カテゴリー別アーカイブ: 與談ながら……

【Rebuilding】 朗文堂WebSite〝タイポグラフィつれづれ艸〟あまりにふるく気恥ずかしくはあるが若者に背をおされて再構築

kill-time-typography白頭を悲しむ翁に代わりて
唐  劉 希夷

   古人復た洛城の東に無く
   今人還た対す落花の風
   年年歳歳花相似たり
   歳歳年年人同じからず
   言を寄す全盛の紅顔の子
   応に憐れむべし 半死の白頭翁
──────────
{新宿餘談}
当朗文堂の WebSite は、デジタル時代の時計では太古の時代の発足である。
したがってメーンページの左下片隅にちいさく案内がある〝タイポグラフィつれづれ艸〟などは、いつの間にか存在が希薄となっていた。
それでもずいぶん前から、何人もの社員や、外部の管理者がすこしずつ手を入れて細細ながら維持がなされてきた。
そんなコーナーにも若者には新鮮な発見があるという。
ならば公開をためらってきたコンテンツを序序に掲載して〝タイポグラフィつれづれ艸〟を再構築し、内容をゆっくり増補すべく、肩のこらない程度の改造に着手した次第。
朗文堂 WebSite の休息所として、ときおり訪問していただけたらうれしい。

【講演会】 治水神・禹王研究会-中国紹興の禹王陵紹介

【プリント用PDF 治水神 ・ 禹王ポスター uouposter 】
20150311171252288_0001


《 中国故事 ― 善く国を治める者は、必ずまず水を治める  斉の宰相 ・ 管仲 》
どこの国でも 「 国づくり神話 」 は存在する。 中国におけるその 「 神話 」 を記録した図書として、 『 史記 』の「 夏本紀 」、『 竹書紀年 』 などがしられている。
それによれば三皇五帝の時代をへて、文明が勃興し、黄河文明 ・ 長江 ( 揚子江 ) 文明 ・ 遼河文明が誕生し、それが夏王朝、商 ( 殷 ) 王朝につらなったとされてきた。

20世紀にはいるまでは、さまざまな文物と、なによりも 「 文と字 」 で記録された 「 文書記録 」 をのこした周王朝 ( 西方に興る。 鎬京 コウケイ のち洛陽付近にみやこした。 前1100頃-前256。 37代で滅ぶ ) までの存在は知られていた。
周王朝以前の「金石文」は、かなり古くから研究が進んでいたが、甲骨文が発見 ・ 研究されるようになったのは19世紀末のことである。
それまでは、夏王朝、商 ( 殷 ) 王朝などの古代王朝は伝説とされ、ひとくくりに、夏 ・ 殷 ・ 周三代とされてきた期間もあった。

1899年、当時の清の国子監祭酒であった王 懿栄が、「竜骨」と呼ばれていた骨に、刻まれた文字を発見し、研究の先駆者となった。 その後 劉 鶚によって、1903年に甲骨文の図録 『 鉄雲蔵亀 』 が出版された。
さらに 「 甲骨四堂 」 とされる < 鼎堂 ・ 郭 沫若、彦堂 ・ 董 作賓、雪堂 ・ 羅 振玉、観堂 ・ 王 国維 >【 百度百科 : 甲骨四堂 】 らの研究によって、甲骨文の解読と商王朝の存在が知られるようになった。

さらにその後の調査 ・ 研究によって、伝説とされてきた夏王朝 【 ウィキペディア : 夏(三代) 】も、近年の考古学の実績や、年代測定法の向上などによって、実在した王朝とみなされるようになった。
夏(か。紀元前2000年頃 - 紀元前1600年頃)は、中国最古と伝承される王朝。夏后ともいう。
『 史記 』 『 竹書紀年 』 など中国の史書には、初代の禹から末代の桀まで、14世17代、471年間続いたと記録されている。 殷に滅ぼされた。
従来夏と禹王の存在は伝説とされてきたが、こうして近年の考古学の進展によって実在の可能性がたかまっている。

夏王朝の始祖とされる禹ウは、黄河の治水事業に当たり、功績をなし大いに認められた。
禹は、関所や市場にかかる諸税を免除し、地方に都市を造り、煩雑な制度を廃止して行政を簡略化した。その結果、中国の内はもとより、外からまでも朝貢を求めてくるようになったという。
さらに禹は、河水(黄河)をはじめ、さまざまな河川を整備し、周辺の土地を耕して草木を育成し、倹約政策を取り、自ら率先して行動した。
──────────
夏王朝は黄河 ( 中国では河、河水がふつう ) 下流域南岸に存在したとみられ、その禹王をまつる 「 禹王廟 」 【 百度百科 : 禹王廟 】 は江南各地に散在するが、禹王のみささぎ ( 陵墓 ) とされるのは、浙江省紹興の会稽山の山ふところ 「 大禹陵 」 【 百度百科 : 大禹陵 】 に比定されている。

「 大禹陵 」 は会稽山の山山にいだかれ、40余の大小の堂宇があるが、中心は 「 禹陵 」、「 禹祠 」、「 禹廟 」 からなる。 域内には大小の石碑があり、それらをまとめた 「 碑亭 」 もある。
2012年07月に20年ぶりほどで 「 大禹陵 」 をおとづれた。 そのおりの写真を講演会の予習をかねて紹介したい。

【 花筏関連情報 : 朗文堂-好日録024 禹王、王羲之、魯迅、孔乙己、咸亨酒店、茴香豆、臭豆腐
【 花筏関連資料 : 朗文堂-好日録016 吃驚仰天 中国西游記Ⅱ宋版図書 復活 ・ 再生の地 杭州 ・ 紹興 】

DSCN7160DSCN7043DSCN7064DSCN7181DSCN7184DSCN7165DSCN7169DSCN7203DSCN7205DSCN7207DSCN7206DSCN7055DSCN7059DSCN7067DSCN7074DSCN7083DSCN7079DSCN7088DSCN7091DSCN7137DSCN7095DSCN7097DSCN7116DSCN7123DSCN7124DSCN7126DSCN7121DSCN7142DSCN7139DSCN7141DSCN7113DSCN7108DSCN7107DSCN7109DSCN7200

【お知らせ】コンピュータ環境変更中。花筏の更新は一時移動します。

アダナ新コラムただいまコンピュータ環境を変更中です。 
その間、ブログ作成ソフトが変更になりますので
しばらくのあいだ

アダナ・プレス倶楽部 活版アラカルト 欄にて記述中です。
http://www.robundo.com/adana-press-club/wordpress/02/


活版アラカルト欄では、写真をクリックすると
スライド・ショーで画像を楽しむことができます。
お楽しみいただけたら幸いです。
──────
やつがれ & 片塩二朗

【紹介】ロシア/サンクドペテルブルクの印刷博物館

タイポグラフィ学会会員、GKグラフィックス所属の 木村雅彦氏 が、2013年05月19-25日まで、榮久庵憲司氏からの指示で、ロシアのサンクドペテルブルクのサンクドペテルブルク美術大学(1757年創立)での講演に出張された。
その忙しい日程をぬって、サンクドペテルブルク美術大学からの情報で、同市に印刷博物館が設置されていることを知り、同館を展観するとともに、博物館図録(205×205ミリ、オフセット平版印刷、フルカラー、中綴じ、20ページ)と、館内写真の提供をいただいた。
また同市がほこるエルミタージュ美術館にも、木製の手引き活版印刷機があったとして、その資料もあわせて提供いただいた。

サンクトペテルブルク(露: Санкт-Петербург)は、かつてはロシア帝国の首都であった。いまはロシアの第二の大都市で、レニングラード州の州都でもある。また第一次世界大戦の開戦以降(1914 – 24年)はペトログラード(Петроград)、ソ連時代(1924 – 91年)はレニングラード(Ленинград)と呼ばれていたまちであった。人口はおよそ500万人、大阪市と姉妹都市である。

木村雅彦氏のはなしでも、図録をみても、残念ながら動態をたもっているわけではなく、博物館標本に留まるようではあるが、ともあれ、ほとんど情報のなかった現代ロシアの活版印刷事情を知る手がかりができたことになる。

以下に、木村雅彦氏撮影の「サンクドペテルブルク印刷博物館」の近影写真を紹介したい。

博物館図録は全文がロシア語活字で表記されていて、ほとんど歯が立たないが、サンクドペテルブルクの印刷の歴史は相当ふるいようである。こうしたまだ知られざる外国の施設と、わが国の関連施設の交流が、これから徐徐に進んでいくことを期待したいものである。

エルミタージュ美術館 所蔵の、木製手引き活版印刷機》