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【会員情報】 上海の畠中 結さんから春節あけにカレンダーをご送付いただきました

本コーナーではお馴染みの上海の会員、版画家の楊 黙 さん、畠中ハカケナカ 結さんからのお便りです。
畠中さんは出産のため、実家の京都にもどられ、無事に出産されて最近上海に戻られました。そんなおふたりから<2016年 カレンダー>をお送りいただきましたのでご紹介します。

【 関連 : 活版 à la carte 中国 上海の活字製造と活版印刷関連情報 ── 畠中結さんからのご報告,   <在時間的某処>, Somewhere in time, ある日どこかで。】  

DSCN6388 DSCN6396 DSCN6393楊 黙  Yang Mo ┊ 1980年中国うまれ
中国上海在住。日常生活のすべてを芸術、デジタル・デザイン、版画製作に捧げているアーティスト。
楊氏は南京芸術大学を卒業し、そののち版画製作の最先端の研究を、ドイツ中央部、芸術と大学都市、カッセル(Kassel)で続行した。同地で日本から留学中の畠中ハタケナカ 結さんと知り合い結婚した(中国では夫婦別姓がふつう)。

中国に帰国後は上海にアトリエを開設して、中国各地でいくつかの展覧会を開催した。また2012年の東京TDC賞にも選ばれ、畠中さんは最近ご実家の京都で出産・帰国された。
楊氏はおもにデジタル・デザイナーとして活躍しているが、常に彼自身の版画作品をつくって、現代中国では顧みられることの少ない、あたらしい版画芸術を提案し続ける、意欲にあふれる造形家である。
上海/楊黙さん・畠中結さん夫妻

中国 上海の活字製造と活版印刷関連情報 ── 畠中結さんからのご報告

Letterpress07 Letterpress12 Letterpress10 Letterpress08 Letterpress06 Letterpress05 Letterpress04 Letterpress03 Letterpress02 Letterpress《上海郊外にある、実際に稼働している活字鋳造所》
上掲写真は、おそらくわが国でははじめて紹介されたものとおもわれる。撮影は今春に、この活字鋳造所を訪問された楊 黙さんによるものである。
まだ中国では〈活版ルネサンス〉のうごきは少ないようであるが、写真でみる限り、この活字鋳造所には10台以上の活字鋳造機があるようにみられる。
また「活字母型タンス」もしっかり管理されているようであり、もう少し中国における〈活版ルネサンス〉の動向が顕著となって、活版造形者が増加すれば、ふたたび活性化することは可能のようにみられる。

西欧諸国からもたらされた近代印刷術に関していえば、わが国では「江戸期通行体 お家流」の可読性と判別性がひくかったために、明治新時代民衆の旺盛な読書需要にこたえるために、連綿形ではなく、一字一字が独立して、また明確な矩形による明朝体活字を中心とした活字版印刷に積極的であった。
それにたいして、清国末期から中華民国時代(明治時代から大正初期)の中国では、まず膨大に存在した古文書の影印本(古文書の文面を写真術によって、製版・印刷した複製本)の製作に熱心で、石版印刷の普及に意欲的だったという相異がみられた。

そんな社会風潮もあって、中国における活字版印刷術の開発と普及は遅延したが、1920年代の後半からの新中国では、教育制度の改革と、民衆のリテラシーの向上が国是となって、活字製造と活版印刷は急速に普及した。
中国での近代活字開発の風景を振りかえると、ともかく楷書体をおもくみて、真四角でありながらも、書写の風合いをのこした「軟体楷書」の系譜の活字の製造に熱心であった。この系譜の楷書体は、わが国には昭和前半に津田三省堂などによってもたらされ、商品名「正楷書体」として知られるものが代表である。

また北宋から南宋の刊本字様、あるいは刊刻工匠たちによる工芸書風としての「聚珍倣宋版、倣宋体-わが国の宋朝体」の開発に集中していたようである。

その反面、「宋体-わが国の明朝体」、「黒体-わが国のゴシック体」の開発には消極的であった。[この項の参考資料:『楷書体の源流をさぐる』 p.84- 林 昆範、朗文堂]
──────
ともあれ、現代中国でも活版造形者が増加するかたむきをみせはじめている。楊 黙さんのスタジオにも、中国メディアの取材が盛んだとお聞きした。ここに声を大にして、字の国、漢字の国、中国の活字鋳造所の復活を望みたいところである。
できたらことし中に楊 黙さん・畠中さんをおたずねして、この活字鋳造所を訪問したいものである。

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<在時間的某処>, Somewhere in time, ある日どこかで。

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 《上海のアダナ・プレス倶楽部会員、畠中結さんと楊 黙さんの再紹介》
ことしのはじめのころ、旧正月(春節)の休暇にあわせて来社された、畠中結さん・楊 黙さんご夫妻を紹介しました。そのときにおふたりは〈操作指導教室〉を受講され、その後は小型活版印刷機も本格始動がはじまったようです。
そんなおふたりを応援するために、ここに楊 黙氏のWebSite の情報を中心に、
おふたりをご紹介します。【リンク:YANG MO】。

最初に掲げた版画は、漢字が簡化体になっています。日本式表記ですと「在時間的某処」となります。
「<在時間的某処>は、英語では<Somewhere in time>、日本語では<ある日どこかで>となります。── 畠中」
とても夢のあるよいことばですし、すばらしい版画ですね。

〈 EXHIBITIONS 〉

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楊 黙  Yang Mo ┊ 1980年中国うまれ
中国上海在住。日常生活のすべてを芸術、デジタル・デザイン、版画製作に捧げているアーティスト。
楊氏は南京芸術大学を卒業し、そののち版画製作の最先端の研究を、ドイツ中央部、芸術と大学都市、カッセル(Kassel)で続行した。同地で日本から留学中の畠中 結さんと知り合い結婚した(中国では夫婦別姓がふつう)。
中国に帰国後は上海にアトリエを開設して、中国各地でいくつかの展覧会を開催した。また2012年の東京TDC賞にも選ばれている。
楊氏はおもにデジタル・デザイナーとして活躍しているが、常に彼自身の版画作品をつくって、現代中国では顧みられることの少ない、あたらしい版画芸術を提案し続ける、意欲にあふれる造形家である。

〈 SELECTED WORKS 〉
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【 再 録 】 エッ、いまごろお正月 !? 上海在住の会員がご来社。

恭賀新年 新年快楽有ーあけましておめでとうございます。

《2014年01月31日、上海在住のアダナ・プレス倶楽部会員がご来社に》

もうすっかりお正月気分の消えた01月31日[金]、上海在住のアダナ・プレス倶楽部会員で、Adana-21J のユーザーでもある、畠中 結さん・楊 黙(Yang Mo  1980-) さんご夫妻が来社されて、「Adana-21J 操作指導教室」を受講されました【リンク:YANG MO】。
おふたりは留学先のドイツで知り合われて結婚されましたが、中国では夫婦別姓なのでそれぞれの姓をもちいておられます。上海では畠中さんは商事会社に勤務、楊さんは版画家として活躍されています。

畠中・楊ご夫妻は小型活版印刷機 Adana-21J を一昨年暮れにご購入されましたが、これまで来日の機会がなく、操作指導教室の受講が延び延びになっていました。それでもこれまでにたくさんの@メールのやりとりがあり、はじめてお会いしたとはおもえないほど会話がはずみました。
また今回は、中国では入手難な活版印刷関連資材や機器もたくさんご購入。幸い畠中さんのご実家が京都にあるため、これまでの Adana-21J などの輸送と同様に、ご実家に送付して、ほかの荷物といっしょに船便輸送となるようです。
【初掲載:アダナ・プレス倶楽部ニュース 2014年02月10日