朗文堂好日録-028|がんばれ ! ひこにゃん !!|彦根城、徳本上人六字名号碑、トロロアオイ播種

愛すべき ゆるキャラ「ひこにゃん」のことは、かつてこの《花筏》でもしるした。当時は知識不足で「ヒコニャン」とカタ仮名表記してしまったくらいで、さほど関心があったわけではない。
★ 朗文堂-好日録 010  ひこにゃん、彦根城、羽原肅郎氏、細谷敏治翁 2011年08月27日

ところが昨今の報道では、絶対の人気をほこった滋賀県彦根市の「ひこにゃん」が、熊本県の「くまモン」の人気にすっかり押され気味だという。
くまモン」とは熊本県庁が2010年から「くまもとサプライズ」キャンペーンにおいて展開している、熊本県のPRマスコットキャラクターである。こちらはまだ実物はみていないが、下の動画をみるとなかなかのおもしろさである。見てみたい気も ムニャムニャ モゴモゴ なくはないぞ。。
★  「くまもとサプライズ くまモン オフィシャルサイト」 くまモン体操  3:01  YouTube

R J C リサーチの調査によれば、P R キャラクター総合力ランキングの地域ジャンルにおいて「くまモン」は 2011年 の 46 位から、2012年は 43 ランクアップして、彦根市の ひこにゃん、奈良県の せんとくん に次ぐ 3 位になったとしている。2013年、ことしはどのような具合であろう、チョイト心配だ。
それでも最近の報道では、2013年の年賀状が「ひこにゃん」宛てに 1 万 891 通も届き、バレンタインデー・チョコレートも 228 個届くほどの人気ではあるらしい。
★ ひこにゃん、自由すぎる!  2:53  YouTube  
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「ひこにゃん」に関しては、原作者と彦根市が、類似グッズの販売をめぐって、著作権と商標権を裁判で争い、ようやく和解にいたったようである。

それを受けて、彦根市はそのWebsiteに「ひこにゃん 公式サイト」をもうけて、そこに「ひこにゃん 商標使用のページ」をおいて、くわしく使用法をといている。

いっぽう「くまモン」は、あらかじめ熊本県がデザイナーから商標権を買い取り、熊本県のブランド力向上つながると判断したものについては、商標の使用権を無料にしていて、すでに認可件数は6,000件を超しているとのことである。

小社のようなちいさな企業でも、出版部(Book Cosmique)、活字部(Type Cosmique)で、類似の問題がまれに発生することがある。だから無関心ではいられないテーマである。ともあれ小社では、こうした問題には、できるだけオープンにすることを基本として、問題がおきたら、ともかく誠意をもって、慎重に対応することにしている。

そこで、ようやく紛争を解決した「ひこにゃん」を応援すべく、ふるい資料で恐縮だが、上述の「朗文堂好日録 010」を再編集して、ここに「ひこにゃん」応援のためにあらためて紹介したい。

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¶ 2011年07月某日、関西方面出張。
この年は「東日本大震災」の年であった。例年の新年度のイベントや、GW 恒例開催の「活版凸凹フェスタ 2011」も中止としていた。なんとなく全般に意気消沈して低調な東日本だった。

ところがその間、意外なほど西日本各地では活況を呈していた。朗文堂 サラマプレス倶楽部はそれを受け、2011年07月某日、タイポグラフィゼミナール、活版ゼミナールを兼ねての強行軍での関西出張となった。
たまたまほぼ同じ時期でのおはなしだったので、スケジュールを集約調整して、大阪 3 ヶ所、京都 2 ヶ所、滋賀 1 ヶ所を駈けまわるという強行スケジュールとなった。

京都駅に降りたっておどろいたのは、駅舎もまちも明るいことだった。計画停電、節電下の関東地区とは大違いだった。このころの東京の駅舎は昼でも夜でも減燈され、まちなみは暗く、活気にとぼしかった。
なにはともあれ交通の便だと、オノボリサン丸出しもいいところで、京都駅前の「京都タワーホテル」を根拠地とした。
これはのちほど、京都育ちのHさんに、古都の景観を損傷した京都タワービルには入ったこともない …… と呆れられたが。ともかくそこをベース・キャンプにして仕事に集中。

それから 4 日間というもの、大阪・京都・大津といったりきたり。それなりの成果もあったし、充実感もあった。
されど、ここで仕事のはなしをするのは野暮というもの。なにせノー学部といっしょだったから、忙中に閑あり。やってくれました !
なんともまぁ、唖唖、こんなこと !!

¶ なにかおかしいぞ……、と、嫌な予感はした。ノー学部の巧妙な誘導質問だった。
「京都から大津にいって、そこから彦根にいくって、たいへんですか」
「直線距離ならたいしたことはないけど、なにせ琵琶湖の縁をこうグルッとまわってだね……、結構面倒かな」
「彦根城には、いったことはあるんでしょう。前に好きなまちだと聞いたことがあります」
「水戸天狗党の藤田小四郎のことを調べていたころに、敵対した井伊大老の居城ということで 1 回だけいった」
「じゃぁ、日曜日が空いているから、京都観光巡りじゃなくて、彦根城にいきましょう」

やつがれ、なにを隠そう、ちいさいながらも城下町で育ったせいか、彦根のふるい家並みのまちが好きである。ここには大坂夏の陣で破れた忠義の武将、木村重成公の墓(首塚)もあるし、お馴染みの「徳本 トクホン 行者 六字名号碑   南無阿弥陀仏」もある。それよりなにより、近江牛のステーキは垂涎ものである! それにしても、なんのゆえありて、彦根ではなく、
「じゃぁ、日曜日が空いているから、京都観光巡りじゃなくて、彦根城にいきましょう」
ト、彦根城とのたもうたのか、考えなかった時点でもはや敗北。

¶ 雨中の江州路をゆく……。
こうしるせば、ふみのかおりたかいのだが、実相は違った。ハレ男を自認しているやつがれにしては、この日はめずらしくひどい雨がふっていた。
「並んで、並んで。ハイハイ並んでくださ~い」。

やつがれ、駅からタクシーで彦根城にきて、いきなりわけもわからず傘をさしたまま、雨のなかのながい行列に並ばされた。2-300人はいようかという大勢の行列である。みんな「ひこにゃん」なるものを見るのだそうである。
きょうは雨なので、お城に付属した資料館のようなところ(彦根城博物館ホール)に、50人ほどの来館者を次次と入れて、そこに「ひこにゃん」なるものは登場するらしい。
濡れながら行列に並んで、やつがれはまだ「ひこにゃんとは、いったいなんぞい」とおもっていた。

ところがナント、まことにもって不覚なことながら、やつがれ(順番の都合で偶然とはいえ)、最前列に陣どって、ともかく嗤いころげて「ひこにゃん」をみてしまったのだ。要するにかぶり物のキャラクターだったが、ちいさな仕草がにくいほどあいらしかった。

かつて徳川家康の麾下にあった井伊直政は、徳川四天王とされ、その麾下は勇猛で、つねに先鋒の役をつとめたとされる。井伊家の軍勢とは甲斐武田勢の一部を継承したもので、「井伊の赤備え」と敵方からおそれられた赤い兜も、愛嬌のあるものにかわっていた。
ここではうんちくは不要だろう。ともかく「ひこにゃん」はあいらいく、おもしろかったのだから。

       エッ、この人力車に乗ったのかって ── 乗るわけないでしょうが、いいおとなが ── 。ところがやつがれ、こういうキッチュなモノが意外と好き。
ハイハイ正直に告白。「ひこにゃん」も大わらいして見ましたし、この人力車にも乗りましたですよ、ハイ。チト恥ずかしかったケド、しっかりとネ。

ともかく急峻な坂道を天守閣までのぼり、さらに内堀にそってずっと玄宮園のほうまで歩いたために、足が棒になるほど疲れていた(言い訳)。
実際は、なによりもはやく旨い近江牛を食しに、このド派手な人力車に乗って、車中堂堂胸をはって(すこし小さくなっていたような気もする ケド)いった。ステーキはプチ贅沢、されど旨かった。
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あとはもうやけくそ! 字余り、破調、季語ぬけおかまいなしで、一首たてまつらん。

雨中に彦根城を訪ねる   よみしひとをしらず
    ひこにゃんに 嗤いころげて 城けわし
    青葉越し 天守の甍に しぶき撥ね
    湖ウミけぶり 白鷺舞いて 雨しげく

木邨重成公の墓に詣る  よみしひとをしらず
    むざんやな 苔むす首塚 花いちりん

   

 

¶  簡素な浄土宗の寺、宗安寺
彦根市本町2丁目3-7に 宗安寺 はある。この通称赤門とされる「山門」は、石田三成の居城、佐和山城の正門を移築したものとされる。
その脇には徳本トクホン行者の筆になる六字名号「南無阿弥陀仏」の巨大な碑がある。このひとと、この六字名号碑に関しては、いずれ本格的にとり組みたいとおもっている。

ご本堂向かって左手奥の墓地には、戦国武将・木村長門守重成( ? -1615)の首塚が、ひっそりとたたずんでいる。重成は豊臣秀頼の家臣として、大坂冬の陣で善戦し、その和議に際しては徳川家康の血判受けとりの使者をつとめた知略のひとであった。
翌年大坂冬の陣若江堤で戦死し、首実検ののちに安藤長三郎が譲り受け、代代安藤家の墓域で守護をつづけているものであった。どちらもあっぱれ、忠義の家というべきだろう。

¶  2013年02月17日、トロロアオイの種子をテストで 播種
2011年、朗文堂 サラマ・プレス倶楽部では、五月の連休恒例の〈活版凸凹フェスタ 2011〉の開催を、震災後の諸事情を考慮して中止した。
それにかえて、会報誌『Adana Press Club NewsLetter Vol.13 Spring 2011』に、被災地の復興・再建の夢と、活版印刷ルネサンスの希望をのせて、会員の皆さんに、トロロアオイの種子を数粒ずつ同封して配送した。

まもなく仙台市青葉区在住の女性会員の O さんから、
「トロロアオイの種子が元気よく発芽しました」
との写真添付 @メール が送られてきた。

O さんは毎年〈活版凸凹フェスタ〉にはるばる仙台から駆けつけてくださる、熱心な活版ファンである。また O さんご自身も「東日本大震災」ではなんらかの被害にあわれたかとおもえたが、それに関してはお触れにならなかった。

ことしもサラマ・プレス倶楽部会員のご希望のかたにはトロロアオイの種子をお配りしたいとおもっているが、昨年は開花期に中国にいったりして十分な水遣りができず、種子の大きさも小ぶりになったような気がしている。
そこですぐにも霙ミゾレになりそうな寒い雨の日だったが、発芽テストのために、ひとつまみの種子を黒ポットに植えた。元気に発芽してくれるように、しばらくは家の中で育ててみたい。