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【字学】 さいかち の さかをあるく さて困った<皁・皀・皂>のつかいわけ

神田のさかを、あるいている。
どこからか、あまく、強い、沈丁花のかほりがする。

ぬかあめに ぬるゝ丁字の 香りなりけり    久保田万太郎

この早春の花は中国原産とされるが、秋の金木犀とならんで、格別に樹影や開花をみなくとも、どこからか風にのってやってくる芳醇なかほりを味わうだけでうれしくなる灌木である。
漢名では瑞香という。瑞香のままでよかったのではないかともおもったりもする。
和名の沈丁花は、沈香と丁字のかおりを合わせたものとも、香りは沈香で、花の形は丁字(丁子 Clove)に似るからだともいう。
 DSCN9803 DSCN9804 DSCN9811駿河台での所用をおえて、帰路は「さいかちのさか」をたどることにした。
この坂道は、JR中央線の線路(水道橋-御茶ノ水)の南の脇を、東(水道橋方面)から西(御茶ノ水方面)へとくだる坂道である。坂の下は小栗坂と交じわり、白山通りをわたると水道橋駅東口にいたる。
右側は駿河台から神田川への切り通しのつよい傾斜地で、その下にJR中央線と、それと並行する神田川をはさんだ反対側に、お茶の水坂がある。そちら側はすでに文京区である。

坂の頂上のあたりの右手に、「私立東京歯科大学 水道橋キャンパス さいかち校舎」があり、そのすぐ先からは右手の建物がなくなっている。
千代田区神田駿河台二丁目、坂の左手に「東京デザイナー学院」のキャンパスがある。坂の両側の歩道には街路樹がならんでいる。かつてはここにも「さいかち」が植えられていたとされるが、芽吹きのまえのこのとき、「さいかち」らしき樹木はみられなかった。

それでもこの坂には「さいかち の さか」の由来碑がいくつかある。
 「さいかち」は、山野や川原に自生する豆科の落葉高木で、夏の開花ののち、30センチにもなる細長くて扁平な豆莢が垂れさがる。
秋になると種子が熟れて、豆莢は暗褐色になってよじれてくる。
ふるくは「さいかし さいかち」といった。

さいかしや 吹きからびたる 風の音   呉江
夕風や さいかちの実を 吹き鳴らす   石井露月

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ところで、この樹木が発する樹液を甲虫類が好むらしい。その大型のものを「さいかしむし・さいかちむし」と呼んだ。
すなわち、「さいかしむし・さいかちむし」はカブトムシの古名である。季語は夏とされる。漢字は「皂莢虫」(広辞苑)とあらわされた。
理由はわからないが、字義も字音も異なるのに、この「さいかち」の樹木・実などにしばしば混用されている漢字で「皀」、「皁」、「皂」がある。
 
・「皀」  漢読み キョウ・コウ 訓読み -                     JIS第二水準   6225
・「皁」  漢読み ソウ・ゾウ  訓読み - 意読 くろい JIS第三水準  8864
・「皂」  漢読み ソウ       訓読み -                      JIS表外漢字 9551(Unicode 7682)

これをふまえて「さいかちのさか」にある標識や看板などをみると興味深い。
・東京歯科大学 水道橋キャンパス 「さいかち校舎」
・千代田区教育委員会設置の標識では「皀角坂」

・神田駿河台二丁目のビル名のサインボードには「皂莢坂ビル」
・伝 松尾芭蕉の句碑には「皂角子」

皂角子の 實は そのままの 落葉哉 DSCN9812 DSCN9813 DSCN9815 DSCN9818 DSCN9819 DSCN9820

すこし気になったので、辞書あさりをこころみた。

◎ 『広辞苑 第六版』(岩波書店)
さいかち【皂莢】  マメ科の落葉高木。高さ3-5メートル。山野・河原などに自生。栽培もされる。茎・枝などに多数のとげがあり、葉は複葉。夏、緑黄色で四弁の細かい花を開く。秋、長さ30センチメートル余の莢(さや)を垂下する。果実はサポニンを含み洗濯用、また漢方生薬の皂角子(そうかくし)として、解毒・潤和剤。若芽は食用。材は器具材・細工物などにする。季語は秋。

◎ 『漢字源 JIS第1-第4水準準拠』(学研教育出版 電子版 抄印)
【 皀 】
漢読み キョウ・コウ 訓読み -  JIS第二水準   6225
《意味》 1.  {形・名}かんばしい。穀物のかおり。 2. {名}穀物の粒。一粒。
《解字》   象形。器に穀物を盛った姿を描いた字。卽(即)・既・郷や食の下部に含まれる。
《難読語》 皀莢〈さいかち〉・皀隔〈きゅうかく〉
《熟語》 ありません

【 皁 】
漢読み ソウ・ゾウ  訓読み - 意読 くろい JIS第三水準  8864
1.(名)さいかち・はんのきなどのどんぐり状の実。そのくろい外皮をくろ色の染料とし、その白い実の粉を洗剤にもちいた。「皁実(ソウジツ)」「皁莢(ソウキョウ)」。
2.{形}くろい〈くろし〉。はんのきの実のようにくろい。「皁衣〈ソウイ〉(くろい衣)。
3.「皁隷〈ソウレイ〉」とは、黒衣を着たしもべ。のち役所の雑役夫。→略して皁という。
4.「皁櫪〈ソウレキ〉」とは、馬小屋のこと。→略して皁という。
5.{名}俗:はんのきの実やくろマメをこねてつくった洗剤。「肥皁〈ヒソウ〉〈洗濯材。今は石鹸のこと〉」。
6.{名}くろいかまど。→竈〈ソウ〉に当てた用法。「祭皁〈サイソウ〉〈=祭竈。年末のかまど祭り〉」。
《解字》象形。小枝にまるいどんぐり状の実のなったさまを描いたもの。早と皁はもと同源であるが、皁はその原義をあらわし、早は、くろい → 暗いとき → まだ暗い早朝と転用された。
《難読語》
皁莢〈さいかち〉
《熟語》
【牛驥同皁】ギュウキドウソウ 中略〔史記・鄒陽〕
【皁衣】ソウイ 中略〔漢書・肅望之〕
【皁桟】ソウサン 馬小屋
【皁白】ソウハク 黒色と白色。転じて、是非・善悪のこと〔魏志・鍾繇〕

【 皂 】  
漢読み ソウ       訓読み -         JIS表外漢字 9551(Unicode 7682)
本紹介にあたり使用した『漢字源 JIS第1-第4水準準拠』(学研教育出版 電子版)には「親字」・異体字・俗字のいずれにも「皂」の紹介はみられなかった。
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よんどころなく長年にわたってもちいている『大修館新漢和辞典 机上版』(諸橋轍次ほか 改訂版第二刷り)をみた。
その606ページ、部首「白」、一画「百」につづき、二画のはじめに【 皀 】があり、ついで【 皁 】がおかれていた。「皂」は無かった。二画はこれで終わり、三画「的」につづく。
【 皀 】、【 皁 】の解説は、これまでのものと大差はなかったが、【 皁 】の解説の末尾におもわぬ記述があって絶句した。図版でもしめす。

◇ 皂 は俗字。

karatati[この項つづく] 初出2017年03月02日
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《初掲載から二ヶ月余 さまざまな反響をいただいた》
もっとも多かった反応は<「皂」 漢読み ソウ   訓読み- JIS表外漢字 9551(Unicode 7682)>が電子メディア上に表示されない、もしくはバケルというものであった。
たしかにデバイスによって、また書体選択によっては、表外漢字や記号類の一部が表示されないことは、{活版 à la carte}の姉妹コーナーともいうべき{ 文字壹凜 }で、さんざん苦労し、迷惑をおかけしてきたことでもある。

『大修館新漢和辞典 机上版』(諸橋轍次ほか 改訂版第二刷り)のなかで、俗字とされている【 皀 】に拘泥することが本稿の目的ではない。
そこで次回はおもいきって「さいかちのさか」とひらかな表記としてみたい。