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東京国立博物館・書道博物館 連携企画<趙之謙の書画と北魏の書> 後期展示案内

20140717214438189_0002 20140717214438189_0001東京国立博物館・書道博物館 連携企画 ── 悲盦没後130年 ──

趙之謙の書画と北魏の書

詳細:東京国立博物館  http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=623
詳細:書道博物館     http://www.taitocity.net/taito/shodou/index.html

書道博物館では、特別展『趙之謙の書画と北魏時代の書』―悲盦(ひあん)没後130年―がはじまってから一ヶ月がたちました。残暑のきびしい日日でしたが、東京国立博物館、書道博物館ともに多くの来館者をみたようです。
08月26日[火]からは、一部の展示替えを終えて後期展示がはじまりました。本展は09月28日[日]まで開催されています。
ここにあらためてご案内いたします。

本2014年は中国清朝後期のひと、趙之謙(ちょう-しけん 1829-84)の没後130年にあたります。 趙之謙は会稽カイケイ(浙江省紹興)の裕福な商家にうまれましたが、十代のころから家産がかたむいて貧困を余儀なくされました。
それでも趙之謙は書画や篆刻で生計を立てながら勉学にはげみ、やがて結婚しました。妻は苦しい家計をやりくりし、なんとか幸せな家庭を築くかにみえました。

ところがこのころから、江西省に興ったキリスト教系の宗教結社[上帝会]による「太平天国の乱」[別名:ボクサーの乱。弁髪を廃して長髪をたくわえ、南京を首都として太平天国と称した。曾国藩・李鴻章らによって鎮圧されたが清朝崩壊の遠因となった。1851-64]が会稽にも波及し、自宅は焼失し、妻子も争乱の犠牲となりました。
家と家族をもろともに失った絶望の果てに、趙之謙はみずからの号を「悲盦 ヒアン ≒ 悲庵」とあらためました。ときに趙之謙34歳のときのことでした。

こののち趙之謙は趙家の再興をめざして科挙[高級官吏登用試験]に挑みました。挑戦すること再再にわたりましたが、ついに科挙登第の夢を果たせずにおわりました。
それでも北京での滞在中に数多くの金石キンセキ資料に接し、その研究に没頭しました。 なかでも北魏[鮮卑族王朝、398-556]の書に心酔して、のちに「北魏の書」と呼ばれるあたらしい書の表現を確立しました。

北魏の書に触発され、雄偉きわまりない書風を創出した趙之謙は、碑学派の中心的な人物として活躍し、清朝後期の碑学派は全盛期をむかえました。
この碑学派をおもくみる風潮は明治の日本の書壇にも継承され、趙之謙の独特な作風に影響をうけたわが国の書芸家は少なくありません。

いっぽう趙之謙はその後も科挙に挑戦していましたが、ついに高級官僚の途を断念して、44歳の時地方官僚として江西省に赴任して政務に奔走しました。しかし積年の過労がたたり、数えて56歳でその生涯をとじました。
[書道博物館のフライヤーよりご紹介]

<西湖のほとりにある趙之謙を紀念する半隠亭と、復元された墓址> ──────────
中国浙江省杭州市の西湖をめぐる堤のひとつに楊公堤ヨウコウテイがある。
楊公堤は明の正徳03年(1508)当時の杭州知事:楊 孟瑛が西湖を浚渫した際にでた湖底の泥をもちいて築いたとされる。
2003年に大改修がなされて、並木の美しい散策路と、二車線の舗装道路になった。全長は3,228メートルとおおきな堤である。

趙之謙は赴任先の江西省で没したとされるが、墓地は郷里の会稽(浙江省紹興)からちかい、この西湖のほとり、丁家山麓に設けられていたとされる。
小社スタッフが、趙之謙の書画と篆刻が好きだったために、2011年の中秋に西湖の趙之謙の墓地をたずねた。その記録をご紹介したい。
DSCN8047 DSCN8049 DSCN8050 DSCN8056 DSCN8055 DSCN8062 DSCN8060杭州西湖の観光地図をみるなら、楊公堤の「三台雲水」のちかくに趙之謙の墓地はあるが、多くの観光案内図には墓地の所在地は触れられていない。
丁家山とは、やまというより、所詮堤のなかのわずかな高所であり、また道路の改修前には訪れることも困難な場所であったという。そのためにいつの間にか墓所は毀損されて、その正確な位置はわからなくなっていた。

それでも趙之謙の遺徳をしのぶひとがおおく、かつて墓地があったとされる高台に、あずまや風の「半隠亭」がもうけられ、そこからの西湖の眺望はすばらしい。
墓地は道路をはさんで斜め前方に簡素に再建されている。
碑学派の書芸家や篆刻家の一大拠点、杭州西湖にはふさわしい眺望である。
【URL:百度百科 趙之謙画像集 百度百科 趙之謙

<西湖余談> ────────
天下の名勝として知られる西湖には、楊公堤、蘇堤(蘇軾ソ-ショク・蘇東坡ソ-トウバ 1036-1101  の築堤と伝える)などいくつかの人工堤防がある。
もっとも著名なのは東の断橋から錦帯橋を通って、西の平湖秋月まで、長さ1kmにわたって西湖を東西に分断する形で造られた堤防「白堤 ハクテイ」であろう。
この堤は、当初は「白沙堤」と呼ばれ、宋の時代には「孤山路」とも呼ばれた。

堤防の上には外側(湖面側)に桃、内側(湖岸側)に柳が植えられ、春になると桃の花の薄紅色と、柳の新緑とのコントラストが美しい。また初夏から盛夏にかけては、湖面を埋めて咲きほこる、うす紅色の蓮花の芳香につつまれる。
晩夏ともなると、その蓮の実をリヤカーや天秤に満載して売りあるく近在のひとが、近づく杭州の秋の到来をつげる。
これらの光景は、杭州西湖と白堤を代表する景観として知られている。

中唐代の大詩人・白居易 ハク-キョイ(あざな : 楽天 ラクテン 772-846)が杭州の刺史(長官)であった時、西湖の開拓と大規模な水利工事をおこして民に恩恵を与えたことから、後世のひとがその徳を忍んで、この堤はいつのころからか「白堤」と呼ばれるようになったという。
閑静な楊公堤とはことなり、「白堤」と「蘇堤」は四季をとわずひとであふれている。

ついでながら……、杭州は人口880万の大都市でもあり、観光地の周辺は混雑のためもあってタクシーは不足がちである。
もし楊公堤の<趙之謙墓地>をたずねるのなら、わかいひとは湖畔の随所にある「レンタサイクル」を利用されるか、タクシーでいくなら、ともかくちいさな案内板を見過ごさないように注意して、
現場で待機してもらったほうが安心である。

【 関連情報 : 活版 à la carte 十五夜のお月さま――月に叢雲ムラクモ、花に風といいますね。月餅と最中、Flea Market 蚤の市 】
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【展覧会】清時代の書 ── 碑学派 東京国立博物館/書道博物館

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《清時代の書 ―碑学派―》 三館連携企画
東京国立博物館 平成館 企画展示室
台東区立書道博物館
台東区立朝倉彫塑館
2013年10月8日[火]-2013年12月1日[日]
※ 月曜休館。一部展示変え、特別開館日あり。詳細は各館のWebsiteで確認。 
東京国立博物館 《清時代の書-碑学派》Website

────── 同館フライヤーより(一部に補筆)
中国・清時代(1616-1912)では、考証学の盛行を背景に、書においても金石(きんせき)資料が注目され、従来の王羲之(おうぎし)を中心とする法帖(ほうじょう)に代わって、青銅器の銘文や石碑の書などが尊ばれるようになりました。

この時代、金石に書の拠りどころを求めた人たちを「碑学派(ひがくは)」と称し、これまで法帖を学んでいた「帖学派(じょうがくは)」と区別しています。
かれらは、はじめ唐時代の楷書や、漢時代の隷書に注目していましたが、やがて山野に埋もれていた青銅器や石碑にも視野を広げ、野趣あふれる楷書や篆書・隷書を中心とする、あらたな書風を形成しました。
また阮元(げんげん)や包世臣(ほうせいしん)らが、「北碑の書」を称揚する理論を提唱したことで、碑学派は清時代の書の主流を占めるようになりました。

今回で11回目を迎える連携企画は、東京国立博物館、台東区立書道博物館のほかに、台東区立朝倉彫塑館を加え、台東区内に近接する3館が連携して、碑学派の主な書人の代表作を紹介し、碑学派の流れを概観します。

東京国立博物館では、碑学派の前期に重きを置き、主として勃興期に焦点をあてます。
書道博物館では碑学派の後期を中心に、楊守敬(ようしゅけい)・康有為(こうゆうい)と中村不折(なかむらふせつ)とのつながりや、日本における受容なども紹介します。
朝倉彫塑館でも、一部に日中の文化交流を彩る清時代の書画を展示します。

従来の書の流れを大きく変えることとなった、清時代の碑学派。学問に裏付けられて生まれた、碑学派の書の魅力をたっぷりとお楽しみください。

《主要展示作品》
・瘞鶴銘
   中国 梁時代・天監13年(514) 台東区立書道博物館蔵
・篆書白氏草堂記六屏
   鄧石如筆 中国 清時代・嘉慶9年(1804) 個人蔵
・行書七言律詩軸
   阮元筆 中国 清時代・18-19世紀 京都国立博物館蔵
・楷書嬌舞倚床図便面賦軸
   包世臣筆 中国 清時代・18-19世紀 東京国立博物館蔵
・篆書八言聯
   呉熙載筆 中国 清時代・19世紀 個人蔵(2013/11/6から展示)
・楷書斉民要術八屏
   趙之謙筆 中国 清時代・同治8年(1869)頃 個人蔵