タグ別アーカイブ: 王興之墓誌

【タイプコスミイク】 02月19日は元旦 ! (旧暦ですが)。 Human Sans Serif 銘石B Combination 3 をご紹介。

恭賀新年

祝羊年大吉、身体健康、万事如意、闔家安康 !

中国をはじめ、香港、台湾、韓国など、旧暦で正月を祝う習慣をご紹介したところ、使用書体に関してご質問を頂戴しました。
【 関連情報 : エッ !  いまごろお正月 ?!!  恭賀新年 中国/台湾/香港/韓国のみなさまへ  】

上掲図は、<Human Sans Serif  銘石B  Combination 3 > をもちいております。 元旦早早 !?  広告宣伝めいて恐縮ですが、その書体解説を以下に簡略にお示しいたします。

Human Sans Serif  銘石B  Combination 3

<Human Sans Serif  銘石B  Combination 3 > の書体設計は 欣喜堂 ・ 今田欣一氏によるものです。 欣喜堂 ・ 今田欣一氏は、日本 ・ 中国 ・ 欧米の、書写と印刷の歴史にはぐくまれた、正統的な活字書体の開発をめざしています。
販売は朗文堂タイプコスミイクによるものです。 小社はつねづねお客さまとの双方向の情報交換を希望しております。
本書体をお客さまがご愛用いただき、ご希望、改善点、ご叱声など、ご遠慮なくお寄せいただくことをお待ちしております。

★     ★     ★

Human Sans Serif  銘石B  Combination 3

くれたけ 銘石 B   くろふね 銘石 B   くらもち 銘石 B
【 くれたけ くろふね くらもち かな三種の組版テストPDF KANA03 test 505KB 】

【 詳細情報 : 朗文堂タイプコスミイク Human Sans Serif  銘石B  Combination 3

銘石B銘石02L

《 ついにわが国でも ヒューマン ・ サンセリフが誕生! 銘石 B 》
十分なインパクトがありながら、視覚に優しいゴシック体、それもいわゆるディスプレー ・ タイプではなく、文字の伝統を継承しながらも、使途のひろいサンセリフ ―― わが国の電子書体にも 「 ヒューマン ・ サンセリフ 」 が欲しいとされるご要望が寄せられていました。
確かにわが国のゴシック体のほとんどは、もはや自然界に存在しないまでに鋭角的で、水平線 ・ 垂直線ばかりが強調されて、鋭利な画線が視覚に刺激をあたえます。

欣喜堂 ・ 朗文堂がご提案した 「 銘石 B 」 の原姿はふるく、中国 ・ 晋代の 『 王興之 オウ コウシ 墓誌 』 (341年、南京博物館蔵 ) にみる、彫刻の味わいが加えられた隷書の一種で、とくに 「 碑石体 ヒセキ-タイ 」 と呼ばれる書風を製作の源泉としています。

王興之墓誌。南京博物館蔵uu。
『 王興之墓誌 』。 この裏面には、のちに埋葬された
妻 ・ 宋 和之の墓誌が、ほぼ同一の書風で刻されています。
王興之墓誌の拓本uu。
 『 王興之墓誌 』 拓本。
右払いの先端には隷書に独特の
波磔のなごりがみられ、多くの異体字もみられます。
総キャラクター数はこの図版にみるように、わずかな文字種の参考資料でした。

王 興之とその妻 ・ 宋 和之は、中国晋朝の340年代に埋葬されたとみられています。
晋朝では薄葬が奨励され、石碑の建立は禁止されていましたので、墓地に生前の記録を埋設することがみられました。
その 『 王興之墓誌 』 は1965年に南京市郊外の象山で出土しました。

王興之 (309-40) は 王 彬の子で、また書聖とされる 王 羲之(307-65)の従兄弟イトコにあたります。
この墓誌は煉瓦の一種で、粘土を焼き締めた 「 磚 セン、カワラ、 zhuān 」 に碑文が彫刻され、遺がいとともに墓地の土中に埋葬されていました。 そのために風化や損傷がほとんどなく、全文を読みとることができるほど保存状態が良好です。
王家 家系図uu
王 興之の従兄弟 ・ 書聖/王 羲之の ( 伝 ) 肖像画。
同時代人で イトコの王 興之もこんな風貌だったのでしょうか。

魏晋南北朝 ( 三国の魏の建朝 ・ 220年-南朝 陳の滅亡 ・ 589年の間をさす。 わが国は古墳文化の先史時代 ) では、西漢 ・ 東漢時代にさかんにおこなわれていた、盛大な葬儀や、巨費を要する立碑が禁じられ、葬儀葬祭を簡略化させる 「 薄葬 」 が奨励されていました。

そのために、書聖とされる王 羲之の作にはみるべき石碑はなく、知られている作品のほとんどが書簡で、それを 法帖 ホウジョウ にしたものが伝承されるだけです。
この時代にあっては、地上に屹立する壮大な石碑や墓碑にかえて、係累 ・ 功績 ・ 生没年などを 「 磚 セン 」  に刻んで墓地にうめる 「 墓誌 」 がさかんにおこなわれました。

『 王興之墓誌 』 もそんな 魏晋南北朝の墓誌のひとつです。 『 王興之墓誌 』 の書風には、わずかに 波磔 ハタク のなごりがみられ、東漢の隷書体から、北魏の真書体への変化における中間書体といわれています。 遙かなむかし、中国江南の地にのこされた貴重な碑石体が、現代の ヒューマン ・ サンセリフとして、力強くよみがえりました。

《Viva la 活版 Viva 美唄》レポート04 イベントサインの紹介

《Viva la 活版 Viva 美唄のイベントサインに、「銘石B」を随所に使用》
朗文堂/アダナ・プレス倶楽部では、本2013年07月13-15日、【Viva la 活版 Viva 美唄――すばらしき活版、すばらしい美唄】と題して、活版印刷の祭典を開催した。

その新イベントのサイン用の書体として選択されたのが、日本語総合書体【銘石B くれたけ】と、欧文デジタルタイプの【オンディーヌ】であった。
【詳細情報:朗文堂タイプコスミイク 銘石B Combination 3  PDF データーつき

「オンディーヌ  Ondine」とは、フランス語で「水をつかさどる精霊」の意で、清浄な湖や泉に住んでいて、ほとんどのばあい、美しい女性のすがたとして描かれている。
語源はラテン語の unda(波の意)とされ、欧州各国語では、ウンディーネ(独:Undine)、アンダイン、あるいはアンディーン(英:Undine)、オンディーナ(伊:Ondina)などとされるようだが、ここではフランス発祥の活字(ドベルニ&ペイニョ活字鋳造所、活字設計:アドリアン・フルティガー 1953-4年製作)でもあるので「オンディーヌ  Ondine 水をつかさどる精霊」としたい。

印刷設計士(グラフィックデザイナー)は松尾篤史さん。
イベント告知は、おもに、はがきによった。
そのはがき印刷は、宛名面:スミ1色刷り、絵柄面:バーントシエンナ+スミ 2色刷り。用紙:特Aクッションで、担当は、大阪・江戸堀印刷所/小野香織さんであった(以下3点の写真は2012年04月撮影)。

《江戸堀印刷所と小野香織さんを巡って》
大阪の活版印刷工房、江戸堀印刷所は、「アサヒ高速印刷」(代表:岡 達也さん)が事業主体で、2007年04月、活版印刷機 Adana-21J の発売開始と同時に購入のお申込みをいただいた。
したがって江戸堀印刷所の Adana-21J は、栄光のシリアル・ナンバー「0001」が納入されている。

岡達也社長は「江戸堀印刷所」の構想を胸に、まず先駆けとして Adana-21J  を導入され、 次第に電動プラテン活版印刷機、半自動足踏み活版印刷機、電動箔押し機、小型断裁機、バーコ熱加工機などを設置した相当な規模の印刷工房を「江戸堀印刷所」と命名して2011年秋に開設をみた。
中核社員は小野香織さんであった。

「Viva la 活版 Viva 美唄」のイベント告知はがきは、用紙:特Aクッション、宛名面1色/絵柄面2色の両面印刷で、電動プラテン活版印刷機で3,000枚を印刷していただいた。
その印刷の直前に小野さんは妊娠の兆候があり、参加を楽しみにされていた07月の「Viva la 活版 Viva 美唄」への参加は、安全をおもんぱかって見送りとなった。また2013年10月より、出産を控えて一時休暇となっている。
ここにデジタルタイプ【銘石B】を知っていただくと同時に、小野香織さんの活版造形作品として、皆さまにあらためて紹介したい。
────────
このイベント告知はがきの印刷設計士・松尾篤史さんは、日常業務としての商業印刷物製作には、しばしば【銘石B くれたけ】を愛用されていた。ところが、アダナプレス倶楽部では印刷版式の相異をおもくみている。

そのために、オフセット平版印刷や、インクジェット出力によるポスターサイズからはじまり、上掲写真のように、亜鉛凸版をもちいたレタープレスによるはがき印刷まで、印刷方式の相異、大小各種の使用、さまざまな用紙の選択など、過酷な使用状況が予想されていた。
そこで印刷設計士の松尾篤史さんは、まず堅固なディド・ポイントシステムにもとづく「グリッド」を製作し、果敢に日本語総合書体【銘石B くれたけ】をご使用いただいた。

美唄コラム緑uu

美唄コラム黄uu

【銘石B】の原姿は、いまから1670年ほど前、中国・晋代の墓誌に刻まれた字を標本としている。
この墓誌は、粘土を固く焼き締めた「磚 セン」に彫刻されていた。すなわち、書かれた文字というより、彫られた文字であり、書写系文字ではなく、彫刻系文字といえるものであった。

そうした背景のせいであろうか、松尾篤史さん設計、小野香織さん印刷における「告知はがき」においても、【銘石B】は過酷な使用環境に良く対応し、おおきく使うと、迫力と力感のある字となり、ちいさく使っても、判別性と可読性を損なうことがすくなく、またレタープレスのつよい印圧にもツブレの発生がなく、強靱さを発揮していた。
【詳細 アダナプレス倶楽部コラム:Viva la 活版 Viva 美唄の中間報告

《銘石B デジタルタイプについて》
かねてより、十分なインパクトがありながら、視覚に優しいゴシック体、それもいわゆるディスプレー・タイプではなく、文字の伝統を継承しながら、使途のひろい、あたらしいサンセリフ ―― Human Sans Serif が欲しいとされる要望が寄せられていた。

確かにわが国のゴシック体のほとんどは、もはや自然界に存在しないまでに鋭角的で、水平線・垂直線ばかりが強調されて、視覚に疲労をもたらすことがある。

欣喜堂・今田欣一氏と、朗文堂タイプコスミイクが提案した、新書体「銘石B」の原姿はふるく、中国・晋代の『王興之墓誌』(オウーコウシ  341,348年刻、南京博物館蔵)にみられる、彫刻の味わいが加えられた隷書の一種で、とくに「碑石体」と呼ばれる書風をオリジナルとしている。

『王興之墓誌』は近年になって発掘されたもので、1965年に南京市郊外の象山で出土した。一行15字で13行。表裏に夫妻の記録がのこされている。標本文字数としてはわずかなものだった。
王興之(オウ-コウシ 309-40)は王彬オウーリンの子で、また書聖とされる王羲之(オウ-ギシ  307―65)の従兄弟イトコにあたる人物である。

この墓誌は東漢の隷書体から、北魏の真書体への変化における中間書体といわれている。遙かなむかし、中国江南の地に残された貴重な碑石体が、現代に力強くよみがえった。
「銘石B」には、和字(平仮名と片仮名)3書体(くれたけ、くろふね、くらもち)が標準でセットされており、用途に応じた選択ができる。
皆さまの積極的なご用命、ご使用をお待ちしているゆえんである。
【詳細情報:朗文堂タイプコスミイク 銘石B Combination 3  PDF データーつき