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【展覧会】高志の国文学館|高志の国文学館開館10周年記念企画展・G7教育大臣会合開催記念|「百人一首 ─ 和歌と美の世界展」|’23年3月19日- 6月5日

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高志の国文学館開館10周年記念企画展・G7教育大臣会合開催記念
「百人一首 ── 和歌と美の世界展」
会  期  令和5年(2023)3月19日[日]- 6月5日[月]
開館時間  9:30 - 18:00(観覧受付は 17:30 まで)
休  館  日  毎週火曜日、3月22日[水]、5月12日[金]
      *3月21日[火・祝]、5月9日[火]は開館
観  覧  料  一般500円(前売り 400円)、大学生250円
      * 小・中・高校生及びこれに準ずる方、各種障害者手帳をお持ちの方は無料。
      * 企画展観覧券で常設展もご覧いただけます。
主  催  高志の国文学館
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恋の歌、四季の歌など、
王朝文化の粋と美意識が凝縮された詞華集-しかしゅう-の世界へ
かるた遊びなどで幅広い世代に親しまれてきた「百人一首」は、飛鳥時代から鎌倉初期に至るまでの優れた歌人百人の和歌を、『古今和歌集』以下の勅撰集の中からそれぞれ一首ずつ選んだものです。
本展では、これまでの研究成果をふまえつつ、時代を超えて読み継がれる百人一首の魅力と文化的な広がりについて、美術館、図書館、個人所蔵の貴重なコレクションを通じてご紹介します。
歌仙絵、かるた、浮世絵など、百人一首の多彩な世界をお楽しみいただくとともに、日本人の繊細な自然感覚や美意識の源流である美しい和歌の世界をあらためてご鑑賞ください。

※ 感染症予防対応実施中。下掲詳細を確認の上観覧を。
[ 詳 細 : 高志の国文学館 ]  {高志の国とは-ウィキペディア}

【展覧会】高志の国文学館|開館 10 周年記念企画展|没後 50 年 川端康成展 ─ 愛を乞う魂 会|’22 年12月24日-’23 年2月27日|終了

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高志の国文学館
開館 10 周年記念企画展 没後 50 年 川端康成展 ── 愛を乞う魂
会  期  2022 年(令和4年)12 月 24 日[土]- 2023 年(令和5年)2月 27 日[月]
会  場  高志の国文学館 930-0095 富山県富山市舟橋南町 2-22
開館時間  9:30 - 18:00(観覧受付は 17:30 まで)
休  館  日  毎週火曜日、年末年始、2月 13 日[月]、2月 24 日[金]
観  覧  料  一 般 500 円、大学生 250 円、前売り・一 般 400 円
      * 企画展観覧券で常設展もご覧いただけます。
      * 小・中・高校生 及び これに準ずる方、各種障害者手帳をお持ちの方は無料。
編集委員  荻野アンナ
企画編集  神奈川県立神奈川近代文学館、公益財団法人神奈川文学振興会
特別協力  公益財団法人川端康成記念会  協力  公益財団法人日本近代文学館
主  催  高志の国文学館   共  催   富山新聞社、富山テレビ放送
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「伊豆の踊子」「雪国」などの代表作で知られる川端康成(1899 - 1972)。アジアで2
人目のノーベル文学賞受賞者として世界にその名を謳われ、没後 50 年となる現在も数多
くの著書が読まれ続けている、日本を代表する文豪のひとりです。
日本の美を描いた作家という印象が強い川端ですが、初期のころは〈新感覚派〉の一員
として、先鋭的な作品で注目されています。また、長い作家生活のなかで常に新しい芸術
表現を試み、幅広いジャンルの作品を手がけました。戦後は、一般的な道徳を超えたとこ
ろにある独自の美=〈魔界〉を追求し続け、変幻自在な筆で紡いだその物語は、驚くべき
多様性・多面性に満ちており、頁をめくるたびに読者を新たな世界へと誘います。
川端は、14 歳の時には唯一の肉親であった祖父とも死別し、孤児となりました。人の愛
情をありがたいと感じながらも、癒されることのないさびしさは、孤独を乗り越えようと
人とのつながりを追い求める、各作品の登場人物にも映しだされています。
本展では、作品に底流する〈人間・川端〉のさびしさとやさしさ、人間の根源を見つめ、
紡いだ、〈川端文学〉のさまざまな愛の世界をご紹介します。

川端康成 Profile ─────
川端 康成 作家 1899(明治 32)年 大阪府生まれ
明治 32 年(1899)6 月 14 日、大阪府大阪市に生まれる。1 歳の時に開業医の父が死去、翌年には母も亡くなったため、祖父母に引き取られたが、14 歳の時には唯一の肉親であった祖父とも死別し孤児となった。中学校は寄宿舎で生活し、読書に熱中。小説家を志して、文学に強い情熱を傾けていった。大正 6 年(1917)第一高等学校に入学、学寮生活に入ったが、自らの「孤児根性」が気にかかり、寮生活にも馴染めないなか、初めて伊豆を訪れ、旅芸人の一行と道連れになる。大正 9 年(1920)東京帝国大学に入学、その秋に同級と第 6 次「新思潮」の発行を計画し、菊池寛の了承を得たことをきっかけに長く恩顧を受ける。初恋の相手と婚約するも、破談の手紙が突然届く。大正 13 年(1924)、横光利一らと「文芸時代」を創刊、新感覚派として文壇に新風を吹き込む。昭和 2 年(1927)、『伊豆の踊子』刊行。昭和 9 年(1934)、『雪国』連作開始。その後も様々な作品を精力的に発表した。多くの作家と親交を結び、新人作家の支援を行う傍ら、数多くの葬儀委員長を務めた。『千羽鶴』『山の音』『みづうみ』『眠れる美女』等の数々の名作を発表、昭和 43 年(1968)、日本人として最初のノーベル文学賞を受賞した。
昭和 47 年(1972) 逗子の仕事部屋にて自死。享年 72。

※ 感染症予防対応実施中。下掲詳細を確認の上観覧を。
[ 詳 細 : 高志の国文学館  {高志の国とは-ウィキペディア}