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【展覧会】お札と切手の博物館|令和元年度 第2回特別展|乙百円-おつひゃくえん-誕生の軌跡 日本人が初めて肖像をデザインしたお札|令和元年12月17日-令和2年3月1日

お札と切手の博物館
令和元年度 第2回特別展
乙百円-おつひゃくえん-誕生の軌跡 日本人が初めて肖像をデザインしたお札
開  催  日  令和元年12月17日[火]-令和2年3月1日[日]
開催時間  9:30-17:00 
休  館  日  月曜日(祝日の場合は開館し、翌平日)、年末年始(12/29-1/3)、2月9日
開催場所  お札と切手の博物館 2 階展示室
入  場  料  無 料
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明治時代初期、日本のお札や切手は、お雇い外国人として来日したキヨッソーネの尽力により近代化を遂げました。図案・原版彫刻・製版といった技術の全てを担っていたキヨッソーネが印刷局を去った後、日本の技師たちは自らの力でお札をつくる道を歩みはじめます。
アメリカで技術を研鑽した工芸官の大山助一-おおやますけいち-が伝えた技法を弟子の森本茂雄-もりもとしげお-らが受け継ぎ、欧米の技術や様式を吸収しながら、印刷局は発展を遂げ、昭和5(1930)年に日本銀行兌換券「乙百円」(以下、乙100円券)が誕生しました。

当時最新の技術と日本独自の図柄を用いた乙100円券は、初めて聖徳太子の肖像が採用されたお札としても知られますが、その肖像は日本人が初めてデザイン・彫刻を手がけたものです。
乙100円券が発行されるまでの日本のお札は、キヨッソーネの残した原版に基づいて肖像が作成されていましたが、初めて聖徳太子の肖像が採用された乙100円券では、人物の描写、考証、文様、図柄などのすべてを一から製作する必要がありました。
また、その図柄には肖像にゆかりのある法隆寺の宝物などを元に図案化したものが多用されていることが特徴で、当時最新の印刷技術を用いることによって実現したものです。

本展では、お雇い外国人から学んだ技術を日本の技術者たちが自ら成熟させ、生粋のお札を生み出すまでの軌跡を辿り、乙100円券が誕生するまでの背景や肖像の下図が完成するまでの過程、当時最新の偽造防止技術などについて、同時代の海外のお札や関連資料と併せてご紹介します。

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