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【良書紹介】「ミツカン水の文化センター」の機関誌|『水の文化』 第61号発刊|特集「 水が語る佐渡 」

水の文化61

『 水 の 文 化 』61号
水が語る佐渡
2019年 2月
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古来、「金の島」として知られる佐渡。日本海に浮かぶこの島は、金銀はもちろんのこと、鉱山技術を応用した水利による稲作および水の力(北前船)で運び出された産品によって隆盛を誇った。
金銀山の閉山・休山で基幹産業を失っても人々は暮らしつづけ、今ではトキをシンボルとするブランド米で持続可能な農業を目指している。
日本の縮図ともいわれる佐渡の歴史を「水」の視点から見つめ、「人と自然の共生」のあり方や、私たちがこれから大事にすべきものを探った。

【 詳細 : ミツカン 水の文化センター 】 { 活版アラカルト まとめ }

【良書紹介】 「ミツカン水の文化センター」の機関誌『水の文化』 第59号発刊 特集{釣りの美学 ── 静寂と興奮の狭間で}

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「ミツカン水の文化センター」の機関誌『水の文化』 第59号
特集「釣りの美学 ── 静寂と興奮の狭間で」

古来釣りは趣味として、またはスポーツとして親しまれてきた。例えば1653年に出版された Izaak Waltonの “ The Compleat Angler ”(邦題『釣魚大全-ちょうぎょたいぜん』)は哲学に始まり(釣りをする前に)、魚の種類、釣り方、さばき方、料理方法などまでを綴った「釣り人の聖書(バイブル)」と呼ばれる。かの開高健もこの書の愛読家であり、釣りをするときは〈そこにある静かなることを学べ ── Study to be quiet ── 〉という言葉を一番大切にしていた。

日本でも1723年(享保8)に旗本の津軽采女-つがるうぬめ-が著したとされる『河羨録-かせんろく』や、江戸後期に黒田五柳が書いたとされる『釣客伝-ちょうかくでん』において、釣りの心得や準備に始まり、やはり魚の種類と習性や釣り方、料理方法まで記されている。

このように、釣りは多くの釣り人によって、静寂と興奮の狭間で支持されてきた。それはなぜなのか。そして、魚を釣るという行為を通じて生まれる「水と人との関係性」についても考えてみたい。

【 詳細 : ミツカン 水の文化センター 】 { 活版アラカルト まとめ }

【良書紹介】 「ミツカン水の文化センター」の機関誌『水の文化』 第58号発刊 特集{日々、拭く。}

20180306183908_00002「ミツカン水の文化センター」の機関誌『水の文化』 第58号
特集「日々、拭く。」

日々の生活において私たちは、さして意識せずにさまざまなものを拭いている。食事の前後には食卓を、お風呂を出たら体を拭く。花粉症ならば鼻水を紙で拭(ぬぐ)うし、最近は携帯電話やスマートフォンも拭く対象に加わった。水や水分、または汚れを取り去ってきれいにする。それが「拭く」という行為だろう

「雑巾(ぞうきん)」がかつて「浄巾(じょうきん)」と呼ばれていたように、拭く道具は時代によって変化している。しかし、道具は変わっても、水を拭きとり、汚れを拭い去るという行為そのものは変わらない。個人的な所作でありながらも、多くの人々が共有する「拭く」は、生活文化の一つである。

そんな身近な「拭く」という行為について考えたことがあっただろうか?その本質とはいったい何なのか。そして「拭く」ことと水はどのような関係にあるのか、生活様式や道具の変遷、さらに行為に宿る精神性などから「拭く」を読み解いていく。

【 詳細 : ミツカン 水の文化センター 】 { 文字壹凜 まとめ }

【良書紹介】 「ミツカン水の文化センター」の機関誌『水の文化』 第54号を発刊 {昆布ロード}をご存じですか

水の文化54 resizedミツカン(株式会社Mizkan Holdings)は、2004年(平成16)創業200周年を迎えました。
「水」の恩恵を受け、「水」によって育てられてきたミツカンは、「水」をテーマとした社会貢献活動として、1999年(平成11)1月「ミツカン水の文化センター」を設立しました。

人の営みの根源には、常に「水」があります。人はときには「水」と闘い、またあるときには「水」と共生しながら、自らの「暮らし」をつくり上げてきました。当センターでは、この〝人と水とのかかわり〟によって生み出されてきた生活様式を「水の文化」ととらえています。
「健全な水循環」が保持されるよう、さまざまな研究活動や情報交流活動を通じて、「水」の大切さを伝え、「水」への意識向上を広く図っていきたいと考えています。
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◎ 「ミツカン水の文化センター」 の機関誌 『水の文化』

機関誌「ミツカン水の文化センター」の機関誌『水の文化』
機関誌『水の文化』は、1999年(平成11)1月創刊。年3回、無償で発行しています。
創刊以来54号にたっしましたが、「人と水」、「人と人」 のかかわりの中で生み出された、知恵や地域固有の習慣に光を当ててきました。「水の文化」 を探るうちに、思いがけない〝新たな視点〟を発見することも。

意識してきたのは、多様な領域への取材。物事を一側面からだけ見るのではなく、立場が異なる人がどう考え、どうかかわっているかに着目し、横串を通すことで新たな切り口を探ります。また、無形の財産ともいえる知恵や習慣が、未来へつながることを心がけています。
発行後しばらくすると、ホームページ[水の文化 バックナンバー]からPDFファイルもダウンロードすることができますので、定期購読申込とあわせてご利用ください。

【 詳細 : ミツカン 水の文化センター
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企業文化広報誌としてきわめて評価のたかい、ミツカン 水の文化センター『水の文化誌』は、本欄でも 2016年03月02日 52号2016年07月14日 53号 に際して紹介 してきた。
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水の文化54 resized『水の文化誌』54号の特集は、「和船が運んだ文化」であるが、特集 Story 1 「昆布ロード ―― 富山藩と薩摩藩による[知られざる交易]」を興味深く読んだ。

明朝末期のなにかの刊本で読んだ記憶があるが、その資料を探し出せないでいる。
すなわち記憶によれば、南宋の時代、蝦夷松前(北海道)の良質な昆布が、天然の良港であった 十三湊 (青森県五所川原市)にあつめられ、そこから日本海を経由して、沖縄列島や黄海の島伝いの航路をたどって、長江(揚子江)、河水(黄河)の上流まで、砂金とともにひそかに運ばれていたという記録である。

当時の和船はちいさくて、沿岸航海しかできず、もっぱら中国船での輸送、それもひそかな輸送であったようだが、東北の豪族 : 安藤氏や藤原氏には、この「抜け荷  ≒ 密貿易」による昆布と砂金の輸出によって、京都政権による「日宋貿易」にまさるとも劣らない、巨万の富をもたらされたとしていた。

当時の中国は、漢族により臨安(杭州)をみやことした南宋と、満州女真族により開封をみやことした金(前金)が淮河を境に南北に分割統治していた。
ところが、その空隙をつくように、いわば密貿易で、中国船は大陸奥地まで大型船・小型船を乗り継いで輸送をつづけたという。
当時の中国で昆布がもとめられたのは、沿岸部では罹患者はすくなかったものの、内陸部にいくほど一種の風土病があり、昆布はその風土病に劇的な治癒効果をもたらしたので、「俵物」とされた昆布は一種の薬草とされ、チベットや蜀(四川省)のあたりまで輸送されていたと記憶している。
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◎ 『水の文化誌』54号の特集 「和船が運んだ文化」
   特集 Story 1 「昆布ロード ―― 富山藩と薩摩藩による[知られざる交易]」

だしや煮しめの具材など、日本人の食生活になくてはならない昆布の産地は羅臼、利尻などに代表される北海道が有名だが、消費量では富山県が際立って多く、数年前までは不動の全国1位だった。
昆布の採れない富山県で、なぜ食されているのか。それは江戸時代、富山県域が昆布をはじめとする海産物を運んだ海上流通の中継地を多く擁していたことに端を発する。
同じく昆布が生息しない沖縄(琉球)でも食されているのは、富山藩の商人たちが薩摩藩に昆布を持ち込んでいたからだ。
この富山藩と薩摩藩による「知られざる交易」が、やがて倒幕へとつながる。その痕跡を富山県と鹿児島県でたどった。


富山藩と薩摩藩 ―― 外様同士の暗中飛躍
「昆布ロード」をご存じだろうか。北前航路が拓かれた江戸時代中期から幕末、明治にかけて、蝦夷地(北海道)で収穫された昆布は、北前船で京都 ・ 大坂へ運ばれるだけでなく、薩摩から琉球を経て、さらには中国(清 ・ 後金)まで届けられていた。その道筋を「昆布ロード」と呼ぶ。

当時、昆布は重要な品だった。甲状腺障害が流行していた清ではその予防のためにヨードを多く含む昆布が求められていたが、海水温が高い清の沿岸では良質な昆布は育たない。
そこで財政の悪化した薩摩藩は、東アジアの海洋貿易の中継地として栄えていた琉球王国を介し、清に対して「抜け荷」と呼ばれる密貿易を始める。清への貢ぎ物のひとつが松前産の良質な昆布だった。

ところが北海道からは遠い薩摩藩で、昆布の入手は容易ではない。そこで薩摩藩が目をつけたのが富山藩。ともに外様大名であり、財政の逼迫した富山藩と薩摩藩が密かに手を結び、互いに利益を得る。薩摩藩は密貿易で得た利潤で財政を立て直し、倒幕へと向かったともいわれる。
北前船を舞台とした両藩の企てとは、どのようなものだったのか。[後略]

【良書紹介】 「ミツカン水の文化センター」の機関誌『水の文化』 第52号を発刊

ミツカン『水の文化』 ミツカン(株式会社Mizkan Holdings)は、2004年(平成16)創業200周年を迎えました。
「水」の恩恵を受け、「水」によって育てられてきたミツカンは、「水」をテーマとした社会貢献活動として、1999年(平成11)1月「ミツカン水の文化センター」を設立しました。

人の営みの根源には、常に「水」があります。人はときには「水」と闘い、またあるときには「水」と共生しながら、自らの「暮らし」をつくり上げてきました。当センターでは、この〝人と水とのかかわり〟によって生み出されてきた生活様式を「水の文化」ととらえています。
「健全な水循環」が保持されるよう、さまざまな研究活動や情報交流活動を通じて、「水」の大切さを伝え、「水」への意識向上を広く図っていきたいと考えています。

「ミツカン水の文化センター」の機関誌『水の文化』
機関誌『水の文化』は、1999年(平成11)1月創刊。年3回、無償で発行しています。
創刊以来52号にたっしましたが、「人と水」、「人と人」のかかわりの中で生み出された、知恵や地域固有の習慣に光を当ててきました。「水の文化」を探るうちに、思いがけない〝新たな視点〟を発見することも。

意識してきたのは、多様な領域への取材。物事を一側面からだけ見るのではなく、立場が異なる人がどう考え、どうかかわっているかに着目し、横串を通すことで新たな切り口を探ります。また、無形の財産ともいえる知恵や習慣が、未来へつながることを心がけています。
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【 詳細 : ミツカン 水の文化センター