【Viva la 活版 ばってん 長崎 Report 15】 長崎製鉄所跡碑をめぐって 意外に訪問が困難。タクシー利用をお勧め

「三菱重工業株式会社長崎造船所」は、地元では「ながせん」として親しまれる。同所飽浦 アクノウラ にオランダ人技士ハルデスらの指導で長崎鎔鉄所が着工されたのは一八五五年(安政二)一六〇年ほど前。江戸時代は鎔鉄所・製鉄所といっても溶鉱炉はなく、大規模な鉄工所であり修船所であった。通勤はもっぱら海路で舢板サンパンという小船。ここはわが国近代産業の揺籃の地であり、ここに勤務し、のちに頭取を担った者に本木昌造と平野富次郎(平野富二)がいる。

8ed979955048d3208a8a4c7c96c739b41-1024x175[1] DSCN7182 DSCN7193 DSCN7191 DSCN7213 長崎製鉄所『開港図百年 長崎図録』よりDSCN7209

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