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【艸木風信帖】 05 晩夏を彩る〝さるすべり 百日紅 漢名:紫薇 シビ〟と 安立院戒壇石〝葷酒山内に入るを許さず〟

谷中サルスベリ0909夏の気候が不順だった。夏のあいだに啼き足りなかったのか、気息奄奄たる蟬が一匹、とぎれとぎれに鳴いていた。あしもとの草叢からはすだく蟲の音が聞こえていた。
09月09日[土]、蒼空は抜けるように晴れわたっていた。

<平野富二生誕170年祭>のもろもろの準備のため、日吉、玉井、時盛さんらと谷中一円を散策した。道中サルスベリの古木に紅の小花が群がり咲いていた。最近の街路樹用に品種改良されたものとは違って、幹はうねりながら平滑で、瘤も多く、まさしく猿も滑りそうな「さるすべり 百日紅」であった。漢名は「紫薇 シビ」としるす。
谷中掃苔会170909谷中霊園の平野家塋域で、三時間ほどをかけていくつかの刻字を採取した。写真右端の玉井玉文堂は、日頃の寝不足と拓本採取作業で疲れてほぼ半睡状態だった。
採拓に立ちあいながら、もっぱら「石に字をきざむ」ことを考えていた。このごろは「彫る」とすることが多いが、明治期の石工はこうしたことば乃至は字をほとんど石にのこしていない。

石工がのこした字は「刻 コク ・ 鐫 セン ・ 雕 チョウ」である。
「鐫」は字音はセン、意読はのみ・えるであるが。名詞は木石をうがつための金属ののみで、動詞では鋭い刃物で木石に深くうがち、ほりさげるの意となる。
白居易・青石にこんな用例がある。「不鐫実録鐫虚辞 → 実録を鐫らず虚辞を鐫る」
類字語に「鑿」がある。すなわち「鐫・鑿」は、金属ののみで木石を深く掘りさげ、うがつことであり、「ほる」ことではない。

「雕・彫 チョウ」はきわめてちかしい字音と字義ではあるが、やはり「雕と彫」では意味領域が異なる。「雕」は名詞では猛鳥わしの名で、動詞では「きざむ。える」の意となる。
台湾ではいまだに手技によって版木に字をきざむ工匠がいて、その作業状景を見ればおよそ「彫る」という字ではあらわせないことが明白となる。当然雕字ないしは刻字とあらわす。

雕字や刻字が、手技にかえて「機械彫刻」となり、サンドブラスト技法となった現代では、いかにも雕刻機ではすわりがわるく、わが国では「雕」の字が次第にもちいられなくなりつつあるのかもしれない。技術の変化は、ときとしてことばと字を滅ぼすことがある。
こんな時代背景がある故に「雕チョウ と 彫 チョウ」というふたつの字画があり、それは異体字とはされないのである。
「彫刻」という、これらの字義を包摂する、あまりにも便利な字句を創出したのは、わが国の近世においてであるようである。

01_DSCN362707_DSCN3632このときも、いくつかの刻字をながめながら、「石に字をきざむ」ことを考えていた。
ふるい資料で、恥ずかしながら、まだ「彫刻」ということばにもたれかかっている部分があるが、このURLの片隅に<石のエクリチュール>と題した PDF 8.41MB がある。リンクを設定しておいたので、秋の夜長にご笑覧賜れば幸甚である。 
石のエクリチュール長養山安立院山門170909 _安立院戒壇石170909谷中めぐりと採拓作業を終えて、日暮里駅に向かう途中、安立院の近くの木陰で水分補給を兼ねて一服した。
山門前の戒壇石に、お定まりの「葷酒山内に入る許さず」とあった。「葷 クン」はネギやニラなどの臭気のつよい野菜で、「酒」はいわずと知れたサケ。

友人に曹洞宗の僧侶がいるが、酒豪かつ愛煙家でもある。禁酒を強いられた僧侶の隠語では、サケを「般若湯」とする。したがって葱(ネギ)や韮(ニラ)、そして酒は禁止でも、莨(たばこ)と般若湯(さけ)なら許されるらしい。
ちなみに「草冠 艹 に 良し」とする「莨」は、字音は「ロウ」であるが、意読では「たばこ」であり、煙草(えんそう・たばこ)と同義でもある。ふつうに変換するから試していただきたい。
字とことばとは、玄妙であり、また便利かつ危ういものでもある。
「不許葷酒入門内」の戒壇石は秋のやわらかい陽光をあびて重かった。

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