【図書紹介】 ふうけもん ― ながさき明治列伝 ―(増永 驍著 長崎文献社 2008年3月13日)

20160517175007358_0001 20160517175154723_0001《崎陽長崎俚諺 さんか と ふうけもん》
長崎では、しばしば自虐的にこのまちを「さんか」のまちとする。
「さんか」とは、急峻な山容がそのまま海に没するこの長崎を特徴づけるもので、
一  坂   「さか」
二  墓   「はか」
三 馬鹿   「ばか」
の三つのことばの語尾が共通して「か」であることから「さんか」とするものである。

DSC00668 DSC00749 DSC00732 DSC00760たしかに長崎はほんのわずかな沖積地をのぞいて、急峻な「坂」のまちであるし、そこに這いあがるようにひろがる「墓」のまちでもある。
それでもさすがに「馬鹿」と口にするのをはばかって〝ふうけ〟とするふうがいまもある。「ふうけたことをいう……」は、「馬鹿なこと、ふざけたことをいう」といったかんじである。
したがって〝ふうけもん〟とは長崎ことばで、直截には馬鹿ものを意味するが、おなじ馬鹿でも、侮蔑のニュアンスはすくなく、もうすこし愛嬌のある馬鹿もののことである。

長崎新聞社の記者をつとめ、のちに長崎県庁に転じた増永 驍は、明治初頭長崎の「稀少人種」の〝ふうけもん ≒ 馬鹿もの〟として、本木昌造・西道仙・松田源五郎を主人公とし、脇役に平野富二・池原香穉・安中半三郎(東来軒・虎與トラヨ書房・素平連スベレン主宰)らを配し、同名の小説『ふうけもん ― ながさき明治列伝 ―』(長崎文献社)をのこした。

本木昌造02 平野富二武士装束 平野富二 平野富二と娘たち_トリミング松田源五郎M10年 松田源五郎アルバム裏面 上野彦馬撮影『ふうけもん ― ながさき明治列伝 ―』増永 驍によって〝ふうけもん〟とされたおとこたち
本木昌造 : 長崎諏訪神社蔵  平野富二 : 平野ホール蔵 松田源五郎 : 松尾 巌蔵

『ふうけもん ― ながさき明治列伝 ―』(増永 驍著)は、明治長崎の40年をかたるとき、おもしろい視座を提供する図書ではあるが、いつものように【良書紹介】としなかったのは、それなりの理由はある。本書をおよみいただきやつがれの意をお汲みいただけたら幸いである。
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『ふうけもん ― ながさき明治列伝 ―』(増永 驍著 長崎文献社 2008年3月13日 第三章 長崎ぶらり p.258 より)
一  一番さん
長崎に「さんか」という俗語がある。
さんかとは、単語の語尾が「か」で終わる長崎の特徴をあらわす言葉、さん(三種)の「か」
というほどの意味である。
天領[江戸幕府直轄の領地]として海外交易で栄えた長崎の港は、外海からの波浪を鎮めるように、三方を小高い山並みに囲まれ平地は極めて少ない。
このため丘や山を削って港の一部を埋め立てて、市街地を造成し、削り取った跡地には山頂をめざして住宅が連なっている。
その街中を貫く生活道路のはとんどぱ坂道と石段である。

まず、さか(坂)が「さんか」の、かのひとつ目である。
信心深い住民ぱ、西方浄土を臨む安息の土地を求め、宅地の上の山際を造成して墓地とした。
町並みを取り囲むように墓地がある。二つ目は、はか(墓)である。
江戸時代、海外交易の一部が住民に還元されるなど、およそ全国でも例を見ない安穏な暮らしを続けた長崎の民は、その気質もまた異なるものがある。

良く言えば、他の土地からの旅人にもあふれるはどの親切心にあふれ、また、変化は好まず日々の安穏を願うお人好しである。
先祖代々、はぐくんできた気質は成熟している。
他人に先駆けて栄達しようなどとの心構えは、数百年をかけてオランダ船と唐人船に積み込んで海の彼方に捨てている。
苦労知らずの世間知らず、空想にふけり、ぼーっとして人生を過ごす者がいる。
したがって、三つ目は、ばか(馬鹿)である。
現実離れして何かのことに夢中になり、巷の者の常識に外れた者を長崎では「ふうけもん」と言う。近い言葉でいうなら馬鹿である。
ただし、ふうけもんにも幾つかの種類がいる。
現実を理解できる能力を有しないものが多数なら、理想と空想を混在し、さらには現実と虚構を混在し、むやみやたらに積極的となり実現不可能な騒ぎを起こす者も存在する。
希少人種の「ふうけもん」が中島川の右岸の土手を軽やかに走っている。
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{著者紹介}
増永  驍 ますなが-たかし
1945年うまれ。日本大学法学部卒。同大学法学専攻科修了。
長崎新聞記者を経て長崎県庁に勤務。総務部消防防災課長、佐世保高等技術専門校長をへて退職。2004年から総務省所管の公益法人の長崎県支部長。
主要既刊書
『ながさき幕末ものがたり 大浦お慶』(1991年 長崎文献社)、『現川伝説』(1994年 長崎文献社)、『鯨神 深澤義太夫異聞』(1997年 長崎文献社)、『友好の奇跡 兪雲登回想録』(2006年 長崎新聞社)