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【一周忌にあたり再掲載】 タイポグラファ群像 008* いちずに本木昌造顕彰にはげんだひと 阿津坂 實

 本稿の初出は<花筏>2015年09月28日であった。一周忌を期して再掲載した。

2015.9.19学会レクチャー_ページ_03近代活版印刷術発祥地のひとつ、長崎にうまれた阿津坂 實(あつさか みのる)氏は、徴兵検査にさいし胸部疾患が疑われて軍隊への召集を免れた。その後は療養につとめ、また地元の印刷企業に勤務していた。
第二次世界大戦末期の1945年(昭和20)08月09日、長崎へ原子爆弾が投下され、当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち、およそ7万4千人が死没、建物はおよそ36%が全焼または全半壊した。

原爆は長崎市浦上地区の中央で爆発してこの地区を壊滅させた。しかしながら浦上地区は、長崎市の中心部からは 3 kmほど離れていたことと、平坦地の広島市の場合と異なり、金比羅山など多くの山や丘による遮蔽があり、遮蔽の利かなかった湾岸地域を除いて、市域中央部での被害は比較的軽微であった。
また県や市の行政機能も全滅を免れていた。
それでも長年にわたり、原爆による後遺症は長崎市民におもくのしかかっていた。
阿津坂氏は原爆被害に関して論及することは少なかったが、被爆者手帳の所持者であり、戦争を憎み、平和を希求することに篤かった。

戦後の復興が急がれた長崎県であったが、県都長崎市の原爆被害もあって復興は難航した。そのなかで阿津坂實氏は1947年(昭和22)08月、長崎県印刷工業協同組合に入組し、1956年(昭和31)併設された長崎県印刷工業組合と双方の、事務局員、事務長、専務理事などを歴任し、1988年(昭和65)依願退職するまでの40数年余にわたってその任にあった。
その後も両組合の相談役として、長崎県と長崎市の印刷業界におおきな影響をのこし、2013三年(平成25)にすべての役職から退任した。
2015.9.19学会レクチャー_ページ_08 2015.9.19学会レクチャー_ページ_06阿津坂實氏が、印刷業の祖、郷土の偉人として本木昌造をつよく意識したのは、長崎県印刷工業協同組合に入組してからまもなくのことである。
まず戦争末期に金属供出令で失われていた本木昌造の銅像(座像)を再建するために、1953年(昭和28)本木昌造銅像再建運動を事務方として開始し、はやくも翌年に、ところもおなじ諏訪公園に本木昌造銅像(立像)が再建された。
1968年(昭和43)長崎県印刷工業協同組合、長崎県印刷工業組合の双方の事務長に就任し、1972年(昭和47)専務理事に就任した阿津坂氏は、長崎県中小企業団体中央協議会、長崎県商工会議所などからさまざまな事業の委嘱をうけての活動も目立っていた。
また中小企業庁長官賞、長崎県知事表彰などの賞歴をかさねたのもこの時期である。

2015.9.19学会レクチャー_ページ_04 2015.9.19学会レクチャー_ページ_05 2015.9.19学会レクチャー_ページ_09タイポグラフィ研究と印刷史研究は、首都東京では、三谷幸吉、川田久長、牧治三郎らによって、戦前から一定の規模ですすんでいたが、長崎では長崎学・郷土史家の、古賀十二郎、渡辺庫輔、田栗奎作らが、幕末から明治初期の長崎の状況の一環として、わずかに触れる程度にとどまり、資料の発掘も滞りがちであった。
阿津坂氏は長崎の各地に収蔵されていたこれらのタイポグラフィ関連資料を再発掘し、目録を製作するとともに、それを広く公開して、『長崎印刷組合史』、『長崎印刷百年史』の編纂をはじめ、『東京の印刷百年史』、『大阪印刷百年史』、『多摩の印刷史』など、各地の印刷組合や印刷企業の年史編纂のために、活字版印刷揺籃の地・長崎の資料を提供し、また後続の研究者にも積極的な情報提供と支援をつづけた。

2015.9.19学会レクチャー_ページ_02あわせて長崎各所にあった、活字版印刷の揺籃期の事業と施設を再検証し、「本木昌造生家跡碑」、「活版伝習所跡碑」、「新町私塾跡碑」、「福地櫻痴生誕地碑」などの建立をめざしての活躍も目立った。
また、本木昌造旧宅が取りこわされることになったとき、大学の建築学部に依頼して、詳細な実測図を論文としてのこすことにも協力をおしまたかったし、桜井孝三氏とともに、八丈島に現地調査にでかけ、本木昌造/平野富二らの漂着地が、それまで通説となっていた「相川浦」ではなく、「藍ヶ江」であることを発表した。

「本木昌造没後百年供養」を契機として、1975年(昭和50)長崎に戦前からあった「本木昌造頌徳会」を改組改称して「本木昌造顕彰会」を創設することにも尽力した。
この「本木昌造顕彰会」と株式会社モリサワが母体となって「本木昌造活字復元プロジェクト」が開始された。 このプロジェクトは長期間におよび、当時の長崎県印刷工業組合理事長/内田信康氏、後進の長崎県印刷工業組合事務局長/岩永充氏らとともに、阿津坂實氏も「NPO法人 近代印刷活字文化保存会」にあって陰助をかさね、
その成果は『日本の近代活字-本木昌造とその周辺』、『活字文明開化-本木昌造が築いた近代』の、あたらしい視座にもとづいた二冊の図書に結実した。

阿津坂實氏は長崎県印刷工業協同組合での勤務のかたわら、多趣味のひととしても知られ、自慢の調理の腕をいかして、長崎駅前に「中華料理店・飛龍園」を一家で営むいっぽう、生花の師範としてもおおくの子弟の育成にあたった。
家庭には長男・貴和、田中家に嫁した長女・三重 ミツエ、次女・邦子の一男二女をなし、長女の没後にはふたりの孫娘(田中裕子・田中恵子)も手もとに引き取って養育にあたった。
晩年はさすがに車椅子に頼ることがふえたが、家庭と店頭にはみずから活けた生花を欠かさず、デイケア・サービスではカラオケに興じた。

2015.9.19学会レクチャー_ページ_102007年(平成19)<活版ルネサンス>を標榜して「朗文堂アダナ・プレス倶楽部」が始動し、翌年五月に<活版凸凹フェスタ2008>を初開催した際には、長崎から東京・四谷の会場に駆けつけられ、このようにかたられた。
「本木昌造先生は嘉永年間のはじめのころから活字版印刷の事業に着手していた。活字版印刷は一度すっかり衰退したが、この一六〇年ぶりの再挑戦でぜひとも復興させて欲しい。活字版印刷は文化の根底をなすものですから、これを絶滅させたらいけません」

2013年(平成24) 初秋、東京で働くようになったふたりの孫娘の支援をえて阿津坂氏が上京され、東京白銀台の八芳園 にみずから席をもうけられ、全日本印刷工業組合連合会専務理事:武石三平氏、『多摩の印刷史』編著者・東信堂印刷所代表:桜井孝三氏夫妻、片塩二朗、大石 薫をまねかれた。
「ワタシ は若いころに本木昌造先生の銅像の再建をお手伝いした。それからは菩提寺の大光寺の本木家墓前に供花するとともに、諏訪公園の本木昌造先生のお姿をいつも拝見してきた。

それなのに東京ではどうなっているのだろう。 東京では平野富二さんの初進出の場所の特定もできていないし、東京築地活版製造所の跡には簡単な碑文があるだけです。
平野さんに関していえば、まずはその初進出の場所を正確に特定すること。ワタシ は若いころからそうした努力をした。
それと、やはりそのお姿が眼前にあってこそ、開拓者の苦心が偲べるという面はおおきいとおもう。長崎と大阪には本木昌造先生の立派な銅像が建立されている。そこで東京には、文明開化をもたらした活字版印刷の創始者として、平野富二さんの銅像、できれば本木先生と平野さんが並び立つ銅像をつくって欲しい。これが阿津坂の遺言だとおもって聴いてほしい」

2014年(平成26)09月、長崎の阿津坂家では、阿津坂實氏の99歳をむかえた「白寿の祝い」が開催された。
タイポグラフィ学会には「本木昌造賞」の受賞対象者として阿津坂實氏とする推薦状が提出された。
そのためタイポグラフィ学会では顕彰委員会が招集されて審議がなされた。 顕彰委員会では若干の議論があったと仄聞する。それは「本木昌造賞」は優れたタイポグラフィ論文の執筆者に授与されるものであり、阿津坂氏の功績は、タイポグラフィに優れた業績・顕著な功績をのこしたものに授与される「平野富二賞」がふさわしいのではないかとするものであった。

阿津坂氏の主著とされるものは「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ-本木昌造」『本木昌造先生略伝』(長崎県印刷工業組合創立四十周年記念/本木昌造先生歿後百二十周年記念、長崎県印刷工業組合、平成七年九月)を見る程度であることはたしかである。
しかしながら『長崎印刷百年史』(長崎印刷百年史刊行編纂委員会/主著者:田栗奎作、長崎県印刷工業組合、昭和45年11月)、『長崎印刷組合史-百年史の追補とその後の三〇年』(長崎県印刷工業組合/長崎県印刷工業協同組合/主著者:種吉義人、長崎県印刷工業組合、平成10年10月)の両書は、組合事業関連の部分の執筆、主著者への資料提供の多くは阿津坂氏によることが両書にもしるされている。
こうした功績と、ひとえに本木昌造の遺業をかたりつぐことに尽力された阿津坂氏の業績を勘案して「本木昌造賞」の授与が内定し、ご本人、ならびにご家族にも通知された。

タイポグラフィ学会では顕彰委員会と理事会の承認を経て、例年07-09月に東京で開催されている定例総会を、2015年は長崎で開催し、その際に阿津坂實氏への「本木昌造賞授与式」を併催する計画が進行していた。
まさにその計画の進行中、2015年(平成27)05月07日、阿津坂實氏は逝去された。
そのためご家族とも協議して、「本木昌造賞授与式」は東京での定期総会と併催して、お孫さん(田中裕子・田中恵子)おふたりに列席していただくことになった。

 【阿津坂 實氏の活動紹介 PDF  2015.9.19 atusaka 2.31MB 】

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【タイポグラフィ学会】
『タイポグラフィ学会誌08号』刊行披露および
第3回本木昌造賞授賞式を開催

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タイポグラフィ学会は、秋晴れの抜けるような晴天のもと、2015年9月19日[土]、定例年次総会につづき、一般公開で、『タイポグラフィ学会誌08号』刊行披露会および、第3回本木昌造賞授賞式をとりおこないました。
<第3回本木昌造賞授賞式>は、山本太郎会長の挨拶につづき、プレゼンターに平野富二玄孫:平野正一会員があたり、阿津坂 實氏の孫娘、田中裕子・田中恵子両氏に賞状ならびに記念品が授与されました。

<第3回本木昌造賞授賞式>には、タイポグラフィ学会会員のほか、多数の皆さまのご来場をいただきました。ご参加ありがとうございました。詳細報告はタイポグラフィ学会のWebSiteで近日中にいたします。
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活版礼讃{Viva la 活版 ばってん 長崎}05 5月8日「ふたつのハンドモールドで活字鋳造・印刷体験会」 テキスト二冊と貴重動画紹介

長崎タイトル

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 {Viva la 活版 ばってん 長崎}
05月08日[日]、10時・11時から、主会場・長崎県印刷会館三階において、復元された二種類の手込み活字鋳造機(ハンドモールド・かつては割り鋳型とも)をもちいての活字鋳造(かつては流し込み活字とも)と、その試作活字による印刷体験会を開催いたします。

初期鋳型研究家・伊藤伸一氏は、米国スミソニアン博物館による復元鋳型をもちいての活字鋳造をおこないます。
タイポグラフィ学会会員・渡辺 優氏には、グーテンベルクの使用したと想定されている復元鋳型を製作し、実証的に活字鋳造ができることを証明しました。
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各回とも先着10名様、参加費3,000円(テキスト、活字付き)。見学はご自由です。

初期活字版印刷者の苦心と工夫を知る得がたい機会です。ふるってのご参加を。
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ことしは明治産業近代化のパイオニア― 平野富二の生誕170周年{1846年(弘化3)8月14日うまれ}

平野富二平野富二は、弘化3年8月14日(新暦 1846年10月4日)長崎奉行所町司チョウジ 矢次豊三郎・み祢の二男として長崎引地町で出生。幼名富次郎。
1861年16歳のとき長崎製鉄所機関方見習いとなり、機械学を伝習。
1872年、数えて27歳のとき、長崎丸山町安田清次・むらの長女古まと婚姻。
引地町の生家をでて長崎外浦ホカウラ町に家を購入して移転。同年2月平野家を再興し平野富二と改名届出。

同年七月、東京に新妻古まほか10名の社員を同道して上京し、活版製造出張所、のちの東京築地活版製造所を設立。
ついで素志であった、造船、機械製造、土木工事、鉄道敷設、水運開発、鉱山開発(現IHIほか)など、在京わずか20年の間に、わが国近代産業技術のパイオニアとしておおきな業績をのこす。
1892年(明治25)12月3日脳出血で逝去。 行年四七

平野表紙uu 平野DM表 DM裏再【 詳細 : 朗文堂ブックコスミイク

活版印刷礼讃<Viva la 活版 ばってん 長崎>04 5月7日{崎陽長崎探訪・活版さるく}訪問予定地、巡回コースなど詳細紹介

map-Nagasaki画像 長崎タイトル<Viva la 活版 ばってん 長崎 崎陽探訪 活版さるく PDF: map-Nagasaki > 

 <Viva la 活版 ばってん 長崎 崎陽長崎探訪・活版さるく>
2016年05月07日[土] 13:00-  長崎市内一円

{崎陽探訪・活版さるく}は、わが国の近代印刷術の導入と普及に尽力した、長崎出身の本木昌造、平野富二をはじめ、おおくの近代産業開拓者のゆかりの地を、貸し切りバスと徒歩で巡るツアーです。
本企画は参加費 6,000円で予約制です。参加ご希望のかたは、朗文堂/アダナ・プレス倶楽部のメールアドレス:adana@robundo.com までお申し込みください。
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12:30 受付開始

13:00 【長崎県印刷会館】出発
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【長崎製鉄所跡】(飽の浦門)
【長崎造船所史料館】 銕橋擬宝珠
【立神ドック】 立神ドック建碑由来

【そろばんドック(小菅修船場跡)】
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【長崎運上所跡】 ※車中より見学
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【諏訪神社・諏訪公園(長崎公園)】
 安中半三郎 歌碑、池原香穉 歌碑、郷土先賢紀功碑、本木昌造 立像、松田源五郎 像、
 杉亨二 像、中村六三郎 碑、上野彦馬 像、ほか
【長崎歴史文化博物館】(本木昌造種字所蔵)脇経由
 ※長崎歴史文化博物館には入館しません
 ※諏訪神社の階段が無理な方は【博物館】見学に変更可(要入館料)
【缶詰の碑(本木昌造弟:松田雅典)】
 ↓
【龍馬のぶーつ像】より下山開始
 ※下山が無理な方は【亀山社中記念館】見学に変更可(要入館料)
【禅林寺(飛び地)】 矢次家墓地跡、平野富二碑旧所在地(矢次み弥建立)
【禅林寺】 池原家墓、吉雄家墓、品川家墓、柴田昌吉墓(本木昌造弟)
【光源寺(別所)】 松田源五郎墓

【大光寺(本木家墓所)】
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【福地櫻痴(源一郎)生誕の碑】【思案橋跡】 ※車中より見学
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【平野富二生誕の地(町司長屋跡)】【地獄川】
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【新町活版所跡】【活字の碑】【吉村塾跡】【巌流坂】
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【活版伝習所跡】【唐通事会所跡】
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【小曽根邸の跡】
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【平野富二が矢次家から独立して買い求めた家の場所】
【本木昌造宅跡、医学伝習所跡 碑文は撤去中】
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【長崎海軍伝習所跡】【長崎活字判摺立所跡】
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【銕橋(くろがねばし)跡】【土佐商会跡】
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【国立第十八銀行】
 ↓
【長崎新地中華街】【薩摩藩蔵屋敷跡】【銅座跡】
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{崎陽長崎・活版さるく}には、長崎県印刷工業組合をはじめ、三菱重工業株式会社 長崎造船所、同史料館、長崎・東京など多くのアダナ・プレス倶楽部会員の皆さまのご協力をいただき、通常は見学が困難な場所をふくめての訪問が実現した画期的な企画です。

ガイドマップの製作は創立10周年事業の一環として特別参画いただいているタイポグラフィ学会(担当:春田ゆかり氏)によるものです。
当日の天候・道路事情などにより若干のスケジュール変更の可能性がございます。
また長崎は坂の多い町です。急勾配の場所もございますので、履き慣れた歩きやすい靴でのご参加をお勧めいたします。
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<Viva la 活版 ばってん 長崎 懇親会>
05月07日{崎陽長崎・活版さるく}終了後19:00より、長崎印刷工業組合様のご手配により、主会場至近、長崎新地入口角「京華園」で懇親会(予約制 adana@robundo.com 参加費:食事・飲み物代込み・椅子席 5,000円)を予定しております。
皆さまのふるってのご参加をお待ち申しあげます。

活版印刷礼讃<Viva la 活版 ばってん 長崎> ここに伝えられた、ここから飛翔した 01

長崎タイトルmainimage_nagasaki ばってん長崎_表 プリント 朗文堂/アダナ・プレス倶楽部では、手動式小型活版印刷機 Adana-21J   および その後継機であるSalamaシリーズを中核としながら、活版印刷の今日的な意義と、活字組版の実践を中心に、活版印刷魅力の奥深さの普及を通じて、身体性をともなった造形活動を重視し、ものづくりの純粋な歓びの喚起を提唱しています。

その活動の第一段階として、2007年06月11日-07月02日、青山ブックセンターで開催されたのが活版印刷の祭典<ABC タイポグラフィ>でした。 ABCdeTypography 凸凹フェスタ2012 ついで、「五月の連休は活版三昧」を合言葉に、2008-2012年の五年間、計四回(2011年は東日本大震災のため中止)にわたって『活版凸凹フェスタ』を開催しました。
このイベントには例年、全国から2-5,000人余の活版実践者と愛好家が来場し、特に都市部を中心とした活版印刷の普及に一定の成果をあげました。

2013年からは、活版関連イベントの開催が盛んになった首都圏をいったん離れ、多くのアダナ・プレス倶楽部会員が存在している、日本全国各地からの振興をめざす、あらたな段階として<Viva la 活版-すばらしき活版>の普及活動にはいりました。

◎<Viva la 活版  Viva 美唄> 2013年7月
北海道美唄市、同市出身の世界的な彫刻家「安田 侃(やすだ かん)」氏による彫刻と、北海道の豊かな自然とが相響する「アルテピアッツァ 美唄」にて<Viva la 活版 Viva 美唄>を開催。
同展では出展者・来場者双方が、自然と人と芸術の新しいあり方について考えさせられ、自分自身の心の奥深くや、心豊かな人生について、見つめなおすきっかけとなりました。

◎<Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO> 2014年11月
鹿児島市島津家の庭園「名勝 仙巌園(せんがんえん)」内の「尚古集成館」(重要文化財、現在は世界遺産)にて<Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO>を開催。
雄大な桜島を背景に、重要文化財「木村嘉平の活字関連資料」を所蔵し、近代活字版印刷術をはじめ、近代産業の揺籃の地としての歴史と文化を有する同地での開催は、造形者の創作意欲をおおいにかきたてるイベントとなりました。

◎<Viva la 活版 Let‘s 豪農の館> 2015年10月
新潟市「北方文化博物館 豪農の館」(登録有形文化財)にて<Viva la 活版 Let’s 豪農の館>を開催。
米どころ新潟有数の大地主「伊藤家」の邸宅と庭園・生活文化・美術工芸品・考古資料等を展示・保管し、食と文化の地「新潟」のなかでも屈指の場の力を有する同施設での開催は、造形者の五感をおおいに刺激し、文化と知性が積み重ねられた豪壮ながらも繊細なこころくばりに触れて、ほんとうの心の豊かさと、その奥ゆきとはなにかを体感する機会となりました。

◎<Viva la 活版 ばってん 長崎> 2016年05月
<Viva la 活版-すばらしき活版>第四弾となることしは、長崎県長崎市にある「長崎県印刷会館」にて<Viva la 活版 ばってん 長崎>を開催予定。
わが国の近代活版印刷術導入の地であり、本木昌造や平野富二をはじめ、多くの印刷人ゆかりの地である「長崎」においての開催は、活版印刷の「知と技と美」を研鑽されてきた造形者の皆さまにとって、集大成の、そしてまた、あらたなる進化・発展の第一歩となることでしょう。

<Viva la 活版 ばってん 長崎>02-五月GW開催/長崎県波佐見町と佐賀県有田町 ふたつの陶器まつり開催との会期

16toukimatsuriばってん長崎_表《多彩なイベントが開催されるGW ふたつの陶器まつりと Viva la 活版 ばってん 長崎》
昨年の暮れに、朗文堂 アダナ・プレス倶楽部恒例の「Viva la 活版-活版印刷礼讃イベント」の会場候補地「長崎県印刷会館 長崎市出島町10-13」を訪問して、印刷工業組合執行部、事務局のみなさんと<Viva la 活版 ばってん 長崎>開催に向けての打ち合わせをした。

会期の設定として五月の連休、05月01-05日あたりを提案したところ、
「それはまずい。連休前半はハサミ町と有田の陶器まつりがあって、道路が大混雑するから」
とされて、連休後半の05月06-08日とする会期が決定した。
陶磁器の有田焼は著名で、ずいぶん前に有田の窯元数ヶ所を訪問したことはあった。ところが、恥ずかしいことに茶碗やお皿などのテーブルウェアの 1/4 -1/3 の市場占拠率をもつという「ハサミ焼」のことは知らなかった。

ただし、「波佐見焼」の文字列をみたとき、ハテ、どこかで見たぞ、となった。
意外や意外、このWebSiteの管理人で、本欄でも昨年12月07日に紹介した千星健夫さん <【会員情報】 造形者・千星健夫 NECKTIE design office による TEA BAG HOLDER SHIROKUMA>は、この波佐見の陶磁器工場で「SHIROKUMA」を委託製造されている。

千星さんは長崎市から70キロほど、長崎県の市町村で唯一海に面していない町、佐賀県との県境にある陶磁器の町、「長崎県東彼杵郡波佐見町」まで何度もかよって、ネクタイ・デザインオフィス企画開発商品「SHIROKUMA   しろくま」を、ネットショップを中心に販売し、国内外でヒットさせている。

> 「しろくま」の製造は波佐見町でしたよね?
千星健夫 : そうです、ここです。この波佐見町の工房で委託製造し、つり下げ金具の部分はネクタイ・デザインオフィスで仕上げ、破損防止のパッケージに入れて販売しています。
こんな@メールのやりとりがあった。
以下ネクタイ・デザインオフィス/千星健夫さんからの応援を得て「ふたつの陶器まつり」をしるす。
NECKTIE design office Shirokuma 】

《長崎県波佐見町、佐賀県有田町。県境を挟んで隣接するふたつの町の陶器まつり》
◎ 波佐見陶器まつり      04月29日-05月05日
長崎県東彼杵郡ヒガシソノギグン波佐見町   窯元・商事会社・販売会社など150店余が出展
30万人余の来客を予定  駐車場3,000台分を用意
hasami_02[1]◎ 有田陶器市          04月29日-05月05日
佐賀県西松浦郡有田町    知名度抜群で、著名な工匠を輩出した
400年の窯業の歴史、第113回の歴史を誇る  100万人余の来客を予定
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{千星健夫} 長崎県波佐見町の「波佐見陶器まつり」と、佐賀県有田町の「有田陶器市」は、まったく同じタイミングで実施されています。
このふたつの会場は、九州高速自動車道で、まったくおなじ「波佐見・有田インター」から会場に行くひとが大半です。 高速のインターを降りて、右に行くと波佐見、 左に行くと有田といった具合なので、とても混み合うようです。

それぞれの窯元・工房・メーカーが離れていることもあって、 車でなければちょっと会場を周りにくい状況なので、 すべての道が混雑するようです。 波佐見と有田の陶器市と<Viva la 活版 ばってん 長崎>の会期がぶつからなくてよかったですね。

なにしろ波佐見の「波佐見陶器まつり」だけでも 30万人、有田町の「有田陶器市」には100万人もの人出が予想され、あらゆる道路が大渋滞になるので、 現地の人からするとあまりおすすめはできないようですが、 わけあり価格で販売されていたりするので人気が集中するようです。

また波佐見町に行くとなれば、隣の  嬉野温泉(佐賀県) もおすすめです。 美肌の湯として全国的に有名で、化粧水に浸かっているようなとろとろのお湯なので、女性には特におすすめです。でもやはり連休中はどうですか、すこし心配です。  千星健夫 shirokuma01 shirokuma03 hasami_14 hasami_37 hasami_16[1] hasami_39[1]