お札と切手の博物館」タグアーカイブ

【ことのは】印刷業界用語|インキ|いつの間にか「インク」に押されているようですが|国立印刷局と本木昌造・平野富二関連調査の端緒

独立行政法人 国立印刷局お札と切手の博物館
平成30年度第2回特別展 お札の色・切手の色 ~ 偽造を防ぐ技と美 ~
’18年12月18日-’19年3月3日 フライヤー裏面ゟ部分

お札や切手の印刷に使われるインキは、他とは一線を画した特殊なインキです。それは、偽造を防ぐため、門外不出の製法によって開発する特製品であり、また、色と印刷を知り尽くした職人が編み出す特別な色だからです。
印刷局は、創業後間もない明治5-1872年からインキ事業を開始し、日本で初めて洋式の印刷インキを製造しました。その後も、技術の進歩に合わせ、時代の要請に応えながら、インキの技術開発を続けてきました。
本展では、およそ150年にわたる歴史のうち、明治・大正期を中心に、当時編み出したインキや「色」にまつわる資料をご紹介します。激助の時代を乗り越え、連綿と絖く印刷局のインキ開発によって生み出された、伝統あるインキの美をぜひご覧ください。
独立行政法人 国立印刷局 お札と切手の博物館、通称国立印刷局の特別展フライヤーから一部を紹介した。この短い文章の中に「インキ」ということばが八回出てくる。
すなわち国立印刷局では、創立直後には「印肉」とも呼んだようであるが、いつのころからか「インキ」といい、いまもって「インク」とはいわないことがわかる。

当然それは民間にも影響を与えた。
印刷・出版業界、なかんずく印刷用インキの製造・販売業者は、社名の一部にインキを用いている業者が多く、「インク」というと露骨に嫌な顔をするか、丁重にいいなおしてくることが多かったが …… 。それでも近年は「インク」に馴れて、次第に「インキ」派は少数勢力になっているようである。業界用語とはいえ時代の趨勢とともにあり、そんなものかも知れないとおもうことがある。
以下『印刷辞典』からその推移をみたい。

◎『印刷辞典』の第一版『英和 印刷=書誌百科事典』(印刷雑誌社、昭和13年01月15日)
  ink  インキ。書冩、印刷等に用ふる着色料の總稱。
◎『印刷辞典』の第二版『印刷辞典』(昭和33年10月20日初版、昭和41年6月20日第6刷、大蔵省印刷局)
  インキ ink ; Farbe, Tinte 書写・印刷などに用いる着色料の総称。筆記用インキ・印刷インキ、製版に用いる腐食用インキ・転写インキなどがある。
◎『印刷辞典』の第三版『新版 印刷辞典』
(昭和49年9月10日、大蔵省印刷局)

  「インキ」の単独項目は見られない。インキ=アジテーター以下20項目の派生語を紹介。
◎『印刷辞典』の第四版 所有せず
◎『印刷辞典』の第五版『印刷辞典
第五版』(平成14年1月7日、財団法人 印刷朝暘会)
「インキの単独
項目は見られない。インキ=アジテーター以下33項目の派生語を紹介。「インキローラー冷却装置」に続き、はじめて「インクジェット記録・インクジェットプリンタ・インクジェット用紙」の三項目に「インク」が登場するが、単独項目の「インク」は見られない。お札と切手の博物館
平成30年度第2回特別展
お札の色・切手の色 ~ 偽造を防ぐ技と美 ~
開  催  日  平成30年12月18日[火]-平成31年3月3日[日]
開催時間   9:30-17:00
休  館  日  月曜日(祝日の場合は翌平日)、2月10日[日]
開催場所  お札と切手の博物館 2階展示室
入  場  料  無  料

【 詳細: お札と切手の博物館 】
『印刷辞典』は印刷局にあった矢野道也と、その膝下にあった川田久長の貢献によって初版が刊行され、こんにちまで書名・編輯団体名・発行所名を変えながらも継続刊行されている図書である。
矢野道也は大蔵官僚という立場をこえて、ひろく印刷業界人と交際し、印刷学会を創立した。川田久長は秀英舎・大日本印刷の社員であったが、印刷図書館の創立に貢献した。

小社周辺では、タイポグラフィ学会と足並みを揃えながら、幕末の先端地であった長崎から、たれが、どこへ、どのように、当時の最先端技術・産業であった「活字版印刷術  ≒ タイポグラフィ」を江戸・東京にもたらしたのかの調査にあたっている。
その報告は「Viva la 活版  ばってん 長崎」『崎陽探訪・活版さるく』(『タイポグラフィ学会誌』09、2016年11月26日)、「メディア・ルネサンス」『江戸・東京活版さるく』(『タイポグラフィ学会誌』11、2018年11月15日)になされている。

これらの成果をもとに、明治産業近代化のパイオニア:平野富二生誕の地を長崎歴史文化博物館と国立公文書館所蔵「長崎諸役所絵図 引地町町使長屋-ひきじまちちょうじながや」の資料から特定することができた。
次いで「平野富二 生誕の地」碑 建立 記念祭を2018年11月23-25日、かつて引地町町使長屋が存在した長崎県勤労福祉会館を主会場として、記念碑の除幕、記念祭をおこなうことができた。

この記念碑は<「平野富二生誕の地」碑建立有志の会>が浄財を募って建立にあたったが、同会ではその記録を仮称:『平野富二生誕の地碑建立の記録』として刊行するために日々努力を継続している。もちろん<「平野富二生誕の地」碑建立有志の会>は、あくまでも民間の任意団体であり、補助金や助成金などは一切受け取っていない。

そんな努力に対して、近年少しずつ国立印刷局の役職員が関心を寄せてくれるようになったことは嬉しいことである。
かつて国立印刷局のお札と切手の博物館では、【 平成26年【特別展】 紙幣と官報 2 つの書体とその世界/お札と切手の博物館 】を開催しており、その際の図録には長崎 ── 本木昌造と平野富二のふたりの肖像写真を掲げ、長崎との強い結びつきがかたられていた。同展を含む特別展の記録は、同館の WebSite に PDF データーが公開されていたが、現在は「改修工事中」ということで閲覧いただけないのが残念である。
上掲リンク先に川田久長、矢野道也の両氏を通じて国立印刷局と長崎の先端技術の交流の記録の一端をみていただけたら幸いである。

「印刷産業綜合統制組合屋上にて:矢野道也氏を送る会」(1946年03月25日)

敗戦からまもなく、東京での家屋を戦災で焼失し、子息が居住していた九州へ移転のため、矢野道也が印刷学会会長職の辞任を申し出た日に撮影された。当時の印刷学会中核会員に囲まれた矢野道也(前列中央)。その背後、後列中央の、白髪で長身のひとが川田久長である。  
前列左より:佐久間長吉郎、白土万次郎、矢野道也、郡山幸夫、大橋芳雄
後列左より:馬渡 努、柿沼保次、星野後衛、川田久長、光村利之、大江恒吉、今井直一

「この一冊の書物から」『印刷情報』(片塩二朗 2000年07月 p.73 – )
すこしつらい記録ですが、わが国そのものが狂奔していた戦時下の貴重な記録です

【 資  料 】
矢野道也(1876-明治9年-1946-昭和21年)
日本の印刷工業に科学的研究を導入した工学者。東京帝国大学応用化学科卒業。大蔵省印刷局に入り1945年6月退官。この間、紙幣、銀行券などの有価証券類の製造と、官報その他の重要活版印刷物の作成を研究指導し1919-大正8年工学博士。

1928-昭和3年6月「日本印刷学会」の創立を提唱して初代会長に就任。印刷技術者の教育に熱意をもち、官職にありながら東京高等工芸学校(現千葉大学工学部が一部を継承)、東京高等工業学校(現東京工業大学)、東京美術学校(現東京藝術大学)の各学校で、色彩学、印刷術などの講義をおこなった。印刷関連の著書が多い。

川田久長(1890-1963年 明治23年05月25日-昭和38年07月05日)
明治23年05月25日  東京牛込区にて、父:麹町区長・川田久喜、母・むめ子の長男として誕生。
大正02年09月    東京高等工芸学校図案科製版特修部卒業。浅沼商会入社。製版材料調査に従事。
大正12年      秀英舎(現大日本印刷)入社。 同社関連企業の活字製造所:製文堂鋳造課工務係。
昭和15年03月27日  大日本印刷常任監査役に就任。
昭和22年03月    印刷図書館初代館長に就任。のち「文部省認可 財団法人 印刷図書館」(昭和24年設立)となる。
昭和24年03月20日  著作『活版印刷史』(初版・並製本 印刷学会出版部)刊行。
昭和37年07月05日  逝去。享年72。墓は谷中霊園甲3号4側に設けられた。
昭和56年10月05日  遺作『活版印刷史』(再版・上製本 印刷学会出版部)刊行。