵、大正のお蔵、昭和の本館、平成の中村不折記念館が、庭園をとりかこむようにして配置されています。 【書道博物館:明治のお蔵が復原されました

<大正のお蔵で『三体石教』をみる>
三体石教

書道博物館はしばしば訪れるが、企画展示の観覧ととあわせて、「大正のお蔵」とされる、正面からはいって左側の収蔵物をよくみる。ここには『熹平石教キヘイセッケイ』、『三体石教サンタイセッケイ』など、信じられないような貴重な収蔵品がある。
上掲図版は『三体石教』(残石・第五石)とされる。建造は三国時代の魏・正始年間(240-48)である。書道博物館販売の「絵はがき」から紹介した。

この『三体石教』は上から、大篆、小篆、隷書の三書体によって石に刻まれた<石の書物>ともいうべき存在である。大篆の絵図記号のような「文」が(この段階ではまだ字とはいいがたい。むしろ文 ≒ 紋)が、小篆になるとようやく絵図記号を脱して「文 ≒ 紋から 文」らしくなり、隷書にいたって、完全に現代でもよめる「字」になっている。
以下にちいさな勉強会の学習『石の書物-開成石教』(グループ昴スバル 朗文堂、p.34 )-から紹介したい。

三国時代、魏王朝の『三体石教』

統一王朝の漢が滅びたのち、中国はふたたび魏晋南北朝とよばれるながい混乱の時代にはいった。最初に三世紀のはじめに、魏ギ(220-265)、蜀ショク(221-263)、呉ゴ(222-280)が鼎立する「三国時代」があった。
そのうち洛陽にみやこをおいた魏王朝は、日本に関するもっともふるい文書記録『魏志倭人伝』をのこした王朝としてわが国では知られている。

『喜平石教』の建立から68年後、三国時代の魏王朝がみずからの正当性を主張するために、明帝正始02年(241)、洛陽の最高学府「太学タイガク」に『尚書』『春秋』『春秋左氏伝』の三種類の儒教教典をしるした石碑を建立した。
この碑は建立の時代から『正始石教』とも呼ばれるが、むしろ『三体石教』として知られるのは、儒教教典のひとつひとつの「字」が、大篆、小篆、隷書の三書体によってしるされているためである。

そもそも漢王朝の末から魏王朝のはじめにかけては、古典をまなぶ必要がとかれ、今文キンブンとしての隷書ではなく、古文としての大篆や小篆でしるされた、ふるい教典を研究することが盛んであった。
そのために今文としての隷書だけでしるされた、後漢(東漢)の『熹平石教』より、68年ののちに建立された『三体石教』は、古典の教典は古文(ふるい時代のもんじ)であらわすと同時に、中国の殷商王朝(甲骨文・金文)、周王朝(大篆)、秦・前漢王朝(小篆)、前漢・後漢王朝(隷書)など、歴代王朝の歴史を継承する、中国正統王朝としての魏王朝の存在を誇示するものでもあった。

『三体石教』はのちに洛陽をはなれて、西安や案用に移転された。それでもその存在は拓本や文書記録によって知られていたが、黄河の洪水や戦乱に巻きこまれてながらく所在不明となっていた。
それが清王朝の末期に洛陽で『尚書』編の一部の残石が発見され、ついで1957年(昭和32)西安市北大街青年路西段での下水道工事のさいに、偶然地中から大量に残石が発見されておおきな話題となった。
しかしながらこの石碑は1700年以上の流転のあいだに相当破損がすすみ、書写人の名前なども判明しない。現在残石は各所に所蔵されるが、そのほとんどは西安碑林博物館に収蔵されている。
<初出は展覧会案内として 2014年4月7日に投稿したものに加筆修整した>

【展覧会】 書道博物館 美しい隷書-中国と日本

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書道博物館企画展 中村不折コレクション
美しい隷書 ──── 中国と日本
【会    期】  2014年04月04日[金]-07月13日[日]
【開館時間】  9時30分-16時30分(入館は閉館の30分前まで)
【休  館  日】  毎週月曜日(5月5日は会館。5月7日は展示替えのため休館)
【詳     細】  台東区立書道博物館 URL
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隷書は、篆書を簡略化して、日常書体とすることによってうまれました。 篆書は左右対象で、曲線を多く用いた威厳のある形姿でしたが、書くために時間がかかるという不便があったために、徐徐に簡略化がすすみました。やがて曲線を減らし、水平と垂直線を増やした隷書がもちいられるようになりました。

したがって隷書の「隷」は、篆書に「隷属」するという意からうまれました。
いまだにわが国の辞書の一部には、隷書の紹介を、秦(春秋戦国時代の大国のひとつ。前221-前207年中国史上最初の中央集権国家となる。3世16年で漢の高祖に滅ぼされた)の雲陽のひと 程邈テイバクが、秦朝の公用書体だった小篆の繁雑さを省いてつくったもので、「徒隷」、すなわち卑しい身分のものにも解しやすい漢字書体だとするものがありますが、そろそろ見直しが必要のようです。

隷書が誕生した直後は比較的直線がめだちましたが、次第に波のようなうねりをともなうようになり、歯切れのよい、リズミカルな形姿を獲得していきました。その頂点をむかえたのが漢(前207-後220)の時代です。

漢代初期の隷書は、おおらかで動きのある素朴な趣が主流でしたが、その後期になると、鮮やかで美しい隷書として完成をみるにいたりました。そしてその隷書で書かれた石碑が数多く建立されたのも漢代の特徴のひとつです。 また20世紀の初頭に、西域の敦煌トンコウやトルファンから出土した文書モンジョからも、肉筆で書かれた隷書が発見されています。

中村不折フセツコレクションには、隷書の名品が数多くあります。不折はみずからの書風を形成していく過程において、これらの隷書からも大いに刺激をうけました。したがって、不折流とされる独特の書風には隷書の要素が多分に取り込まれ、表情がゆたかで、あかるく、また装飾性にも富んでいます。 ご観覧をお勧めいたします。 [同館フライヤーより。一部追加改変してご紹介しました]。 【関連情報/ウィキペディア:隷書体