【 詳細情報 : 林芙美子記念館URL / 林芙美子記念館フライヤーPDF hayashi-humiko 4.67MB 】
東京新宿区の西部、落合地区に、新宿区がもうけた小説家:林芙美子(1903-1951)、洋画家:佐伯祐三(1898-1928)、洋画家:中村彝(ツネ 1887-1924)の三つの記念館がある。
< 林芙美子記念館 > TEL:03-5996-9207
< 佐伯祐三アトリエ記念館 > TEL:03-5988-0091
< 中村 彝 ツネ アトリエ記念館 > TEL:03-5906-5671
これらの新宿区立の記念館をたどると、<新宿もまんざらではないな>というおもいにかられる。
炎暑をさけてのそぞろ歩きにはほどよい距離にあるので、夏の涼をもとめての散策に、まず<林芙美子記念館>からおすすめしたい。最上部のロゴタイプと最下部の「花ごよみ」の画像は、同館URLから拝借した。
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この<林芙美子記念館>の建物は、『放浪記』、『浮雲』などの代表作で知られる、作家・林芙美子(1903-1951)が、1941年(昭和16)8月から1951年(昭和26)6月28日にその生涯を閉じるまで住んでいた家です。
1922年(大正11)に上京して以来、多くの苦労をしてきた芙美子は、1930年(昭和5)に落合の地に移り住み、1939年(昭和14)12月にこの土地を購入し、新居を建設しはじめました。
新居の建設当時には建坪の制限があったため、芙美子名義の生活棟と、画家であった夫・緑敏名義のアトリエ棟をそれぞれ建て、その後すぐにつなぎ合わせました。
芙美子は新居の建設のため、建築について勉強をし、設計者や大工を連れて京都の民家を見学に行ったり、材木を見に行くなど、その思い入れは格別でした。
このため、山口文象設計によるこの家は、数寄屋造りのこまやかさが感じられる京風の特色と、芙美子らしい民家風のおおらかさをあわせもち、落ち着きのある住まいになっています。
芙美子は客間よりも茶の間や風呂や厠や台所に十二分に金をかけるように考え、そのこだわりはこの家のあちらこちらに見ることができます。
[下掲写真:林芙美子記念館「花ごよみ」より。同館庭園には四季折折の艸花が咲きます]
芙美子忌の献花 |
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クチナシ |
ビョウヤナギ |
ガクアジサイ |
シモツケソウ |
カノコユリ |
タカサゴユリ |
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< 佐伯祐三アトリエ記念館 > TEL:03-5988-0091
佐伯祐三(1898-1928)は、東京美術学校在学中の1920年(大正9)、銀座の象牙美術商の娘、池田米子と結婚すると、翌年には、同時代の洋画家:中村 彝 ツネ のアトリエにも程近い、豊多摩郡落合村下落合661番地(現・中落合2丁目4 番)にアトリエ付き住宅を新築しました。
この地で佐伯が生活し、創作活動をしたのは、米子夫人と長女:彌智子と共にフランスに向かう1923年(大正12)までと、1926年(大正15)に帰国し、再びフランスに渡る1927年(昭和2)までの、合わせて4 年余りにすぎません 。
しかし、この地は佐伯祐三がアトリエを構え、創作活動拠点とした日本で唯一の場所であり、現在も 、当時のままの敷地に、大正期のアトリエ建築を今に伝える建物が残されている貴重な場所です。
このアトリエの建物と、アトリエ内の展示パネルなどをご覧いただき、実際に佐伯が立った場所で、夭折の天才画家に想いを 馳せていただくために、新宿に残る大切な「土地の記憶」、「まちの記憶」として保存・継承し 、広く発信していくために、新宿区立佐伯祐三アトリエ記念館として整備・公開しています。
【詳細情報:佐伯祐三アトリエ記念館 / 同館フライヤーPDF saeki-yuuzou 4.30MB 】
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< 中村 彝 ツネ アトリエ記念館 > TEL:03-5906-5671
中村 彝(ナカムラ-ツネ 1887-1924)は大正期に活躍した洋画家で、1916年(大正5)に、新宿区下落合にアトリエを新築しました。この下落合に残る中村 彝のアトリエを復元・整備し、平成25年から新宿区立中村彝アトリエ記念館として公開されました。
【詳細情報:中村 彝 アトリエ記念館 / 同館フライヤーPDF nakamura-tune 3.70MB 】