【図書紹介】 長崎素平連『類題 酔狂句集 初編』山彦翁・百川翁・雑飯翁合評 編輯兼出版人・安中半三郎 明治17 年04月

明治中期長崎がうんだ稀代の〝ふうけもん〟安中半三郎(まとめ)を紹介してきた。素平連スペレン『類題 酔狂句集 初編』(国会図書館 特四〇八三七)にいたって〝狂とも奇ともいわれた〟安中半三郎の自由奔放、邪気のない人柄を紹介。本書は天地 ≒19、左右 ≒12センチ、52丁からなる和装本。主要活字はいわゆる和様三号活字、注記は六号活字。本紹介は{花筏}にゆずり、序文(釈読協力:古谷昌二)・一部本文・刊記をデジタルタイプによる追試を含め紹介。 

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安中半三郎 (あんなか-はんさぶろう 名:有年 ありとし 号:東来 とうらい)

1853年12月29日(嘉永6年11月29日)-1921年(大正10)4月19日 享年69

20161028203520_00002 !cid_CF842FDB-092E-4B9F-9C3B-B4E7FEB0A7AC 酔狂句集修整 !cid_4BBA194F-F048-4D50-85A3-69587CC6A53F !cid_BC203FA3-51AC-40E2-8DF5-2D523D589A8E安中半三郎『酔狂句集』刊記

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【Viva la 活版 ばってん 長崎 Report 19】 長崎の〝ふううけもん〟安中半三郎『辞世の句』

安中半三郎を紹介したら「くんち」でいそがしい長崎から思わぬ反響があった。長崎慈善会にあって「長崎盲学校」「長崎ろう学校」の創立に貢献した半三郎は大正10年(1921)69歳をもって卒した。墓碑は本蓮寺脇特設墓地にあるが葬儀は神式として執りおこなわれた。ここに半三郎辞世の句を紹介する。もってその人柄を偲ぶにたる。{活版 à la carte
安中半三郎 辞世の句

酒飲めば 浮世をよそに 捨て小船
ただようてこそ たのしかりけり

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【Viva la 活版 ばってん 長崎 Report 18】 安中半三郎『東来和歌之碑』 全文釈読紹介 長崎諏訪公園噴水広場

長崎諏訪公園噴水広場の歌碑『東来和歌碑』は、碑面の損傷がおおくこれまで35句におよぶ碑文の紹介がなされることがすくなかった。歌の製作者として末尾にわずかに安中半三郎の号「東来」があるが、碑文の建立者、建立年度などはみられない。さいわい資料『明治維新以後の長崎』(著作兼発行者 長崎市小学校職員会 大正14年11月10日)に長崎の金石文の多くを活字文章におきかえた記録がのこっていた。本稿には春田ゆかり氏の協力をいただいた。{ 活版 à la carte

 安中半三郎  R0049302-2tei R0049299-2!cid_6AC995D2-53A7-4D09-A25B-A6F4E50A4BEF !cid_EC83C279-446A-47AC-BA75-5D024AF4F963 !cid_1140D8C2-683C-4C9D-9A63-BA89FF00FE4D

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江戸うまれ明治期長崎で活躍し多藝多才の〝ふうけもん〟虎與號・安中半三郎 諱:東来 名:有年はこんな邪気の無い人物

長崎川柳吟社 素平連 SUPEREN「故本木昌造翁の功績を追懐して贈位報告祭に活句をよみて奉る」

活字版 櫻木よりも 世に薫り 東来

安中半三郎(嘉永六年1853大正一〇年1921)の肖像写真をはじめて紹介する。長崎いちの酔狂〝ふうけもん〟とされた壮年期のものとおもえるが、瞳は好奇心にあふれ腕白坊主がそのまま大人になった風の写真がのこされていた。資料提供/宮川雅一氏。

 

安中半三郎resized 安中半三郎狂歌

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江戸にうまれ、明治期の長崎で活躍した多才多芸のひと/虎與號・安中半三郎の紹介への手がかり

一月中旬崎陽長崎にイベントの打ち合わせででかけた。長崎県印刷工業組合幹部は年輩者が多かったが、東彼杵町歴史民俗資料館/小玉大介氏、日本二十六聖人記念館/宮田和夫氏、大村市市史編さん室/盛山隆行氏らの若手との交流が熱かった。とりわけ盛山氏は十数年前『日本の近代活字』編集のため訪崎し、当時長崎市立博物館の学芸員時代からの交流。二〇一三年{花筏}で問題提起した虎与号/安中半三郎の調査をすすめてくれていた。近日{花筏}に詳細報告。

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安中家と安中半三郎の墓碑。長崎本蓮寺の脇にある神式の特設墓地。原爆の爆風にさらされ一部損傷。辞世の句「酒飲めば 浮世をよそに 捨て小船 ただよふてこそ たのしかりけれ」


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長崎名物「はか・さか・ばか」自著でそれをかたる宮川雅一氏はまさに〇〇あまりに失礼なので〝ふうけもん〟とした

虎與書房安中半三郎を追っているうちに『宮川雅一の郷土史岡目八目』(長崎新聞社)宮川雅一氏にたどり着いた。このかたは長崎の著名人、代代の素封家で祖父は安中半三郎の事業の支援にあたり、ご本人も東大法学部卒・総務省をはじめ諸官庁を歴任し長崎市助役を勤めた。長崎市史談会会長を経て相談役。つまり街の名士。しかし長崎人特有の天性の〝ふうけもん〟信州出身のやつがれとすっかり意気投合。ノー学部の要請で中国少数民族の帽子自慢がはじまって小一時間。

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長崎川柳吟社素平連 SUPEREN 参 「故本木昌造翁の功績を追懐して贈位報告祭に活句をよみて奉る」

摩滅せぬ遺勲
活字の発明者      東籬
活字版桜木
よりも世に薫り     東来

素平連は明治期長崎にあった川柳・狂句の会で、虎與號・安中書店/安中半三郎(号:東来)が主宰した{花筏}。これらの句は『ヴィネット04』でも紹介したがようやく「ふうけもん 安中半三郎」が注目され、今般長崎で一次資料を入手して古谷昌二氏の釈読で紹介した。

統合

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