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和字 Ambition 9

Digital Typefaces for Professionals ¶ TrueType for the Macintosh and the Windows ¶ 欣喜堂 Digital Typefaces シリーズ 第6弾! 和字 Ambition 9

欣喜堂・今田欣一氏と、朗文堂 組版工学研究会による「欣喜堂デジタルタイプ・シリーズ」第 6 !  「和字 Ambition 9 」をご紹介いたします。

欣喜堂和字シリーズとは、わが国の文字—ひら仮名・カタ仮名の歴史を俯瞰し、その伝統のたかみにあるすぐれた字様や書体を、現代のデジタルタイプとして再生させるものです。「和字 Ambition 9 」には以下の 9 種類の和字が収録されています。

さよひめ 小夜姫もとい 基いけはら 池原まなぶ 学くらもち 倉持ひさなが 久長ゆかわ 湯川みなみ 南たいら 平安

「アンビション Ambition 9 」は、9 種類の伝統のたかみにある和字を複刻・再生したもので、「大志」という意味です。わが国の活字書体の開拓にあたって、版下を描いた書家である、池原香穉、久永其頴、湯川梧窓をはじめ、研究者・企業家として大きな貢献をした、本居宣長、本木昌造、平野富二、吉川半七、江川次之進、青山安吉、津田伊三郎、寿岳文章らの「大志」をたたえて、「欣喜堂和字シリーズ」第 4 弾の名称に「和字 Ambition 9 」を採用しました。

これで欣喜堂和字シリーズは 4 パッケージとなり、カログラムでは STAR という晴れがましい名称の段階まできました。「正調明朝体 Combination 3 」、「清朝官刻体 Combination 3 」ともども、皆さまの変わらぬ熱いご支持を期待いたします。

  • 継承 * 和字  Succession 9

  • 伝統 * 和字  Tradition 9

  • 大志 * 和字  Ambition 9

  • 改刻 * 和字  Revision 9

Digital Typefaces for Professionals

OpenType for the Macintosh and the Windows

和字 Ambition 9

販売価格 本体 ¥10,000 + 税

※梱包・送料別途請求

パッケージ内容:CD-ROM 1

本製品は仮名専用書体です。

〔特約販売店〕

朗文堂 タイプ・コスミイク

160-0022 新宿区新宿2-4-9

Telephone : 03-3352-5070

Facsimile : 02-3352-5160

書体詳細情報

〈 〉内は一般的な読み方を表示しています。

漢字書体との組合せはお客さまが創意と工夫をもってあたってください。


さよひめ(小夜姫)

『さよひめ』(奈良絵本 室町時代後期の写本字様)より

参考漢字書体/各社行書体・各社楷書体・各社明朝体など

【解 説】

YH‚o}ug,室町時代から江戸初期に流行した物語類は、御伽草子あるいは室町物語ともいわれますが、その一部は挿絵入りの短編物語の「奈良絵本」の形で伝来しています。「奈良絵本」はまた、棚飾り本、嫁入り本とも呼ばれます。横本・縦本・大型縦本の三つにわけられ、紺紙に金泥で秋草などを描いており、朱の題簽をもつものが多く見られます。

その挿絵は、泥絵具を用いた奈良絵風のものと、豪華で細密華麗な作風のものとがあります。ともに天地に霞をつけた定形の構図を持っていて、いずれも朱や緑などの鮮やかな色彩と、金銀箔・泥絵具の使用がめだっています。

奈良絵本はその多くが京都周辺で作られたと考えらますが、その制作者や制作時期などの詳細は不明です。『小夜姫』の物語は、また「壷坂物語」「松浦長者」「竹生島の本地」などの題号をもち、御伽草子・奈良絵本だけではなく浄瑠璃でもよくしられています。

【書体名の由来】

書体制作の資料になった『小夜姫』の物語から。書体の名称としても親しみやすいとおもわれたので「さよひめ」としました。


もとい(基)

『字音假字用格 じおんかなづかい』(錢屋利兵衞ほか 木版字様 1776 )より

参考漢字書体/各社宋朝体・各社楷書体・各社明朝体など

【解 説】

[W—򏆛Wu(h<『字音假字用格』は、漢字一字一字の仮名づけを決定しようとしたもので、主として漢字音の三音(漢音・呉音・唐音)のうち、漢呉二音について、その音を表記する際の規則を論じたものです。

はじめに「あいうえお」「やいゆえよ」「わゐうゑを」の区別と、それまでの五十音図の「お」と「を」の所属を正しくすることが論じられています。

著者の本居宣長( 1730 – 1801 )は江戸中期の国学者です。伊勢の人で、号を舜庵(春庵)・鈴屋〈すずのや〉と称しました。京都に出て医学を修める一方で、源氏物語などを研究しました。のちに賀茂真淵に入門して古道研究をこころざし、『古事記伝』の著述に 30 余年にわたって専心しました。それだけではなく、「てにをは」や、用言の活用などの語学説、「もののあはれ」を中心とする文学論、上代の生活・精神を理想とする古道説など、多方面にわたって研究・著述に努めていました。

【書体名の由来】

「基」とは「本居」の意で、物事の根本をなすところ、基礎、根幹をいいます。本様体の基礎的書体という意味と、著者の本居宣長にかけて「もとい」としました。


いけはら(池原)

BOOK OF SPECIMENS 』(平野活版製造所 1877 )より

〈いわゆる三号和様仮名活字〉

参考漢字書体/各社行書体・各社楷書体・各社明朝体など

【解 説】

BOOK OF SPECIMENS本木昌造が 1870 年(明治 3 )に、新街私塾のなかに創業したのが新街活版所でした。その新街活版所で印刷された『長崎新聞 第四號』にもちいられた活字の版下を揮毫したのが池原香穉〈かわか〉とされています。池原香穉は長崎の池原香祗〈かわし〉の二男として生まれました。実兄の池原枳園〈きえん〉は書家として知られています。

香穉は国学者で眼科医の上田及淵、儒学者で書家の仁科白谷に師事し、また吉田松陰とも関わり、朝廷を崇拝し、勤王を唱えました。また商工業を奨励したとされます。香穉は 26 歳で眼科医を開業、本木昌造とは長崎の歌壇仲間でした。

香穉は、薩摩藩の重野安繹〈やすつぐ〉が上海から輸入したものの、放置されていた活字と印刷機を本木昌造に紹介したという事実からも、活字や印刷にも関心を寄せていたことがうかがえます。香穉は 1876 年(明治 9 )に宮内省文学御用掛に任ぜられ、御幸随行紀の『美登毛能数 みとものかず』を著しています。

【書体名の由来】

池原香穉から「いけはら」としました。池原香穉が版下を描いたとされる活字の種字は、長崎諏訪神社の「長崎諏訪神社の杜文学館」に奉納、展示されています。


まなぶ(学)

『国文中学読本』(吉川半七 木版字様 1892 )より

参考漢字書体/各社楷書体・各社教科書体・各社明朝体など

【解 説】

国文中学読本逸見仲三郎編『国文中学読本』( 1892 )は尋常中学校国語科教科書です。このほかに松本豊多編『漢文中学読本』(吉川半七 1893 )も発行されています。発行兼印刷者の吉川半七は、出版社・吉川弘文館の創業者とされる人です。1863 年(文久 3 年)に貸本業を営んでいた近江屋嘉兵衛の養子になり、1870 年(明治 3 )には新店舗・近江屋半七書店を開業しています。

1877 年(明治 10 )より出版業も兼ね、多くは「吉川半七」の個人名をもって発行所としていました。1887 年(明治 20 )に出版専業となっています。なお、吉川弘文館の名称は没後の 1904 年(明治 37 )になってから使用されています。

『国文中学読本一の巻』は三六の短文から構成されています。授業の便宜をはかって、長い文章は二、三分割しているものもあります。末尾に「文法摘要」が附属されています。

【書体名の由来】

尋常中学校国語科教科書であることから「まなぶ」としました。「まねぶ」と同じ語源ですが「まねぶ」が和文体に多いのに対し、漢文訓読体に多く見られます。


くらもち(倉持)

『活版見本』(東京築地活版製造所 1903 )より

〈いわゆる五号 2 分ノ 1 ゴチック平仮名活字・五号ゴチック片仮名活字〉

参考漢字書体/各社隷書体体・各社ゴシック体など

【解 説】

活版見本東京築地活版製造所は 1903 年(明治 36 11 1 日に、わが国の活字版印刷史上最大規模の 438 ページにもおよぶ見本帳を発行しました。この見本帳に掲載された「五号二分ノ一ゴチック平仮名活字」および「五号ゴシック片仮名活字」は、時様体が活字見本帳に登場した最初期の書体です。

その形象には漢字書体の隷書体の影響が顕著に見られ、片仮名「ロ」を例にすると、横線が右上がりにならないで水平になっているのが時様体の特徴です。片仮名が正体なのに、平仮名が平体しかないのは、水平垂直を基本とした平仮名の制作のほうがむずかしかったとためとおもえます。したがって、この平仮名は特殊な用途に使用される目的だったのではないかと考えらます。

再生にあたっては平仮名と片仮名の中間をとりましたが、抑揚のある筆法、扁平な結法などが、漢字書体の隷書体とよく調和しているようです。

【書体名の由来】

倉持とは、倉庫を所有する持ち主のことです。東京築地活版製造所がもっとも隆盛をきわめた栄華の時代として「くらもち」と名づけました。


ひさなが(久永)

『富多無可思』(青山進行堂活版製造所 1909 )より

〈いわゆる三号江川行書体仮名活字〉

参考漢字書体/各社行書体・各社楷書体体・各社明朝体など

【解 説】

富多無可思江川活版製造所は、福井県出身の江川次之進が創立しました。1883 年(明治 16 )に活字の自家鋳造を開始するために、もと東京築地活版製造所の種字彫刻師であった小倉吉蔵の弟「字母駒」をまねきました。そこで 1885 年(明治 18 )に行書体活字の制作に着手したものの失敗に終わりました。

そこで 1886 年(明治 19 )になって、あらためて著名な書家の久永其頴〈きえい 多三郎〉に版下の揮毫を依頼し、三、四年を費やして二号が、ついで五号活字が完成して売れ行きも良好でした。ひきつづき三号活字を製作、『印刷雑誌』第 2 巻第 9 号( 1892 )に発売予告( 11 15 日発売)の広告を出しています。

なおこの行書体活字は、1895 年(明治 29 )に青山進行堂活版製造所によっても母型が製造され市販されています。久永其頴の著書としては『楷書千字文』(東京・求光閣 1893 )があります。

【書体名の由来】

久永其頴から「ひさなが」としました。久永其頴が版下を描いた活字書体が、いつまでも限りなく続くという意味合いもこめての命名です。


ゆかわ(湯川)

『富多無可思』(青山進行堂活版製造所 1909 )より

〈いわゆる三号南海堂行書体仮名活字〉

参考漢字書体/各社行書体・各社楷書体体・各社明朝体など

【解 説】

富多無可思湯川梧窓〈ごそう 享〉は大阪で生まれました。幼時から書を学び、張旭、黄山谷その他の古法帖によって研究して一家をなし、村田海石と並び称されたそうです。

著書に『四体千字文』(大阪・青木嵩山堂 1895 )、『普通作文』(大阪・大岡万盛堂 1895 )などがあります。湯川梧窓が版下を制作した「南海堂行書体活字」は、大阪の岡島活版所において製造されていましたが、1903 年(明治 36 )に岡島氏の急逝によって、岡島活版所が廃業するのに際して中止となっていました。それを青山進行堂活版製造所が継承したことになりました。

南海堂行書体活字には二号から五号までの各シリーズがありますが、いずれも豪快でスケールの大きな筆致です。なかでも三号活字がもっとも整っています。青山進行堂活版製造所では、さらには湯川梧窓の版下による「南海堂隷書体活字」、「南海堂草書体活字」を追加しています。

【書体名の由来】

湯川梧窓から「ゆかわ」としました。湯川梧窓の書風は、まるで熱い湯が勢いよく流れる川のように力強く、そういうイメージも込めて命名しました。


みなみ(南)

『本邦活版開拓者の苦心』(津田三省堂 1934 )より

〈いわゆる五号宋朝体仮名活字〉

参考漢字書体/各社宋朝体・各社明朝体など

【解 説】

本邦活版開拓者の苦心津田伊三郎( 1869 – 1942 )はアメリカに渡航して、サンフランシスコとシアトルで印刷と活字鋳造法を学びました。帰国後の 1909 年(明治 42 )に、名古屋において活字販売業の「津田三省堂」を創業しました。関東大地震後に活字鋳造業に転じました。津田は中国に、当時話題になりつつあった「宋朝体」と「正楷書体」をもとめて旅をかさねていました。

津田三省堂の五号宋朝体は『本邦活版開拓者の苦心』の序文に見られます。その漢字書体は上海の中華書局の「聚珍倣宋版」活字を導入したものですが、和字書体は津田三省堂で新刻したとおもわれます。

この書体は一世を風靡し、津田三省堂の代名詞となりました。『本邦活版開拓者の苦心』は昭和 9 年に私家版として発行されました。ここには本木昌造にはじまり、35 名におよぶ開拓者のあれこれが記載されています。この書物こそ、わが国の印刷史の貴重な人物列伝であることは間違いないでしょう。

【書体名の由来】

津田伊三郎の生まれた尾張国丹羽郡和勝村(現在の愛知県江南市)が木曽川の南岸に位置しているところから、「みなみ」と名づけました。


たいら(平安)

『書物の世界』(朝日新聞社 内外印刷 1949 )より

参考漢字書体/各社明朝体など

【解 説】

書物の世界『書物の世界』は、京都の内外印刷で印刷・製本され、朝日新聞社から発行されています。内外印刷は 1920 年(大正 9 )に京都駅の西側に創業されました。当初は内外出版印刷といったようで、その代表者は須磨勘兵衛でした。

著者の寿岳文章は英文学者で、書誌学者としても知られています。兵庫県出身で、京都帝大を卒業しました。旧姓は鈴木、妻は翻訳家・随筆家のしづ、また長女は国語学者の寿岳章子です。寿岳文章は関西学院大、甲南大などの教授を歴任し、英詩人 W・ブレイクを研究し、昭和 4 年「ヰリヤム・ブレイク書誌」をあらわし、ダンテの「神曲」を完訳しました。

一方では書誌学、和紙研究会の先駆者として知られ、1937 年(昭和 12 )に言語学者・新村出らと和紙研究会を結成し、自らも私版『向日庵本』を刊行して、数々の美しい書物を作っています。

【書体名の由来】

『書物の世界』を印刷した内外印刷があった京都は、かつては平安京〈たいらのみやこ〉がおかれていたので、それにちなんで「たいら」と名づけました。

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