月別アーカイブ: 2016年12月

【Season’s Greetings】 ドイツの友人バウマン+バウマンより All the best… 問題は思考だけでは解決できないのだから

cid_image001_jpg@01D24635-512x1024[1] cid_image001_png@01D239D9[1]上掲のカードは1993年のボンに設けられた当時の国会議事堂のプロジェクトで使用した詩です。
どんな色も、どんな問題も解決も、間違いも真実も、すべては混在しているというこの詩は、驚くほど現代とも通底しています。
親愛なる日本の友人たちに素敵なクリスマスと新年がやってくることを心から願っています。
情熱や勇気、既成概念にとらわれないクリエイティビティが、必ずや軍艦の浮かぶ世界の海を越えてくれるはずです。問題は思考だけでは解決できないのだから。
バーバラ・バウマン+ゲアド・バウマン b+b 

文字壹凜まとめ
【文字百景26 バウマン+バウマンと私たち PDF moji-hyakkei 26 B&B_1

【展覧会】 会期末迫る-2017年1月9日[日]まで 篠山紀信展 「快楽の館」[原美術館]

20161215150413_00001 20161215150413_000021960年代から現在まで、常に写真界の先頭を走り続けてきた篠山紀信が、このたび、そのカメラによって原美術館を《快楽の館》に変貌させます。
「ここ(=原美術館)で撮った写真をここに帰す(=展示する)」というアイデアのもと、出品作品はすべて当館で撮り下ろした新作で、およそ30名にものぼるモデルを起用したヌード写真です。

当館の建物は当初1938年に個人邸宅として建てられました。西洋モダニズム建築の手法を取り入れた、日本近代建築史の観点からも貴重な作例です。この場所は、写真家篠山紀信にとって、《撮る欲望》をかきたて《撮る快楽》に浸れる場であったということです。
その結果、空間はヌードのための背景ではなく、身体と空間が織り上げる、濃密なイメージの世界としての《快楽の館》が生み出されたのです。実在の空間と展示された写真の中の空間が交錯し、紡ぎだす恥美で幻惑的な世界をぜひとも覧ください。
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美術館は作品の死体置き場、
死臭充満する館に日々裸の美女が集う。

美女たちの乱舞、徘徊、錯乱、歓喜、狂乱、耽溺 ……
あらゆる快楽がこの館でくりひろげられる。

 幻蝶が舞う夢と陶酔の館。
この祝祭は初秋の夜にはじまり、歳明け、厳冬の朝に散る。

たった4 ヶ月余の一度だけの狂宴。

お見逃し無く。
2016年   篠山紀信

【 詳細 : 原美術館

【展覧会】 董其昌とその時代-明末清初の連綿趣味/東京国立博物館・台東区立書道博物館 連携企画

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ぢゃむ 杉本昭生【活版小本】 次の本が出来るまで その41

七十二候(しちじゅうにこう)
「七十二候」とは、「二十四節季」をさらに約五日ごとに分類し気候の変化や動植物の様子を表現したものです。
12月2日より12月31日までを掲載します。
※大雪 次候の虎始交は書家であり画家の中村不折氏の作品です。最後に製作者のリストを掲載しておきます。いつか本にできればと思っています。
しかし印をひとつずつ押すのは大変でしょうね。でも楽しそう。
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書道博物館 施設概要】 冒頭部・部分
書道博物館は、洋画家であり書家でもあった中村不折(1866-1943)が、その半生40年あまりにわたり独力で蒐集した、中国及び日本の書道史研究上重要なコレクションを有する専門博物館である。
殷時代の甲骨に始まり、青銅器、玉器、鏡鑑、瓦当、塼、陶瓶、封泥、璽印、石経、墓券、仏像、碑碣、墓誌、文房具、碑拓法帖、経巻文書、文人法書など、重要文化財12点、重要美術品5点を含む東洋美術史上貴重な文化財がその多くを占めている。

こうしたコレクションと、昭和11年11月に開館した当初の博物館建設に伴う一切の費用は、すべて不折自身の絵画や書作品の潤筆料から捻出した。その偉業は日中書道史上においても特筆されるべきものである。
こうして書道博物館は、開館以来約60年にわたって中村家の手で維持・保存されてきたが、平成7年12月、台東区に寄贈された。そして平成12年4月に再開館したのが現在の台東区立書道博物館である。
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{新宿餘談}
中国明王朝は朱元璋(太祖)がほかの群雄を倒し、蒙古族王朝元を北に追い払って金陵(南京)に建朝した。三代成祖(永楽帝 1402-24)のとき北京(順天府 1421)に遷都。
明代前半期は久しぶりの漢族正統王朝のもとで「文藝復興」の時代とされ、また奇妙なことに西欧の「ルネサンス」の時代ともかさなっている。
ところが後半期は、皇族は奢侈にはしって治世が安定せず、宦官の専権が目立ち、各地で農民の叛乱が勃発し、異民族からの圧迫も多く、国勢は次第に衰微をみた。

董其昌(とう-きしょう 1555-1636)はそんな明朝末期に活躍した文人であり、特に書画に優れた業績を残して「藝林百世の師」とされた。また清朝の康煕帝が董其昌の書を敬慕したことは有名で、その影響で清朝においては正統の書とされた。

ところで、董其昌が活躍した明末清初の時代とは、わが国では徳川時代初期にあたり、徳川幕府の正統の書とは、楷書でも行書でもなく「お家流」とされた連綿体であった。
またここ最近、規矩の明確な明朝体・ゴシック体の使用に「活字ばなれ」と称されるような疲労感がみられ、ひら仮名からはじまり漢字にいたる「連綿体」が世上の関心をあつめている。
この奇妙な符合がどこから発しているのかを考えるのに好適な展覧会が、新春早早から開催される。
書道博物館オモテ 書道博物館ウラ

東京国立博物館・台東区立書道博物館 連携企画
董其昌没後380年
董其昌とその時代一明末清初の連綿趣味-

中国明王朝の時代に文人として活躍した董其昌(とう-きしょう 1555-1636)は、高級官僚として官途を歩むかたわら、書画に妙腕を発揮しました。
書ははじめ唐の顔 真卿を学び、やがて王羲之らの魏晉時代の書に遡ります。さらに当時の形式化した書を否定して、平淡な書風を理想としながら、そこに躍動感あふれる連綿趣味を盛り込みました。
画は元末の四大家から五代宋初の董 源に遡り、宋や元の諸家の作風を広く渉猟して、文人画の伝統を継承しつつ、一方では急進的な描法によって奇想派の先駆けとなる作例も残しています。

董其昌は書画の理論や鑑識においても、卓越した見識を持っていました。『画禅窒随筆』は、董其昌の書画に対する深い理解と理念を示すものとして知られています。

明王朝から清王朝への移行は、単なる政権交代ではなく、漢民族が異民族である満州族に覇権を奪われた歴史上の一大事でもありました。
董其昌によって提唱された書画の理念は、明末から清初にかけた激動の時代の書画にも濃厚に反映されました。連綿趣味は、当時の人〻の鬱勃たる心情を吐露する恰好の場となったのです。
ところが満州族である清の康熈帝と乾隆帝が董其昌の書画を愛好したことで、その後三百年に及ぶ清朝においても董其昌は大きな影響を与え続けました。

今年度は、董其昌の没後380年にあたります。このたび14回目を迎える東京国立博物館と台東区立書道博物館の連携企画では、中国書画の流れを大きく変えることとなる董其昌に焦点をあてながら、そのあとさきに活躍した人〻の書画を取りあげます。
両館の展示を通して、魅力あふれる董其昌ワールドをお楽しみください。
【詳細:書道博物館
【詳細:国立博物館 東洋館

【Rebuilding】 朗文堂WebSite〝タイポグラフィつれづれ艸〟あまりにふるく気恥ずかしくはあるが若者に背をおされて再構築

kill-time-typography白頭を悲しむ翁に代わりて
唐  劉 希夷

   古人復た洛城の東に無く
   今人還た対す落花の風
   年年歳歳花相似たり
   歳歳年年人同じからず
   言を寄す全盛の紅顔の子
   応に憐れむべし 半死の白頭翁
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{新宿餘談}
当朗文堂の WebSite は、デジタル時代の時計では太古の時代の発足である。
したがってメーンページの左下片隅にちいさく案内がある〝タイポグラフィつれづれ艸〟などは、いつの間にか存在が希薄となっていた。
それでもずいぶん前から、何人もの社員や、外部の管理者がすこしずつ手を入れて細細ながら維持がなされてきた。
そんなコーナーにも若者には新鮮な発見があるという。
ならば公開をためらってきたコンテンツを序序に掲載して〝タイポグラフィつれづれ艸〟を再構築し、内容をゆっくり増補すべく、肩のこらない程度の改造に着手した次第。
朗文堂 WebSite の休息所として、ときおり訪問していただけたらうれしい。

【展覧会】 チェレンコフの光 戸山 灰 個展 “Cherenkov radiation” KOYAMA Kai Exhibition 

戸山灰絵柄面戸山灰宛名面チェレンコフの光 戸山 灰 個展 
“Cherenkov radiation”  KOYAMA Kai Exhibition
◯ 会期  2016年12月20日[火]-25日[日]

       10:00-18:30 初日のみ14時より 最終日17時まで
◯ 会場  川崎駅前タワー・リバーク3階 アートガーデンかわさき 第2展示室
       川崎市川崎区駅前本町12-1 電話:044-200-1415

【 詳細 : 戸山灰がつくっているもの
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{新宿餘談}
戸山 灰(こやま-かい)さんは、ときおり来社されてあつくアート談義をかたられます。
そしてデジタルタイプにも厳格な視点を有されています。
今回は久しぶりの個展に際し、[朗文堂 タイプ・コスミイク]扱いのふたつのパッケージから、「正調明朝体 金陵 あおい」と、「杉明朝-杉本幸治制作硬筆風細明朝」をご使用されました。
ご愛用ありがとうございました。
正調明朝体 杉明朝体パッケージ表out

【展覧会】 根津美術館コレクション展「染付誕生400年」2017年1月7日─2月19日

img_sometsuke[1]世界中が憧れたやきものである磁器は、永らく中国が生産の中心地でした。
日本では今からおよそ400年前の元和2年(1616)、朝鮮半島より渡来した陶工・李参平によって、肥前(現在の佐賀県)の地でその焼成に成功したのが始まりとされます。
そして肥前磁器は「伊万里焼」として、染付や白磁、青磁や色絵へと飛躍的に発展し、江戸時代を通して隆盛を極めます。

本展は、平成10年(1998)に山本正之氏が当館へ寄贈された作品を中心に、17世紀から19世紀までの肥前磁器を概観するものです。江戸時代の日本人が生活のなかで大切に伝えてきた美しい器をご堪能いただければ幸いです。
【 詳細 : 根津美術館 展示

【特別展】 国立印刷局お札と切手の博物館「印紙・証紙──小さなグラフィック・デザインの世界」

img_main-visual01[1] お札と切手の博物館_01 お札と切手の博物館_02
【特別展】
国立印刷局お札と切手の博物館「印紙・証紙 ―― 小さなグラフィック・デザインの世界」
平成28年12月20日-平成29年3月5日

{小さな証明書の形・色・図柄}
本展で取り上げる「印紙・証紙」とは「何かを証明するために貼り付ける小さな印刷物」全般を指します。
これらの「小さな証明書」は貼り付ける対象や証明の内容などの用途に合わせてデザインされるため、多様な大きさや形態、ユニークな色分けや図柄になっています。
下邑政弥氏旧蔵の貴重なコレクションと併せ、製造機関である国立印刷局ならではの収蔵品を展示します。

{詳細:お札と切手の博物館