【かきしるす】大日本博覧図|東京石川島造船所 平野富二|茨城県常総市デジタルミュージアムⅠ

常総市デジタルミュージアム
「東京 石川島造船所 平野富二」
大日本博覧図 明治25年12月 東京精行社刊
〔茨城県〕常総市-じょうそうし-デジタルミュージアム は、同市が合併以前から保管していた歴史資料の一部をデジタル化し、WebSite にて広く公開しているもので、「様々な学習・研究の機会に是非御活用ください」と表示されている。

「大日本博覧図」は、名勝旧跡・寺社、豪農豪商の邸宅・庭園、会社・工場、学校の校舎など様々なものを掲載した銅版画集。掲載希望者を募って印刷されたものである。北関東を中心として、東京市29、埼玉県45、茨城県63、千葉県23、群馬県29、栃木県22の、都合221箇所の銅版画が所収されている。

現常総市内では、水海道町 鹿島屋利兵衛・山中彦兵衛・五木田総右衛門、菅原村大字大生郷 坂埜伊佐衛門といった豪農・豪商の屋敷や店舗が鳥瞰図として掲載されている。

常総市/デジタルミュージアム掲載資料によると、『大日本博覧図』は、識別番号: 0030-0000-0000-0000-0000-0000-0010、所蔵機関:坂野家、編輯者:青山豊田郎〔青山豊太郎〕、出版者・製作者等:精行社(東京市浅草区茅町)、撮影、作画年:明治25年(1892)12月、数量:211 pp、形状:冊子(バラ)、大きさ:縦 32 cm、横 21 cm、欠損・保存状況: 表紙、裏表紙 奥付欠落 とされている。

* 紹介ページのなかには『日本博覧図』『大日本博覧図』が混用されているが、本稿では『大日本博覧図』とした。
* 『大日本博覧図』には異体字やいわゆる旧漢字がみられるが、固有名詞の一部をのぞき、常用漢字で表記した。
* 『大日本博覧図』国立国会図書館資料
著者:青山豊太郎編輯 出版者:精行社 出版年月日:1892年12月 請求記号:YQ11 – H199 館内閲覧書
レファレンス協同データベース

いわゆる「魁-さきがけ-もの」のひとつで、篤志者や富農から資金をつのり、「紳士録」のような目的で製造された図書とみられている。類書に『日本博覧図』が紹介されている。
  『日本博覧図』第拾弐編 
  編輯者:東京府平民青山豊太郎(東京市浅草区茅町二丁目三番地)
  発行兼印刷者:東京府平民秋谷楳之助(東京市神田区富松町二番地)

  発行所:精行社(東京市浅草区茅町二丁目三番地)
  発行所:精行社京都出張所(京都市下京区寺町通高辻上ル)
  明治30年4月 3円50銭

【巻首部 1】序文 1 明治廿五年第十二月 従四位 金井之集
【巻首部 2 】大日本博覧図締約者一覧表
【巻首部 3 】自序 明治廿五年十二月 下浣〔下旬〕 編者 青山豊太郎
【巻末部】謹告 大日本博覧図 発行所 精 行 社

謹  告 〔活版印刷のページ。平易な文章として紹介した〕
一 銅版・石版・木版彫刻及び印刷
一 活版印刷並びに製本装訂

〔営業〕課目
株券 手形 切符 印紙
商標 名刺 広告等ノ類

弊社儀 起業以来幸いにして江湖の諸兄のご愛顧をたまわり、陸続ご注文を受け、漸次繁栄に趣きそうろう段、有り難く感謝奉りそうろう。
一層勉励いたし、卓抜巧妙の職工を増備し、要するに美麗鮮明を主とし、価も低廉を旨とし、且つ敏速を専一に、毫もご使用の時期を欠かさず、勉めて需要諸君のご便利を計ります。
府下及び諸県のお得意には、引き続き間断無く相伺いそうろう間、多少に拘わらず御用の向きはお申しつけ下されたく伏して願い奉りそうろう。
日本博覧図発行所 精行社       敬 白

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[古谷昌二氏コメント]
この絵図は、小生にとって初見のものです。この絵図は、横浜 石川口製鉄所 の諸設備が、東京 石川島造船所に移設されたのちのもので、明治17年から同25年の間に描かれたものと推測されます。
造船所内の諸設備が良く描かれていて貴重なものです。  [この項つづく]

[ 詳細: 常総市-じょうそうし-デジタルミュージアム ]

常総市と国指定重要文化財【坂野家住宅】について

常総市は、茨城県南西部の県西地域にある市である。水海道市が2006年(平成18)1月1日、結城郡石下町を編入して常総市と改称した。
茨城県南西部に位置し、東京都心から約50 km、茨城県の県庁所在地の水戸市からは約70 kmの圏内にある。海抜平均10 mから20 mの平坦な土地が広がる。東に小貝川、市中央に鬼怒川が流れる。この鬼怒川を境に東部地域には市役所と水海道駅、石下駅を中心とする市街地や水田、西部地域には水田、畑、森林、工業団地などが広がっている。西部地域には猿島台地があり、台地上ではさしま茶が生産されている。
市の西部、坂東市との境界地域には、首都圏近郊緑地保全区域および茨城県自然環境保全地域に指定された菅生沼―すがおぬま―があり、市の北東部は筑波研究学園都市に隣接している。

 国指定重要文化財 坂野家住宅(主屋・表門)
【坂野家住宅について】

「伊左衛門どん」「だいじん屋敷」と地元では呼ばれる坂野家は、大生郷村-おおのごうむら・現:常総市大生郷-に土着して500年ほどになるといわれる。近世期にはこの地方の惣名主的な存在でもあり、多くの人に親しまれてきた。

坂野家が豪農としての基礎を固めたのは、江戸時代中期に行われた飯沼の新田開発の時といわれている。3000町歩(30平方キロメートル)におよぶこの大事業において、当主の伊左衛門は幕府から事業の責任者である「頭取」の一人に任じられ、米の生産拡大に向けて尽力した。天保年間(1830-1843)には、二宮金次郎(尊徳)が大生郷村の荒地再興の任を帯びて屋敷に逗留し、村人に農業の仕法を施した記録も残っている。
また昭和8年(1933)の記録によれば、農業規模は米が小作米ともで1300俵、小麦600俵の収量があり、7人の使用人を抱えた大農であったと記されている。このように、坂野家は新田開発を契機に拡大し、現在残る屋敷構えの原形もこの頃造られたと考えられる。

水海道市(現:常総市)は、平成10年(1998)に建物と屋敷地を坂野家から譲り受け、歴史的建造物とこれを取り巻く里山風景を保存する『水海道風土博物館』として、屋敷構えや庭園などを明治25年頃の銅版画に近い姿に整備・復元し、平成13年4月より一般公開をはじめた。その後、平成15-17年の保存修理工事の解体で、主屋の変遷がほぼ明らかになり、主屋の形式が最も整った19世紀中頃の姿に復元した。