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【良書紹介】「ミツカン水の文化センター」機関誌|『水の文化』 第67号発刊|特集 みずからつくるまち

ミツカン 水の文化センター
『水の文化』67号
みずからつくるまち
2021年 02月
A4判 表紙とも52ページ フルカラー あじろ綴じ
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北海道の旭川空港から車で10分ほどの場所にある東川町(ひがしかわちょう)。この人口減少社会にもかかわらず、近年は人口が増加傾向にある。また、約8300人の町民全員が地下水だけで暮らす、日本でも珍しい町だ。
過去およそ25年以内に転入した「移住者」比率は56.6%。つまり今の町民の2人に1人が「よそから移ってきた人」だ。移住した人たちは、東川町にどんな魅力を感じたのだろうか。

いっぽう、もともとこの地に住んでいる人たちは、1985年(昭和60)に「写真の町」を宣言するなど一風変わった施策を講じるこの地にどんな愛着をもち、地域にかかわっているのか。
美しい大雪山連峰に育まれた水を守り、教育に力を入れ、住民主体のイベントも活発な東川町を探り、今後の地域社会のあり方と、そこに「水」がどうかかわるかについて考えたい。

上空から見た東川町。遠くにそびえるのはこの地の象徴、大雪山連峰(提供:東川町)
ミツカン 水の文化センター WebSite ゟ

東 川 町  [ ミツカン 水の文化センター WebSite ゟ ]
人口は8328人、世帯数は3879世帯(2017年12月31日時点)。面積は247.06km2(東西36.1km・南北8.2km)。
北海道のほぼ中央に位置し、北海道北部の中核都市・旭川市に隣接する。日本最大の自然公園「大雪山国立公園」の区域の一部であり、大雪山連峰の最高峰・旭岳(2291m)は東川町域となる。
1894年(明治27)、旭川村字忠別原野の殖民地として区画整理が行なわれ、1895年(明治28)に香川、富山、愛知、徳島県人などが入植し開拓が始まる。1897年(明治30)12月、旭川村から分割して東川村と称するまでの2年半は旭川村の一部だった。「平成の大合併」(1999年から政府主導で行なわれた市町村合併)では「単独自立」の道を選択した。
[ 参考 : 東川町 ウィキペディア ]

【 詳細 : ミツカン 水の文化センター 】 { 活版アラカルト 既出まとめ }

【展覧会】武蔵野美術大学 美術館・図書館|片山利弘 ― 領域を越える造形の世界|’ 21年4月5日-6月20日

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武蔵野美術大学 美術館・図書館
片山利弘 ― 領域を越える造形の世界
会  期  2021年4月5日[月]-6月20日[日] 4月5日[月]は同学新入生限定開催
時  間  10:00-18:00(土曜日、祝日、特別開館日は17:00閉館)
休  館  日  日曜日 ただし6月13日[日]と20日[日]は特別開館日
入  館  料  無 料
会  場  武蔵野美術大学美術館 展示室 3
主  催  武蔵野美術大学 美術館・図書館
協  力  片山渥美・片山哲夫・南天子画廊
監  修  新島 実(武蔵野美術大学 名誉教授)
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戦後日本のデザイン創成期に主導的な役割を果たし、後に制作の場をスイス、アメリカと海外に求めた片山利弘(1928-2013)は、デザイン、絵画、彫刻、そして巨大な建築空間での立体表現と、領域の枠組みにとらわれずに活躍しました。グローバルに生きた片山の創作活動の全貌に迫るはじめての機会となります。

本展では独学で学び、日本で発表した初期のグラフィック作品にはじまり、スイスに渡り製薬会社ガイギー社で携わった広告デザイン、アメリカのハーバード大学カーペンター視覚芸術センターでのデザインと教育の仕事、そして1980年以降の日米を行き来しながら続けた、それまでの創作をさらに発展させた「領域を越えた造形」を紹介します。

katayama_main-824x728片山利弘 作 和泉正敏 協力《正方形へ、光と石の対話》
(大原美術館本館レリーフ彫刻)1991年

本展では、造形作家・片山利弘の50年以上におよぶ創作活動を、年代順に紐解いていきます。
まず冒頭の「日本(大阪/東京)」では、最初期の作品を展示します。図案画家である父のもと、独学でデザインを学んだ片山は、「第20回毎日商業美術振興運動(現・毎日広告デザイン賞)」での受賞をきっかけに木村恒久、田中一光、永井一正らと出会い、1960年に日本デザインセンターに創立メンバーとして参加します。その当時を振り返ります。

1963年、ヨーロッパのグラフィックデザインを牽引していたスイスのガイギー社の招聘を受け、片山は同社のアートディレクターになります。展覧会の2つ目の「スイス(バーゼル・ガイギー社)」の章は、このスイス時代に焦点を当てます。
シルクスクリーンで異なる太さの線を刷った色紙を手術用のメスを使って切り、その色紙を様々な形に組み合わせたコラージュ作品《Visual Construction》シリーズでバーゼルではじめての個展を開催します。また、1965年11月に銀座松屋で開催されたエポックメーキングな「ペルソナ」展にも片山はスイスから出展します。

続く「アメリカ(ボストン・ハーバード大学)」の章では、ハーバード大学カーペンター視覚芸術センターに招聘された1966年以降の作品を展示します。約30年にわたり教育に携わりながら、カーペンター視覚芸術センターで行われる講演会や展覧会などのデザインの仕事を担当します。
最終章では「領域を越えた活動」を紹介します。特に1980年代以降の片山は、日米を行き来しながら丹下健三ら日本の建築家とのコミッションワークに数多く取り組みます。現存する建築空間での大型作品を通して、稀有な造形作家がグローバルに生き、辿り着いた境界のない活動をご覧いただきます。

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コラージュ《Blue Star》1964 年迚・アア螻表katayama_2キャンバス《三思の門》1989 年

迚・アア螻表katayama_3シルクスクリーン《Up or Down》1975 年
迚・アア螻表katayama_4三井住友海上千葉ニュータウンセンター 壁面レリーフ《線映》1994 年迚・アア螻表katayama_5JT 本社ビル 銅板レリーフ壁画《さあ、鳥たちよ・・・》1995 年

出品作家紹介
片山利弘(かたやま・としひろ):
1928 年大阪生まれ。造形作家。独学でデザインを学び、フリーランスのデザイナーとして活動。日本デザインセンター(1960ー1963)、スイスのガイギー社(1963-1966)勤務を経て、 1966 年に拠点をアメリカのボストンに移し、ハーバード大学で教育に携わりながら、精力的に制作活動を続け、多岐にわたる分野で国際的に活躍。2013年逝去。

※ 感染症予防対応実施中。下掲詳細を確認の上展観を。
[ 詳細 : 武蔵野美術大学 美術館・図書館 ]

【展覧会 予告】佐川美術館 特別展|大恐竜展 よみがえる世界の恐竜たち|’ 21年4月1日-6月13日

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佐川美術館 特別展
大恐竜展 よみがえる世界の恐竜たち
会  期  2021年4月1日[木]-6月13日[日]
開館時間  午前9時30分-午後5時(入館は午後4時30分まで)
休  館  日  月曜日 (5/3 は開館)、5/6
入  館  料  一 般 ¥1,300 / 高大生 ¥800 / 中学生以下無料 ※ただし保護者の同伴が必要
主  催  佐川美術館 (公益財団法人SGH文化スポーツ振興財団)、読売新聞社
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佐川美術館(所在地:滋賀県守山市)では、春季企画展として「大恐竜展 よみがえる世界の恐竜たち」を開催いたします。
近年、恐竜研究は躍進し、長年の課題であった恐竜と鳥との関係が明らかにされてきました。さらに、脳の研究や、骨や歯化石の微細構造、軟組織の研究など、より生物学的な側面が明らかになりつつあります。

①復元画「ティラノサウルスVSトリケラトプス」《ティラノサウルスVSトリケラトプス》 復元画:月本佳代美
②ティラノサウルス全身復元骨格標本《ティラノサウルス全身復元骨格》 天草市立御所浦白亜紀資料館所蔵

③トリケラトプス全身復元骨格標本《トリケラトプス全身復元骨格》 福井県立恐竜博物館所蔵
④ネオベナートル _ロボット《ネオベナートルロボット》 ©ココロ
⑤復元画「白亜紀前期の福井の風景」《白亜紀前期の福井の風景》 復元画:月本佳代美

⑥フクイラプトル全身復元骨格標本《フクイラプトル全身復元骨格》 福井県立恐竜博物館所蔵

本展では、それらの研究成果をもとに恐竜に命を吹き込む作業、すなわち「恐竜の復元」をテーマに、その変遷の歴史および現在の恐竜 “ 像 ” について、科学的かつ芸術的観点から恐竜を紹介します。
世界トップレベルの展示と研究成果を誇る「福井県立恐竜博物館」の特別協力のもと、同館などが所蔵する全身復元骨格標本や、生体復元模型、ロボットなどを一堂に展示します。

外観画像①
※ 感染症予防対応実施中。下掲詳細を確認の上展観を。
[ 詳細 : 佐川美術館 ]

【展覧会】竹下夢二美術館|夢二デザイン1910-1930 ── 千代紙から、銀座千疋屋の図案まで|’21年2月11日-6月6日

竹下夢二美術館
夢二デザイン1910-1930 ── 千代紙から、銀座千疋屋の図案まで ──
会  期  2021年2月11日[木・祝]-6月6日[日]
      ※新型コロナウイルスの影響により、会期が変更になりました
      ※入館にはオンラインによる事前予約(日時指定)が必要となります
開館時間  午前10時30分-午後4時30分(入館は4時までにお願いします)
休  館  日  月・火曜日
      ※ただし2/23(火祝)、5/3(月祝)、5/4(火祝)開館、2/24(水)休館
料  金  一般 1000円/大・高生 900円/中・小生 500円
      (弥生美術館もご覧いただけます)
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約100年前の日本で “ 可愛い ” というキャッチコピーを使用し、自らデザインしたグッズを売り出した画家・竹久夢二(1884-1934)。
伝統と近代、和と洋の美術様式を交差させて、暮らしに身近な日用品から商業図案まで、夢二は洗練されたデザインを幅広く展開しました。
本展では、1910年から1930年の間に夢二が手掛けた千代紙、絵封筒、雑誌表紙、楽譜表紙、本の装幀、双六、銀座千疋屋のための図案、ポスター、レタリング等を展示紹介し、グラフィックデザイナーの先駆けともいえる、夢二の美の世界を考察します。

※ 感染症予防対応実施中。下掲詳細を確認の上展観を。
[ 詳細 : 竹久夢二美術館 

【DNP ニュースリリース】 出版文化を支え続けた市谷工場の地に「市谷の杜 本と活字館」をオープン|活字の製造から印刷・製本まで、動態展示で紹介する “リアルファクトリー”

【DNP ニュースリリース】
出版文化を支え続けた市谷工場の地に「市谷の杜 本と活字館」をオープン
活字の製造から印刷・製本まで、動態展示で紹介する “リアルファクトリー”
2020年11月25日
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大日本印刷株式会社(本社:東京 代表取締役社長:北島義斉 資本金:1,144億円 以下:DNP)は、市谷事業所(東京都新宿区)の再開発プロジェクトの一環として、1926(大正15)年の竣工以来「時計台」の愛称で親しまれてきた旧営業所棟の建物を修復・復元し、活版印刷の技術とその魅力を伝える、文化施設「市谷の杜 本と活字館」として2021年2月11日[木]より一般公開します。

「市谷の杜 本と活字館」は、DNP の事業の原点である活版印刷の職場を一部再現し、文字のデザイン、活字の鋳造から、印刷・製本までのプロセスを展示、紹介する施設です。昭和初期の印刷機が稼働する様子や、活版職人が作業する姿も動態展示の形で公開します。また、参加型ワークショップなど、来館者に活版印刷のモノづくりを体験していただく機会も提供します。「市谷の杜 本と活字館」は、印刷所でもあり、モノづくり工房でもある “ リアルファクトリー ” です。

dnp01◇「市谷の杜 本と活字館」開設の背景
DNP は、その前身の 1 社である「秀英舎」時代の1886(明治19)年、東京・市谷に出版印刷の製造拠点を構えました。この工場はその後、都心にありながら世界最大規模の出版印刷工場となり、2010(平成22)年からのDNP市谷地区全体の再開発工事によって閉鎖になるまでの間、数多くの雑誌や書籍を製造してきました。DNPは創業時から続けてきた活版印刷の作業を2003年に終了しましたが、それ以降も活字や鋳造機、活版印刷機などを多数保存してきました。

印刷・製本関連業は新宿区の地場産業の一つでもあり、DNPは区内の出版社や印刷・製本会社とともに、その発展に尽くしてきました。そうした地域的特性も踏まえ、大正期の建築を市谷で復元するとともに、活字や活版印刷機を一部公開し、活版印刷文化を未来に残していくための施設を開設することとしました。

DNPは現在、独自の「P&I」(印刷と情報)の強みを掛け合わせ、幅広い分野で事業を展開しています。その基礎にあるのは出版印刷で培ってきた数々の技術です。今回開設する「市谷の杜 本と活字館」は、その出版印刷の原点である活版印刷について、来館者に理解を深めていただくとともに、親しんでいただくことを目的としています。

◇「市谷の杜 本と活字館」の構成と主な企画内容
◯  1 F
・文字(秀英体)のデザイン、活字の型の彫刻(母型彫刻機)、活字の鋳造、活字を拾う文選、活字を組版する植字、印刷、製本など、活版印刷の各工程を展示。
01◯  2 F

03・活版印刷機(テキン)、リソグラフ、UVプリンター、レーザーカッターなど、多様な印刷機や加工機を備えており、来館者参加型のワークショップ等を開催。
・ワークショップで使う紙や雑貨、印刷・製本に関わる道具や書籍を販売。

・印刷や本づくりにまつわる企画展を開催。

◇ 施設概要
「市谷の杜 本と活字館」 東京都新宿区市谷加賀町1-1-1
※DNP市谷加賀町ビルの北東側の隣、陸橋脇にあります

*Webサイト https://ichigaya-letterpress.jp/
*見学の予約受付は 2021年2月1日[月]から 上記 Web サイトで開始します。
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◇「時計台」の歴史について
今回「市谷の杜 本と活字館」を開設する建物(通称「時計台」)は、秀英舎(1876年創業)が50周年を迎えた1926(大正15)年に「営業所」として竣工しました。その後、太平洋戦争時の空襲でも被災せず、増築を行いながら社屋として使用してきました。
歴史的遺産ともいえるこの建物は、土居松市氏(東京高等工業学校教授)と、
宮内初太郎氏(宮内建築事務所)が手掛けた分離派(セセッション)様式の建築で、鉄筋コンクリート・鉄骨構造が採用されていました。土居氏はこの建築構造の研究における第一人者でした。

今回、竣工時の姿に復元するため、床のタイルの一部を当時のまま残したほか、天井や柱のレリーフも当時の状態を再現しています。
モノクロ写真しか残っていなかったため外壁の色の特定に苦労しましたが、同時期に建てられた「表参道同潤会アパート」の復元の際に壁面調査に携わった加藤雅久氏(居住技術研究所)の協力を仰ぎ、当時の色の再現に取り組みました。
ファサード(正面デザイン)は、秀英舎と日清印刷の合併により大日本印刷が発足した1935年当時の姿を復元しました。1952(昭和27)年に増築した3階部分については、撤去して竣工時の姿に戻しました。
1階に展示した、大正・昭和初期に使用されていたと思われる平台印刷機については、稼働できる状態で保存されていなかったため、駆動方法の調査を行い、不足部品を設計・製作し、動力を組みつけるなどして復元しました。建物および印刷機の復元のプロセスがわかる動画は、館内でご覧いただけます。

[ 詳細 : 大日本印刷株式会社 DNP ]

【ニュース&プレスリリース】モリサワ OPENType フォントの共同開発で株式会社写研と合意|2021年01月18日

2021年01月18日
モリサワ OpenTypeフォントの共同開発で株式会社写研と合意
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株式会社モリサワ(代表取締役社長:森澤彰彦 本社:大阪市浪速区敷津東2-6-25、以下モリサワ)は、 株式会社写研(代表取締役社長:笠原義隆 本社:東京都豊島区南大塚2-26-13、以下写研)の保有する書体を、両社共同で OpenType フォントとして開発することに合意しました。

写研の書体は、幅広いバリエーションと洗練されたデザインが特徴で、専用のシステムを通じて多くの媒体で利用されています。この度の OpenType フォント開発を通じ、より幅広い用途でご利用いただけるよう両社で取り組みます。
フォントは2024年より順次リリースする予定です。2024年は、写研の創業者である石井茂吉氏とモリサワの創業者である森澤信夫が、写真の原理で文字を現して組む邦文写真植字機の特許を、1924年に共同で申請して100周年の節目にあたります。

今回の取組みについて両社の代表は次のように述べています。

株式会社写研 代表取締役社長 笠原義隆 氏
「共に邦文写真植字機を世に送り出したモリサワ社と共同事業を開始できることに、深い感慨を覚えます。 今後写研書体がより多くの皆様にご利用いただけますよう、鋭意努めてまいります。」

株式会社モリサワ 代表取締役社長 森澤彰彦
「邦文写真植字機発明100周年に向けて、両社共同でフォントを開発できることを心から嬉しく思っています。長年にわたって愛される写研の書体をこれからも多くの皆様にご利用いただけるよう、グループ一丸となって誠心誠意取り組んでまいります。」

フォントのラインナップやご提供形態は今後随時ご案内します。

◯ 本件に関するお問合せ
株式会社モリサワ 東京本社 経営戦略部 広報宣伝課

[ 詳細 : 株式会社モリサワ

{新宿餘談}
本稿は、論評無しで紹介いたします。

【展覧会】日本デザインコミッティー|第770回デザインギャラリー1953企画展|粟辻 博のテキスタイル|’21年1月27日-2月22日

日本デザインコミッティー
第770回デザインギャラリー1953企画展
粟辻 博のテキスタイル
期  間  2021年1月27日[水]-2月22日[月] 入場無料・最終日午後5時閉場
時  間  午前10時一午後8畤 松屋銀座営葉時間
会  場  松屋銀座7階 デザインギャラリー1953
主  催  日本デザインコミッティー
協  力  AWATSUJI design、株式会社フジエテキスタイル
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京都西陣のDNAを根っこに持ちながら、鮮烈な色彩や多彩なパターンのテキスタイルを次々と生み出し、刺激と感動を与え続けた人、粟辻 博(1929-95)。
自らのデザインを、表層(サーフェス)のデザインと捉え、日常のテキスタイルに留まらず、空間との関係性に踏み込んだデザインや、現代アートへと交差しながら、1900年代後半の熱い時代を駆け抜けて、日本のテキスタイルデザインを革新し発展させた孤高の先駆者、粟辻 博 の、小さなスペースには収まりきれない回顧展です。                  展覧会担当:川上元美

[ 詳細 :  日本デザインコミッティー

【展覧会】根津美術館 |企画展 きらきらでん(螺鈿)|2021年1月9日-2月14日

根津美術館 企画展
きらきらでん(螺鈿)
会  期  2021年1月9日[土]-2月14日[日]
休  館  日  毎週月曜日 * 1月11日[月・祝]は開館、翌12日[火]は休館
開館時間  午前10時-午後5時(入館は午後4時30分まで)
入  場  料  一般 1300円、学生 1000円、中学生以下は無料
会  場  根津美術館 展示室 1・2
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輝く真珠層を持つ貝を、文様の形に切り抜き、嵌め込んだり貼り付けたりして装飾する技法、螺鈿(らでん)。「螺」は巻き貝、「鈿」は貝で装飾するという意味です。
アジア圏では漆工技法にも取り入れられ、主に夜光貝や鮑貝が用いられました。貝片の色は単なる白ではなく、内から放光するかのような青から赤のグラデーションのきらめきを持ちます。その貝と漆独特の美しい艶とで織りなされる世界は古来、人々を魅了してきました。
本展覧会では根津美術館の所蔵品を中心に、日本における螺鈿技術の受容と展開の歴史をたどりながら、中国大陸・朝鮮半島・日本・琉球の、きらきらの螺鈿の魅力をご堪能いただきます。

企画展「きらきらでん」は「COVID – 19」感染予防のため「日時指定予約制」で開催されます。
日時指定予約は、こちら から 
[ 詳細 : 根津美術館 ] { 活版アラカルト  まとめ }

【会員情報】 ぢゃむ 杉本昭生さん|活版小本新作 ── ライナー・マリア・リルケ『 駆 落 』森 鷗外(森 林太郎)訳

{ ぢゃむ 杉本昭生 活版小本 一筆箋 }

森 歐外(森 林太郎)訳、リルケの「駈落」です。
「駈落」の筋は単純です。
交際を禁じられたアンナとフリッツは相談し
明日の朝、駅で待合せて二人でどこか遠くへ行くことにしました。
しかし時が近づくにつれてフリッツの気持は動揺してきました。

先日古書市で第一書房(長谷川巳之吉)の本をまとめて見る機会がありました。
だれかの蔵書で、表紙はすべてパラフィン紙がかけられ、
大切に所蔵されていたことが窺えました。
洋書のような凝った装丁は出版社のこだわりを強く感じさせるものでした。
印象が消えない内に今回の扉を作ってみました。(フーツラが太すぎますが)
作りながら、アナログの単純な色分けのなかに
久しく忘れていた、古くて新しい美しさがあることを感じました。
同時にそれを表現する技術が自分にないことも……。

◉ 杉本昭生のつぶやき:生の葱を囓ったような苦い味がする作品でした。(個人的な感想です)
◉ 吾輩のつぶやき: 京都吉田山山麓で製作に勤しむ杉本昭生さん。西のみやこ:京都盆地は、夏暑く、冬は冷えこみます。まして昨今の感染症「COVID – 19」感染予防の緊張のなかで、創作欲を保ち続けることだけでも敬服に価します。みやこの雪たよりとともに、活版小本新作が登場しました。

下駄買って

【 詳細  ぢゃむ 杉本昭生 活版小本 】 { 活版アラカルト 活版小本 既出まとめ 

【会員情報】日比谷図書文化館 特別展|複製芸術家 小村雪岱 ~装幀と挿絵に見る二つの精華|’21年1月22日-3月23日

千代田区立 日比谷図書文化館 特別展
複製芸術家 小村雪岱  ~装幀と挿絵に見る二つの精華~
会  期  2021年1月22日[金]-3月23日[火]
休  館  日  2月15日[月]、3月15日[月]

観覧時間  月曜日-木曜日  午前10時-午後7時、金曜日  午前10時-午後8時、
土曜日  午前10時-午後7時、日曜日・祝日  午前10時-午後5時
* 入室は閉室の30分前まで

会  場  千代田区立 日比谷図書文化館 1 階 特別展示室
観  覧  料  一般 300円、大学・高校生 200円
主  催  千代田区立 日比谷図書文化館
監  修  真田 幸治(装幀家、小村雪岱研究家)
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大正3年9月、小村雪岱(こむら せったい)は、文豪・泉鏡花による書き下ろし小説単行本『日本橋』で、装幀家としてデビューします。鏡花の小説世界を愛した若き無名の日本画家は、その画号「雪岱」も鏡花によって授けられました。
以後、装幀家としてばかりでなく、挿絵画家としても後に「雪岱調」といわれる独自の画風で邦枝完二の新聞連載小説「おせん」などを手がけ、雑誌や新聞などの印刷複製物で活躍します。
さらには舞台装置家としての面も見せ、装幀、挿絵、舞台装置と三つの分野で才能をいかんなく発揮しました。

本展では日本画家という出自を持ちながら、装幀家、挿絵画家という職能で輝きを放つ雪岱の仕事に注目、特に挿絵画家としての仕事については、監修者・真田幸治氏の膨大な個人コレクションから、当時の雑誌や新聞を用いてふんだんに紹介します。
雑誌のページ全体を使って大胆にレイアウトする様など、印刷物を通した複製芸術家としての雪岱の世界をご堪能ください。

小村雪岱(こむら せったい)プロフィール
本名 安並泰助(旧姓小村)。明治20(1887)年、埼玉県川越市生まれ。明治41(1908)年、東京美術学校日本画科選科卒業。
大正3(1914)年、泉鏡花『日本橋』(千章館)の装幀を手がけ、以後、鏡花本のほとんどの装幀をまかされる。また、水上瀧太郎や久保田万太郎、里見弴、昭和にはいってからは邦枝完二や長谷川伸、子母澤寛ら、大衆小説作家らの著書の装幀を多く手がけている。
挿絵画家としては邦枝完二の新聞連載小説「おせん」や、「お伝地獄」で確固たる地位を築き、舞台装置家としては守田勘彌「忠直卿行状記」を嚆矢として、中村歌右衛門や尾上菊五郎の舞台の装置を多く手がけた。
昭和15(1940)年歿。昭和17(1942)年、『日本橋檜物町』『雪岱画集』(高見澤木版社)刊行。

◉ 展示構成
Ⅰ.【鏡花本】/Ⅱ.【新聞連載小説の挿絵】/Ⅲ.【雑誌の挿絵】/Ⅳ.【九九九会の仲間たちの装幀本】/Ⅴ.【資生堂意匠部】/Ⅵ.【大衆小説作家の装幀本】

※ 感染症「COVID – 19」予防対応実施中。下掲詳細を確認の上展観を。
[ 詳細 : 千代田区立 日比谷図書文化館

【展覧会】文京区立森鷗外記念館|コレクション展|「拝啓、森歐外様 ― 歐外に届いた手紙」|令和2年12月4日-令和3年3月28日

文京区立森鷗外記念館
コレクション展「拝啓、森歐外様 ― 歐外に届いた手紙」
会  期  令和2年12月4日[金]-令和3年3月28日[日]
      Part 1 年賀状を楽しむ/12月4日[金]-1月24日[日]
      Part 2 文学者のたよりを読む/1月27日[水]-3月28日[日]
休  館  日  12月22日[火]、12月29日[火]-1月3日[日]、1月25日[月]、
      1月26日[火]、2月24日[水]、2月25日[木]、3月23日[火]
開館時間  10時-18時(最終入館は17時30分)
      * 2月14日[日]は20時まで開館(最終入館は19時30分)
料  金  一般 300円、中学生以下 無料
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文京区立森歐外記念館は、森歐外に届いた900通あまりの封書や葉書を所蔵しています。この中から選りすぐりの手紙を2期に分けて展覧します。
パート 1 では、差出人が自らデザインし趣向を凝らしたもの、新年の慶びをうたった詩歌が書かれたもの、賀詞が力強く墨書されたものなど、さまざまな年賀状を紹介します。川上眉山(小説家)、正岡子規(俳人)、寺崎廣業(日本画家)、谷崎潤一郎(小説家)ら40人の個性的な年賀状をお楽しみ下さい。

パート 2 では、文学者が鴎外に届けた手紙を読んでみましょう。執筆を依頼する尾崎紅葉(小説家)の封書や、執筆作品の訂正を伝える井上通泰(歌人)の葉書などからは、執筆者、編集者としての歐外の姿が見えてきます。
また、小山内薫(演出家)、上田敏(英文学者)、斎藤茂吉(歌人)の手紙は、写真や絵が印刷された絵葉書を用いて、文面以上のメッセージを伝えています。

歐外の生きた明治・大正期、手紙は用件を伝えるための主要な手段でした。歐外に届いた手紙を、記念館から皆さまにお届けします。知人や友人が鴎外の友人や知人が手紙に託した言葉を味わってみませんか。

※ 感染症「COVID – 19」予防対応実施中。下掲詳細を確認の上展観を。
[ 詳細 : 文京区立森鷗外記念館 ]

【展覧会】大阪大学総合学術博物館|第23回企画展 日本のまなざしに映った中国|’ 20年10月31日-’ 21年1月30日

大阪大学総合学術博物館
第23回企画展 日本のまなざしに映った中国
会  期  2020年10月31日[土]-2021年1月30日[土]

会  場  大阪大学総合学術博物館 待兼山修学館 ※入館無料
開館時間  11時-16時(入館は15:30まで)
休  館  日  日曜日・祝日・12月28日[月]-1月4日[金]
主  催  大阪大学総合学術博物館、国際日本文化研究センター
共  催  大阪大学大学院 言語文化研究科
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近代以降の日本人旅行者や研究者による中国各地の記録と表象(絵葉書・写真等)をテーマにした展覧会を開催します。国際日本文化研究センター所蔵資料および本学言語文化研究科と総合学術博物館教員の撮影した資料を活用し、戦前・戦後における中国各地の社会的変化、日本人の中国認識の変容、とりわけその間の両者の連続と断絶を検証し、戦前から現在へと至る記録・表象の変遷をたどります。

※ 感染症「COVID – 19」予防対応実施中。下掲詳細を確認の上展観を
[ 詳細 : 大阪大学総合学術博物館 ]

【展覧会】国文学研究資料館|企画展示「戦国武将たちの愛した文学 ― 幸若舞曲 ―」|令和2年11月4日-12月25日

国文研01

国文学研究資料館
企画展示「戦国武将たちの愛した文学 ― 幸若舞曲 ―」
会  期  令和2年11月4日[水]-12月25日[金]
      ※土曜日は北側通用口(正面玄関左手)よりお入りください。
開  室  日  「COVID – 19」予防対応実施中のため、当分の間、事前予約制となっております。
開室時間  午前10時-午後4時 ※入場は午後3時まで
場  所  国文学研究資料館1階 展示室
      問い合わせ先
      国文学研究資料館 連携企画・広報係
      TEL:050-5533-2910 FAX:042-526-8604 
主  催  国文学研究資料館
      入 場 無 料
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15世紀-17世紀に流行した幸若舞曲は、鼓を伴奏に謡い舞う語り物芸能です。軍記物を題材とした長編作品の語りを得意とし、それらは読み物としても人気を集めました。
本展では、当館が長年にわたり収集してきた幸若舞曲に関する古典籍を一堂に集め、公開いたします。

《主な展示品》 
★初公開となる貴重な写本も!
幸若舞曲五番五冊・幸若歌謡集一冊(神龍院梵舜-しんりゅういんぼんしゅん等による書写)
tenji_image1★物語を描いた鮮やかな絵巻や屏風もご紹介

『大織冠-たいしょかん』
tenji_image2

『義経奥州落絵詞-よしつね おうしゅう おちえことば』
(碧洋臼田甚五郎-へきよう うすだじんごろう-文庫)
tenji_image3※「COVID – 19」予防対応実施中。下掲詳細を確認の上展観を。
[ 詳細 : 国文学研究資料館 ]

【朗文堂既刊書】『タイポグラフィ論攷』板倉雅宣著 発売中|WebSite 討論会 本木昌造の呼称ーもとき か もとぎ か|WebSite 討論会参加へのお願い

タイポグラフィ論攷_表紙『タイポグラフィ論攷』 板倉雅宣著
B5 判 112ページ  並製本 図版多数

定価:本体2000円+税
    ISBN978-4-947613-94-3
【詳細 : 朗文堂ブックコスミイク 】【 アマゾン通販:ダイレクトサイト 】

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〔主要内容〕
目 次 から
まえがき
本木昌造の呼称
本木昌造 長崎ゆかりの地
『學問のすゝめ』活字版
グーテンベルクが作った活字の高さをめぐって
ギャンブルがつくった日本語かな活字
マージナルゾーンの語源を探る
[史料]中国の母型と活字に関するホフマンの報告 日本語訳

板倉雅宣

<板倉雅宣 タイポグラフィ論攷 フライヤー  PDF 1.92 MB
タイポグラフィ論攷フライヤー表タイポグラフィ論攷裏kazari-upper長崎オランダ商館長 ── 1855年9月30日の記録 下部に本木昌造の自筆サイン・捺印がある。
20201012180943_0000120201012180943_0000220201012180943_00003ほかの文書に見る本木昌造の自筆サイン・捺印の例
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朗文堂 担当者様                     板 倉 雅 宣  2020年08月04日

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の冒頭を拝見すると、
── 本木 昌造(もとぎ しょうぞう または もとき しょうぞう、文政7年6月9日(1824年7月5日) – 1875年9月3日)は江戸幕府の通詞、教育者であり、日本における活版印刷の先駆者として知られる。── と記されています。

そこで Wikipedia を直接訂正したいと思い、Wikipedia の訂正規定を読むと、なかなか難しく、小生には理解できません。そこで朗文堂のホムページの「朗文堂NEWS」の『タイポグラフィ論考』の紹介記事に、下記の文章を追加掲載していただけないかと思い、お願いする次第です。
──────────────
私の調べでは、翻訳者本木昌造本人の署名捺印が欧文で、長崎のオランダ商館長の1855年9月30日の記録として残っています。本木昌造は諱を永久と言い「永久」を印鑑にして押印しています。わが国では、正式書類には、名前を署名して捺印するのは、当然のしきたりとなっています。
そこでは「Motoki Shiozo」となっていて、これが正式の呼び名です。また、「本木」を「M. K.」とした署名も多く見られます。

以下に、その証拠を示します。
「MOTOGI」という呼称は、先代の本木良永(仁太夫 1735 – 94)や、本木正栄( 庄左衛門 1778 – 1812)らまで使われていた呼称で、その後、養子の本木昌栄(昌左衛門 1801 – 73)や、昌造(永久 1824 – 75)になると「MOTOKI」と名乗っています。このことは『タイポグラフィ論考』に詳細を記してあります。

「MOTOGI」は本木昌造が亡くなった明治8年以降に、東京築地活版製造所の平野富二が活字見本帳『Book of Specimens Motogi & Hirano』(1877年)や「The Life of MOTOGI NAGAHISA Japan’s Pioneer Printer」(1893年)に「MITOGI」と記したので、その後「もとぎ」が使われるようになりましたが、正しくありません。当時、日常、通称 MOTOGI と呼ばれていたことと推測されます。

[Motoki Shiozo] という本木昌造の自筆署名と捺印は、東京大学史料編纂所の日本関係海外史料オランダ商館文書のマイクロフィルム 「An Inventory of Microfilm Acquisitions in the Library of the Historiographical Institute the University of Tokyo. Volume III. The Netherlamds. Part III.」の No.6998-1-119-5. 「191a. Verzekering. Get. door Arawo Iwamino Kami en Kawamoera Tsoesimano Kami en Arawo Ikkakf. 30. Woero Kocgoeats (9. November 1855). 」の 1855年の「保証書」の荒尾石見守、川村対馬守、浅野一角の署名のある書類に、
「出島のオランダ人は 1855年10月22日 以降は監視なしに自由に出島を出ることができる」というオランダ語に翻訳した文書に、オランダ通詞、品川藤兵衛と印鑑、本木昌造の自筆署名と諱の永久という印鑑の捺印があります。(読みくだし省略)

kazari-upper『タイポグラフィ論攷』(板倉雅宣著、朗文堂刊)
愛読者の皆さまへ 

「 WebSite 討論会  本木昌造の呼称 ー もとき か もとぎ か」

著者:板倉雅宣氏は、上掲文書のように、『タイポグラフィ論攷』で解明・主張された「本木昌造の呼称ーもとき か もとぎ」については「もとき説」を主張されています。ウィキペディアは両論を併記しており、またウィキペディアは論争の場ではないと小社では回答したのですが、板倉雅宣氏はもう一度議論を深めて欲しいとされ、再検討を希望されています。
そこで感染症「COVID – 19」が終息したら、講演会・討論会などを設定して議論を深めようと計画しておりましたが、現下の「COVID – 19」の感染状況はいまだ予断をゆるさず、高齢者の参加が予想される、討論会などの開催は当分無理だと判断せざるを得ない状況となりました。

ついては、まだ『タイポグラフィ論攷』を購入されていないかたのために、該当部を PDF データー公開して、本欄と姉妹サイト{ NOTES ON TYPOGRAPHY }をもって「 WebSite 討論会 |本木昌造の呼称ーもとき か もとぎ か」として、皆さんのご意見を頂戴し、さらに論攷を深める手段を選択いたしました。
著者と版元の意のあるところをお汲みたまわり、ご意見を頂戴できたら幸甚です。

◉ ご意見賜り先:朗文堂/片塩二朗(jk@robundo.com)
お名前・ご連絡先・公開可(公開時限定ペンネーム可)・非公開希望かを明記してのご参加をお待ちしております。

【 PDF   motoki or motogi    タイポグラフィ論攷 抜粋 本木昌造の呼称   板倉雅宣  】

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【艸木風信帖】空中庭園とその付属庭園|梅雨の長雨・夏の炎暑に負けず秋の艸花が開花|志茂太郎没後40年

【デュランタ】
デュランタは藤色や白の小花が集まって房状に垂れ下がって咲く人気の熱帯花木で、夏の鉢物としてよく流通しています。丈夫で開花期間が長く、楽しめる花木です。
[ 参考 : NHK みんなの趣味の園芸 ]

【彼岸花/曼珠沙華】
中国原産で、彼岸花、曼珠沙華といった名前で昔からわが国でも知られていますが、これは栽培種でリコリス。開花期を迎えると、葉もなく誰に知られることもなく地中から突然に花芽が姿を現します。 その先端は見る見るうちに天に向かってまっすぐ伸び、大胆に反り返った花弁、突き出した雄しべ雌しべの神秘的な花姿とともに私たちを驚かせます。
[ 参考 : ウィキペディア 彼岸花 ]

【 吾が空中庭園の秋の女王|トロロアオイ 】

歩きゐて  日暮るる  黄蜀葵かな  澄雄

吾が空中庭園の女王 : トロロアオイが次〻に大輪の花をつけている。
寝起きに「ロダンの椅子」に腰をおろしてこの花をみるのが最大の朝のよろこびである。
空中花壇にはトロロアオイを二鉢植えてあるが、ひとつは五年物、ひとつは四年物で、ときおりみる一年草という紹介とはすこし違うようである。

もうすこし秋がふかまると、蒴果-サクカ(種子)は黒ずんで硬くなり、風に吹かれておもく揺れる。中にはごま粒ほどの種がみっしりと入っている。今回もみずからの復習と整理をかねて、辞典的な説明をさせていただいた。
──────────
トロロアオイは中国原産のアオイ科の多年草で、漢名を「黄蜀葵 オウショクキ」と呼ぶ。
その根は胃腸炎・喉頭炎などの薬用となり、また手漉き紙の流し漉き用の「ねり 粘剤」の原料、あるいは観賞用に栽培される。
「ねり」は楮 コウゾ や 雁皮 ガンピ などの紙料の繊維を、水中に均等に分散して漂浮させ、均等な厚みと強靭な紙をつくるのに利用する。工業用には化成品もあるが、手漉き紙にはトロロアオイかノリウツギの根から抽出する粘液が好適とされる。

矮性種もあるが、ふつう茎は高さ 1-2m。葉は長い柄があり、手のひら状にヤツデのように 5-9 に深裂する。
夏から秋にかけて直径10cmほどのおおきな花を、茎の上部にまばらな穂状につける。花は朝顔のように短命で、朝方に開花し、午後には下掲写真のようにしぼむ一日花で、淡い黄色。中心部に鮮やかな赤紫色の目が入り美しい。おしべは多数、花柱は5本に分かれ青紫色。蒴果サクカは角ツノで5稜あり、剛毛があって熟すと硬くなる。
根部は長さ20cmほどの紡錘形に肥大する。根は粘液を多量に含み、打ち砕いて(叩解)水につけたものを手漉き紙の「ねり」とする。本来は多年草であるが、「ねり」にもちいるためには蕾をとり、根に養分をたくわえる。したがって農家での栽培上は一年草として扱う。
[ 参考 : ウィキペディア トロロアオイ ]{ 活版 à la carte  トロロアオイ 既出まとめ }

kazari-upper志茂太郎  1900年(明治33)8月23日-1980年(昭和55)9月2日

岡山県久米南町山の城-くめなんちょう やまのじょう-の豪農兼酒造家にうまれ、東洋大学卒。
東京中野区に伊勢元酒店を営むかたわら「アオイ書房」を設立。愛書誌『書窓』ほか多くの図書を刊行。活字の一部を兵器に転用するとした政府の施策「変体活字廃棄運動」に異を唱え、それがもととなって1945年東京を追われ強制疎開。山の城に帰郷して「日本書票協会」などを設立。そのまま岡山に歿す。山の城の志茂家専用墓地には、志茂太郎が植えたとされるトロロアオイが無数に自生しており、秋には大輪の花をつける。

[ 参考:『活字に憑かれた男たち』「変体活字廃棄運動と志茂太郎」PDF ]

【オンラインイベント】チェコセンター|アドルフ・ロース Pioneer of Modern Living|生誕150周年

チェコセンター
アドルフ・ロース Pioneer of Modern Living
今年は、ブルノ生まれの建築家 アドルフ・ロース の生誕150周年です。モダニズム建築の先駆者のひとりとして活躍し、「装飾は罪悪である」という言葉を生んだロースの建築作品は、今なお多くの建築家に影響を与えています。
チェコセンターでは、生誕150周年を祝い、Facebook を中心として情報発信をしていくほか、オンラインでのイベントを行っていく予定です。

ナビゲーター:アダム・ゲブリアン(建築家)
主 催:チェコセンター・ロンドン
協 力:Mall.tv、ヴィンターニッツ邸 https://www.loosovavila.cz/

【詳細: チェコセンター 】

◉アドルフ・ロース  Adolf Loos (1870 – 1933)
ブルノ生まれ(当時はオーストリア=ハンガリー帝国)。19世紀末のヨーロッパで、最も影響力をもっていた建築家のひとり。同時に、モダニズム運動の基礎を形作る言論を著して注目を集めたことでも知られる。
リベレツおよびドレスデンで建築を学び、その後1893年から1896年まで3年間アメリカ合衆国に滞在し、アメリカの工業建築の革新的な効率の良さに感銘を受け、自身の作品にもその影響が表れている。その後ウィーンに移り、そこで数多くの論評を書き綴った。
特筆すべきなのは『装飾と犯罪』(Ornament und Verbrechen)で、建築において装飾要素をそぎ落とすことは精神力の象徴であると主張した。

ロースは内装の空間配置に関して独自の原理、すなわち「ラウムプラン」を提唱し、プラハのミュラー邸やヴィンターニッツ邸で実装した。個人の邸宅を手掛けたほかには、ウィーンのミヒャエル広場にあるゴールドマン&ザラチェの商業ビルや、カフェ・ムゼウム、またアメリカンバー・ケルントナーなどがとりわけ有名である。DSCN0487DSCN0654DSCN0653DSCN0545DSCN0561DSCN0609DSCN0639DSCN0499プラハ市内 ミュラー邸(2016年 大石 薫撮影)
[参考:活版 à la carte「プラハの機能主義建築 ─ 伝統と現代建築への影響」
ウィーン中央市民墓地(正面入口から入場、直ぐ左折・直進して突きあたりに所在)
[参考:タイポグラフィつれづれ艸 文字講座 知識としての文字 石のエクリチュール

【会員情報】 ぢゃむ 杉本昭生さん|活版小本新作 ── 散文詩集『宿命』 萩原朔太郎

{ ぢゃむ 杉本昭生 活版小本 一筆箋 }

sugimoto圖

萩原朔太郎の散文詩集『宿命』より六篇を選んで一冊にしました。
「散文詩」とは文字通り散文の形式をかりて表現された詩のことですが、
規則的な詩法に基づいた「韻文」に対してその定義はあいまいです。
詩的精神をもって書かれた短い文章、ということらしいです。

前回の失敗を繰り返さないよう慎重にすすめました。
しかし本体が完成したと思ったら、悪魔が二コニコ顔で目次の間違いを指摘、またはじめから作り直しました。
表紙カバーはルーチョ・フォンタナの「切り裂かれたキャンバス」(左掲写真)にするつもりで、わくわくしながら切れ目を入れてみましたが、全然よくないので中止。
安易な模倣を心から反省し、和紙を貼ることにしました。
普段の二倍の労力を費やした労作です。ぜひお読みください。

◉ 杉本昭生のつぶやき:どこかで使ってみたい。
◉ 吾輩のつぶやき: 京都吉田山山麓で製作に勤しむ杉本昭生さん。俳諧の世界から、現代美術 空間主義(spazialismo)の ルーチョ・フォンタナ hへの挑戦と、その創造意欲は旺盛かつ精力的です。


【 詳細  ぢゃむ 杉本昭生 活版小本 】 { 活版アラカルト 活版小本 既出まとめ 

【NEWS】2025年日本国際博覧会ロゴマーク公募事務局|大阪・関西万博 ロゴマーク最優秀作品決定|8月25日

公益社団法人2025年日本国際博覧会協会
2025年日本国際博覧会ロゴマーク公募事務局     2020年8月25日

最優秀作品
デザインコンセプト
踊っている。跳ねている。弾んでいる。だから生きている。大阪・関西万博。1970年のデザインエレメントを DNA として宿した CELL たちが、2025年の夢洲でこれからの未来を共創する。 関西とも、大阪府ともとれるフォルムを囲んだメインシンボルだけでなく、CELL たちは、文字や数字を描きだし、キャラクターとしてコミュニケーションする。自由に。有機的に。発展的に。いのちの輝きを表現していく。

受 賞 者
グループ名      TEAM INARI(チーム イナリ)
作者(代表者) シマダ タモツ
        生年 1965年
        職業 アートディレクター/グラフィックデザイナー
グループメンバー
雨宮 深雪・大亦 伸彦・上村 慎也・布川 侑己・藤澤 勇佑

[ リンク : 2025年日本国際博覧会ロゴマーク公募事務局

【会員情報】OMOTESANDO ROCKET|遠山由美 個展「Cosmic Ego ─ 自我からの解放をめざして ─」|6月26日-7月1日

MOTESANDO  ROCKET
遠山由美 個展「Cosmic Ego ── 自我からの解放をめざして ──」
開催日時  2020年6月26日[金]-7月1日[水]
      11:00-19:00 会期中無休  * 7月1日[水]18:00まで

* 新型コロナウイルス感染症対策の基本方針により、営業時間が変更となる場合がございます。
──────────────
独自の手法で新しいカリグラフィの領域を模索しながら、時代と呼応するかのように言葉と文字で表現した作品を国内外で発表する遠山由美の2年ぶりとなる新作展を開催します。
本展では、昨年 “ 弱肉強食 ” について考えるプロセスで ego とかきつづけ、その行為をとおして自己と向き合い、闘った私的記録でもある表題作「Cosmic Ego」のほか、依存と自立のはざまを探る「家になる私」「出口と入口」など、今日の状況を暗示するかのような主題の作品を展示。カンヴァスに墨やアクリル、油絵具などで描いた大型作品から最新の書画まで、内省的世界観の提示を目指す作品の数々を、ぜひご覧ください。


新型コロナウイルスの出現によって、わたしたちに本当に必要なものと、じつは必要なかったものが顕在化した。いま何より求められるのは、一人一人が自己の内側で起きている変化をみつめると同時に、他者の領域(ソーシャルディスタンス)を尊重し、互いの立場や価値観の違いを認め合うことではないだろうか。一個人の探求の軌跡を見ることで、気づきのいとぐちになればと願う。     ────  遠山由美

【 遠山由美 / Yumi Tohyama  profile 】
東京都生まれ。1990年代後半より日本語と英語を統合した両面文字、Non Dual Letterなど独自性と象徴性のあるカリグラフィを展開している。

gallery 360°(東京)のほか国内外のギャラリーや美術館等で個展、グループ展を多数開催。Akademie der Kunste (Berlin)に作品所蔵。作品集『両面文字/Dual Letter』、訳書に『漢字物語』、『書字法・装飾法・文字造形』がある。書く瞑想の場「ドゥブサル写本室」主宰。東京を拠点に長野県北部のアトリエで制作している。

[ 詳細 : OMOTESANDO  ROCKET 遠山由美 / Yumi Tohyama ]

【News Release】千代田区|まちの記憶保存プレート|1872年 明治五年 活字を用いた近代印刷の起点|千代田区神田和泉町1和泉小学校地先 植栽帯内に設置

千代田区「まちの記憶保存プレート」
設  置  者:東京都千代田区
設置場所:東京都千代田区神田和泉町1和泉小学校地先 区道植栽帯内
設置年月:2019年12月24日

◉ JR中央線・総武線「秋葉原」駅 昭和通り口より徒歩5分

まちの記憶
1872年
明治五年
活字を用いた近代印刷の起点
鋳造活字製造の事業化を果たした平野富二は、津藩主藤
堂和泉守屋敷の門長屋を再活用した活版製造・販売所を
開設し、これを機に全国的な規模で活版印刷が普及した。


[ 詳細: 平野富二の会 ]
[ 参考:活版 à la carte【平野富二の会】日本近代医学とタイポグラフィ揺籃の地|東京都千代田区神田和泉町 1 資料|「江戸名所道外盡 外神田佐久間町 廣景画」安政六年(1858年)披露 ]

【平野富二の会】長崎直近情報|「平野富二生誕の地」碑前、三の堀跡の櫻が満開に!|日本二十六聖人記念館:宮田和夫会員情報ゟ|

「平野富二生誕の地」碑建立有志の会 ── 皆さま
[2020年04月06日 日本二十六聖人記念館 宮田和夫]

ご無沙汰をいたしております。
何かと心落ち着かない日常が続きますが、当地長崎は今まさに桜が満開の時期となりました。
代わり映えしませんが 昨年同様 長崎桜町の桜と「平野富二生誕の地」碑の写真をお送りします。
冨二さんはことしも花見を楽しんでおられることと思います。
平野富二の会 ── 皆さまお元気でご活躍ください。[宮田和夫]
────────────────
「平野富二生誕の地」碑は2018年11月24日、長崎県勤労福祉会館(長崎県長崎市桜町9 ― 6)脇、長崎市の歩道に設置されました。
碑は江戸時代の三の堀跡の方向をむいていますが、ここは現在桜並木になっています。

宮田会員の写真で、前方突き当たり、満開の櫻並木を左手に曲がると、そこから信号ひとつ、三分ほどで長崎奉行所立山役所(現:長崎歴史文化博物館)裏門です。すなわち、安政4年-1857-数えて12歳の矢次富次郎少年 ── のちの平野富二が幼少ながら「特例をもって」、また当時のならいで、家僕(中間)ひとりをともなって長崎奉行社へ勤務した「通勤路」にあたります。
奉行所表門にまわっても七-八分ほどでしょうか、どうやら富次郎少年の運動不足はいなめなかったようです。

長崎訪問の折は、ぜひともここにお立ち寄りいただき、平野富二の「通勤路」を追体験していただき、またできましたら碑周辺の清拭にあたっていただけたらと勝手なお願いを。
そして宮田さん、いつもながらご負担をおかけしまして恐縮です。

[ 参考 : 長崎歴史文化博物館 日本二十六聖人記念館 ]
[ 関連 : 平野富二-明治産業近代化のパイオニア ]

【WebSite 紹介】 瞠目せよ諸君!|明治産業近代化のパイオニア 平野富二|{古谷昌二ブログ28}|国内外の博覧会と活字・印刷機の出品(その2)

明治産業近代化のパイオニア

平野富二生誕170年を期して結成された<「平野富二生誕の地」碑建立有志会 ── 平野富二の会>の専用URL{ 平野富二  http://hirano-tomiji.jp/ } では、同会代表/古谷昌二氏が近代活版印刷術発祥の地:長崎と、産業人としての人生を駈けぬけた平野富二関連の情報を精力的に記述しています。
本稿もこれまでの「近代産業史研究・近代印刷史研究」とは相当深度の異なる充実した内容となっています。読者諸賢の訪問をお勧めいたします。

古谷昌二ブログ ── 国内外の博覧会国内外の博覧会と活字・印刷機の出品(その2)

ab8a2b0e21f54ff5474ba991de0cb37c-300x199-300x199まえがき
(4)第二回内国勧業博覧会
     博覧会の概要
     築地活版製造所からの出品
     「字見本帳」について
     他社による活版印刷機の出展
     弘道軒神崎正諠とのひと悶着
(5)ロンドン万国発明品博覧会
  (International Inventors Exhibition, London)
(6)第三回内国勧業博覧会
(7)コロンブス世界博覧会(シカゴ万国博覧会-1893年)
   The World’s Columbian Exposition at Chicago, 1893
(8)第四回内国勧業博覧会
(9)第五回内国勧業博覧会
(10)その他の地方博覧会
    1)東京勧業博覧会
    2)東京大正博覧会
    3)平和記念東京博覧会
    4)大礼記念関連の地方博覧会
      ・大礼記念国産振興東京博覧会
      ・ 東北産業博覧会
      ・御大典奉祝名古屋博覧会
      ・大礼記念京都大博覧会
ま と め

図29-1 第二回内国勧業博覧会案内図(国文社)
図29-2 明治12年6月版『BOOK OF SPECIMENS』の扉ページ
図29-3 第三回内国勧業博覧会場之図
図29-4  大阪活版製造所の広告チラシ
図29-5 明治36年11月版『活版見本』の表紙

[ 国内外の博覧会国内外の博覧会と活字・印刷機の出品(その2)  古谷昌二まとめ ゟ ]

前回の(その1)では、その最初として1867(慶應3)年に開催されたパリ万国博覧会で渡仏した清水卯三郎が「フランスみやげ」とした石版印刷機と足踏印刷機について紹介し、1876(明治9)年にアメリカで開催されたフィラデルフィア万国博覧会と明治10年(1877)に開催された第一回内国勧業博覧会に出品した活字と印刷機について紹介した。

今回は(その2)として、明治11年(1878)9月に平野富二が本木小太郎に築地活版製造所の経営を返還・移譲し、本木小太郎の後見人となって以降について紹介した。

明治14年(1881)に第二回内国勧業博覧会が開催され、本木小太郎の名前で各種印刷機と各種活版、字見本帖を出品した。また、1885(明治18)年にはロンドン万国発明品博覧会には平野富二が本木小太郎の代理として活字見本と活版印刷見本を出品した。

明治18年(1885)4月、有限責任の株式組織として本木家から独立した東京築地活版製造所は、平野富二を初代社長に選任した。明治22年(1889)6月になって平野富二は社長を辞任して、第二代社長は空席のまま、本木小太郎が社長心得となった。以後、平野富二は東京石川島造船所の経営に専念して、自ら東京築地活版製造所の経営に関与することはなかった。この間、明治23年(1890)に開催予定だった第三回内国勧業博覧会の出品準備が行われたが、博覧会開催は曲田成が社長に就任した後のことである。

明治23年(1890)1月、本木小太郎の辞任により、曲田成が第三代社長に就任した。野村宗十郎は社長曲田成の下で明治25年(1892)8月に副支配人、明治26年(1893)8月に支配人となった。この間、明治23年(1890)4月から第三回内国勧業博覧会が開催され、東京築地活版製造所から活版組立板と石版印刷物が出品された。また、大阪活版製造所から十六片紙ロールマシンと活字額面が出品され、会場内で活版印刷機の図入り広告が印刷、配布された。

明治27年(1894)10月、社長曲田成の病死により名村泰蔵が第四代社長に就任した。この間、明治28年(1895)の第四回内国勧業博覧会では改正明朝体活字を出品、明治36年(1903)の第五回内国勧業博覧会ではポイント活字を出品して名誉銀牌を授賞、明治40年(1907)の第六回内国勧業博覧かに代わる東京勧業博覧会では仮名付活字と写真石版印刷物を出品して名誉金牌を授賞した。

明治40年(1907)9月、名村泰蔵の病死により支配人野村宗十郎が第五代社長に就任した。大正14年(1925)4月、野村宗十郎の病死により松田精一が第六代社長に就任した。
この間、府県庁またはその関係団体主催の各種博覧会に活字を出品して名誉賞を受賞している。

東京築地活版製造所は、業界の老舗でリーダーであったことから、出品した活字・活版については毎回、何らかの賞牌を授賞している。しかし、印刷機については、途中から自社内での製造を中止し、大阪活版製造所に委託したことから、機械分野での出品は見られなくなった。一方、明治17年(1884)から社内に印刷部を新設して印刷事業に本格進出し、石版印刷に力を注いだことから、石版印刷物の出品で受賞するようになった。

本稿では、平野富二が関わった博覧会の出品については詳しく述べたが、それ以降の博覧会については概要を述べるにとどまった。国立国会図書館には博覧会関係資料が数多く保管されており、それらは「国立国会図書館所蔵博覧会関係資料目録」(『参考書誌研究』、第44号、1994.8、国立国会図書館発行)に掲載されている。参考になる筈である。

【特別催事】文化庁/独立行政法人 日本芸術文化振興会/国立劇場|日本博2020 オープニング・セレモニー|3月14日

文化庁/独立行政法人 日本芸術文化振興会/国立劇場
日本博2020 オープニング・セレモニー
日  時  3月14日[土] 午後6時開始(終了予定時間午後7時20分)
会  場  東京国立博物館 本館前庭
      観覧無料(ただし東京国立博物館の当日の観覧料が必要です)
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2020年、いよいよ本格的に始動する日本博。
その幕開けとしてオープニング・セレモニーを開催します。
アイヌ古式舞踊とミュージカル『刀剣乱舞』により華々しく開幕する第1部記念式典に続き、第2部記念公演では、歌舞伎、文楽、能、雅楽、琉球芸能、合唱など多くの舞台芸術が、東京国立博物館本館前庭に設営された特設舞台に集い、本館壁面のプロジェクション・マッピングやユリノキのインスタレーションがその舞台を彩ります。

「日本の美」のエッセンスに酔いしれる、一夜かぎりの春の宴です。
どうぞお気軽にご参加ください。

オープニング・セレモニーは、上野公園竹の台広場(噴水広場)にて同時開催される「メディアアンビショントウキョウ2020」や、東京国立博物館敷地内でも、ライブ・ビューイングでお楽しみいただけます。

◉ 主な出演者・内容
第1部 記念式典
  アイヌ古式舞踊 アイヌ民族文化財団
  ご挨拶
  ミュージカル『刀剣乱舞』刀剣男士(髭切/膝丸)

◉ 第2部 記念公演
月雪花-つきゆきはな-にあそぶ ―日本の音と声と舞―

  笙      宮田まゆみ
  日本舞踊   尾上紫
  胡弓     川瀬露秋
  声明     天台聲明七聲會
  能      観世清和
  尺八     ジョン・海山・ネプチューン
  文楽     豊竹呂太夫 鶴澤清介 桐竹勘十郎
  琉球古典音楽 新垣俊道
  合唱     三澤洋史 新国立劇場合唱団
  歌舞伎    尾上菊之助
  フィナーレ

◉ 観覧方法
セレモニーの様子は自由にご覧いただけます。なお、東京国立博物館内に事前にお申込みいただいたお客様のための観覧エリア(本館前庭の立ち見エリアまたは平成館大講堂のライブ・ビューイング観覧席)を設けます。

このエリアは、「事前受付観覧エリア入場券」をお持ちのお客様を対象とした観覧スペースです。
※事前にお申込みいただく場合と、お申込みせずご覧になる場合とでご案内場所が異なりますのでご注意ください。

* 新型ウイルス感染症対応のため本イベントは中止となりました。
[ 詳細: 独立行政法人 日本芸術文化振興会 日本博事務局 ]

【展示】国立劇場 伝統芸能情報館|情報展示室 企画展示「歌舞伎の四季」|令和2年2月8日-5月25日

国立劇場 伝統芸能情報館
情報展示室
企画展示「歌舞伎の四季」
会  期  令和2年2月8日[土]-5月25日[月]
開室時間  午前10時-午後6時(毎月第3水曜日は午後8時まで)
休  室  日  令和2年3月11日[水]
場  所  国立劇場伝統芸能情報館 1階 情報展示室
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日本には四季があり、古より季節で移り変わる自然を愛でる心を持った国民だといわれます。たしかに現代の私たちも、春には花見、夏は海水浴や花火、秋は月見や紅葉の名所への旅、冬は降雪の地でスポーツを楽しむなど、四季を感じることに喜びを見出しています。
歌舞伎は、そのような季節を感じる喜びを舞台に表現してきた伝統芸能です。舞台で満開に咲き誇る桜の艶やかさに春を、海や川の水に涼を愛でる夏を、澄んだ夜空に照る月の明りや燃える紅葉に秋を、情感豊かに舞う雪に冬を見る時、季節の持つ美にたいする共感が沸き起こりましょう。歌舞伎の舞台に見られる四季の表象は、鑑賞する作品を効果的に伝える重要な役目を担っているといえます。

このたびの展示では、舞台で用いられる衣裳や小道具、錦絵や舞台写真などの所蔵資料で、歌舞伎が創造する〈技〉の数々をご覧いただきます。

資料の中には、たとえば『祇園祭礼信仰記』や『積恋雪関扉』のように春の表象の代表格である桜と、冬の表象の代表格である雪が共存し、四季の美の競演ともいえる、現実を超える表現もあり、歌舞伎が求めた美のありようを考えさせられます。また、江戸時代の観客たちは四季の美を愛でる喜びを歌舞伎役者のふだんの姿にも求め、見出そうとしたことがわかります。
江戸から今日まで舞台を彩ってきた歌舞伎の四季。創り上げられた日本の美を味わいつつご鑑賞ください。

[ 詳細: 国立劇場 伝統芸能情報館 ]

【展覧会】たばこと塩の博物館 |「たば塩コレクションに見る ポスター黄金時代」|’19年12月14日-’20年2月16日

たばこと塩の博物館
「たば塩コレクションに見る ポスター黄金時代」
会  期  2019年12月14日[土]-2020年2月16日[日]
主  催  たばこと塩の博物館
会  場  たばこと塩の博物館 2階特別展示室
開館時間  午前10時-午後6時  * 入館は午後5時30分まで
休  館  日  毎週月曜日
入  館  料  大人・大学生 100円、小・中・高校生 50円
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たばこと塩の博物館(通称:たば塩)では、1890年代から現代に至る、国内外のたばこ広告をはじめとしたポスターを多数所蔵しています。
明治期、まだ民営だったたばこ業界では、各会社が看板、新聞、ビラ、宣伝隊など、様〻な形で宣伝をおこないました。その中でも、色鮮やかな石版印刷のポスターは当時の先端を行くメディアであり、販売促進を図るべくより美しいポスターを追求したことから、印刷技術も発展していきました。
同館のポスターコレクションには、この時代の石版印刷ポスターはもちろん、その原画も含まれています。原画が現在にまで残っていることは非常に珍しく、印刷工程を示す写真と合わせることで日本の商業印刷黎明期の足跡をうかがうことができます。

本展では、たばこと塩の博物館のコレクションの中から、ポスターが広告メディアの花形だった1890年代から1960年代に製作された作品を展示します。明治期の美しい石版印刷ポスター、大正から昭和にかけて活躍した図案家によるポスター、名コピーが登場した昭和30年代のポスターなどを展示、日本のグラフィックデザインの変遷を紹介します。合わせて、サビニャックほか有名デザイナーの作品を含む海外のたばこポスターもご覧いただきます。

村井兄弟商会
「ピーコック」ポスター原画
伏木英九郎画(東洋印刷株式会社) 1902年頃 水彩画 75.3×50.6cm
村井兄弟商会
「ピーコック」ポスター
1902年頃 多色石版 74.9×52.0cm

[ 詳細: たばこと塩の博物館 ]

たばこと塩の博物館
「たば塩コレクションに見る ポスター黄金時代」はきわめて意欲的かつ充実した内容であるが、残念ながら図録の作製はなされていない。ここに同館から画像データーの提供をいただいて、本コーナーでの紹介を試みた。また最末尾には凸版印刷・凹版印刷・孔版印刷とならび、四大印刷版式のひとつとしての平版印刷をリトグラフ(石版印刷)に絞って紹介した。

◉ ポスター黎明期

世界における近代ポスターの誕生は1880年代とされ、石版印刷の技術とともに発展していきました。日本では、江戸時代から商品の広告や芝居の告知を目的として制作された「引札」や「絵びら」がありました。これらは、現在のチラシに類する広告宣伝用の摺り物で、浮世絵版画(木版)の技法を使い、美人や風景などの挿絵が描かれたものに商店名や商品名を入れて配りました。
明治時代になると、日本でも欧米からの輸入紙巻きたばこ(シガレット)を宣伝するために、現地で作られた石版刷りのポスターが街を飾るようになりました。文明開化の日本では、「引札」などの伝統的な広告と、欧米生まれのポスターが同時代的に街を飾りました。

◉ たばこポスター全盛期 明治たばこ宣伝合戦

1890年代から1900年代初頭(明治20-30年代)には、日本でも多色石版印刷のポスターが製作されるようになりました。
明治初期に紙巻たばこが国内で製造されるようになると、たばこ製造業者が販売競争を繰り広げるようになりました。その中でも「天狗煙草」で名を馳せた東京の岩谷松平と、「サンライス」「ヒーロー」といった商品を販売した京都の村井吉兵衛の争いは、のちに「明治たばこ宣伝合戦」と称されるほど有名でした。
看板・新聞・ビラ・宣伝隊など、当時考えられるあらゆるメディアを使ったたばこの宣伝活動は、明治の広告業界をリードし、その中でも石版印刷のポスターは先端を行くメディアでした。たばこ産業の宣伝活動は印刷技術の向上に大きな役割を果たしました。20世紀、日本でポスターというメディアの幕を開き、リードしたのはたばこ産業であったといえます。

◉ 収蔵品に見る明治期のポスターの作り方

たばこと塩の博物館では、明治のたばこ王・村井吉兵衛が自社製品のパッケージ印刷のために1899年に設立した東洋印刷株式会社(後に大蔵省専売局京都印刷工場)の関係資料を所蔵しています。たばこの民営期から専売時代を含み100年続いたこの工場の資料には、当時の石版印刷ポスターはもちろん、その原画や印刷工程を示す写真も含まれ、明治から昭和へと移りゆく印刷の歴史がうかがえます。原画が残っていることにより、画工が手描きで石版に写す工程を持つ石版印刷にとって、画工の腕が完成ポスターの出来を大きく左右するものだったことがうかがえます。ポスター用の美人画校正刷り
1894年頃 多色石版
83.6×56.2cm
原画と印刷物を比較するために刷られたもので、女性の表情や着物の質感などから画工の腕の良さがうかがえる。
合名会社村井兄弟商会
「ヒーロー」ポスター
1894年 多色石版
72.5×50.4cm
上掲図版の作品を手がけた画工とは違う画工が手がけたと思われる。女性の表情や着物の柄の質感が異なってしまっている。
岩谷商会
「天狗煙草」ポスター
1900年頃 多色石版
56.6×43.5cm
岩谷商会
「天狗煙草」ポスター
1900年頃 多色石版
57.2×43.5cm
どちらのポスターも同じ原画を元にしているが、別の画工が石版に描き写し印刷した結果、女性の背中の描写、表情などが全く異なる。このように、画工の腕によってポスターの出来は大きく変わった。

◉ 「図案」という概念

印刷所内で原画を作成しているところ
原画を元に石版に手書きで描画しているところ

大正から昭和初期にかけて、写真製版をはじめとする印刷技術の発展と、留学生からの情報や海外の雑誌などに掲載された作品の影響で、「図案=デザイン」の概念を導入したポスターが製作されるようになりました。三越呉服店や上野から浅草駅間地下鉄ポスターで知られる杉浦非水らが「図案家」として登場し、商業美術の時代を切り開いていきました。
大蔵省専売局では、こうした商業美術の発展を受け、杉浦非水に製作依頼し、弟子である野村昇をパッケージやポスターの製作に関わらせたりしました。明治時代のポスター製作では、原画を忠実に石版に描き写すことが画工に求められましたが、写真技術の発達にともない写真を利用して製作できるようになったことで、図案家たちは写真とは違った、手描きならではの面白さや構図を追求しました。

◉ その他のポスター

当館が所蔵するポスターには、1950年代後半から1960年代、高度成長期の日本で再び迎えたたばこポスター全盛期の作品も多くあります。名コピーが散りばめられた作品や、秋山庄太郎や樋口忠男といったフォトグラファーによる美しい写真が使用された作品などには、広告ポスターに勢いがあった時代を感じることができます。
一方、19世紀から20世紀初頭、ポスター文化が花開いたフランスで街角を飾る芸術でもあったたばこポスターや、キャッチコピーも鮮やかな20世紀初めのアメリカのたばこポスターなども所蔵しています。ポスター誕生の地である欧米の作品からは、グラフィックデザインの発展と合わせ、世界の文化・風俗を垣間見ることができます。

{ 新 宿 餘 談 }

日本専売公社
「いこい」ポスター
1958年 オフセット 55.1×74.0cm
「今日も元気だ たばこがうまい」の名コピーとともに働く人々を捉えた写真が使用された。
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昭和30-40年代のたばこ屋さんとは、まさしくこのような風情の店舗であった。
また小生がたばこを美味しいと感じたのは、オヤジの PEACE をくすねて吸ったとき。本格的に喫煙者になったのは、まさにこの「いこい」からはじまった。「今日も元気だ たばこがうまい」とは実に名キャッチコピーであった。
ところで、最近躰がおもくて たばこ → 莨 があまり旨くない。こんなご時世ではあるが、はやく躰調を戻して旨いたばこを吸いたいものである。

平版印刷(へいはん lithography)

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【展覧会】文京区立森鷗外記念館|コレクション展|「父と母 ~ 鷗外のファミリー・ヒストリー」|’20年1月18日-4月5日

文京区立森鷗外記念館
コレクション展「父と母 ~ 鷗外のファミリー・ヒストリー」
会  期  2020年1月18日[土]-4月5日[日]
開館時間  10時-18時(入館は17時30分まで)
休  館  日  1月28日[火]、2月25日[火]、2月26日[水]、3月24日[火]
観  覧  料  一般 300円   *中学生以下  無 料
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森鷗外(陸軍軍医、作家。本名、森林太郎)は文久2(1862)年1月19日、石見国津和野藩(現在の島根県津和野町)に生まれました。父は静男、母は峰子、森家は藩主の典医をしていました。
遠戚・西周(あまね 哲学者)が静男に宛てた、鷗外と赤松登志子-としこ-との結婚式に関する明治22(1889)年2月の書簡があります。書中には、赤松則良(のりよし 海軍中将)の夫人・貞-てい、娘・登志子、周夫人・升子-ますこ、貞の父・林洞海(どうかい 医師)らが登場します。本展ではこうした館蔵資料を通して、鷗外の父母とその人物交流をたどります。

そして、鷗外を思わせる「博士」と、その父母が登場する近代小説『カズイスチカ』(明治44年)、『本家分家』(大正4年)から鷗外の父母像をひもときます。さらに、歴史小説『山椒大夫』『最後の一句』(いずれも大正4年)、翻訳戯曲『街-ちまた-の子』(明治44年)など親子関係が見える作品を紹介します。
鷗外の父と母や作品を追跡する、鷗外のファミリー・ヒストリーをお楽しみください。

◉ 森鷗外記念館 臨時休館延長のお知らせ 2020年3月12日
新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため、3月2日[月]-3月15日[日]まで臨時休館を決定しておりましたが、令和2年3月2日[月]-令和2年3月31日[火]までの臨時休館を延長いたします。
皆様にはご迷惑をおかけしますがご理解のほど、よろしくお願いいたします。なお再開については、今後の状況により変更する場合があります。詳しくは当館ウェブサイトにてお知らせします。

[ 詳細: 森鷗外記念館 ]

【展覧会】東京国立博物館 平成館|日本書紀成立1300年 特別展|「出雲と大和」|’20年1月15日-3月8日

東京国立博物館 平成館
日本書紀成立1300年 特別展「出雲と大和」
会  期  2020年1月15日[水]-3月8日[日]
会  場  東京国立博物館 平成館(上野公園)
開館時間   9:30-17:00
      * 入館は閉館の30分前まで、会期中の金曜・土曜は21:00まで開館
休  館  日  月曜日、2月25日[火]  * ただし2月24日[月・休]は開館
観覧料金      一般 1,600円、大学生 1,200円、高校生 900円、中学生以下無料
主  催  東京国立博物館、島根県、奈良県、NHK、NHKプロモーション、読売新聞社
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令和2年(2020)は、我が国最古の正史『日本書紀』が編纂された養老4年(720)から1300年という記念すべき年です。
その冒頭に記された国譲り神話によると、出雲大社に鎮座するオオクニヌシは「幽」、すなわち人間の能力を超えた世界、いわば神々や祭祀の世界を司るとされています。
一方で、天皇は大和の地において「顕」、すなわち目に見える現実世界、政治の世界を司るとされています。つまり、古代において出雲と大和はそれぞれ「幽」と「顕」を象徴する場所として、重要な役割を担っていたのです。
「幽」と「顕」を象徴する地、島根県と奈良県が当館と共同で展覧会を開催し、出雲と大和の名品を一堂に集めて、古代日本の成立やその特質に迫ります。

[ 詳細: 東京国立博物館  展覧会公式サイト ]

【展覧会】国立公文書館|令和元年度 第3回企画展 「初づくし ─ 初にまつわる江戸時代の行事・風習 ─」 |令和2年1月25日-3月8日

国立公文書館
令和元年度 第3回企画展
「初づくし ── 初にまつわる江戸時代の行事・風習 ──」
会  期  令和2年1月25日[土]-3月8日[日]
開館時間  月ー日曜日 午前9時15分-午後5時00分
      * 期間中無休
会  場  国立公文書館 本館
入  場  料   無 料
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お正月の初詣や書き初め、また、お食い初めや初午-はつうま-など、日本人の生活には「 初 」 にまつわる行事・風習が多く存在しています。これらに加えて、江戸時代には謡初-うたいぞめ-などの幕府・朝廷の行事をはじめとして、現代には見られない行事・風習もおこなわれていました。新元号になって「 初 」の年明けを迎えて開催する本展では、江戸時代の 「 初 」 にまつわる資料をご紹介します。

【関連イベント】ギャラリー・トーク
日 時  令和2年1月29日[水]、3月4日[水] 午前11時-午前11時30分
      2月19日[水] 午後2時-午後2時30分
場 所  国立公文書館(千代田区北の丸公園 3-2)1 階展示ホール
     企画展の見所について企画者が解説します。事前申込みは不要です。

[ 詳細: 国立公文書館 ] { 活版 à la carte まとめ }

【展覧会】国文学研究資料館|通常展示「書物で見る 日本古典文学史」|令和2年1月14日-3月31日

国文学研究資料館
通常展示「書物で見る 日本古典文学史」
会  期  令和2年1月14日[火]-3月31日[火]
休  室  日  日曜日・祝日、展示室整備日(2月12日、3月11日)
開室時間  午前10時-午後4時30分 * 入場は午後4時まで
場  所  国文学研究資料館 1 階 展示室
      入場無料
主  催  国文学研究資料館
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本展示では、上代から明治初期までの文学を、書物(古典籍)によってたどります。
最近の研究動向にも配慮はしましたが、むしろ教科書でなじみの深い作品を中心に据えて、文学史の流れを示しました。写本の表情や版本の風合いに触れながら、豊かな日本古典文学史の諸相をお楽しみください。

◉【展示室】臨時休室のお知らせ  2020/3/11
新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止の観点から、2月28日[金]-3月31日[火]までの間、当館展示室を臨時休室とさせていただきます。
再開時期及び次回の展示は、決定次第、ウェブページ及び SNS でお知らせいたします。

[ 詳細: 国文学研究資料館 ]

【展覧会】奈良国立博物館|特別展 毘沙門天 ── 北方鎮護のカミ ──|令和2年2月4日-3月22日

奈良国立博物館
特別展 毘沙門天 ── 北方鎮護のカミ ────
会  期  令和2年2月4日[火]-3月22日[日]
会  場  奈良国立博物館 東新館・西新館
休  館  日  毎週月曜日、2月25日[火] * ただし2月24日[月・振休]は開館
開館時間  午前9時30分-午後5時
      * 毎週金・土曜日は午後7時まで     * 入館は閉館の30分前まで
観覧料金  一般 1,500円、高校・大学生 1,000円、小・中学生 500円
      * 前売り・団体など各種割引制度があります。
主  催  奈良国立博物館、朝日新聞社、NHK奈良放送局、NHKプラネット近畿、
      文化庁、独立行政法人日本芸術文化振興会
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四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)は、須弥山-しゅみせん-世界の四方にいて、仏教世界や仏法を守るカミです。このうち北方を守護する多聞天は、「毘沙門天」の名で単独の像としても造像、信仰され、四天王のなかでも特別の存在でした。

近年、毘沙門天像の優品が相ついで発見されています。奈良時代、8世紀制作と考えられる木心乾漆造-もくしんかんしつづくり-の像(愛媛・如法寺)や、絵の中から抜け出てきたかのような激しい運動感を示す作例(京都・弘源寺)、保安5年(1124)の年紀銘が確認された平安彫刻の貴重な基準作例(個人蔵、米国・ロサンゼルス・カウンティ美術館保管)、また仏師運慶の流れをくむ作者の手になると見られる彩色の美しい鎌倉時代の作品(当館蔵)、あるいは密教修法における調伏法-ちょうぶくほう-に用いられた珍しい双身-そうしん-(二体合体)の像(奈良・東大寺蔵)など、いずれも斯界(しかい)の研究進展に資する重要作例です。

本展は、従来知られている毘沙門天彫像のなかから、とくに優れた作品を厳選し、それらを一堂に会することで、毘沙門天彫像の魅力を存分に味わうことのできる展覧会となります。

 ◉奈良国立博物館国立博物館 臨時休館のお知らせ
政府の要請により、新型コロナウイルス感染防止のため2月27日[木]-3月16日[月]まで臨時休館としていましたが、本措置を継続するよう、あらためて要請がありましたので、3月17日[火]以降も当面は臨時休館を延長いたします。
なお、その後の予定につきましては、あらためてお知らせいたします。
[ 詳細: 奈良国立博物館 ]