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新刊紹介/ハンドプレス・手引き印刷機

明治最初期、平野富二らが成し遂げた
鉄製印刷機製造、活字製造、鉄製艦船の造船とは
鋳型による“金属の鋳造 ≒ 複製”という
共通基盤を有していた!

書  名   ハンドプレス・手引き印刷機
著  者   板 倉  雅 宣
装  本   B5判 並製本 104ページ
発  売   2011年09月15日
定  価   1,900円(本体 1,995円)
        ISBN978-4-947613-84-4

明治の文明開化にともなって近代工業が勃興した。そのさきがけとなった「手引き活版印刷機」は、25歳にして長崎製鉄所所長 兼 小菅船渠掛 コスゲ-センキョ-カカリ だった平野富二らが、1872年(明治5)27歳にして上京した翌年から、東京京橋区築地二丁目において開発・製造された。
鉄製印刷機の製造とは、熔解・鋳型製造・鋳造・切断・研磨・組立などの広い技術基盤を要し、これもまた、鋳型によって鋳造(大量複製)された活字が「手引き印刷機」によって印刷(複製)され、当時の世界では有数の識字率を誇ったわが国「国民」の、情報伝達や図書の印刷に用いられた。

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わが国の近代印刷の黎明は、板目木版への刻字から、金属鋳造活字文字組版への変革をもたらし、バレン摺りから鉄製印刷機の使用への転換をともなった。蒸気機関や電動モーターなどの動力の実用化に先だつこのころ、総鉄製とはいえ「手引き印刷機」は、人力をもっぱらとする素朴な活字版印刷機であった。本書は幕末期に点描のように導入された輸入活版印刷機から説きおこし、1872年(明治5)長崎から進出した平野富二らによる「手引き印刷機/ハンドプレス  Hand Press」の開発と、その急速な全国への普及、追随した各社の動向を丹念に追っている。ともすると従来の近代活字版印刷の研究は、金属鋳造活字とその書体形象に集中したきらいがあった。ここに板倉雅宣氏を著者として、ようやく活字版印刷術の車の両輪ともいえる、印刷機と活字に関する近代タイポグラフィの開発史研究への道筋が明瞭に姿をあらわした。

はじめに――著者/板倉雅宣

幕末から明治最初期にはじまった、活字で印刷する仕事は、オフセット印刷に変わり、現在ではパソコンで文字を組んでプリント・アウトすれば、誰でも印刷ができるようになってきた。この方式は当初はDTP(デスク・トップ・パブリッシング)と呼ばれていた。

明治初年になって印刷機は木製から金属製になり、印刷版は木版から金属活字版になり、バレン摺りから機械刷りになった。また鋳造活字を量産販売するようになった。本木昌造は手引き印刷機を試作し、長崎製鉄所に在籍した平野富二は、平野造船所(のちの石川島播磨重工業)を創業して、造船を手掛けるかたわら、明治6年ころ「手引き印刷機」「ハンドプレス Hand Press」といわれ、印刷するのに手でハンドルを引いて行う形式で、英国で発明されたアルビオン・プレスを模作して販売した。

手引き印刷機は、明治5年ころから20年代までの文明開化の時代に、書物の印刷に欠かせなかった。特に政府の通達「達」「布告」等を印刷するために各県に採用をねがい、その普及につとめたので、全国で広くつかわれるようになった活版印刷の主力機であった。
明治9年頃になると動力が導入されるが、各社によってその導入時期は9-40年ころまでと様々であったが、次第に普及するのにつれ、手引き印刷機は終焉を迎えるようになる。

最近、活字版印刷に興味を持つ人が多く出てきた。ハンドプレスといって、手でハンドルを引いて印刷する小型印刷機Adana-21Jなどが人気を得ている。この機械は昔、名刺やはがき等を印刷するための印刷機として、名刺印刷屋で使われていたもので、「手キン」「手フート」と呼ばれていた。足踏み式(フート Foot)印刷機を小型にして、手で引いて印刷するようにしたもので、もとの名の「フート」という名が残っている。

これは従来の手引き印刷機が、手にインキヘラを持って、練盤の上でインキを練り、ローラーで版面につけるという「ハンド・インキング hand-inking」であったのに対し、自動的にインキを練って付ける「セルフ・インキング self-inking」方式になり、机の上で、素人にも簡単につかえるものになって普及していった。DTPの先駆けというべきものである。

このハンドプレスが現れる前に、やや大型の足踏み印刷機があった。プラテン印刷機(Platen press, 平圧印刷機)といわれるもので、これはシリンダープレス(円圧機械)に対することばで、ゴードン印刷機、ビクトリア印刷機などを思い浮かべるが、ワニが口を開けたような形状をした印刷機で、版盤が垂直に立っていて、圧盤がハンドルで開閉する仕組みになっている印刷機である。
清水卯三郎がパリ万国博覧会で見て購入し、日就社で『東京日日新聞』を印刷したというゴードンが開発した印刷機がこれである。
明治の印刷機械の事情を探ってみた。

 ハンドプレス・手引き印刷機  目 次

木製手引き印刷機
スタンホープ・プレス
明治初期の新聞印刷機と輸入機販売者
アマチュア用端物印刷機(手フート、手キン)
コロンビアン・プレス
ワシントン・プレス
アルビオン・プレス
国産のアルビオン型手引き印刷機
平野富二の丸Hマークはいつ頃のものか
内国勧業博覧会の印刷機械出品状況
活版社の創業と布達類の活版化
印刷機の設備状況
手引き印刷機の終焉
動力の導入
わが国に現存する国産手引き印刷機
わが国に現存する外国製手引き印刷機
手引き印刷機以外の機種で現存する印刷機械
アルビオン・プレスの構造
手引き印刷機のサイズと価格
手引き印刷機の印刷能力
印刷機械の輸出入
付  参考文献
   年  表
   参考資料 秀英舎の印刷設備 推移