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【イベント】チェコセンター|街角詩人ロボット / Bunkamura(渋谷)|’22年7月29日-8月28日

チェコセンター

チェコセンター
街角詩人ロボット / Bunkamura(渋谷)
日  程  2022年7月29日[金]-8月28日[日]
設置場所  東京都渋谷区道玄坂2-24-1 Bunkamura  B 1 F
      ブックショップ ナディッフモダン
企画・主催 チェコセンター東京
※ロボットが設置されるブックショップ ナディッフモダンではチェコ書籍コーナーが設けられるほか、関連トークイベントも開催予定です。決定次第チェコセンターのウェブサイトにてお知らせいたします。
※今後、たまプラーザ駅(横浜市)周辺ほかでも実施予定です。
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テクノロジーが日々進化し続ける現代社会の中で、私たちはどのように人間らしさを保ち、サステナビリティ〔持続可能性〕と向き合っていけば良いのでしょうか。この大きな課題を皆さんと共に考えるため、廃材でできた「詩人ロボット」を 渋谷・Bunkamura に設置いたします。
チェコを代表する作家カレル・チャペックが約100年前に発表し、テクノロジー誤用への警鐘を鳴らした戯曲『ロボット(R.U.R.)』から着想を得て制作されたものです。
ロボットはガチャガチャになっており、100円で手にできるカプセルには、チェコの詩人が現代社会に向けて綴った詩と、チェコの国樹であるボダイジュの種が入っています。忙しい生活の中でも、少し足を止めて ことば に触れ、命 を育ててみませんか。

[ 詳細 : チェコセンター東京

本欄内関連記事 ① :【艸木風信帖】こころはいつもカレル・チャペック|Lingua Florens と 空中花壇 ]
[ 本欄内関連記事 ② :【ボヘミアン、プラハをいく】 04 パリ在住ボヘミアンの磯田俊雄さん、フランス版『山椒魚戦争』(カレル・チャペック作)と、フランソワⅠ世にちなむシャンボール城のメダルを持参して来社 ]
[ 本欄内関連記事 ③ :【字学】〝過ぎたるは猶及ばざるが如し〟情報過多の時代の活字と書物 ]

~ 人間がロボットになりかけている今、ロボットだって詩人になれる ~

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【艸木風信帖】こころはいつもカレル・チャペック|Lingua Florens と 空中花壇

IMG_20200424_150535写真上)Lingua Florens での艸むしり
下)空中花壇でことしはじめて開花した白バラ  フィンブリアータ Fimbriata
空中庭園ごてごてと 草花植ゑし小庭かな

── この小園は余が大地にして 草花は余が唯一の詩料となりぬ 子規庵 ──
正岡子規(俳人・歌人 1867─1902)「小園の記」より

子規庵には及びもつかぬが、やたらに植物を密植するという悪弊においては、吾が「Lingua Florens」と「空中庭園」は良い勝負をしそうである。また、チェコの作家にして戯曲家・造園家:カレル・チャペックに、及ばぬのは百も承知ながら、密かな対抗心がある。DSCN0027 DSCN0017 DSCN0005
《兄・造形家:ヨゼフ・チャペック Josef Čapek 弟・作家:カレル・チャペック 
Karel Čapek》
かねて『園芸家12カ月』(カレル・チャペック 小松太郎訳 中公文庫)を読んでいた。
2014年晩夏、三泊五日のあわただしい日程でチェコ、プラハにいった。
そのとき、画家にして装本家:兄 ヨゼフ・チャペック と、作家・戯曲家:弟 カレル・チャペック の墓をチェコプラハの民族墓地にたずねた。
カレルの墓標は、「ロボット」ということばを創出したこのひとらしく、まさに現代の多段式ロケットの形態そのものであり、ヨゼフの墓はその背後に、戦争収容所で没したために、没した年月日の表示のないままにひっそりと佇んでいた。
891ebad257c3d67fdff8b3805a300815[1]弟:カレルは造園家としてもしられ、植物愛に満ちた著作をいくつか残している。ノー学部はこの短い滞在中に、プラハの古書店を巡ってチャペック兄弟の著作漁りに忙しかった。その間わが輩はカフェでの長~い一服。ウエイターが怪訝な表情になるので、パフェやケーキをやたらと注文。
この『園芸家12カ月』の日本語訳は丁寧な翻訳書であるが、原版のチェコ版にみられる、兄:ヨゼフの挿絵や、作庭図などは、文庫版では仕方ないとはいえ一点をのぞいてすべて脱落している。
また表紙の写真は、カレルが本書を執筆した当時の家と庭とはことなり、結婚して晩年に居住し、ドイツ軍がチェコ領に侵攻する直前に逝去したときの家である。

かつてヨゼフとカレルの兄弟が居住していた住居は、それぞれ門を構えた連棟式のおおきな二世帯住宅で、プラハ10区に「記念公園予定地」として非公開ながら現存している。
上掲写真、向かって右側が弟・カレルの住居で住人はいない。養蜂箱がおかれている左側の玄関が、兄・ヨゼフの住居であり、現在も住人がいるらしい。
ふたりはこの連棟式の建物に、いっとき二世帯としてともに住んでいた。そしてカレルは結婚後に郊外に住居を求めて移転し、ドイツ軍ゲシュタポの襲撃のわずか前に病歿した。兄・ヨゼフはゲシュタポにとらわれ、収容所で歿した。
それでもヨゼフの子孫が現在もここに居住しており、プラハ市10区は、とりあえずカレルの住居跡を購入・管理しているが、まだ一般公開はされていない。したがって主が逝去して七十余年を経たカレルの庭園は、壁の崩壊部にデジタルカメラを突っ込んで、無理矢理撮影したものである。思いでの一枚となった。

[ 参考:[ボヘミアン、プラハへゆく】 03 再開プロローグ:語りつくせない古都にして活気溢れるプラハの深層

【展示】チェコセンター「変わらぬ原作、変わり続ける翻訳 ─ 日本とカレル・チャペックの文学」3月7日─3月28日 終了企画

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チェコセンター 東京展示室
変わらぬ原作、変わり続ける翻訳 ― 日本とK・チャペックの文学

会 期:2018年3月7日[水]ー3月28日[水]
    平日10:00-17:00
会場:チェコセンター東京展示室

   〒150-0012 東京都渋谷区広尾2-16-14 チェコ共和国大使館内
   TEL:03-3400-8129
企画:ブルナ・ルカーシュ(実践女子大学)
入場無料
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今年は、チェコを代表する作家カレル・チャペックの没後80年にあたります。チャペックの作品は、戦前から今日にいたるまで盛んに邦訳され、数多くの読者に親しまれてきました。
本展示では、約1世紀にもおよぶ、日本におけるチャペックの翻訳史を回顧し、チャペックの文学を日本の読者に届けた翻訳者にも光を当てます。

【詳細情報: チェコセンター 】   情報提供:山崎洋介会員

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{新宿餘談}
ボヘミアン《ヨゼフとカレル、チャペック兄弟の住居跡》
チェコのプラハ第10区に「チャペック兄弟通り BRATŘİ ČAPKŮ」と名づけられた小高い丘への通りがある。そこの頂上部に連棟式のおおきな住宅がある。

向かって左が、画家にしてイラストレーター・執筆者の兄 : ヨゼフ・チャペックの住居で、現在は直系の子孫が居住しているという。
向かって右が、ジャーナリストにして戯曲家・作家の弟 : カレル・チャペック の住居跡である。

DSCN0025 DSCN0027 DSCN0005カレルの家は、現在は無住となっており、すでにプラハ第10区が買収済みだという。
ところがどちらも、いまは非公開の建物であり、庭園である。したがってカレルの庭園跡の写真は相当無理をして、ほんの一画だけを生け垣の隙間から撮影した。

20161027164925_00001[1]この兄弟がここに居住していた頃にのこした一冊の図書、世界中の園芸家に読み継がれている、原題『Zahradníkův rok 』、邦題『園芸家の一年』、『園芸家の12カ月』がある。

《ヨゼフとカレル、チャペック兄弟の墓地をたずねて》
プラハ:ヴィシェフラット民族墓地 Vyšehradský hřbitov はチェコの首都 : プラハの中央部にゆたかな緑につつまれて鎮まっている。
ここには「合同霊廟 スラヴィーン Slavín」があり、アール ・ ヌーヴォーの華といわれながら、晩年にボヘミアンとしての民族意識にめざめ、無償で描いた超大作絵画 「 スラブ叙事詩 」 をのこしたアルフォンス ・ ミュシャ(現地音ではムハ)がねむり、その斜め前にはボヘミアとスラブの魂を歌曲にした作曲家 : スメタナもねむる。

DSCN6084 DSCN6082 DSCN6045 DSCN6048そのかたわらにヨゼフとカレル、ふたりのチャペックの墓がある。
ノー学部はおもに原題『Válka s mloky』、邦題『山椒魚戦争』を好み、タバコの臭いが移るからとしてめったに見せないが、欧州各国の異なった版の図書を相当数所有している。この『山椒魚戦争』に関しては、最下部のリンク先 をご覧いただきたい。
やつがれはもっぱら、原題『Zahradníkův rok 』、邦題『園芸家の一年』、『園芸家の12カ月』の軽装図書である。またこのふたりは戯曲などを多数共同で制作し、中でも 1920 年発表の戯曲『R.U.R.』で「ロボット」ということばを生み出したことでも知られている。

兄 : ヨゼフはゲシュタポに捉えられ、強制収容所に歿したために、歿時の月日記載がないのが胸をうつ。
弟 : カレルの墓は、1938年の没年ではあるが、現代のロケットともあまり相違ない形象のロケット型の墓標である。

ふたりとも第一次世界大戦と第二次世界大戦のはざまという、過酷な時代をいき、そして誇り高きボヘミアンであった。
最後にチャペック兄弟の最後をしるした一文を、来栖 継氏の「 解 説 」 から紹介したい。
『 山椒魚戦争 』(カレル ・ チャペック作、栗栖 継訳、岩波文庫) 「解説」 p.453-4

〔前略〕 一九三九年三月十五日、ナチス ・ ドイツ軍はチェコに侵入し、全土を占領した。〔弟カレル〕チャペックも生きていたら、逮捕 ・ 投獄されたにちがいない。事実、ゲシュタポ(ナチス-ドイツの秘密警察)は、それからまもなく〔カレル〕チャペックの家へやって来たのだった。やはり作家で、同時に女優でもあるチャペック未亡人のオルガ ・ シャインプルゴヴーは、ゲシュタポに向かって、「残念ながらチャペックは昨年のクリスマス〔1938年12月25日歿〕に亡くなりました 」 と皮肉をこめて告げた、とのことである。
チャペックの兄のヨゼフ ・ チヤぺックも、「 独裁者の長靴 」 と題する痛烈な反戦 ・ 反ファッショの連作政治マンガを描きつづけた。そのために彼は、ゲシュタポに逮捕され、一九四五年四月、すなわちチェコスロバキア解放のわずか一ヵ月前、ドイツのベルゲン=ペルゼン強制収容所で、栄養失調のため死んだ。彼が収容所でひそかに書いた詩は、戦後『 強制収容所詩集 』という題名で出版された。〔後略〕

{参考資料:【ボヘミアン、プラハをいく】 04 パリ在住ボヘミアンの磯田俊雄さん、フランス版『山椒魚戦争』(カレル・チャペック作)と、フランソワⅠ世にちなむシャンボール城のメダルを持参して来社 | 活版 à la carte|2016年11月05日}