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【朗文堂既刊書】『タイポグラフィ論攷』板倉雅宣著 発売中|WebSite 討論会 本木昌造の呼称ーもとき か もとぎ か|WebSite 討論会参加へのお願い

 タイポグラフィ論攷_表紙『タイポグラフィ論攷』 板倉雅宣著
B5 判 112ページ  並製本 図版多数

定価:本体2000円+税
    ISBN978-4-947613-94-3
【詳細 : 朗文堂ブックコスミイク 】【 アマゾン通販:ダイレクトサイト

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〔主要内容〕
目 次 から
まえがき
本木昌造の呼称
本木昌造 長崎ゆかりの地
『學問のすゝめ』活字版
グーテンベルクが作った活字の高さをめぐって
ギャンブルがつくった日本語かな活字
マージナルゾーンの語源を探る
[史料]中国の母型と活字に関するホフマンの報告 日本語訳

板倉雅宣

<板倉雅宣 タイポグラフィ論攷 フライヤー  PDF 1.92 MB
タイポグラフィ論攷フライヤー表タイポグラフィ論攷裏kazari-upper 長崎オランダ商館長 ── 1855年9月30日の記録 下部に本木昌造の自筆サイン・捺印がある。
20201012180943_0000120201012180943_0000220201012180943_00003ほかの文書に見る本木昌造の自筆サイン・捺印の例
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朗文堂 担当者様                     板 倉 雅 宣  2020年08月04日

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の冒頭を拝見すると、
── 本木 昌造(もとぎ しょうぞう または もとき しょうぞう、文政7年6月9日(1824年7月5日) – 1875年9月3日)は江戸幕府の通詞、教育者であり、日本における活版印刷の先駆者として知られる。── と記されています。

そこで Wikipedia を直接訂正したいと思い、Wikipedia の訂正規定を読むと、なかなか難しく、小生には理解できません。そこで朗文堂のホムページの「朗文堂NEWS」の『タイポグラフィ論考』の紹介記事に、下記の文章を追加掲載していただけないかと思い、お願いする次第です。
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私の調べでは、翻訳者本木昌造本人の署名捺印が欧文で、長崎のオランダ商館長の1855年9月30日の記録として残っています。本木昌造は諱を永久と言い「永久」を印鑑にして押印しています。わが国では、正式書類には、名前を署名して捺印するのは、当然のしきたりとなっています。
そこでは「Motoki Shiozo」となっていて、これが正式の呼び名です。また、「本木」を「M. K.」とした署名も多く見られます。

以下に、その証拠を示します。
「MOTOGI」という呼称は、先代の本木良永(仁太夫 1735 – 94)や、本木正栄( 庄左衛門 1778 – 1812)らまで使われていた呼称で、その後、養子の本木昌栄(昌左衛門 1801 – 73)や、昌造(永久 1824 – 75)になると「MOTOKI」と名乗っています。このことは『タイポグラフィ論考』に詳細を記してあります。

「MOTOGI」は本木昌造が亡くなった明治8年以降に、東京築地活版製造所の平野富二が活字見本帳『Book of Specimens Motogi & Hirano』(1877年)や「The Life of MOTOGI NAGAHISA Japan’s Pioneer Printer」(1893年)に「MITOGI」と記したので、その後「もとぎ」が使われるようになりましたが、正しくありません。当時、日常、通称 MOTOGI と呼ばれていたことと推測されます。

[Motoki Shiozo] という本木昌造の自筆署名と捺印は、東京大学史料編纂所の日本関係海外史料オランダ商館文書のマイクロフィルム 「An Inventory of Microfilm Acquisitions in the Library of the Historiographical Institute the University of Tokyo. Volume III. The Netherlamds. Part III.」の No.6998-1-119-5. 「191a. Verzekering. Get. door Arawo Iwamino Kami en Kawamoera Tsoesimano Kami en Arawo Ikkakf. 30. Woero Kocgoeats (9. November 1855). 」の 1855年の「保証書」の荒尾石見守、川村対馬守、浅野一角の署名のある書類に、
「出島のオランダ人は 1855年10月22日 以降は監視なしに自由に出島を出ることができる」というオランダ語に翻訳した文書に、オランダ通詞、品川藤兵衛と印鑑、本木昌造の自筆署名と諱の永久という印鑑の捺印があります。(読みくだし省略)

kazari-upper『タイポグラフィ論攷』(板倉雅宣著、朗文堂刊)
愛読者の皆さまへ 

「 WebSite 討論会  本木昌造の呼称 ー もとき か もとぎ か」

著者:板倉雅宣氏は、上掲文書のように、『タイポグラフィ論攷』で解明・主張された「本木昌造の呼称ーもとき か もとぎ」については「もとき説」を主張されています。ウィキペディアは両論を併記しており、またウィキペディアは論争の場ではないと小社では回答したのですが、板倉雅宣氏はもう一度議論を深めて欲しいとされ、再検討を希望されています。
そこで感染症「COVID – 19」が終息したら、講演会・討論会などを設定して議論を深めようと計画しておりましたが、現下の「COVID – 19」の感染状況はいまだ予断をゆるさず、高齢者の参加が予想される、討論会などの開催は当分無理だと判断せざるを得ない状況となりました。

ついては、まだ『タイポグラフィ論攷』を購入されていないかたのために、該当部を PDF データー公開して、本欄と姉妹サイト{ NOTES ON TYPOGRAPHY }をもって「 WebSite 討論会 |本木昌造の呼称ーもとき か もとぎ か」として、皆さんのご意見を頂戴し、さらに論攷を深める手段を選択いたしました。
著者と版元の意のあるところをお汲みたまわり、ご意見を頂戴できたら幸甚です。

◉ ご意見賜り先:朗文堂/片塩二朗(jk@robundo.com)
お名前・ご連絡先・公開可(公開時限定ペンネーム可)・非公開希望かを明記してのご参加をお待ちしております。

【 PDF   motoki or motogi    タイポグラフィ論攷 抜粋 本木昌造の呼称   板倉雅宣  】

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WebSite 討論会を呼びかけてから、すでにだいぶ日時が経過しました。この間、下掲の古谷昌二氏(平野富二の会 代表、『平野富二伝 考察と補遺』編著者)から、詳細をきわめたご寄稿とあわせて、『タイポグラフィ論攷』文中の。、一部訂正のご指摘も寄せていただきました。ありがとうございました。
小社としてはこれを機に、板倉雅宣氏、古谷昌二氏両氏にお願いして、近隣の50名定員の貸し会議室に、参加者20名ほどに限定した討論会を予定しておりました、ところが感染症「COVID – 19」は終熄の気配はなく、集会を設定する余地のないままに今日にいたりました。

したがいまして、ここで一旦古谷昌二氏のご寄稿を本欄に掲載することとし、引き続きひろく読者の皆さまからのご意見をたまわる機会を設けてまいります。また訂正ご指摘箇所に関しましては、次回増刷時に、著者も交えて再協議のうえ、反映させていただきます。
感染症「COVID – 19」の猖獗は予断を許しませんが、読者の皆さまのご健勝とご活躍を祈念しております。

        株式会社 朗 文 堂             2021年5月1日

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202010月/古谷昌二氏 寄稿
WebSite 討論会「もとき もとぎ か」

        2020年10月21日、古谷 昌二 作成  2020年10月26日、<附録>を追加

 板倉雅宣著『タイポグラフィ論攷』掲載の「本木昌造の呼称」と、2020年08月04日付の朗文堂担当者宛ての板倉雅宣氏の依頼書を興味深く拝読させて頂きました。

板倉論攷の「本木昌造の呼称」では、結論として「本木昌造は Motoki であるにせよ、一般にはMotogi と呼ばれていたのかもしれない。」とされていますが、板倉依頼書では「本木庄左衛門までは Motogi と名乗っていたが、本木昌左衛門と本木昌造は Motoki と名乗っている。明治8年以降は、日常、通称 Motogi とよばれていたと推測される。」と述べておられます。
板倉論攷と板倉依頼書では、基本的に同じことを述べていると判断されますが、本木の呼称を「もとき か もとぎ か」論じるまえに、次のことを明確にしておく必要があります。

① オランダ語による横文字表記の発音は、わが国における「本木」の呼び方と同じか?

② 本木家五代庄左衛門まではオランダ文書のサインに「Motogi」と綴り、六代昌左衛門と七代昌造は「Motoki」と変更したのは何故か?

この二つの疑問について、以下に私見を述べさせて頂きます。

① オランダ語による横文字表記の発音は、わが国における「本木」の呼び方と同じか?
板倉論攷に紹介された数多くのサインは、いずれもオランダ語訳文に付されたもので、オランダ語の表記でなされていることが分かります。例えば、庄左衛門、昌左衛門の表記は Siosaijmon となっており、最初の Sio は母音が短音であることから「ショ」と発音され、saij は「ザアイ」と発音されます。
Motogi の中に含まれる g は、日本語には無いオランダ語特有の音で発音されます。この音は軟口蓋により g を発音することから、オランダ語アルファベットの Gを、英語では HGay と表現して発音させています。つまり、Motogi の gi は「ヒ」と「ギ」を同時に強く発音したときの音になります。

したがって、五代本木庄左衛門までは日本語の「ギ」を他に表記することが出来ないので Motogi と表記していたと思われます。

② 本木家五代庄左衛門まではオランダ文書のサインに「Motogi」と綴り、六代昌左衛門と七代昌造は「Motoki」と変更したのは何故か?
板倉論攷によると、五代庄左衛門は元吉を名乗っていた初期の頃は Motogi のサインをしていたが、庄左衛門と名乗るようになって Motoki と表記したサインがある。しかし、それ以降は Motoki となったのか、一時期、このサインを使用したのかは分からない。
なお、板倉依頼書に添付された1855年9月30日付の『オランダ商文書』に、品川藤兵衛と本木昌造が共同サインした文書が紹介されており、品川藤兵衛のサインは Sinakawa Tóbiéi ,  本木昌造のサインは Motoki Shiozoと表記されており、「品川」、「本木」は共にg を k で表記している。

このことは、日本語でガ、ギ、グ、ゲ、ゴの音で、代わりにカ、キ、ク、ケ、コの音でも置き換えられる場合、オランダ語でのサインに限って、その綴りの中の「g」を「k」に書き換えて表記することが認められたと見られる。
なお、これはあくまでもオランダ文に付されたサインについてであって、会話での発音まで変更するものではないと見られる。

オランダ通詞の横文字サインは、和文の公文書をオランダ語に翻訳した責任者として表示したもので、通常、誤訳を防止するため、二人またはそれ以降の者がサインする。他のオランダ通詞と間違えられない限り、実際の発音とは異なる表記でも認められたらしい。
本木昌造本人または親しく付き合っていた人による、文書に示された本木昌造の横文字表記を調べれば、国により多少の訛りがあっても実際の発音に近いと見られる。それに相当する文書として、次のものがある。

1)板倉論攷のp.17に示された、オランダ商館文書(1855年)には本木昌造のことを、敬意をこめて Mijnheer Motogi Siozo, Nagasaki と表示している。これはオランダ語表記であるが、同じ頃の本木昌造のオランダ語公文書サインは Motoki Shiozo である。前者の発音は、訛りはあるものの、本木昌造が自ら名乗った発音に近いと見られる。

2)板倉論攷のp.15に示された、明治10年(1877)の平野富二発行した活字見本帳『BOOK OF SPECIMENS,  MOTOGI & HIRANO,  Tsukiji  Tokio  Japan,  1877』がある。これは英文であるので、MOTOGIは「モトギ」と発音される。
同書は本木昌造と師弟の関係で永く付き合った平野富二によるものである。また、親族や友人・知人も存命していることでもあり、生前は「モトギ」と呼んでいたことに間違いない。

なお、明治2年(1869)に本木昌造が上海美華書館の W.Gamble に印刷機と付属設備を購入のため見積を要求し、代金は為替手形で送ることを約束したとする文書が、アメリカのフィラデルフィアにある The Pressbyterian Historical Sociaty にマイクロフィルムで所蔵されているらしい。〔後藤吉郎・横溝健志(武蔵美術大学)共著の論文(『デザイン学研究』、2002、日本デザイン学会)〕
これは本木昌造が長崎製鉄所の頭取を務めていた頃のものとなるが、原文はどのような綴りで記されているか確認できれば、当時の呼び方を判断することができる。
さらに調査を要するところが多いが、Motoki はオランダ文書の翻訳責任者としてのサインに限定され、一般には Motogi と表記され、「モトギ」と呼称されていたと見るのが妥当だと思います。

以 上

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【 VIVA!! カッパン 主要内容 目次ゟ 】
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活字のおはなし
文選箱ギャラリー
文 選
組版(植字)
組みつけ
印 刷
活字鋳造
Salama-21Aの使い方
muccu が行く!
  活字鋳造所探訪(築地活字編)
  活字版書籍印刷所探訪(長瀬欄罫製作所編+豊文社印刷所編)

《あとがきにかえて  こんな時代だから……》
アグナープレス倶楽部 → サラマ・プレス倶楽部の活動は、おもにタイポグラフィ関連の専門書を出版している朗文堂代表の片塩二朗と、印刷博物館の工房担当を前職としていた私 大石 薫 との、たったふたりの挑戦からはじまりました。

このようなデジタル時代の真只中に、あたらしく「活版印刷機をつくる」というこころみは、まわりのひとびとの目からみると、まるでドン・キホーテの夢物語のように映っていたことでしょう。片塩と私自身もそのことはよくわかっていて、どちらがドン・キホーテで、どちらがサンチョ・パンサであるかと、お互いを笑いながら、瀕死のロシナンテにも似た「カッパン」という痩せ馬に跨がったその旅路は今日でも続いています。

世界的に、当時はあたらしい活版印刷機を製造販売している企業がまったく無いという事実から、はじめから採算のあわない事業となるであろうことは覚悟していましたが、プロジェクトを進めるにつれて、コストの面はもちろん、すでに30年近くも前に製造ラインが廃れてしまった機材も少なくないことがわかり、前途多難な道のりとなりました。
また、活版関連業者にかぎらず、わが国の産業のほとんどが、合理性と効率性追求のあまり、大量一括生産と過度な分業化を推し進めてきた結果、小ロットに対応でき、かつ部品製造から組み立てまでを一貫しておこなえる工場がなかなか見つからず、はからずも国内製造業の空洞化と、この国の行く末への危機感を実感しました。

どこへ行っても「あと10年早ければねえ……」という答えばかりが返ってきました。しかし、幸運な偶然にも導かれつつ、そこはドン・キホーテ的発想の転換で邁進し、「あと少し遅ければ間にあわなかった」→「なんとかギリギリ間にあった」と発想転換した結果、21世紀のあたらしいカッパン印刷機「Adana-21J → Salama-21A」が誕生しました。
サラマ・プレス倶楽部は、この  Salama-21A を中核としながら。活版印刷の普及と存続につとめる朗文堂の一事業名ですが、カッパンを愛好する皆さんとの双方向の連携の場となることを目的として、そのおもいを「倶楽部」という名称に込めています。当初はドン・キホーテとサンチョ・パンサのふたりだけだった部員も、現在ではおかけさまで登録会員も増えて、気がつけば、すっかり倶楽部らしい様相を呈するようになりました。

IT革命を招来した現代印刷術は、意外なことに19世紀末の産業革命をむかえた時代相ととてもよく似ているといわれます。機械化と大量生産・大量消費時代の幕開けにより、安くて早くて大量で奇抜な印刷物が出まわり、それまでの職人の技芸によって支えられてきたタイポグラフィの質も格段に低下するようになりました。このような技芸の衰退に警鐘を鳴らしたのが当時のアーツ・アンド・クラフツ・ムーブメントでした。
その一九世紀末ムーブメントの再来ともいえる、現代のあたらしいカッパン実践者の多くは、効率優先の情報処理に追われる日常に疲弊と疑問を感じ、「身体性をともなった、ものづくりがもたらす純粋なよろこび」をカッパン製作によって満喫しています。

また、パーソナル・コンピュータや、携帯電話、インターネットの普及によって、組版やデザインなどの特別な職能が無くとも、だれもが気軽に文字を組んで(打って)情報を発信する機会も増えました。
このような時代に、組版の原点であるカッパンを学ぶことは、よりよきコンピュータ組版のためのヒントとしても大いに有効です。

しかし、コンピュータが普及し、メディアが多様化し、それらが複雑に交差しあっている現在の「情報社会」で生活する私たちが、なぜこの「カッパン」にいいつくせない魅力を見いだいているのか、私自身、本書をまとめ終えた現在でも、正確に言語化できないもどかしさをいたいているのもまた正直なところです。そして、その答えとカッパンの真の魅力を知るには、やはり実践をおいてほかにはないといわざるをえません。
願わくば、本書がカッパンの21世紀における存在意義を発掘し、カッパン実践者の皆さまにとっては更なる創作への糧となり、カッパン未経験者の皆さまにはカッパンの実践へのいざないとなることを、せつに祈っています。

              アダナ・プレス倶楽部 → サラマ・プレス倶楽部  大石 薫
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朗 文 堂

162-0065  東京都新宿区住吉町1-13-204
TEL. 03-3352-5070  FAX. 03-3352-5160
E-Mail :  typecosmique@robundo.com

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