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【展覧会】須坂版画美術館|夭折の銅版画家 清原啓子展 ~ 幻想 ~|’21年7月17日-9月20日

須坂版画美術館
夭折の銅版画家 清原啓子展 ~ 幻想 ~
会  期  2021年7月17日[土]-9月20日[月]
開館時間  午前9時-午後5時 * 入館は閉館30分前までにお願いします
休  館  日  水曜日(祝日の場合は開館)
入  館  料   一般 300円、高校生以下及び18歳未満、須坂市内在住70歳以上は無料
所  在  地   382-0031 長野県須坂市大字野辺1386-8(須坂アートパーク内)
       TEL 026-248-6633 FAX 026-248-6711
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銅版画家、清原啓子(1955年-1987年)が、生涯で制作した作品のほとんどを展示し、なおかつ、銅版画作品に劣らず、緻密に描きこまれたエスキースも併せて紹介 します。

※ 感染症予防対応実施中。下掲詳細を確認の上展観を。
[ 詳細 : 須坂市版画美術館 ] { 活版 à la carte まとめ }

【展覧会】三菱一号館美術館|三菱創業150周年記念 三菱の至宝展|’21年6月30日-9月12日

三菱一号館美術館
三菱創業150周年記念
三菱の至宝展
会  期  2021年6月30日[水]-9月12日[日]
主  催  三菱一号館美術館、公益財団法人静嘉堂、公益財団法人東洋文庫
特別協力  公益財団法人三菱経済研究所
開館時間  10:00-18:00
      * 入館は閉館時間の30分前まで * 臨時の時間変更の場合あり
休  館  日  毎週月曜(祝日・振替休日・展覧会会期中最終週の場合は開館)
入  館  料  一般 1,900円、高校・大学生 1,000円、小・中学生 無 料
住       所  100-0005 東京都千代田区丸の内 2-6-2
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三菱創業の岩崎家第 2-4 代社長をつとめた彌之助、久彌、小彌太は文化財に多大な関心を抱き、その収集品は現在、それぞれ静嘉堂と東洋文庫に収蔵されています。その収集の態度は単なる実業家の趣味にとどまらず、社会貢献の色彩を帯びたものでした。
本展では、初代岩崎彌太郎から小彌太に至る、三菱の事業と社会貢献の歴史をたどりつつ、静嘉堂、東洋文庫、三菱経済研究所の所蔵する国宝、重要文化財を含む美術工芸品、古典籍など貴重な作品群100点余りを展観します。
また、本展は静嘉堂と東洋文庫の所蔵品が一堂に会する貴重な機会となります。

※ 新型感染症「COVID-19」予防対応実施中。下掲詳細を確認の上展観を。
[ 詳細 : 三菱一号館美術館 特設WEBサイト ]

【展覧会】太田記念美術館|鏑木清方と鰭崎英朋 近代文学を彩る口絵 ── 朝日智雄コレクション|’21年5月21日-6月20日|復活再開展示

太田記念美術館
鏑木清方と鰭崎英朋 近代文学を彩る口絵 ── 朝日智雄コレクション
会  期  2021年5月21日[金]-6月20日[日]
      5月24日、31日、6月7日、14日は休館します。
入  館  料  一 般 1000円、大高生 700円、中学生以下 無 料
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◉ 知られざるライバル ── 鏑木清方(かぶらき・きよかた)と 鰭崎英朋(ひれざき・えいほう)
2019年、「築地明石町」が再発見されたことが話題となった鏑木清方(1878-1972)。日本画家として今でも広く知られていますが、明治30年代後半から大正5年頃にかけては、文芸雑誌や小説の単行本の口絵というジャンルで活躍していました。
その時、清方と人気の双璧をなしていたのが、鰭崎英朋(1880-1968)です。清方と英朋は、月岡芳年の系譜に連なると共に、烏合会という美術団体に属した友人同士でもありました。清方と英朋による、明治の美しい女性たちを描いた口絵の名品を紹介します。

◉ 新型コロナの影響で中止になった展覧会が復活
本展覧会は、昨2020年2月に開催しましたが、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、会期を3週間以上残しながらも途中で開催中止となってしまいました。
しかしながら、これまでスポットの当たってこなかった絵師や作品を、どうしても多くの人にご覧いただきたいという学芸員の思いから、展示スケジュールを調整し、再び同じ内容で開催することにいたしました。こだわりの展覧会、ぜひお見逃しなく。

※ 感染症予防対応実施中。下掲詳細を確認の上展観を。
[ 詳細 : 太田記念美術館 ]

【展覧会】土門拳記念館|特別展 亀倉雄策と土門拳|時代を創った二人の仕事|4月22日-7月11日

土門拳記念館
特別展 亀倉雄策と土門拳 時代を創った二人の仕事
会  場  土門拳記念館 主要展示室 / 企画展示室Ⅰ
998-0055 山形県酒田市飯森山2-13(飯森山公園内)

会  期  4月22日[木]-7月11日[日]
休  館  日  4月-11月 無 休
      * 展示替えのため臨時休館する場合があります。
入  館  料  一 般:900円、学 生:450円、小・中学生:無料
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亀倉雄策は、1964年の東京オリンピック公式ポスターをはじめ日本万国博覧会(大阪万博、1970年)のポスター、Nikon や NTT のマークなど数々の傑作が知られています。
日本のデザイン界に大きな足跡を残したグラフィックデザイナーで、国内外の多くのクリエーターに影響を与えいています。

亀倉雄策と土門拳は、二人がまだ無名であった20代の頃に出会って以来、生涯にわたり交流がつづきました。デザインと写真という異なる分野ですが、二人ともそれまでの伝統や歴史など既成の概念にとらわれず、写真とグラフィックデザインの新しい表現の可能性を切り開きました。
この展覧会は、昭和を代表する二人の仕事を貴重な実物で紹介するものです。

[展示作品]
亀倉作品 … 東京オリンピックポスター、土門拳記念館ポスターなど代表作34点

土門作品 … 亀倉が装丁を手掛けた写真集収録作品を中心に111点

※ 感染症予防対応実施中。下掲詳細を確認の上展観を。
[ 詳細 : 土門拳記念館 ]

【朗文堂既刊書】『タイポグラフィ論攷』板倉雅宣著 発売中|WebSite 討論会 本木昌造の呼称ーもとき か もとぎ か|WebSite 討論会参加へのお願い

タイポグラフィ論攷_表紙『タイポグラフィ論攷』 板倉雅宣著
B5 判 112ページ  並製本 図版多数

定価:本体2000円+税
    ISBN978-4-947613-94-3
【詳細 : 朗文堂ブックコスミイク 】【 アマゾン通販:ダイレクトサイト 】

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〔主要内容〕
目 次 から
まえがき
本木昌造の呼称
本木昌造 長崎ゆかりの地
『學問のすゝめ』活字版
グーテンベルクが作った活字の高さをめぐって
ギャンブルがつくった日本語かな活字
マージナルゾーンの語源を探る
[史料]中国の母型と活字に関するホフマンの報告 日本語訳

板倉雅宣

<板倉雅宣 タイポグラフィ論攷 フライヤー  PDF 1.92 MB
タイポグラフィ論攷フライヤー表タイポグラフィ論攷裏kazari-upper長崎オランダ商館長 ── 1855年9月30日の記録 下部に本木昌造の自筆サイン・捺印がある。
20201012180943_0000120201012180943_0000220201012180943_00003ほかの文書に見る本木昌造の自筆サイン・捺印の例
IMG_20200728_0001 (002)IMG_20200709_0001 (002)

朗文堂 担当者様                     板 倉 雅 宣  2020年08月04日

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の冒頭を拝見すると、
── 本木 昌造(もとぎ しょうぞう または もとき しょうぞう、文政7年6月9日(1824年7月5日) – 1875年9月3日)は江戸幕府の通詞、教育者であり、日本における活版印刷の先駆者として知られる。── と記されています。

そこで Wikipedia を直接訂正したいと思い、Wikipedia の訂正規定を読むと、なかなか難しく、小生には理解できません。そこで朗文堂のホムページの「朗文堂NEWS」の『タイポグラフィ論考』の紹介記事に、下記の文章を追加掲載していただけないかと思い、お願いする次第です。
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私の調べでは、翻訳者本木昌造本人の署名捺印が欧文で、長崎のオランダ商館長の1855年9月30日の記録として残っています。本木昌造は諱を永久と言い「永久」を印鑑にして押印しています。わが国では、正式書類には、名前を署名して捺印するのは、当然のしきたりとなっています。
そこでは「Motoki Shiozo」となっていて、これが正式の呼び名です。また、「本木」を「M. K.」とした署名も多く見られます。

以下に、その証拠を示します。
「MOTOGI」という呼称は、先代の本木良永(仁太夫 1735 – 94)や、本木正栄( 庄左衛門 1778 – 1812)らまで使われていた呼称で、その後、養子の本木昌栄(昌左衛門 1801 – 73)や、昌造(永久 1824 – 75)になると「MOTOKI」と名乗っています。このことは『タイポグラフィ論考』に詳細を記してあります。

「MOTOGI」は本木昌造が亡くなった明治8年以降に、東京築地活版製造所の平野富二が活字見本帳『Book of Specimens Motogi & Hirano』(1877年)や「The Life of MOTOGI NAGAHISA Japan’s Pioneer Printer」(1893年)に「MITOGI」と記したので、その後「もとぎ」が使われるようになりましたが、正しくありません。当時、日常、通称 MOTOGI と呼ばれていたことと推測されます。

[Motoki Shiozo] という本木昌造の自筆署名と捺印は、東京大学史料編纂所の日本関係海外史料オランダ商館文書のマイクロフィルム 「An Inventory of Microfilm Acquisitions in the Library of the Historiographical Institute the University of Tokyo. Volume III. The Netherlamds. Part III.」の No.6998-1-119-5. 「191a. Verzekering. Get. door Arawo Iwamino Kami en Kawamoera Tsoesimano Kami en Arawo Ikkakf. 30. Woero Kocgoeats (9. November 1855). 」の 1855年の「保証書」の荒尾石見守、川村対馬守、浅野一角の署名のある書類に、
「出島のオランダ人は 1855年10月22日 以降は監視なしに自由に出島を出ることができる」というオランダ語に翻訳した文書に、オランダ通詞、品川藤兵衛と印鑑、本木昌造の自筆署名と諱の永久という印鑑の捺印があります。(読みくだし省略)

kazari-upper『タイポグラフィ論攷』(板倉雅宣著、朗文堂刊)
愛読者の皆さまへ 

「 WebSite 討論会  本木昌造の呼称 ー もとき か もとぎ か」

著者:板倉雅宣氏は、上掲文書のように、『タイポグラフィ論攷』で解明・主張された「本木昌造の呼称ーもとき か もとぎ」については「もとき説」を主張されています。ウィキペディアは両論を併記しており、またウィキペディアは論争の場ではないと小社では回答したのですが、板倉雅宣氏はもう一度議論を深めて欲しいとされ、再検討を希望されています。
そこで感染症「COVID – 19」が終息したら、講演会・討論会などを設定して議論を深めようと計画しておりましたが、現下の「COVID – 19」の感染状況はいまだ予断をゆるさず、高齢者の参加が予想される、討論会などの開催は当分無理だと判断せざるを得ない状況となりました。

ついては、まだ『タイポグラフィ論攷』を購入されていないかたのために、該当部を PDF データー公開して、本欄と姉妹サイト{ NOTES ON TYPOGRAPHY }をもって「 WebSite 討論会 |本木昌造の呼称ーもとき か もとぎ か」として、皆さんのご意見を頂戴し、さらに論攷を深める手段を選択いたしました。
著者と版元の意のあるところをお汲みたまわり、ご意見を頂戴できたら幸甚です。

◉ ご意見賜り先:朗文堂/片塩二朗(jk@robundo.com)
お名前・ご連絡先・公開可(公開時限定ペンネーム可)・非公開希望かを明記してのご参加をお待ちしております。

【 PDF   motoki or motogi    タイポグラフィ論攷 抜粋 本木昌造の呼称   板倉雅宣  】

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WebSite 討論会を呼びかけてから、すでにだいぶ日時が経過しました。この間、下掲の古谷昌二氏(平野富二の会 代表、『平野富二伝 考察と補遺』編著者)から、詳細をきわめたご寄稿とあわせて、『タイポグラフィ論攷』文中の。、一部訂正のご指摘も寄せていただきました。ありがとうございました。
小社としてはこれを機に、板倉雅宣氏、古谷昌二氏両氏にお願いして、近隣の50名定員の貸し会議室に、参加者20名ほどに限定した討論会を予定しておりました、ところが感染症「COVID – 19」は終熄の気配はなく、集会を設定する余地のないままに今日にいたりました。

したがいまして、ここで一旦古谷昌二氏のご寄稿を本欄に掲載することとし、引き続きひろく読者の皆さまからのご意見をたまわる機会を設けてまいります。また訂正ご指摘箇所に関しましては、次回増刷時に、著者も交えて再協議のうえ、反映させていただきます。
感染症「COVID – 19」の猖獗は予断を許しませんが、読者の皆さまのご健勝とご活躍を祈念しております。

        株式会社 朗 文 堂             2021年5月1日

kazari-downner

202010月/古谷昌二氏 寄稿
WebSite 討論会「もとき  もとぎ か」

        2020年10月21日、古谷 昌二 作成  2020年10月26日、<附録>を追加

 板倉雅宣著『タイポグラフィ論攷』掲載の「本木昌造の呼称」と、2020年08月04日付の朗文堂担当者宛ての板倉雅宣氏の依頼書を興味深く拝読させて頂きました。

板倉論攷の「本木昌造の呼称」では、結論として「本木昌造は Motoki であるにせよ、一般にはMotogi と呼ばれていたのかもしれない。」とされていますが、板倉依頼書では「本木庄左衛門までは Motogi と名乗っていたが、本木昌左衛門と本木昌造は Motoki と名乗っている。明治8年以降は、日常、通称 Motogi とよばれていたと推測される。」と述べておられます。
板倉論攷と板倉依頼書では、基本的に同じことを述べていると判断されますが、本木の呼称を「もとき か もとぎ か」論じるまえに、次のことを明確にしておく必要があります。

① オランダ語による横文字表記の発音は、わが国における「本木」の呼び方と同じか?

② 本木家五代庄左衛門まではオランダ文書のサインに「Motogi」と綴り、六代昌左衛門と七代昌造は「Motoki」と変更したのは何故か?

この二つの疑問について、以下に私見を述べさせて頂きます。

① オランダ語による横文字表記の発音は、わが国における「本木」の呼び方と同じか?
板倉論攷に紹介された数多くのサインは、いずれもオランダ語訳文に付されたもので、オランダ語の表記でなされていることが分かります。例えば、庄左衛門、昌左衛門の表記は Siosaijmon となっており、最初の Sio は母音が短音であることから「ショ」と発音され、saij は「ザアイ」と発音されます。
Motogi の中に含まれる g は、日本語には無いオランダ語特有の音で発音されます。この音は軟口蓋により g を発音することから、オランダ語アルファベットの Gを、英語では HGay と表現して発音させています。つまり、Motogi の gi は「ヒ」と「ギ」を同時に強く発音したときの音になります。

したがって、五代本木庄左衛門までは日本語の「ギ」を他に表記することが出来ないので Motogi と表記していたと思われます。

② 本木家五代庄左衛門まではオランダ文書のサインに「Motogi」と綴り、六代昌左衛門と七代昌造は「Motoki」と変更したのは何故か?
板倉論攷によると、五代庄左衛門は元吉を名乗っていた初期の頃は Motogi のサインをしていたが、庄左衛門と名乗るようになって Motoki と表記したサインがある。しかし、それ以降は Motoki となったのか、一時期、このサインを使用したのかは分からない。
なお、板倉依頼書に添付された1855年9月30日付の『オランダ商文書』に、品川藤兵衛と本木昌造が共同サインした文書が紹介されており、品川藤兵衛のサインは Sinakawa Tóbiéi ,  本木昌造のサインは Motoki Shiozoと表記されており、「品川」、「本木」は共にg を k で表記している。

このことは、日本語でガ、ギ、グ、ゲ、ゴの音で、代わりにカ、キ、ク、ケ、コの音でも置き換えられる場合、オランダ語でのサインに限って、その綴りの中の「g」を「k」に書き換えて表記することが認められたと見られる。
なお、これはあくまでもオランダ文に付されたサインについてであって、会話での発音まで変更するものではないと見られる。

オランダ通詞の横文字サインは、和文の公文書をオランダ語に翻訳した責任者として表示したもので、通常、誤訳を防止するため、二人またはそれ以降の者がサインする。他のオランダ通詞と間違えられない限り、実際の発音とは異なる表記でも認められたらしい。
本木昌造本人または親しく付き合っていた人による、文書に示された本木昌造の横文字表記を調べれば、国により多少の訛りがあっても実際の発音に近いと見られる。それに相当する文書として、次のものがある。

1)板倉論攷のp.17に示された、オランダ商館文書(1855年)には本木昌造のことを、敬意をこめて Mijnheer Motogi Siozo, Nagasaki と表示している。これはオランダ語表記であるが、同じ頃の本木昌造のオランダ語公文書サインは Motoki Shiozo である。前者の発音は、訛りはあるものの、本木昌造が自ら名乗った発音に近いと見られる。

2)板倉論攷のp.15に示された、明治10年(1877)の平野富二発行した活字見本帳『BOOK OF SPECIMENS,  MOTOGI & HIRANO,  Tsukiji  Tokio  Japan,  1877』がある。これは英文であるので、MOTOGIは「モトギ」と発音される。
同書は本木昌造と師弟の関係で永く付き合った平野富二によるものである。また、親族や友人・知人も存命していることでもあり、生前は「モトギ」と呼んでいたことに間違いない。

なお、明治2年(1869)に本木昌造が上海美華書館の W.Gamble に印刷機と付属設備を購入のため見積を要求し、代金は為替手形で送ることを約束したとする文書が、アメリカのフィラデルフィアにある The Pressbyterian Historical Sociaty にマイクロフィルムで所蔵されているらしい。〔後藤吉郎・横溝健志(武蔵美術大学)共著の論文(『デザイン学研究』、2002、日本デザイン学会)〕
これは本木昌造が長崎製鉄所の頭取を務めていた頃のものとなるが、原文はどのような綴りで記されているか確認できれば、当時の呼び方を判断することができる。
さらに調査を要するところが多いが、Motoki はオランダ文書の翻訳責任者としてのサインに限定され、一般には Motogi と表記され、「モトギ」と呼称されていたと見るのが妥当だと思います。

以 上

【展覧会 予告】武蔵野美術大学 美術館・図書館|膠を旅する ── 表現をつなぐ文化の源流|’ 21年5月10日-6月20日

武蔵野美術大学 美術館・図書館
膠を旅する ── 表現をつなぐ文化の源流
会  期  2021年5月10日[月]-6月20日[日]
時  間  10:00-18:00(土曜日、祝日、特別開館日は17:00閉館)
休  館  日  日曜日  * ただし6月13日[日]と20日[日]は特別開館日
入  館  料  無 料
会  場  武蔵野美術大学美術館  展示室4・5
主  催  武蔵野美術大学 美術館・図書館
監  修  内田あぐり(武蔵野美術大学 名誉教授)
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日本画の伝統的画材である膠は、絵具と支持体をつなぎとめる素材として、多様な表現を生み出しながら、連綿と続く日本画の系譜を支えてきました。しかしながら、今日において伝統的な手工業による膠の生産は途絶えています。
本展は、本学共同研究「日本画の伝統素材『膠』に関する調査研究」の成果発表展として、膠づくりの歴史的・社会的背景を見つめ直す現地調査のドキュメントを中心に、実際の動物の皮といった実物資料、さらには当館所蔵の日本画等の膠を用いた作品表現をご紹介します。動物の骨や皮を主な原料とする膠づくりの源流をたどる旅を通して、各地の動物資源の利用とその社会史、膠がつなぐ表現の諸相を多角的に見つめます。

※ 感染症予防対応実施中。下掲詳細を確認の上展観を。
[ 詳細 : 武蔵野美術大学 美術館・図書館 ]

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【展覧会】国立公文書館|令和3年 春の特別展|1964 高度成長と東京オリンピックの時代|令和3年4月10日-5月23日

国立公文書館
令和3年 春の特別展
1964 高度成長と東京オリンピックの時代
会  期  令和3年4月10日[土]-5月23日[日] 
      ※ 期間中無休
      ※ 期間中、展示室内の密接を避けるため、入室制限を行うことがあります。
開館時間  月-日曜日 午前9時15分-午後5時00分
      ※ 閲覧室の開室日時とは異なります。ご注意ください。
会  場  国立公文書館 本館
入  場  料  無 料
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すべては焼け野原から始まった ── 戦後の東京は、戦災からの復興、急速に進む都市化などによって驚くべき変貌を遂げました。 本展は、日本の大きな転換点となった高度成長という時代の中で変わりゆく東京の姿と、その中で開催された東京オリンピックの様子を、当館が所蔵する公文書を中心とした様々な資料から描きます。

◉ 主な展示資料

0304_01特別都市計画法
昭和19年(1944)以降、日本の主要な都市は空襲にさらされ、大きな損害を受けていました。戦後、戦災復興事業を迅速かつ徹底して行うため、指定を受けた戦災都市に適用される特別都市計画法が昭和21年9月に制定されました。同法により東京では区の存する区域と八王子が指定され、戦災復興都市計画が策定されました。0304_02東海道新幹線の建設
昭和33年(1958)12月12日、交通関係閣僚協議会が開催され、東京・大阪間の陸上輸送の需要予想、新幹線の工事費、採算性を検討した結果、東海道新幹線の早期着工と短期間の完成を目指すことが結論され、19日に閣議決定されました。これを受けて東海道新幹線建設は本格的に動き出し、昭和34年4月に起工式が行われ、昭和39年10月に開業しました。

0304_03ワシントンハイツの返還
代々木公園は、戦後アメリカ軍に接収され、宿舎施設「ワシントンハイツ」として利用されていました。東京オリンピック開催決定により、ワシントンハイツの返還を受け、選手村として利用しようという計画が持ち上がり、返還交渉が行われました。画像は、昭和36年(1961)10月に返還をアメリカ側に提案した際に作成されたワシントンハイツ配置図です。

※ 感染症予防対応実施中。下掲詳細を確認の上展観を。
[ 詳細 : 国立公文書館 ] 

【平野富二の会】長崎直近情報|「平野富二生誕の地」碑前、三の堀跡の櫻が満開に!|日本二十六聖人記念館:宮田和夫会員情報ゟ|

「平野富二生誕の地」碑建立有志の会 ── 皆さま
[2021年03月31日 日本二十六聖人記念館 宮田和夫]

大変ご無沙汰しております。
一昨年 、昨 年 に続き、昨30日に撮影した「平野富二生誕の地」碑の写真を添付します。
ニュースで話題になっております通り、ここ数日長崎では黄砂の飛来がひどく、
深く彫られた碑文の字の中には黄砂が溜まっておりました。
碑文の字の汚れは大抵は雨で流されるのですが、汚れが溜まっているときには
時折ふきとっておりますのでご安心ください。
長崎の桜は例年より少し早めの開花で、少しづつ散りはじめております。[宮田和夫]
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「平野富二生誕の地」碑は2018年11月24日、長崎県勤労福祉会館(長崎県長崎市桜町9 ― 6)脇、長崎市の歩道に設置されました。
碑は江戸時代の「三の堀跡」方向をむいていますが、ここは現在桜並木になっています。

月代-さかやきを剃らずに髷を結い、帯刀し、東京で士装の旅姿を撮影した平野富二(富次郎)。
明治4年(1872)、数えで26歳、初冬のころの撮影と推定されている(平野ホール蔵)

宮田会員の写真で、前方突き当たり、満開の櫻並木を左手に曲がると、そこから信号ひとつ、三分ほどで長崎奉行所立山役所(現:長崎歴史文化博物館)裏門です。すなわち、安政4年-1857-数えて12歳の矢次富次郎少年 ── のちの平野富二が、幼少ながら「特例をもって」、また当時のならいで、家僕(中間)ひとりをともなって長崎奉行所へ勤務した「通勤路」にあたります。
奉行所表門にまわっても10分ほどでしょうか、どうやら富次郎少年の運動不足はいなめなかったようです。

長崎訪問の折は、ぜひともここにお立ち寄りいただき、平野富二の「通勤路」を追体験していただき、またできましたら碑周辺の清拭にあたっていただけたらと勝手なお願いを。
そして宮田さん、いつもながらご負担をおかけしまして恐縮です。

[ 参考 : 長崎歴史文化博物館 日本二十六聖人記念館 ]
[ 関連 : 平野富二-明治産業近代化のパイオニア ]

【展覧会】東京藝術大学大学美術館|渡辺省亭 欧米を魅了した花鳥画|’ 21年3月27日-5月23日

東京藝術大学大学美術館
渡辺省亭 欧米を魅了した花鳥画
会  期  2021年3月27日[土]-5月23日[日]
      午前10時 – 午後5時(入館は午後4時30分まで)
休  館  日  月曜日 * ただし 5月3日[月・祝]は開館
会  場  東京藝術大学大学美術館 本館 展示室 1、2、3
観  覧  料  一般 1,700円 高校・大学生 1,200円(中学生以下は無料)
主  催  東京藝術大学、東京新聞、NHK、NHKプロモーション
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明治から大正にかけて活躍した渡辺省亭(せいてい)の全貌を明らかにするはじめての展覧会です。省亭は明治11(1878)年の万博を機にパリに渡り、ドガをはじめ印象派の画家たちと交流した経験を持ちます。繊細で洒脱な花鳥画は、その後、万博への出品やロンドンでの個展などにより海外で高い評価を得ます。
一方、国内では、迎賓館赤坂離宮の七宝額原画を描くなどその実力は認められながらも、明治30年代以降は次第に中央画壇から離れて市井の画家を貫いたため、展覧会で紹介される機会が少なくなりました。
この展覧会では、海外からの里帰り作品を含め、これまで知られていなかった個人コレクションを中心に、省亭の全画業を紹介します。

※ 感染症予防対応実施中。下掲詳細を確認の上展観を。
[ 詳細 : 東京藝術大学大学美術館  展覧会公式サイト ]

【展覧会】江戸東京博物館|特別展 冨嶽三十六景への挑戦 北斎と広重|’ 21年4月24日-6月20日

江戸東京博物館
特別展 冨嶽三十六景への挑戦 北斎と広重
会  期  2021年4月24日[土]-6月20日[日]
会  場  江戸東京博物館 1 階特別展示室
開館時間  午前9時30分-午後5時30分 * 入館は閉館の30分前まで
休  館  日  毎週月曜日(ただし4月26日、5月3日は開館)
主  催  公益財団法人東京都歴史文化財団 江戸東京博物館、朝日新聞社
観  覧  料  一 般 1,000円、大学生・専門学校生 800円
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日本を代表する浮世絵の名作、葛飾北斎の「冨嶽三十六景」は、青を使った鮮烈な色彩と大胆な構図で人々に強い衝撃を与えました。この時、北斎は70歳を越えていましたが、長い画業の中で不断の努力を重ねていました。
一方の歌川広重はこの時30歳代後半。風景画を描くもヒット作のない一介の浮世絵師にすぎませんでした。そんな広重も驚きを持って見たであろう「冨嶽三十六景」シリーズ。その大ヒットの陰で、広重はどのように自らの画風を打ち立てていったのでしょうか。

これまでも北斎と広重の富士シリーズを展示する展覧会は開催されてきましたが、本展はより踏み込んだ解釈により、風景画で双璧をなす北斎と広重の挑戦をストーリー展開で浮き彫りにする試みです。一挙展示となる「冨嶽三十六景」全46図を含む作品はすべて「江戸博コレクション」。この浮世絵史を語るうえで見逃せない貴重なコレクションを通して、二人の浮世絵師のあくなき挑戦の数々を名品とともにご紹介します。

※ 感染症予防対応実施中。下掲詳細を確認の上展観を。
[ 詳細 : 江戸東京博物館 ]

【展覧会】長崎歴史文化博物館|特別展 長崎開港450周年記念展 ~ふたつの開港~|’ 21年4月24日-6月6日


長崎歴史文化博物館
特別展 長崎開港450周年記念展 ~ふたつの開港
会  期  2021年4月24日[土]-6月6日[日]
会  場  3 階企画展示室
開館時間  8:30-17:00(最終入館30分前まで)
料  金  一 般 800円 * 常設展観覧料込み・高校生以下無料
主  催  長崎県、長崎市、長崎歴史文化博物館
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長崎の町は元亀2年(1571)の開港を機に、一漁村から貿易都市へと発展していきます。西洋とつながりを持った長崎には教会が建ち並び、日本におけるキリシタンの中心地として南蛮文化が華開きます。続く豊臣秀吉、江戸幕府と支配を受けるなかでも長崎は外交・貿易の重要な拠点として機能していきます。
江戸幕府によって海外交流が制限された後にも、長崎には中国・東南アジアから来航する唐船やオランダ船から世界のさまざまな文物がもたらされ、文化交流が展開していきます。

幕末、安政の開港以降には欧米諸国との関係が新たになり、長崎には最先端の科学技術や国内外の情報がもたらされ、日本の近代化につながる基礎が築かれていきます。また、長崎の都市構造も大きく変貌し、設けられた外国人居留地をとおして国際色豊かな文化が育まれました。
本展では、長崎にとって大きな転換点となった元亀2年(1571)の開港から安政の開港までを中心に、交流の諸相や長崎港・町の変化を考古資料、古文書、美術工芸資料などから、ふたつの開港がもたらしたものを再考していきます。

※ 感染症予防対応実施中。下掲詳細を確認の上展観を。
[ 詳細 : 長崎歴史文化博物館 ]

【展覧会】奈良国立博物館|聖徳太子1400年遠忌記念|特別展 聖徳太子と法隆寺|令和3年4月27日-6月20日

奈良国立博物館
聖徳太子1400年遠忌記念 特別展 聖徳太子と法隆寺
会  期  令和3年4月27日[火]-6月20日[日]
        前 期:4月27日[火]-5月23日[日]
        後 期:5月25日[火]-6月20日[日]
会  場  奈良国立博物館 東・西新館
休  館  日  毎週月曜日(休日の場合はその翌日、連休の場合は最終日の翌日)
       * 5月3日は開館いたします。
開館時間  午前9時30分-午後5時(土曜は午後7時まで) * 入館は閉館の30分前まで
主  催  奈良国立博物館、法隆寺、読売新聞社、NHK奈良放送局、
      NHKエンタープライズ近畿、文化庁
観覧料金  一般 2,000円   高大生 1,400円   小中生 500円

本展は、新型コロナウイルス感染症の感染予防・拡大防止のため、事前予約<優先>制を導入します。「前売日時指定券」をお持ちの方は優先的に入館できますので、ご来館前にお求めください。混雑緩和のため、入場時間は 1 時間ごとに区切り、その時間枠内にご入場いただきます。
予約不要の「当日券」を会場にて若干数ご用意しますが、「前売日時指定券」をお持ちの方の入場を優先いたしますので、あらかじめご了承ください。

※「前売日時指定券」は、表示の当日券より各200円割引となります。

※ 館内が混雑した際は「前売日時指定券」をお持ちでない方の入館を制限する場合があります。
※ 本展の観覧券で、名品展(なら仏像館・青銅器館)もご覧になれます。
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奈良・斑鳩の地に悠久の歴史を刻む法隆寺は、推古天皇15年(607)、聖徳太子によって創建されたと伝えられます。太子は仏教の真理を深く追求し、また冠位十二階や憲法十七条などの制度を整えることで、後世に続くこの国の文化的な基盤を築き上げました。聖徳太子を敬う人々の心は、その没後に信仰として発展し、こんにちもなお日本人の間に連綿と受け継がれています。

令和3年(2021)は聖徳太子の1400年遠忌にあたり、これを記念して特別展「聖徳太子と法隆寺」を開催します。本展覧会では法隆寺において護り伝えられてきた寺宝を中心に、太子の肖像や遺品と伝わる宝物、飛鳥時代以来の貴重な文化財を通じて太子その人と太子信仰の世界に迫ります。
さらに、明治11年(1878)に法隆寺から皇室へと献納された「法隆寺献納宝物」が、奈良へまとまって里帰りする貴重な機会ともなります。
本展覧会は1400年という遙かなる時をこえて、今を生きる私たちが聖徳太子に心を寄せることでその理想に思いを馳せ、歩むべき未来について考える絶好の機会となることでしょう。

※ 感染症予防対応実施中。下掲詳細を確認の上展観を。
[ 詳細 : 奈良国立博物館  公式サイト ]

【展覧会】お札と切手の博物館|令和2年度 第2回 特別展|加藤倉吉 ── 最も多くの「顔」を彫り上げた男|令和3年1月13日-5月9日|展示再開

お札と切手の博物館
令和2年度 第2回特別展
加藤倉吉 ── 最も多くの「顔」を彫り上げた男
開  催  日  令和3年1月13日[水]-5月9日[日]* 3月23日[火]より再開
開催時間  9:30-17:00
休  館  日  月曜日(祝日の場合は翌平日)
開催場所  お札と切手の博物館 2階展示室
入  場  料  無 料
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加藤倉吉(かとうくらきち)は、大正から昭和にかけて、お札や切手の原版彫刻に腕を振るった印刷局の工芸官(専門職員)です。 倉吉が業務に従事したのは、戦時中という特殊な時代でした。
当時は、日本国内のお札や切手のみならず、日本が戦地で使用するための膨大な数のお札や切手等を発行していたことから、その製造を担う印刷局は、多忙を極めていました。この時、原版彫刻の主力として八面六臂の活躍をしたのが倉吉です。
その確かな技術と驚異的なスピードで、印刷局史上類を見ないほど多種多様な製品の原版を彫り上げ、責務に応え続けました。

また、彫刻にあたっては、天性の芸術感覚を活かし、技術の研鑽はもちろんのこと、飽くなき探求心から、さまざまな製版技法や表現方法を研究、実践し、画期的な製品・作品を数多く残しました。
さらに、原版彫刻部門のトップ・彫刻課長として、後進の技術指導にも積極的に携わり、後に活躍する多くの工芸官を育成するなど、多方面に活躍、貢献しています。
本展では、倉吉本人から寄贈を受けた資料を選りすぐり、戦時の緊急増産体制を支えた倉吉の技と作品の妙をご紹介します。
国の「顔」たるお札や切手等の製品とともに、印刷局伝統の技・凹版彫刻技術が生み出すモノクロームの美をぜひご鑑賞ください。

※ 本展示は、政府による緊急事態宣言の解除に伴い、令和3年3月23日[火]ゟ再開します。
※ 感染症予防対応実施中。下掲詳細を確認の上展観を。
[ 詳細 : お札と切手の博物館 ]

【展覧会】東京国立博物館|特別展 「国宝 鳥獣戯画のすべて」|’ 21年4月13日-5月30日|事前予約制(日時指定券)

東京国立博物館
特別展 「国宝 鳥獣戯画のすべて」
会  期  2021年4月13日[火]-5月30日[日] 事前予約制(日時指定券)を導入
会  場  東京国立博物館 平成館(上野公園)
開館時間  確定次第、お知らせします
休  館  日  月曜日 * ただし、5月3日[月・祝]は開館
観覧料金  一般 2,000円、大学生 1,200円、高校生 900円、中学生以下無料
主  催  東京国立博物館、高山寺、NHK、NHKプロモーション、朝日新聞社
お問合せ  050-5541-8600(ハローダイヤル)
* 展示作品、会期、展示期間・開館日、入館方法などについては、今後の諸事情により変更する場合があります。展覧会公式サイトなどで確認してください。
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国宝「鳥獣戯画」は、誰もが一度は目にしたことのある、日本絵画史上もっとも有名な作品の一つです。本展では、擬人化した動物たちや、人びとの営みを、墨一色で躍動的に描いた 甲・乙・丙・丁 全 4 巻の全場面を、会期を通じて一挙公開するとともに、かつて4 巻から分かれた断簡、さらに原本ではすでに失われた場面を留める模本の数々が集結します。
あわせて本展では、秘仏として普段は拝観のかなわない重要文化財「明恵上人坐像」をはじめとした至宝によって明恵上人の魅力に迫るとともに、高山寺 選りすぐりの名宝をご紹介します。

※ 国宝「鳥獣戯画 甲巻」は動く歩道に乗りご覧いただきます。

※ 感染症予防対応実施中。下掲詳細を確認の上展観を。
[ 詳細 : 東京国立博物館  展覧会公式サイト ]

【展覧会】印刷博物館 企画|特集 和書ルネサンス|江戸・明治初期の本にみる伝統と革新|’ 21年4月17日-7月18日|事前入館予約制

印刷博物館 企画展
特集 和書ルネサンス  江戸・明治初期の本にみる伝統と革新
会  期  2021年4月17日[土]-7月18日[日]
休  館  日  毎週月曜日(ただし5月3日は開館)、5月6日[木]
開館時間  10:00-18:00(入場は17:30まで)
入  場  料  一般 800円、学生 500円、高校生 300円
入場方法  オンラインによる事前予約(日時指定券)制です。→ 事前入館予約 へ
主  催  凸版印刷株式会社 印刷博物館
協  力  実践女子大学図書館、国文学研究資料館、大本山石山寺
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350年の時空を超えて
『源氏物語絵巻』が再会!
<紫式部聖像>-最古の紫式部と出会う
日本では江戸期から本格化する印刷出版が、古典の伝統をつなぐ大切な役割を果たしました。たとえば『源氏物語』。平安盛期に紫式部が書きのこしたこのテキストは、原本が霧散した後も学者らによる校訂校閲が繰り返され、江戸に華ひらく出版文化により、武家から町人まで広く『源氏物語』をたのしむ時代がやってきたのです。
今回、ギリシャ・ローマ古典を再発見したヨーロッパの文化運動ルネサンスに例えて、〝和書ルネサンス〟とよんでみることにしました。古典文学と印刷出版の関わりを、三部構成で検証してまいります。

[ 詳細 : 印刷博物館 事前入館予約 ]

【展覧会】泉屋博古館 住友コレクション|特別展「鋳物・モダン-花を彩る銅のうつわ-」|’ 21年3月13日-5月16日

泉屋博古館 住友コレクション
特別展「鋳物・モダン-花を彩る銅のうつわ-」
会  期  2021年3月13日[土]-5月16日[日]
開館時間  午前10時-午後5時(入館は午後4時30分まで)
休  館  日  月曜日 (祝日は開館)4月23日、5月6日
入  館  料  一般800円、高大生600円、中学生以下無料
主  催  公益財団法人泉屋博古館
会  場  住友コレクション 泉屋博古館
      〒606-8431 京都市左京区鹿ヶ谷下宮ノ前町24
      075-771-6411
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青銅製の花器は、中国において宋時代以降、生花を活けるための道具として発達しました。日本でもこれらを模倣した花器が数多く制作され、とくに近代において金属工芸のなかで大きな地位を占めるようになりました。
本展では、青銅花器の源流を紹介しながら、富山大学芸術文化学部所蔵の大郷コレクションを中心に、多彩な発展を遂げた日本近代の銅花器の数々をご覧いただき、近代青銅器の精緻な美しさをお伝えしたいと思います。

※ 泉屋博古館分館(東京)は、2020年1月より約 2 年間改修工事のため休館中です。
※ 感染症予防対応実施中。下掲詳細を確認の上展観を。
[ 詳細 : 住友コレクション 泉屋博古館 ] { 活版 à la carte  過去ログ }

【展覧会】京都 ddd ギャラリー 第228回企画展|ヘルムート シュミット タイポグラフィ: トライ トライ トライ|’ 21年4月3日-7月10日

京都 ddd ギャラリー  第228回企画展
ヘルムート シュミット タイポグラフィ: トライ トライ トライ
展示期間  2021年04月03日[土]-07月10日[土]
会  場  京都 ddd ギャラリー
開館時間  11:00-19:00  * 土曜日と7月4日[日]は18:00まで
休  館  日  日曜・月曜・祝日 休館    * 特別開館7月4日[日]
展示企画  阿部宏史(print gallery tokyo)
      ニコール シュミット (helmut schmid design)
      辰馬知佳子
展示デザイン  長谷川哲也 (H TE ARCHITECTS)
主  催  公益財団法人DNP文化振興財団
      入場無料
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戦後、世界的な影響力を発揮したスイス・タイポグラフィの潮流を受け継ぎ、大阪を拠点に独自の活動を展開したタイポグラファ、グラフィックデザイナーのヘルムート・シュミット。国内外のデザイナーに大きな影響を与えたその実践の全体像を提示する、初の大規模回顧展です。
シュミットの初来日は1966年。バーゼルでエミール・ルーダーらに学び、文字を組むことに心躍らせていた24才の若者は、ルーダーの教えに続くものを日本の地に求めました。一度はヨーロッパへ戻りましたが、1977年に再び来日。以来、2018年に逝去するまで、情報伝達とフリーフォルムという二元性と向き合いながらデザイン活動を行い、商業作品も個人的な作品も、アプローチは違えど分け隔てなく取り組みました。

本展は、シュミットの有名無名の作品やその制作プロセスを、彼がその探求のなかで出会った人々の面影とともに辿るものです。最後までごく個人的であり続けた、人間味あふれるヘルムート・シュミットのタイポグラフィの軌跡をご覧ください。

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ヘルムート・シュミット

1942年オーストリア生まれ。西ドイツで植字工見習いを終了後、スイスのAGS(バーゼル工芸学校)で、モダンタイポグラフィの泰斗エミール・ルーダーや、ロベルト・ビュヒラー、クルト・ハウエルトのもとで学ぶ。

バーゼル、西ベルリン、ストックホルム、モントリオール、バンクーバー、大阪、デュッセルドルフで働いた後、1977年より大阪在住。大塚製薬の医薬パッケージやポカリスエット、IPSAや資生堂MAQuillAGEのブランドアイデンティティをはじめ多数のデザインを手掛ける。同時に、『タイポグラフィック・リフレクション』などの自主出版活動も行う。2000 年より2010 年まで神戸芸術工科大学にて、2006 年から1年半はソウルの弘益大学校にて教鞭をとる。
2018 年逝去。

※ 感染症予防対応実施中。下掲詳細を確認の上展観を。
[ 詳細 : 京都dddギャラリー ]

【良書紹介】「ミツカン水の文化センター」機関誌|『水の文化』 第67号発刊|特集 みずからつくるまち

ミツカン 水の文化センター
『水の文化』67号
みずからつくるまち
2021年 02月
A4判 表紙とも52ページ フルカラー あじろ綴じ
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北海道の旭川空港から車で10分ほどの場所にある東川町(ひがしかわちょう)。この人口減少社会にもかかわらず、近年は人口が増加傾向にある。また、約8300人の町民全員が地下水だけで暮らす、日本でも珍しい町だ。
過去およそ25年以内に転入した「移住者」比率は56.6%。つまり今の町民の2人に1人が「よそから移ってきた人」だ。移住した人たちは、東川町にどんな魅力を感じたのだろうか。

いっぽう、もともとこの地に住んでいる人たちは、1985年(昭和60)に「写真の町」を宣言するなど一風変わった施策を講じるこの地にどんな愛着をもち、地域にかかわっているのか。
美しい大雪山連峰に育まれた水を守り、教育に力を入れ、住民主体のイベントも活発な東川町を探り、今後の地域社会のあり方と、そこに「水」がどうかかわるかについて考えたい。

上空から見た東川町。遠くにそびえるのはこの地の象徴、大雪山連峰(提供:東川町)
ミツカン 水の文化センター WebSite ゟ

東 川 町  [ ミツカン 水の文化センター WebSite ゟ ]
人口は8328人、世帯数は3879世帯(2017年12月31日時点)。面積は247.06km2(東西36.1km・南北8.2km)。
北海道のほぼ中央に位置し、北海道北部の中核都市・旭川市に隣接する。日本最大の自然公園「大雪山国立公園」の区域の一部であり、大雪山連峰の最高峰・旭岳(2291m)は東川町域となる。
1894年(明治27)、旭川村字忠別原野の殖民地として区画整理が行なわれ、1895年(明治28)に香川、富山、愛知、徳島県人などが入植し開拓が始まる。1897年(明治30)12月、旭川村から分割して東川村と称するまでの2年半は旭川村の一部だった。「平成の大合併」(1999年から政府主導で行なわれた市町村合併)では「単独自立」の道を選択した。
[ 参考 : 東川町 ウィキペディア ]

【 詳細 : ミツカン 水の文化センター 】 { 活版アラカルト 既出まとめ }

【展覧会】武蔵野美術大学 美術館・図書館|片山利弘 ― 領域を越える造形の世界|’ 21年4月5日-6月20日

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武蔵野美術大学 美術館・図書館
片山利弘 ― 領域を越える造形の世界
会  期  2021年4月5日[月]-6月20日[日] 4月5日[月]は同学新入生限定開催
時  間  10:00-18:00(土曜日、祝日、特別開館日は17:00閉館)
休  館  日  日曜日 ただし6月13日[日]と20日[日]は特別開館日
入  館  料  無 料
会  場  武蔵野美術大学美術館 展示室 3
主  催  武蔵野美術大学 美術館・図書館
協  力  片山渥美・片山哲夫・南天子画廊
監  修  新島 実(武蔵野美術大学 名誉教授)
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戦後日本のデザイン創成期に主導的な役割を果たし、後に制作の場をスイス、アメリカと海外に求めた片山利弘(1928-2013)は、デザイン、絵画、彫刻、そして巨大な建築空間での立体表現と、領域の枠組みにとらわれずに活躍しました。グローバルに生きた片山の創作活動の全貌に迫るはじめての機会となります。

本展では独学で学び、日本で発表した初期のグラフィック作品にはじまり、スイスに渡り製薬会社ガイギー社で携わった広告デザイン、アメリカのハーバード大学カーペンター視覚芸術センターでのデザインと教育の仕事、そして1980年以降の日米を行き来しながら続けた、それまでの創作をさらに発展させた「領域を越えた造形」を紹介します。

katayama_main-824x728片山利弘 作 和泉正敏 協力《正方形へ、光と石の対話》
(大原美術館本館レリーフ彫刻)1991年

本展では、造形作家・片山利弘の50年以上におよぶ創作活動を、年代順に紐解いていきます。
まず冒頭の「日本(大阪/東京)」では、最初期の作品を展示します。図案画家である父のもと、独学でデザインを学んだ片山は、「第20回毎日商業美術振興運動(現・毎日広告デザイン賞)」での受賞をきっかけに木村恒久、田中一光、永井一正らと出会い、1960年に日本デザインセンターに創立メンバーとして参加します。その当時を振り返ります。

1963年、ヨーロッパのグラフィックデザインを牽引していたスイスのガイギー社の招聘を受け、片山は同社のアートディレクターになります。展覧会の2つ目の「スイス(バーゼル・ガイギー社)」の章は、このスイス時代に焦点を当てます。
シルクスクリーンで異なる太さの線を刷った色紙を手術用のメスを使って切り、その色紙を様々な形に組み合わせたコラージュ作品《Visual Construction》シリーズでバーゼルではじめての個展を開催します。また、1965年11月に銀座松屋で開催されたエポックメーキングな「ペルソナ」展にも片山はスイスから出展します。

続く「アメリカ(ボストン・ハーバード大学)」の章では、ハーバード大学カーペンター視覚芸術センターに招聘された1966年以降の作品を展示します。約30年にわたり教育に携わりながら、カーペンター視覚芸術センターで行われる講演会や展覧会などのデザインの仕事を担当します。
最終章では「領域を越えた活動」を紹介します。特に1980年代以降の片山は、日米を行き来しながら丹下健三ら日本の建築家とのコミッションワークに数多く取り組みます。現存する建築空間での大型作品を通して、稀有な造形作家がグローバルに生き、辿り着いた境界のない活動をご覧いただきます。

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コラージュ《Blue Star》1964 年迚・アア螻表katayama_2キャンバス《三思の門》1989 年

迚・アア螻表katayama_3シルクスクリーン《Up or Down》1975 年
迚・アア螻表katayama_4三井住友海上千葉ニュータウンセンター 壁面レリーフ《線映》1994 年迚・アア螻表katayama_5JT 本社ビル 銅板レリーフ壁画《さあ、鳥たちよ・・・》1995 年

出品作家紹介
片山利弘(かたやま・としひろ):
1928 年大阪生まれ。造形作家。独学でデザインを学び、フリーランスのデザイナーとして活動。日本デザインセンター(1960ー1963)、スイスのガイギー社(1963-1966)勤務を経て、 1966 年に拠点をアメリカのボストンに移し、ハーバード大学で教育に携わりながら、精力的に制作活動を続け、多岐にわたる分野で国際的に活躍。2013年逝去。

※ 感染症予防対応実施中。下掲詳細を確認の上展観を。
[ 詳細 : 武蔵野美術大学 美術館・図書館 ]

【ニュース】株式会社写研|Webサイト(コーポレートサイト)公開|2021年03月08日

株式会社写研(代表取締役社長:笠原義隆 本社:東京都豊島区南大塚2-26-13)は、2021年3月8日、Webサイト(コーポレートサイト)を公開しました。

写研は、写真植字機に向けて作られた数多くの書体を通して、日本の文字、日本語の文化およびデザインの向上に貢献することを目指してまいりました。

この写研の文字、書体を守り、未来へつなぐために、2021年5月に写研の歴史と沿革、これまでの写研書体や写植機、および各種資料をご覧いただけるデジタルアーカイブサイトを公開する予定です。

[ 詳細 : 株式会社写研 ]

{新宿餘談}
本稿は、論評無しで紹介いたします。

【展覧会】竹下夢二美術館|夢二デザイン1910-1930 ── 千代紙から、銀座千疋屋の図案まで|’21年2月11日-6月6日

竹下夢二美術館
夢二デザイン1910-1930 ── 千代紙から、銀座千疋屋の図案まで ──
会  期  2021年2月11日[木・祝]-6月6日[日]
      ※新型コロナウイルスの影響により、会期が変更になりました
      ※入館にはオンラインによる事前予約(日時指定)が必要となります
開館時間  午前10時30分-午後4時30分(入館は4時までにお願いします)
休  館  日  月・火曜日
      ※ただし2/23(火祝)、5/3(月祝)、5/4(火祝)開館、2/24(水)休館
料  金  一般 1000円/大・高生 900円/中・小生 500円
      (弥生美術館もご覧いただけます)
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約100年前の日本で “ 可愛い ” というキャッチコピーを使用し、自らデザインしたグッズを売り出した画家・竹久夢二(1884-1934)。
伝統と近代、和と洋の美術様式を交差させて、暮らしに身近な日用品から商業図案まで、夢二は洗練されたデザインを幅広く展開しました。
本展では、1910年から1930年の間に夢二が手掛けた千代紙、絵封筒、雑誌表紙、楽譜表紙、本の装幀、双六、銀座千疋屋のための図案、ポスター、レタリング等を展示紹介し、グラフィックデザイナーの先駆けともいえる、夢二の美の世界を考察します。

※ 感染症予防対応実施中。下掲詳細を確認の上展観を。
[ 詳細 : 竹久夢二美術館 

【DNP ニュースリリース】 出版文化を支え続けた市谷工場の地に「市谷の杜 本と活字館」をオープン|活字の製造から印刷・製本まで、動態展示で紹介する “リアルファクトリー”

【DNP ニュースリリース】
出版文化を支え続けた市谷工場の地に「市谷の杜 本と活字館」をオープン
活字の製造から印刷・製本まで、動態展示で紹介する “リアルファクトリー”
2020年11月25日
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大日本印刷株式会社(本社:東京 代表取締役社長:北島義斉 資本金:1,144億円 以下:DNP)は、市谷事業所(東京都新宿区)の再開発プロジェクトの一環として、1926(大正15)年の竣工以来「時計台」の愛称で親しまれてきた旧営業所棟の建物を修復・復元し、活版印刷の技術とその魅力を伝える、文化施設「市谷の杜 本と活字館」として2021年2月11日[木]より一般公開します。

「市谷の杜 本と活字館」は、DNP の事業の原点である活版印刷の職場を一部再現し、文字のデザイン、活字の鋳造から、印刷・製本までのプロセスを展示、紹介する施設です。昭和初期の印刷機が稼働する様子や、活版職人が作業する姿も動態展示の形で公開します。また、参加型ワークショップなど、来館者に活版印刷のモノづくりを体験していただく機会も提供します。「市谷の杜 本と活字館」は、印刷所でもあり、モノづくり工房でもある “ リアルファクトリー ” です。

dnp01◇「市谷の杜 本と活字館」開設の背景
DNP は、その前身の 1 社である「秀英舎」時代の1886(明治19)年、東京・市谷に出版印刷の製造拠点を構えました。この工場はその後、都心にありながら世界最大規模の出版印刷工場となり、2010(平成22)年からのDNP市谷地区全体の再開発工事によって閉鎖になるまでの間、数多くの雑誌や書籍を製造してきました。DNPは創業時から続けてきた活版印刷の作業を2003年に終了しましたが、それ以降も活字や鋳造機、活版印刷機などを多数保存してきました。

印刷・製本関連業は新宿区の地場産業の一つでもあり、DNPは区内の出版社や印刷・製本会社とともに、その発展に尽くしてきました。そうした地域的特性も踏まえ、大正期の建築を市谷で復元するとともに、活字や活版印刷機を一部公開し、活版印刷文化を未来に残していくための施設を開設することとしました。

DNPは現在、独自の「P&I」(印刷と情報)の強みを掛け合わせ、幅広い分野で事業を展開しています。その基礎にあるのは出版印刷で培ってきた数々の技術です。今回開設する「市谷の杜 本と活字館」は、その出版印刷の原点である活版印刷について、来館者に理解を深めていただくとともに、親しんでいただくことを目的としています。

◇「市谷の杜 本と活字館」の構成と主な企画内容
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・文字(秀英体)のデザイン、活字の型の彫刻(母型彫刻機)、活字の鋳造、活字を拾う文選、活字を組版する植字、印刷、製本など、活版印刷の各工程を展示。
01◯  2 F

03・活版印刷機(テキン)、リソグラフ、UVプリンター、レーザーカッターなど、多様な印刷機や加工機を備えており、来館者参加型のワークショップ等を開催。
・ワークショップで使う紙や雑貨、印刷・製本に関わる道具や書籍を販売。

・印刷や本づくりにまつわる企画展を開催。

◇ 施設概要
「市谷の杜 本と活字館」 東京都新宿区市谷加賀町1-1-1
※DNP市谷加賀町ビルの北東側の隣、陸橋脇にあります

*Webサイト https://ichigaya-letterpress.jp/
*見学の予約受付は 2021年2月1日[月]から 上記 Web サイトで開始します。
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◇「時計台」の歴史について
今回「市谷の杜 本と活字館」を開設する建物(通称「時計台」)は、秀英舎(1876年創業)が50周年を迎えた1926(大正15)年に「営業所」として竣工しました。その後、太平洋戦争時の空襲でも被災せず、増築を行いながら社屋として使用してきました。
歴史的遺産ともいえるこの建物は、土居松市氏(東京高等工業学校教授)と、
宮内初太郎氏(宮内建築事務所)が手掛けた分離派(セセッション)様式の建築で、鉄筋コンクリート・鉄骨構造が採用されていました。土居氏はこの建築構造の研究における第一人者でした。

今回、竣工時の姿に復元するため、床のタイルの一部を当時のまま残したほか、天井や柱のレリーフも当時の状態を再現しています。
モノクロ写真しか残っていなかったため外壁の色の特定に苦労しましたが、同時期に建てられた「表参道同潤会アパート」の復元の際に壁面調査に携わった加藤雅久氏(居住技術研究所)の協力を仰ぎ、当時の色の再現に取り組みました。
ファサード(正面デザイン)は、秀英舎と日清印刷の合併により大日本印刷が発足した1935年当時の姿を復元しました。1952(昭和27)年に増築した3階部分については、撤去して竣工時の姿に戻しました。
1階に展示した、大正・昭和初期に使用されていたと思われる平台印刷機については、稼働できる状態で保存されていなかったため、駆動方法の調査を行い、不足部品を設計・製作し、動力を組みつけるなどして復元しました。建物および印刷機の復元のプロセスがわかる動画は、館内でご覧いただけます。

[ 詳細 : 大日本印刷株式会社 DNP ]

【展覧会】京都国立博物館|日本書紀成立1300年記念|特集展示 国宝「日本書紀」と東アジアの古典籍|2021年2月4日-2月28日

京都国立博物館
日本書紀成立1300年記念 特集展示
国宝「日本書紀」と東アジアの古典籍
会  期  2021年2月4日[木]-2月28日[日]
会  場  京都国立博物館 平成知新館 1 F-3、1 F-4
休  館  日  月曜日
開館時間  9:30-17:00(入館は16:30まで)
観  覧  料  一般 700円、大学生 350円
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『日本書紀』は、わが国における最初の勅撰国史として、養老4年(720)5月21日に完成、奏上されました。令和2年(2020)は、成立から1300年という節目の年にあたり、これを記念して開催する特集展示となります。
「古典籍」とは、古い時代に書写、あるいは印刷された和書・漢籍・仏典などの書籍をさします。京都国立博物館の所蔵する「岩崎本」「吉田本」という、国宝に指定される二つの「日本書紀」を中心に、時代を超えて受け継がれた、日本・中国・朝鮮半島の優れた古典籍をご覧ください。

[ 詳細 : 京都国立博物館 ]

【ニュース&プレスリリース】モリサワ OPENType フォントの共同開発で株式会社写研と合意|2021年01月18日

2021年01月18日
モリサワ OpenTypeフォントの共同開発で株式会社写研と合意
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株式会社モリサワ(代表取締役社長:森澤彰彦 本社:大阪市浪速区敷津東2-6-25、以下モリサワ)は、 株式会社写研(代表取締役社長:笠原義隆 本社:東京都豊島区南大塚2-26-13、以下写研)の保有する書体を、両社共同で OpenType フォントとして開発することに合意しました。

写研の書体は、幅広いバリエーションと洗練されたデザインが特徴で、専用のシステムを通じて多くの媒体で利用されています。この度の OpenType フォント開発を通じ、より幅広い用途でご利用いただけるよう両社で取り組みます。
フォントは2024年より順次リリースする予定です。2024年は、写研の創業者である石井茂吉氏とモリサワの創業者である森澤信夫が、写真の原理で文字を現して組む邦文写真植字機の特許を、1924年に共同で申請して100周年の節目にあたります。

今回の取組みについて両社の代表は次のように述べています。

株式会社写研 代表取締役社長 笠原義隆 氏
「共に邦文写真植字機を世に送り出したモリサワ社と共同事業を開始できることに、深い感慨を覚えます。 今後写研書体がより多くの皆様にご利用いただけますよう、鋭意努めてまいります。」

株式会社モリサワ 代表取締役社長 森澤彰彦
「邦文写真植字機発明100周年に向けて、両社共同でフォントを開発できることを心から嬉しく思っています。長年にわたって愛される写研の書体をこれからも多くの皆様にご利用いただけるよう、グループ一丸となって誠心誠意取り組んでまいります。」

フォントのラインナップやご提供形態は今後随時ご案内します。

◯ 本件に関するお問合せ
株式会社モリサワ 東京本社 経営戦略部 広報宣伝課

[ 詳細 : 株式会社モリサワ

{新宿餘談}
本稿は、論評無しで紹介いたします。

【展覧会】日本デザインコミッティー|第770回デザインギャラリー1953企画展|粟辻 博のテキスタイル|’21年1月27日-2月22日

日本デザインコミッティー
第770回デザインギャラリー1953企画展
粟辻 博のテキスタイル
期  間  2021年1月27日[水]-2月22日[月] 入場無料・最終日午後5時閉場
時  間  午前10時一午後8畤 松屋銀座営葉時間
会  場  松屋銀座7階 デザインギャラリー1953
主  催  日本デザインコミッティー
協  力  AWATSUJI design、株式会社フジエテキスタイル
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京都西陣のDNAを根っこに持ちながら、鮮烈な色彩や多彩なパターンのテキスタイルを次々と生み出し、刺激と感動を与え続けた人、粟辻 博(1929-95)。
自らのデザインを、表層(サーフェス)のデザインと捉え、日常のテキスタイルに留まらず、空間との関係性に踏み込んだデザインや、現代アートへと交差しながら、1900年代後半の熱い時代を駆け抜けて、日本のテキスタイルデザインを革新し発展させた孤高の先駆者、粟辻 博 の、小さなスペースには収まりきれない回顧展です。                  展覧会担当:川上元美

[ 詳細 :  日本デザインコミッティー

【展覧会】東京国立博物館|清朝書画コレクションの諸相 ― 高島槐安収集品を中心に ―|2021年1月2日-2月28日|事前予約制

東京国立博物館
清朝書画コレクションの諸相 ― 高島槐安収集品を中心に ―
会  期  2021年1月2日[ 土]-2021年2月28日[日]
会  場  東京国立博物館 東洋館 第 8 室
開館時間  9:30-17:00(入館は閉館の30分前まで)
観  覧  料  一般 1000円/大学生 500円
予約詳細  本展は「COVID – 19」感染予防のため事前予約制での開催です → 詳 細
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毎年開催している台東区立書道博物館との連携企画第18弾として、今年度は中国書画のコレクションをテーマに展示します。
台東区立書道博物館で中村不折、当館で高島槐安の収集品に焦点をあて、作品にみられる題跋や鑑蔵印等から、清時代から中華民国時代にかけて形成された官・民の書画コレクションの系譜をたどるとともに、それらを受け継ぐ両コレクションの特色を紹介します。

本展示は「COVID – 19」感染予防のため「事前予約制」で開催されます。
日時指定予約は、こちら から →
[ 詳細 : 東京国立博物館 ]

☆ 同時開催が予定されていた 台東区立書道博物館 は「COVID – 19」緊急事態宣言終了までの休館が広報されています。

【展覧会】根津美術館 |企画展 きらきらでん(螺鈿)|2021年1月9日-2月14日

根津美術館 企画展
きらきらでん(螺鈿)
会  期  2021年1月9日[土]-2月14日[日]
休  館  日  毎週月曜日 * 1月11日[月・祝]は開館、翌12日[火]は休館
開館時間  午前10時-午後5時(入館は午後4時30分まで)
入  場  料  一般 1300円、学生 1000円、中学生以下は無料
会  場  根津美術館 展示室 1・2
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輝く真珠層を持つ貝を、文様の形に切り抜き、嵌め込んだり貼り付けたりして装飾する技法、螺鈿(らでん)。「螺」は巻き貝、「鈿」は貝で装飾するという意味です。
アジア圏では漆工技法にも取り入れられ、主に夜光貝や鮑貝が用いられました。貝片の色は単なる白ではなく、内から放光するかのような青から赤のグラデーションのきらめきを持ちます。その貝と漆独特の美しい艶とで織りなされる世界は古来、人々を魅了してきました。
本展覧会では根津美術館の所蔵品を中心に、日本における螺鈿技術の受容と展開の歴史をたどりながら、中国大陸・朝鮮半島・日本・琉球の、きらきらの螺鈿の魅力をご堪能いただきます。

企画展「きらきらでん」は「COVID – 19」感染予防のため「日時指定予約制」で開催されます。
日時指定予約は、こちら から 
[ 詳細 : 根津美術館 ] { 活版アラカルト  まとめ }

【会員情報】日比谷図書文化館 特別展|複製芸術家 小村雪岱 ~装幀と挿絵に見る二つの精華|’21年1月22日-3月23日

千代田区立 日比谷図書文化館 特別展
複製芸術家 小村雪岱  ~装幀と挿絵に見る二つの精華~
会  期  2021年1月22日[金]-3月23日[火]
休  館  日  2月15日[月]、3月15日[月]

観覧時間  月曜日-木曜日  午前10時-午後7時、金曜日  午前10時-午後8時、
土曜日  午前10時-午後7時、日曜日・祝日  午前10時-午後5時
* 入室は閉室の30分前まで

会  場  千代田区立 日比谷図書文化館 1 階 特別展示室
観  覧  料  一般 300円、大学・高校生 200円
主  催  千代田区立 日比谷図書文化館
監  修  真田 幸治(装幀家、小村雪岱研究家)
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大正3年9月、小村雪岱(こむら せったい)は、文豪・泉鏡花による書き下ろし小説単行本『日本橋』で、装幀家としてデビューします。鏡花の小説世界を愛した若き無名の日本画家は、その画号「雪岱」も鏡花によって授けられました。
以後、装幀家としてばかりでなく、挿絵画家としても後に「雪岱調」といわれる独自の画風で邦枝完二の新聞連載小説「おせん」などを手がけ、雑誌や新聞などの印刷複製物で活躍します。
さらには舞台装置家としての面も見せ、装幀、挿絵、舞台装置と三つの分野で才能をいかんなく発揮しました。

本展では日本画家という出自を持ちながら、装幀家、挿絵画家という職能で輝きを放つ雪岱の仕事に注目、特に挿絵画家としての仕事については、監修者・真田幸治氏の膨大な個人コレクションから、当時の雑誌や新聞を用いてふんだんに紹介します。
雑誌のページ全体を使って大胆にレイアウトする様など、印刷物を通した複製芸術家としての雪岱の世界をご堪能ください。

小村雪岱(こむら せったい)プロフィール
本名 安並泰助(旧姓小村)。明治20(1887)年、埼玉県川越市生まれ。明治41(1908)年、東京美術学校日本画科選科卒業。
大正3(1914)年、泉鏡花『日本橋』(千章館)の装幀を手がけ、以後、鏡花本のほとんどの装幀をまかされる。また、水上瀧太郎や久保田万太郎、里見弴、昭和にはいってからは邦枝完二や長谷川伸、子母澤寛ら、大衆小説作家らの著書の装幀を多く手がけている。
挿絵画家としては邦枝完二の新聞連載小説「おせん」や、「お伝地獄」で確固たる地位を築き、舞台装置家としては守田勘彌「忠直卿行状記」を嚆矢として、中村歌右衛門や尾上菊五郎の舞台の装置を多く手がけた。
昭和15(1940)年歿。昭和17(1942)年、『日本橋檜物町』『雪岱画集』(高見澤木版社)刊行。

◉ 展示構成
Ⅰ.【鏡花本】/Ⅱ.【新聞連載小説の挿絵】/Ⅲ.【雑誌の挿絵】/Ⅳ.【九九九会の仲間たちの装幀本】/Ⅴ.【資生堂意匠部】/Ⅵ.【大衆小説作家の装幀本】

※ 感染症「COVID – 19」予防対応実施中。下掲詳細を確認の上展観を。
[ 詳細 : 千代田区立 日比谷図書文化館

【展覧会】ギンザ・グラフィック・ギャラリー第381回企画展|SURVIVE – EIKO ISHIOKA /石岡瑛子 グラフィックデザインはサバイブできるか|前期・後期展示|’20年12月4日-’21年3月9日

ギンザ・グラフィック・ギャラリー第381回企画展
SURVIVE – EIKO ISHIOKA /石岡瑛子 グラフィックデザインはサバイブできるか
会  期
 ── 会期を前期、後期に分け作品の入れ替えを行います。

前期 {広告・キャンペーン}:2020年12月4日[金]-2021年1月23日[土]
後期 {グラフィック・アート}:2021年2月3日[水]ー2021年3月19日[金]
〔冬期休館:2020年12月28日[月]-2021年1月5日[火]〕
会  場
ギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)
〒104-0061 東京都中央区銀座7-7-2  DNP銀座ビル1F/B1
入場無料 11:00 am-7:00 pm 日曜・祝日休館
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石岡瑛子(1938-2012)は、1960-70年代の東京で、資生堂、パルコ、角川書店などのアートディレクター(AD)として、広告界にセンセーションを巻き起こし、当時世の中にある「女性」のイメージをことごとく覆し、1980年代の「女の時代」到来の布石を打ちました。

「モーレツからビューティフルへ」や、「ディスカバー・ジャパン」などのキャンペーンではじまった1970年代の広告は、オイルショック(1973年)を契機に、高度成長経済の波に乗った大量生産、大量消費の時代が終わり、企業イメージによる差別化の時代へと突入。石岡瑛子や浅葉克己といった個性的なアートディレクターの出現によって、広告は商品の顔ではなく、企業の顔を明快にアピールするもの、つまり、「ものを宣伝するのではなく、現象(生き方=思想)を広告宣伝する」ようになりました。
特に70年代、最も熱いメッセージを送り続けた一連のパルコのポスターは、カメラマン、コピーライター、モデル等との親密でありながら、緊張感みなぎるコラボレーションにより、世界も驚くほどの表現水準に高まり、広告の領域を超えて強烈なアートとして時代を彩りました。

本展は石岡瑛子のデビューから1980年代のニューヨークへ渡るまでの日本の仕事に焦点を当てます。前期は資生堂やパルコなどの広告キャンペーンの名作を中心に、後期は映画や演劇のポスターをはじめ、今まであまり見る機会がなかったグラフィック・アート作品なども厳選してご紹介します。
生前、石岡がマントラのように唱えていたことば、「ORIGINARITY」、「REVOLUTIONARY」、「TIMELESS」。半世紀近い時を超えてなお、これら石岡瑛子の革命的な創造精神の破片は、私たちの心を激しく揺さぶりながら、確信を持って「目覚めなさい」とささやいています。

※ 感染症「COVID – 19」予防対応実施中。下掲詳細を確認の上展観を。
[ 詳細 : ギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)]

◉{新宿餘談}
「SURVIVE – EIKO ISHIOKA /石岡瑛子 グラフィックデザインはサバイブできるか」── SURVIVE、サバイブ とは英語の動詞で「生きのこる」、名詞でSurvival は「生きのこること」をあらわす。ggg ギャラリーでの意欲的かつ大胆な名称での展覧会となった。
[参考: NOTES ON TYPOGRAPHY:【ことのは】まもなく百年|グラフィックデザイナー|graphic design [印] 印刷を通して表現するデザイン。|graphic designer の語が最初に使われたのは1922年で、アメリカのドウィギンズ(→ Dwiggins)の造語だった|通称:森澤辞書ゟ|森澤 茂 ① ‘ 20年2月17日 ]

【展覧会】国文学研究資料館|企画展示「戦国武将たちの愛した文学 ― 幸若舞曲 ―」|令和2年11月4日-12月25日

国文研01

国文学研究資料館
企画展示「戦国武将たちの愛した文学 ― 幸若舞曲 ―」
会  期  令和2年11月4日[水]-12月25日[金]
      ※土曜日は北側通用口(正面玄関左手)よりお入りください。
開  室  日  「COVID – 19」予防対応実施中のため、当分の間、事前予約制となっております。
開室時間  午前10時-午後4時 ※入場は午後3時まで
場  所  国文学研究資料館1階 展示室
      問い合わせ先
      国文学研究資料館 連携企画・広報係
      TEL:050-5533-2910 FAX:042-526-8604 
主  催  国文学研究資料館
      入 場 無 料
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15世紀-17世紀に流行した幸若舞曲は、鼓を伴奏に謡い舞う語り物芸能です。軍記物を題材とした長編作品の語りを得意とし、それらは読み物としても人気を集めました。
本展では、当館が長年にわたり収集してきた幸若舞曲に関する古典籍を一堂に集め、公開いたします。

《主な展示品》 
★初公開となる貴重な写本も!
幸若舞曲五番五冊・幸若歌謡集一冊(神龍院梵舜-しんりゅういんぼんしゅん等による書写)
tenji_image1★物語を描いた鮮やかな絵巻や屏風もご紹介

『大織冠-たいしょかん』
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『義経奥州落絵詞-よしつね おうしゅう おちえことば』
(碧洋臼田甚五郎-へきよう うすだじんごろう-文庫)
tenji_image3※「COVID – 19」予防対応実施中。下掲詳細を確認の上展観を。
[ 詳細 : 国文学研究資料館 ]