【ブックコスミイク】 2014年09月03日は本木昌造の139年忌です。

【ブックコスミイク】
わが国の活字版印刷術 ≒ タイポグラフィの開拓者のひとり
本木昌造(1824年06月09日-1875年09月03日 享年51)の
ご命日にひそみ

朗文堂関連既刊書 『 本木昌造伝 』 をご紹介いたします。

2014年09月03日は、本木昌造の139年忌にあたります。
この既刊書紹介ページは、本木昌造の功績をしのびつつ、本木昌造ご命日にさいして、あらためて皆さまにご紹介するものです。
だいぶ以前の既刊書のため、現在では書店での店頭展示販売はほとんどございませんが、書店注文方式、オンライン書店経由、あるいは小社よりの直送でお求めいただけます。
この機会にご愛読たまわれば幸せに存じます。

本木昌造伝

朗文堂愛着版 本木昌造伝

島屋 政一著  朗文堂刊  上製本 A5判 480ページ
発 行 : 2001年08月20日
定 価 : 16,000円[税別]
ISBN4-947613-54-8 C1070

口絵カラー写真20点  本文モノクロ写真172点  図版196点
特上製本 スリップケース入れ
輸送函つき  背革に羊皮の特染めバックスキン
ヒラは英国コッカレル社の手工芸マーブル紙

──────── 【目 次】
◯ 本木昌造の誕生から通詞時代
◯ 長崎製鉄所時代の本木昌造
◯ 近代活字創製の苦心
◯ ガンブルの来日と活版伝習所の創設
◯ 新街私塾と長崎活版製造会社
◯ 長崎から東京へ/活版印刷術の普及
◯ 本木昌造の終焉と本木家のその後
◯ 凸版印刷と平版印刷、ライバルの登場
◯ 印刷界の二大明星 ・ 本木昌造をめぐるひとびと
◯ 野村宗十郎とアメリカン ・ ポイント制活字
◯ 印刷術の普遍化とわが国文化の向上 ・ 印刷界の現状
新街私塾の印本書の元原稿は、昭和24年(1949)10月に島屋政一氏によって脱稿されたものの、太平洋戦争の直後の混乱のなかで刊行をみることはなく、ほぼ半世紀にわたり、名古屋の活字製造業者 ・ 旧津田三省堂の篋底キョウテイふかく秘められてきました。

朗文堂愛着版 『 本木昌造伝 』 は、再発見された島屋政一氏による原稿をもととして、図版などに大幅な編集をくわえるとともに、ふたたびこの書物が篋底に秘められることがないように、朗文堂愛着版と銘うって上製本仕立てで刊行したものです。

本木昌造の裏紋とされるBmotoSozo[1]

【 例 言 】――島 屋  政 一
わが国の印刷事業はとおく奈良平安朝のむかしに寺院において創始され、久しきにわたって僧侶の手中にあった。江戸期にはいって勅版がでて、官版および藩版がおこり、ついで庶民のあいだにも印刷事業をはじめるものがあらわれた。

寛文(1661-72)以後、木版印刷術おおいに発達して、正徳、享保時代 (1711-35) から木版印刷術は全国に普及をみたが、それは欧米諸国の近代活字版印刷術にくらべてきわめて稚拙なものだった。

幕末の開国とともに洋学が勃興して、印刷術の改善にせまられた。そのときにあたり、近代活字鋳造と近代印刷術の基礎をひらき、善く国民にその恩恵をひろめたものが本木昌造翁だった。

筆者[島谷政一]はすでに 『 印刷文明史 』 を著わし、本木昌造のことをしるしたが、いささか冗長にながれ、またいささかの訛伝の指摘もあった。
さらには畏友にして活字界の雄たりし、青山進行堂活版製造所 ・ 青山容三[本名 : 青山督太郎]氏、森川龍文堂 ・ 森川健市氏の両氏から、活字の大小の格[ 活字ボディサイズ ]のことのあらたな教授もえた。

さらに筆者はすぐる太平洋戦争において、おおくの蔵書を戦禍にうしなった。また青山進行堂活版製造所、森川龍文堂の両社は、その活字の父型や母型のおおくをうしなっている。
このときにあたり、ふたたび日本の近代文明に先駆して、開化の指導者としておおきな役割を演じた本木昌造の功績を顕彰して、それに学ぶところは大なるものがあると信ずるにいたった。

本木昌造は、ひとり近代印刷術の始祖にとどまらず、むしろ研究者であり、教育者でもあった。本木昌造の設立にかかる諸施設とは、むしろ「まなびの門」でもあったのである。 そうした本木昌造のあらたな側面を中枢にすえて本書をしるした。
昭和24年10月20日                                  著 者 識  シルス

長崎港新町活版所印

長崎活版製造会社之印