【展覧会予告】東京国立近代美術館|鏑木清方 幻の《築地明石町》特別公開|2019 年 11 月 1 日-12 月 15 日

東京国立近代美術館
鏑木清方 幻の《築地明石町》特別公開
会  期  2019 年 11 月 1 日[金]-12 月 15 日[日]
会  場  東京国立近代美術館 所蔵品ギャラリー10 室(東京都千代田区北の丸公園 3-1)
開館時間  午前 10 時-午後 5 時、金曜・土曜は午後 8 時まで * 入館は閉館の 30 分前まで
休  館  日  月曜日(ただし 11 月 4 日は開館)、11 月 5 日
観  覧  料  一般  800円、大学生 400円
主  催  東京国立近代美術館、文化庁、独立行政法人日本芸術文化振興会
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東京神田に生まれ、挿絵画家として画業をスタートさせた 鏑木清方(かぶらき きよかた   1878-1972)は、美人画で上村松園と並び称された日本画家です。
今年、当館では、清方の代表作として知られながら、1975(昭和50)年以来所在不明であった《築地明石町》と、あわせて三部作となる《新富町》《浜町河岸》の三点を新しく収蔵しました。
これを記念し、三部作のお披露目と、所蔵の清方作品をあわせた特別展示をおこないます。
小規模ですが、重要文化財《三遊亭円朝像》や、12幅対の《明治風俗十二ヶ月》など、粒よりの名作が並ぶ贅沢な展示です。

[ 詳細: 東京国立近代美術館    同館特設サイト ]kazari-upper

鏑 木  清 方 ── かぶらき・きよかた   (写真:根本章雄氏 提供)

鏑木清方(根本章雄氏 提供)

鏑木清方(1878-1972)は東京神田に生まれ、浮世絵系の水野年方に入門し、挿絵画家として画業をスタートさせました。日本画では文展、帝展を主たる舞台とし、美人画家として上村松園と並び称されました。

清方は明治末から大正にかけて、浮世絵をもとにした近世風俗を主なテーマとしていました。しかし関東大震災を大きなきっかけとして、失われゆく明治の情景を制作のテーマに加えます。そうして生まれたのが《築地明石町》(1927年)や、《三遊亭円朝像》(1930年)、《明治風俗十二ヶ月》(1935 年)といった名作の数々でした。

また、その頃から展覧会向きの絵とは別の、手もとで楽しめる作品を「卓上芸術」と名づけ、手がけるようになり、晩年は画帖、絵巻などの制作に打ち込みました。
文筆家としても名高く、『銀砂子』、『築地川』、『こしかたの記』などの著作があります。

これぞ清方の代表作
美人画家として上村松園と並び称された清方ですが、本人はそう呼ばれることを嫌っていました。清方が理想としたのは、ともすれば絵空事として社会から遊離してしまうような芸術ではなく、我が事として多くの共感が得られるような芸術だったからです。やがて清方は、明治20年代から30年代の人々の生活というテーマに行き着きました。
《築地明石町》は、そのスタートラインに位置する作品であり、早くも清方会心の作となりました。ここに描かれているのは、清方がじかに体験した明治半ばのひととき。そして、清方が実際に遊び場とし、慣れ親しんだ町の情緒そのものでした。《築地明石町》は、発表されるや否や、美術界のみならず一般からも絶賛され、清方を名実ともに帝展を代表する日本画家のひとりに押し上げたのです。

なぜ幻の名作?
《築地明石町》が「幻の名作」といわれてきたゆえんは、歴史に残る近代日本画の名作であるにもかかわらず、1975(昭和50)年以来 44 年もの間、所在不明となっていたからです。
戦禍を免れた《築地明石町》が清方のもとにもたらされたのは1955(昭和30)年のことでした。それを機に、清方自身が出品の仲介役を果たすことで、《築地明石町》はしばしば展覧会に出品されるようになりました。
しかし、1972(昭和47)年に清方が亡くなると事情が変わります。翌年から3回にわたってサントリー美術館で開催された「回想の清方」シリーズの3回目(1975 年)に出品されたのを最後に、《築地明石町》は忽然と姿を消したのです。以来44年、多くの人々が《築地明石町》の再登場を待ちわびてきました。