新・文字百景*001 爿・片 許愼『説文解字』

 爿ショウ と 片ヘン,かた
その《字》の形成過程をみる

 

 楷書4画、一部で爿ショウ部  部首偏とする。
『説文解字』が部首としなかったために一部で混乱はみられるが
『康煕字典』『現代漢語詞典』などでは「爿」を部首として扱っている。
シフトJIS: E0AB
嘯奬妝將漿瀟爿牀牆獎簫莊蕭裝墏娤嶈彇
戕槳潚焋蔣螿蠨蹡醬摪斨梉橚熽牄蘠鱂
          総数37 
                               

 楷書3画、常用漢字でもちいる爿の字画の「部首丬しょう偏」

Unicode:U+4E2C
奨将蒋醤状寝壮荘装
             総数9 
                              

楷書4画、片ヘン,カタヘン部
教育漢字6年配当、常用漢字
シフトJIS:95D0
牒牌版淵片嘯瀟牋牘簫肅蕭奫婣彇沜潚牎牏牐牓牕牖
繡蠨鏽驌魸鱐鷫扸棩橚熽牉牊牑牔牗璛蜵蝂裫覑鼘
           総数45 
                           

★   ★   ★ 

《字体と字種には触れないと決めていたが……》
30年ほどまえのはなしだが、辞書の編纂に関わっている人物の知遇を得たことがある。会うたびに、まことに博覧強記、碩学セキガクだなぁと感心する反面、
〔コイツと付きあっていると、こっちまでおかしくなるぞ……〕
とおもって、敬して遠ざかった。
           

20年ほどまえのはなしだが、ある編集者が、いわゆる「83JIS字体」の施行によって、混乱がみられた「漢字の字体と字種」にいたく立腹され、それに関する執筆を依頼された。たまたま別の版元の雑誌に連載記事を書いていたので、そのなかで、さる編集者への回答を兼ねて、「字体と字種には、小生は触れたくない」としるしたことがあった。          

その理由は、「文と字」は、所詮ひとがつくったもの。したがって、ひとによって異なり、時代・地域によって異なり、筆記具によって異なるのはあたりまえだとおもっていたから。
すなわち「文と字」は、いま現在において「混乱・混迷」したのではなく、その成立以来、創造と消滅、誕生と寂滅、混乱と混迷を極めながら変化してきた。それがまた至極あたりまえだとおもっているからであった。
         

もちろん「文と字」の公共性を考えれば、教育と公文書などには一定の統一は必要だとおもう。
しかし、わが国のこれまでのように、明確な方向性、指針、根拠を示すことなく、かの地ではさして評価されない『康煕字典』を典拠としたり、唐突にただ既成の活字書体を例示書体として提示して、「これにしたがえ」では混乱を助長するだけである。
   

そもそも康煕55年(1716)、清朝の大学士張玉書、陳廷敬らが康煕帝の勅命により撰した字書が『康煕字典』である。たしかに『康煕字典』は部首別、画引きで編纂されているので、わが国の関係者にとって利便性にすぐれているのかもしれない。しかし『康煕字典』はすでに290年余の以前の木版刊本であり、それだけに字様(刊本上の字)には混乱もすくなくない。   

また、張玉書らは『字彙』『正字通』にもとづき、それを増補したとその巻頭に述べている。やはり公共の「文と字」を論じるのなら、その原点となった『字彙』『正字通』も参照するべきであり、『康煕字典』を金科玉条として、安易に〈康煕字典体〉?などと唱導することなく、やはり最低でも以下の資料ぐらいは(せめて役所だけでも)揃えてから論じていただきたいものである。 
このおもいはいまもかわらない。

 『中文大辭典』      中国文化研究所        49,905字収容
 『國民學校常用字』   國立編譯館(台湾)        3,861字収容
 『教育部常用漢字表』  教育部(台湾)           3,451字収容
 『甲骨文集釋』       中央研究院             1,607字収容
 『金文正續編』      聯貫出版社           1,382字収容
 『辭 源』          商務印書館          11,033字収容 
 『辭 海』         中華書局            11,769字収容
 『辭 彙』         文化図書公司          9,766字収容 
 『國語辭典』       商務印書館            9,286字収容
 

 だから「文と字」はおもしろくもあるのだが、「文と字」を綯ナい交ぜにして「文字」と呼んでいるこの国にあっては、さきの辞書の編纂者のように、ある種の偏執狂モノマニアのような執着心がなければ、書いてはいけないテーマだとおもっていた。生来杜撰なわが身を省みても、精緻な論考がもとめられる漢字字体に論及することはつつしみたかった。つまり なまかじり はしたくなかった。        

 いま、その禁をみずから破ろうとしている。しかも、いかに慎重を期しても、いわゆるウケのない分野であることは承知しながらである。そして反論・異論だけでなく、どういうわけか明治期以来、「字学」についてかたり、著述をのこしたひとにたいしては、その発言者の品位・品格を疑わざるをえないうような、流言飛語や誹謗中傷までが頻出する分野である。その地雷原のような危険な分野に、徒手空拳、なまかじりのままで歩みだそうとしている……。           

やつがれ、いつも出所はまったく同じ、こうしたたぐいの根拠のない流言飛語や誹謗中傷にはすっかり慣れているし、そんな単純な扇動に附和雷同するような、愚昧のやからを相手にしたくないから、いまさら頓着しない。
まして、いまさら功名心や使命感でもない、まして衒学趣味もない。春の野辺のツクシのように、ポコポコと、自由気ままに、
「こんなにおもしろい、文と字のことども」
をしるしたかっただけのことである。
        
 

ただただ、一部の同学のともがらとともに、「文と字の大海」を揺蕩タユタフがごとく彷徨し、あちこち揺れ漂う旅に出てみたかった。
したがって、読者諸賢からの反論・異論・誤謬のご指摘は大歓迎である。
いずれにしても、本欄《新・文字百景》は近い将来、別のコーナーに移転の予定である。それまでポチポチといきますか。
 
──── 以上、冒頭駄言。 
                     

 《『説文解字』で部首とされなかった爿ショウ、そもそも『説文解字』とは》
「字 ≒ 文字」のなりたちを説いていて、現代中国でももっとも基本的な書物とされるのが許愼『説文解字』である。
これまで「許愼」あるいは『説文解字』という図書の名はしられても、その人物像をおもいうかべることはできなかった。
そこで冒頭に、新設なった「中国河南省安陽市・中国文字博物館」に展示されていた「許愼胸像」を紹介した。           

また下記に『文白対照 説文解字』(李翰文訳注、北京九州出版社、2006 年 3 月)の口絵に「許愼肖像画」が掲載されていたので、それもあわせて紹介した。もちろん写真術などは影も形もない1900 年ほど前のひとであるから、どこまで許愼のふんいきや風貌を伝えているのかはわからない。                              

           

許愼キョ-シンは後漢(東漢とも 25-220年)の学者で、あざな(字、男子が成年後に実名のほかに名乗った別名)は叔重シュク-ジュウ。中国河南省汝南ジョナン県召陵ショウリョウのひと。
その撰による『説文解字』15巻は、中国文字学の基本とされる。        

許愼の人物紹介は、わずかに『後漢書』列伝に簡潔にしるされただけである。
したがってその生没年には諸説あって、西暦30-124年『広辞苑』、?-c.121年『新漢和辞典』、c.50-121年『標準世界史年表』、c.58-c.147年[李翰文]と、かなりの振幅がみられる。
許愼がいきた後漢の時代とは、わが国はまだ弥生時代中期とされる未明のときであった。『標準世界史年表』(亀井高孝ほか、吉川弘文館)では、『説文解字』がなったのは推定西暦100年ころとしている。        

『文白対照 説文解字』(李翰文訳注、北京九州出版社、2006 年 3 月)によると、『説文解字』には正文9,353字、重文(合分、Compound sentence)1,163字、合計10,516字が掲載され、その全書の総字数は133,441字におよぶとされている。
また『説文解字』には540の部首が設けられ、その部首ごとに編纂をすすめるという方法がとられた。                

                         

許愼がしるした『説文解字』は、見出し字(親字)に篆文(小篆)をもちい、本文は隷書であったとされる。
後漢の時代には、まだ楷書(当初は今隷、のち正書・正体とも)が登場していないので、隷書で本文をしるしたことは当然とおもえるが、現存する最古の『説文解字』は、500年余ののち、唐代(618―907)写本のわずかな残巻でしかなく、本文はすでに唐代に登場した楷書でしるされている。つまり許愼『説文解字』の正確な形姿は想像するしかない。           

まだ複製術 ≒ 印刷術が創始されるはるか以前、いまから1900年余以前の、後漢のひと許愼は、当然のことながら『説文解字』を「手書きの書物 稿本」として、15巻におよぶ大著をのこしたとみてよいだろう。
その後書写本がいくつか製作されたとみられるが、写し間違いや、訛伝、ときには潤色もみられたことは当然予測可能である。        

そして許愼の時代から千年ほどのちの10-11世紀ころ、北宋の時代に木版印刷術などの諸技術が飛躍的な発展をみて、『説文解字』はいわゆる北宋刊本(板目木版印刷術による複製本)として相当量の刊行をみたとみられる。
しかし北宋刊本は、その後女真族による金国の誕生・支配にともなう混乱や、蒙古族の元王朝の誕生など、異民族支配があいつぎ、その戦乱と混迷のなかにそのほとんどが忘失した。                    

           

現代によく伝承されている許愼『説文解字』は、わずかに200年ほど前の刊本で、清朝嘉慶14年(1809)孫 星衍ソン-セイエンが、宋朝時代の刊本を覆刻(かぶせ彫り)した『仿北宋小字本 説文解字』(仿は倣と同音・同義)と呼ばれるものである。
しかしこの『仿北宋小字本 説文解字』ですら、容易には入手・閲覧できないために、清朝同治12年(1873)陳昌治チン-ショウジによる新刻刊本『説文解字』がもちいられることも多い。                

しかしながら木版刊本によった前掲 2 書でも、到底厖大な知識層の需要をまかなうことはできなかった。また近代中国では解釈できない文や、注釈が必要な部分が多かったため、しかるべき識者・碩学が「訳文」と「注釈」を原本(木版刊本)に朱筆でしるしたものを「批注本」と呼んで珍重した。
それらの「批注本 説文解字」を、清朝末期に導入された大量複製術の石版印刷によって、スミと朱色による套印(トウイン、多色刷り。現代のオフセット平版印刷多色刷りに相当)をもちいて書物にすることがみられた。           

筆者が所有する『説文解字』は、『説文真本』(和刻本 1826)などの和本が数種類あるが、まったく物足りなかった。このごろもっぱら愛用しているのは、「批注本 説文解字」の一種で、『黄侃コウカン手批 説文解字』(黄侃コウカン批校、中華書局出版、2006 年 5 月)と、現代中国の簡化字活字による『文白対照  説文解字』(李翰文訳注、北京・九州出版社、2006 年 3 月)である。                      

もちろん手元の「漢和辞典」のたぐいも総動員しているが、それぞれ一長一短あって、コレとは決めかねている。それでも長年にわたって『新漢和辞典』(諸橋轍次・渡辺末吾・鎌田正・米山寅太郎、大修館、昭和 59 年 3 月 1 日)を愛用している。これは諸橋轍次一門が、いわゆる諸橋『大漢和』の要約版として編んだもので、机上において邪魔にならない。       

それより、もっとも愛用している「漢和辞典」は、電子辞書版『漢字源』(原本:『漢字源』藤堂明保・松本昭・竹田晃・加納喜光、学研)である。それとパソコンに組み込んだ「ATOK文字パレット」も、電子メディア表示字種の確認のために捨てがたい。 要するにたいした資料は無いということである。                          

《順序が逆向き?! だが、まず 片 からみる》
【片】は教育漢字で、小学校6年(配当)で学ぶ。常用漢字でもある。
つまり、あたりまえの漢字であるが、おおきな矛盾もはらんでいる。
総画数は楷書 4 画で、漢字部首「片 ヘン, カタヘン部」をなす。
漢字音は「ヘン piàn, piān」、常読は「ヘン/かた」、意読は「きれ/ひら/かけ/かた/ペンス penceの音訳」など。
わが国での名づけは「かた」である。
したがって筆者の姓は「片塩」であるから、「かたしお」とよんでいただくことになる。                 

むかしのこと。某 FUJI 銀行の窓口で、
「ヘンエンさ~ん」
と呼ばれて、最初は〔誰のことじゃい〕とおもって聞き流し、そこらにあった週刊誌をながめていた。再度、
「ヘンエンさん、ヘンエンさ~ん、いらっしゃいませんか~」
と大声をだされて、
「あぁ、オレを呼んでいるのか」
とわかるまでに少し時間が必要だった。       

たしかに漢字のよみがわからないときは、奈良朝のいにしえより、漢字音(漢音読みとも)でよむならわし ── はじめは太政官符だったらしいが ── がある。それでもわが国の「片の名づけは 古来 かた」であるので、片桐・片岡・片倉・片山さんなどとともに、たとえ少少変かもしれないが、お願いだから、「片塩 ヘンエン」とはよまないでいただきたいのだ。                         

図版『黄侃コウカン手批 説文解字』にみる「凡片之属皆从片」は、「およそ片に属する字は、みな片にしたがう」という意であり、「片」は漢字部首「片 ヘン piàn, piān」として成立している。           

〔新漢和辞典 解字〕によれば以下のようになる。
指事。木の字をふたつに割って爿と片にした右の半分を示し、かたいっぽうの意を表す。        
その楷書字画 4 画には、諸説、諸例があって混乱がみられるが、ここではひとまず触れないでおく。        

「片」の字画をその部首あるいはその字画の一部に有する字のうち、ふつうのパソコンに登載され、表示できる字には、
「牒・牌・版・淵・片・嘯・瀟・牋・牘・簫・肅・蕭・奫・婣・彇・沜・潚・牎・牏・牐・牓・牕・牖・繡・蠨・鏽・驌・魸・鱐・鷫・扸・棩・橚・熽・牉・牊・牑・牔・牗・璛・蜵・蝂・裫・覑・鼘」
などがあり、その総数は 45 字におよぶ。                          

《爿に触れる前に、かなりやっかいな字 从 をみる》
図版『黄侃コウカン手批 説文解字』にみる「从」は、『説文解字』に掲載された字であるから、おそくとも後漢の時代からつかわれていた字である。
「从」は楷書 4 画で、漢字部首「人部」にある。
この字は《从 → 從 → 従》と変化したが、現在の中国常用国字(簡体・簡化字)は、「從 でも 従 でもなくて 从」である。
しかもほかの字の字画の一部になるときにも、この「从」が応用されるので、けっこう厄介な字である。           

すなわち、《従、從、从》は同音同義の字である。
常読では「ジュウ/ジュ/ジョウ/したが……う/したが……える」であるが、和訓音として「したがって、それだから」がある。
漢字音は時代差と地域差がおおきく、「ショウ/ジュ/ショウ cóng/ジュウ/ショウ zóng/シュ/シュ cōng」などとさまざまに音される。         

現代のわが国では「从」を異体字としてひどく冷遇? している。
すなわち《従、從、从》を以下のように扱っている。〔電子辞書版 漢字源〕
【従】  教育漢字6年配当。常用漢字。
          楷書画数10画、部首彳部、シフトJIS:8F5D
【從】   旧 字、楷書画数11画、部首彳部、シフトJIS:9C6E
【从】  異体字、楷書画数04画、部首人部、シフトJIS:98B8

〔新漢和辞典 解字〕によれば以下のようになる。
会意兼形声。从ジュウは前のひとのあとに、うしろのひとがつきしたがうさま。從は「止アシ+彳イク+音符从」で、つきしたがうこと。A のあとに B がしたがえば、長い縦列となるので、長く縦に伸びる意となった。従は当用[常用]漢字字体。                

 《さて、問題の爿ショウである……》
「爿」の字画をその一部に有する字のうち、ふつうのパソコンに登載され、表示できる字は、
「嘯・奬・妝・將・漿・瀟・爿・牀・牆・獎・簫・莊・蕭・裝・墏・娤・嶈・彇・戕・槳・潚・焋・蔣・螿・蠨・蹡・醬・摪・斨・梉・橚・熽・牄・蘠・鱂」
などがあり、その総数は 37 字におよぶ。さきに紹介した「片」の総数 45 字にくらべてもさして遜色ない。           

しかも、爿と片は元がおなじ「木」をまっふたつに割った字とされるから、元の「木」にもどろうとしているのか、字画が混み合うのをいとわずに、
「嘯・瀟・簫・蕭彇・潚・蠨」
「淵・嘯・瀟・簫・肅・蕭・奫・婣・彇・潚・繡・蠨・鏽・驌・鱐」
のように、「片と爿」が向きあった字画もすくなくない。                      

そしてわが国の字書の一部には(楷書・総画数)4 画とされることがあるが、よくみると「片・爿」では楷書としての運筆上に矛盾を生ずることもままみられる。つまりなにかと書きづらい字でもある。
すなわち現代中国でも台湾でも「正体としての 片」は 4 画として国家が定めている。しかしこれはあくまでも楷書字画のことであり、その余の書体 ── 行書や草書などの字画におよぶものではない。        

すなわち、中国ではふるくから「正体・俗体・通体」があった。公文書や教育用には正体がもちいられるが、生活人は「俗体・通体(通行体)」をあたりまえのごとくもちいている。ついでながら、ふつう中国で「異体字」とは、異民族が漢土にのこしていった字のことを指すことが多い。         

したがって筆者(片塩)は、「片」の下の横線を上の直線と同様に長く書き、最終画の 5 画目を縦の直線として、ながらく楷書 5 画で「書いてきたし、書き続けている」。つまり俗体であり通体でしるしている。
しかも筆者のオヤジなどは、2 画目は釘の頭のような短い縦棒ではなく、ドンと点をうち、5 画目の最終画をグイと右に曲げてから撥ねていた。こうすると木の切れっ端という印象はうすれて、安定感がいや増し、結構勇壮な「片」であったのだ?!
このことがらは、項をあらためて触れたい。                  

 しかもこの「肅・淵」のような字画を有する字のばあい、ときとして「肅 → 粛」、「淵 → 渕・渊」などとあらわされることもある。
これらの例は同音・同義であるが〔電子辞書版 漢字源〕では、
【粛】       常用漢字・楷書11画・聿フデ-ヅクリ部
【肅】       旧字・楷書字画13画・聿フデ-ヅクリ部
が通用している。                       

ところが、似たような字画を有する「淵」になると、ふしぎなことに以下のようになる。
【淵】     楷書11画・水部
【渕】   楷書11画・水部・異体字(A)
【渊】      楷書11画・水部・異体字(B)
                           

これらの通用字をよくみると、「肅」の字の一部の字画が「米」に置きかえられ、「粛」が常用漢字となり、「肅」は旧字とされて「格下げ」されている。しかし「肅」で「米」の字画に置きかえられた「淵」の字画は、常用漢字への採用がなかったために、いまもって「淵」が常用字であり、「渊」は異体字 B として「ひどく格下げ」されるという、ある種の矛盾が発生している。           

これらの当用漢字や常用漢字に採用された字画を、ほかの字の偏や旁やその一部になるときにも採用して、「字体」の乱れ(混乱)を調整しようという動向がかつてあった。
たとえば「肅が常用漢字となって→粛」となるならば、同種の字画を有する「淵を → 渊」とするようなことであった。それは「拡張新字体」として一部の活字業者にも採用されたが、現在ではあまり注目されないようだ。                      

さらに先に紹介した『説文解字』の説明とは、爿と片の左右の位置関係が逆におかれている。
許愼『説文解字』(第七上)によれば「判木也。从半木。凡片之属皆从片」とある。
すなわち、「片」は、指事であり、「木」をまっふたつにしたうちの右の半分である。つまり楷書や行書ではなく、冒頭に掲げた図版のように、甲骨文や小篆にみるような「木」の字をふたつに割って、左半分を「爿ショウ」とし、右半分を「片ヘン」にしたもので、ともにかた一方の意をあらわすとされてきた。
したがって「爿」は左に、「片」は右にありそうだが、実際の字画はその逆になっている。
「爿」「片」は、どうやらやっかいな字であることをおわかりいただけたであろうか?                            

《常用漢字爿部首? 丬の字を検証する》
さらに、まことにやっかいなはなしだが、わが国では「爿」の字画を「部首」に有する字が、常用漢字になると、「丬」の字画となって、にわかに「新部首 丬」になったりする。
しかしここに電子辞書版『漢字源』(学研)から検証したように、「丬」をもちいても、すべての字が「爿」の字画を「旧字」「異体字」などとして、いまだに温存しているのはなぜだろう。ふしぎな字画(部首?)が「爿」である。
                      

【奨】   常用漢字・楷書13画・大部
【奬】
   旧   字・楷書14画・大部
【獎】   異 体  字・楷書15画・犬部
【将】   常用漢字・教育漢字6年配当・楷書10画・寸部
【將】   旧   字・楷書11画・寸部
醤】          楷書17画・酉サケノトリ,ヒヨミノトリ部
【醬】   異 体  字・楷書18画・酉サケノトリ,ヒヨミノトリ部・Unicode:U91AC
【状】   常用漢字・教育漢字5年配当・楷書7画・犬部
【狀】   異 体  字・楷書画数8画・Unicode:U+72C0
【寝】   常用漢字・楷書13画・宀部
【寢】   旧   字・楷書13画・宀部
【壮】   常用漢字・楷書6画・士部
【壯】   旧   字・楷書7画・士部
【荘】   常用漢字・楷書9画・艸部
【莊】   旧   字・楷書10画・艸部
【装】   常用漢字・教育漢字・楷書12画・衣部
【裝】   旧   字・楷書13画・衣部
                          

《部首になりきれなかった爿・丬》
前掲資料のように、電子辞書版『漢字源』(藤堂明保ほか、学研)は、「爿」を部首としてはまったく扱っていない。
あるいは中国伝統の部首配列にもとづくとされる ── 俗に康煕字典配列とされる ── 活字版印刷の活字ケース(スダレとも)での配列は、「将・將」→ 寸の部(業界用語でチョット寸 → 3 画)に配される。同様に「状・狀」→犬の部(業界用語でケモノ → 4 画)、「壮・壯」 → 士(業界用語サムライ → 3 画)の部である。
        

すなわち『康煕字典』には「爿」の部首があることはすでに紹介した。したがって、「将・將」→ 寸の部、「状・狀」→ 犬の部、「壮・壯」→ 士の部の例だけをみても、── わが国の活字ケースは康煕字典配列にもとづく ── とされる「俗説・通説」には疑問が発生することになる。
ましてこのごろでは、わが国の漢字字体の典拠として「康煕字典体」などということばも散見する。まことにもってふしぎなはなしだとおもうが、いかがなものか。
       

 ところで、このくらいで驚いてはいけない。わが国の活字版印刷の分野では、いまもって、「しんにゅう 辶は 7 画」である。すなわちここでは許愼のむかしとかわりなく、「しんにゅうは、そのふるい字画  辵 」であり、7 画であるとしているのである。              

これをして、時代錯誤としようが、固陋頑迷としようが勝手だが、字 ≒ 文字は、ほぼ漢王朝のころに完成をみたために「漢字」とされた。それを明確かつ体系化した字書が『説文解字』であった。
そして「漢土→中国本土、漢文→中国の文書、漢方→中国の薬・医学、漢族→中国の主要民族」として、いまもって「漢」の字は、民族意識をもってもちいられている。
       

いま、我我は隋・唐のむかしと同様に、ふたたび隣国中国との接触をつよめている。つまるところ、そこでは、その中国の国字たる「字 漢字」をどのように理解し、わが国で馴致した「日本式漢字」をどのように理解し、双方で誤解なくもちいればよいかの判断がもとめられはじめただけのことであろう。  なにもめくじらをたてるほどのことではない。たいしたことではないのである。                   

 そこで「爿」を部首としている簡便な「漢和辞書」2 冊をみてみたい。
『新漢和辞典』(諸橋轍次・渡辺末吾・鎌田正・米山寅太郎、大修館、昭和 59 年 3 月 1 日)p.564 には、【爿(丬)部】がある。
すなわち 4 画の部首として扱われている。
ここには 6 字が紹介されている。簡略に紹介する。
                           

    【爿(丬)部】 しょうへん(丬は3画)
【爿】 ショウ(シャウ)、ゾウ(ザウ)qiáng
      ①きぎれ。木をふたつに割った左半分。
〔解字〕 指事。木の字をふたつに割って爿と片とした左半分を示す。当用(常用)漢字では丬の形に書く。

【壮】 → 士部 3 画。
【牀】 ソウ(サウ)・ジョウ(ジャウ)慣用:ショウ(シャウ) chuáng
①寝台
【牂】 ショウ(シャウ)・ソウ(サウ) zāng
①めひつじ
【将】 ショウ→ 寸部7画。
【牆】 ショウ(シャウ)・ゾウ(ザウ)
①かき。かきね。
                           

拍子抜けするほどあっけないものである。しかも当用(常用)漢字となった【壮】は、「新部首?丬」が置かれないために、士部 3 画をみよ、であり、【将】も寸部7画をみよ、となっている。
すなわち諸橋轍次とその一門は、「爿」は部首としているが、常用漢字に採用された「丬」は部首としては扱っていないことが判明する。
                             

もうひとつ「爿」を部首とした『新明解漢和辞典 第二版』(長澤規矩也、三省堂、1982 年 11 月1日)をより簡略にみてみよう。
ここでは常用漢字となった「将・壮・装」などは、そのふるい字体「將・壯・裝」も紹介しないほどの割り切りかたである。
もちろんそれぞれの書物には編集意図があり、それに異をとなえるものではないが、かなり大胆な割り切りかたである。
  

    【爿 部】 新字体は丬
【爿】 漢音:ショウ(シャウ)、呉音:ゾウ(ザウ)
①木を両分した左の半分。→片(右の半分)
〔字源〕 象形。木の左半分の形にかたどる。
【妝】・【牀】・【戕】・【斨】・【牁】・【牂】・【娤】・【漿】・【奬】・【牆】・【螿】・【醬】             

   

ただし、ここできわめて興味深いのは、諸橋轍次ほか『新漢和辞典』がその〔解字〕において、
「爿」を「漢字六書の指事」とし、
長澤規矩也『新明解漢和辞典 第二版』はその〔字源〕において、
「爿」を「漢字六書の象形」としていることである。
この「漢字六書の法」も許愼が定めたものであるが、こうした基本的な事柄におけるふたりの碩学の相違にかんして述べるには、いまは筆者の学問がたりない。しかしこれを看過していては、「字学」の歩みを止めてしまうことになろう。非才の身ながら精進したいものである。
                         

  

 
 
 

 

《常用漢字  将(旧字 將)と、状(旧字 狀)を『説文解字』にみる》
将(旧字 將)
『説文解字』第三下 寸部  5 行目 寺 の下にある。
師也。从寸、醬省聲。即諒切。(jiàng)
〔電子辞書 漢字源 解字〕
会意兼形声。爿ショウは長い台をたてに描いた字で、長い意を含む。將は「肉+寸(て)+音符爿」。

状(旧字 狀)
『説文解字』第十二下 犬部 上部にある。
犬形也。从犬、爿聲。盈亮切。(zhuàng)
〔電子辞書 漢字源 解字〕
会意兼形声。爿ショウは細長い寝台の形をたてに描いた象形文字。
狀は「犬+音符爿」で、細長い犬の姿。細長いの意を含むが、ひろく事物のすがたの意に拡大した。
                                 

《結論は急がないで欲しい。いっしょに漢和辞典でも引きましょうや》  
ここまでみてくると、許愼はどうやら「爿」を字音をあらわすための「音符」としてみていたのではないかとおもわれる。だから部首にはしなかったのかと……。
すなわちこの「爿・片」だけを取りあげても、もっと学問が必要ですな。
そんなわけで、ぜいぜいヒイヒイいいながら『説文解字』をひき、漢和辞典と照らしあわせているいまなのである。
───〔この項つづく〕