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【展覧会】江戸東京博物館|特別展 冨嶽三十六景への挑戦 北斎と広重|’ 21年4月24日-6月20日

江戸東京博物館
特別展 冨嶽三十六景への挑戦 北斎と広重
会  期  2021年4月24日[土]-6月20日[日]
会  場  江戸東京博物館 1 階特別展示室
開館時間  午前9時30分-午後5時30分 * 入館は閉館の30分前まで
休  館  日  毎週月曜日(ただし4月26日、5月3日は開館)
主  催  公益財団法人東京都歴史文化財団 江戸東京博物館、朝日新聞社
観  覧  料  一 般 1,000円、大学生・専門学校生 800円
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日本を代表する浮世絵の名作、葛飾北斎の「冨嶽三十六景」は、青を使った鮮烈な色彩と大胆な構図で人々に強い衝撃を与えました。この時、北斎は70歳を越えていましたが、長い画業の中で不断の努力を重ねていました。
一方の歌川広重はこの時30歳代後半。風景画を描くもヒット作のない一介の浮世絵師にすぎませんでした。そんな広重も驚きを持って見たであろう「冨嶽三十六景」シリーズ。その大ヒットの陰で、広重はどのように自らの画風を打ち立てていったのでしょうか。

これまでも北斎と広重の富士シリーズを展示する展覧会は開催されてきましたが、本展はより踏み込んだ解釈により、風景画で双璧をなす北斎と広重の挑戦をストーリー展開で浮き彫りにする試みです。一挙展示となる「冨嶽三十六景」全46図を含む作品はすべて「江戸博コレクション」。この浮世絵史を語るうえで見逃せない貴重なコレクションを通して、二人の浮世絵師のあくなき挑戦の数々を名品とともにご紹介します。

※ 感染症予防対応実施中。下掲詳細を確認の上展観を。
[ 詳細 : 江戸東京博物館 ]

【展覧会】江戸東京博物館|特別展「江戸ものづくり列伝-ニッポンの美は職人の技と心に宿る-」|’20年2月8日-4月5日

江戸東京博物館
特別展「江戸ものづくり列伝-ニッポンの美は職人の技と心に宿る-」
会  期  2020年2月8日[土]-4月5日[日]
会  場  東京都江戸東京博物館 1 階特別展示室
開館時間  午前9時30分-午後5時30分(土曜日は午後7時30分まで)* 入館は閉館の30分前まで
休  館  日  毎週月曜日(ただし2月24日は開館)、2月25日[火]
観  覧  料  一般 1,100円、大学生・専門学校生 880円
主  催  公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都江戸東京博物館、毎日新聞社
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日本の伝統美術は、日本人の暮らしとともにありました。四季折々の生活シーンに応じて配される建具や調度品は、人びとに潤いと彩りを与えました。開国後の日本を訪れた西洋人が一様に驚いたのは、こうした品々に宿る日本人の豊かな遊び心と繊細な美意識でした。その日本の美を作り上げてきたのが、ものづくりに生きる職人たちです。

本展では、特色のある5人の名工たちを取り上げます。江戸が生んだ二人の蒔絵師・原羊遊斎-はら ようゆうさい-と、柴田是真-しばた ぜしん、尾形乾山-おがた けんざん-の陶法を継承し、軍艦の建造も手がけた鬼才の陶工・三浦乾也-みうら けんや、葛飾北斎の弟子で絵師から金工の道に転じた府川一則-ふかわ かずのり、江戸の職人気質を受け継ぎ超細密工芸を究めた小林礫斎-こばやし れきさい。
彼らは江戸東京で活動し、時代の空気を吸いながら、それぞれの道に精進して新たな創造に挑戦し続ける人生を歩みました。

本展では、明治前期に日本を訪れたヨーロッパ貴族バルディ伯爵の日本コレクション(ベニス東洋美術館所蔵)の日本での初公開をはじめ、当館のコレクションを中心に、江戸東京で活躍した職人たちの仕事と人生に光を当て、日本が世界に誇るものづくりの力の源泉を見つめたいと思います。

◉ 江戸東京博物館では 東京都の方針に則り、新型コロナウイルス感染症の感染拡大を防止する観点から、2020年3月31日[火]まで、展覧会をはじめとする主催事業を休止または中止させていただきます。
[ 詳細: 江戸東京博物館 ]

【展覧会】江戸東京博物館 特別展|サムライ ── 天下太平を支えた人びと|9月14日-11月4日

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江戸東京博物館 特別展
サムライ──天下太平を支えた人びと
会  期  2019年9月14日[土]-11月4日[月・休]
会  場  東京都江戸東京博物館 1階特別展示室 (東京都墨田区横網1-4-1)
開館時間  午前9時30分-午後5時30分(土曜日は午後7時30分まで)
      * 入館は閉館の30分前まで
休  館  日  月曜日(9月16日・23日、10月14日、11月4日は開館)、9月24日、10月15日
主  催  公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都江戸東京博物館、朝日新聞社
観  覧  料  一般1,100円、大学・専門学校生880円  * 特別展・常設展共通券もあります
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日本をイメージするキーワードとして国内外を問わず多く用いられる〝サムライ〟。しかし、そのことばから何を連想するのかは人によって様〻です。武家・武士・侍・浪人など、サムライが表す人びとについて、歴史的な実態をふまえてこのことばを使用しているとはいいがたいのではないでしょうか。
そこで本展では、現代のサムライイメージの原点である江戸時代のサムライ〝 士 〟の暮らしや仕事のありさまをご覧いただき、サムライのイメージを見直してみたいと思います。

本展覧会では、いわゆる武士道書に登場するような、抽象的なサムライの姿を紹介するにはとどまりません。徳川将軍の居所として、当時、世界有数の大都市であった江戸の風景の中で、サムライがいかに活動していたのか、絵画作品や古写真から浮き彫りにしていきます。
また、有名無名を問わず、サムライの家に伝来した所用品の数〻から、江戸時代の人びとが見聞きし親しんでいた生のサムライの生活をご覧いただきます。
当時、最大の武家人口を誇っていた都市江戸と、その近郊に暮らしたサムライの姿をここに再現していきます。

[ 詳細: 江戸東京博物館 ]

黒田藩江戸上屋敷 江戸東京博物館蔵明治になって官舎に転用された旧大名屋敷 写真に残るその面影
「温古写真集」霞ヶ関福岡藩黒田侯上屋敷表玄関 明治時代初期 東京都江戸東京博物館蔵初代外務省庁舎明治初期に外務省庁舎として使われていた頃の旧霞ヶ関福岡藩黒田侯上屋敷
「ウィキペディア:黒田藩 ゟ」

福岡藩は、江戸時代に筑前国のほぼ全域を領有した大藩。筑前藩とも呼ばれる。藩主が黒田氏であったことから黒田藩という俗称もある。
藩庁は福岡城(現在の福岡県福岡市)に置かれた。歴代藩主は外様大名の黒田氏。支藩として秋月藩、また一時、東蓮寺藩(直方藩-のうがたはん)があった。
慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いの功により、筑前の一部を領有していた小早川秀秋が備前国岡山藩に移封となった。代わって豊前国中津藩主の黒田長政が、同じく関ヶ原の戦功により、筑前一国一円52万3千余石の大封を与えられたことにより同藩が成立した。国主、本国持の大名家である。

徳川将軍家は福岡藩・黒田氏を優遇し、2代・忠之以降の歴代藩主に、松平の名字と将軍実名一字を授与(偏諱)した。江戸城内の席次は大広間松の間、9代斉隆以降、大廊下上之部屋。松平筑前守黒田家として幕末に至る。

筑前入府当初の居城は、小早川氏と同じ戦国武将立花鑑載が築城した名島城であったが、手狭であり交通にも不便であったため、慶長6年(1601年)から慶長11年(1606年)までの約6年をかけて、新たに広大な城郭・福岡城(別名:舞鶴城・石城)を築城した。
同時に領内において福岡藩と小倉藩の藩境に筑前六端城(益増城、鷹取城、左右良城、黒崎城、若松城、小石原城)を築き、黒田八虎で筆頭重臣の栗山利安、井上之房をはじめとする家臣らが城主となる。
なお、長政は質素倹約を旨とする父の藩祖・黒田如水の教えにより藩内には豪壮な別邸屋敷や、大名庭園などは築庭しなかった。黒田家は6代藩主継高が隠居屋敷、数寄屋庭園の友泉亭(現・友泉亭公園)を建立した程度である。

明治初期に外務省庁舎として使われていた頃の福岡藩江戸屋敷
黒田家江戸屋敷は、現在の千代田区霞が関2丁目2番、外務省庁舎の位置に上屋敷があった。明治時代になってからは、創設されたばかりの外務省初代庁舎として使われていたが、1877年(明治9年)2月1日に焼失した。現在も外務省外周には当時の石垣が残り、藩屋敷の面影が残っている。
桜田屋敷と呼ばれ、隣接する芸州浅野家屋敷との間に見晴らしの良い坂があり、江戸霞ヶ関の名所とされた。歌川広重作『名所江戸百景』中の「霞かせき」がそれである。

名所江戸百景 霞かせき 国立国会図書館蔵歌川広重  名所江戸百景「霞かせき」 国立国会図書館蔵 請求記号:寄別1-8-2-1

最後まで残った「海鼠壁ーなまこかべ」の長櫓は旧国宝に指定されていたが、太平洋戦争時の空襲で消失。なお、屋敷の巨大な鬼瓦(雲紋瓦)が東京国立博物館に常時屋外展示してある。
ほかに赤坂に中屋敷、渋谷と白金に下屋敷、郊外には御鷹屋敷、深川に蔵屋敷があった。
長崎、京都、大坂にも屋敷があり、天王寺公園内大阪市立美術館の横には中ノ島にあった黒田家蔵屋敷表門が、移築保存されている。また、秋月藩江戸屋敷の表門は、東京よみうりランドに移築保存されている。
〔なおしばしばもちいられる〝藩邸〟は、明治期になってからのことばで、江戸期ではもっぱら大名屋敷・武家屋敷であった〕

kazari-upperdc44109c143b79f8034291efa598041d「江戸名所道外盡十 外神田佐久間町 廣景画」 安政六年
(平野富二の会 所蔵)

上掲図は「伊勢国 津藩 藤堂家上屋敷」を描いた錦絵である。この建物は明治期には政府に公収されて、おもには医学校と附属病院としてもちいられ、東京大学医学部の発祥の地となった。
またここには文部省活版所が設けられ、ついで明治6(1873)年には平野富二一行八名によって長崎新塾出張活版製造所が開設された、近代医学と近代活版印刷発展の起点となった地である。

廣景による錦絵「江戸名所道外盡十 外神田佐久間町」安政六年-を平野富二の会が購入しているが、この門長屋は明治13(1880)年当時は医学校の寄宿寮としてもちいられており、森鷗外は著作『雁』にそれをしるしている。
福岡黒田家江戸屋敷は明治9年には焼失しているが、このたび錦絵とあわせて写真も公開された。
したがって明治13年(1880)までは確実に存在していた、「霞ヶ関福岡藩黒田侯上屋敷表玄関」と同様な「伊勢国 津藩 藤堂家上屋敷」の古写真が撮影されていた可能性は高い。もしも、こうした古写真を所蔵されておられる方がいらしたら、ぜひともご一報たまわれば幸甚である。

[ 参考: 平野富二の会「藤堂和泉守上屋敷と門長屋-日本近代医学とタイポグラフィ揺籃の地 ]