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【研究会】 糸・紙・繊維・布 ─ 原 啓志さん 亜麻の花と亜麻の種

原さん_亜麻01原 啓志さん水彩画  亜麻 ( Flax ; Linum usitatimum

高級リネンが 書簡用紙として
シガレットペーパーとして
コスメテイックペーパーとして生まれ変わる 〔原 啓志〕

亜麻 ( Flax ; Linum usitatimum )は、中央アジアおよびアラビア原産の一年生草本で、直径約 2 mm の茎が真っ直ぐ 1 m 程度まで生長する。
北緯40-50度の地域では、春に播種し、夏から秋にかけて開花、結実する。
暖かいナイル川流域では秋に播種する。
生育には100-120日、降雨量は 700 mm を必要とする。
下部の葉が落ちる頃、刈り取り又は引き抜き、川や池に浸けて精練(レッティング)を行った後、砕茎、打麻(スカッティング)により、長繊維(ライン)さらには亜麻布(リネン)を得る。この時に派生する短繊維(トウ、ウェイスト)の一部を亜麻パルプの原料とする。

エジプトの遺跡から発見された最古の布は亜麻でできていた。この後ピラミッドから発掘された見事な亜麻布は、ニューヨークのメトロポリタン博物館にもたくさん保管されている。
日本への渡来は1690年頃に製薬用の亜麻仁油を採るために栽培されたのが最初であり、明治に入って繊維用の栽培が北海道で初めて成功したが、現在日本ではほとんど栽培されていない。

ところで1100年から1700年頃にかけて、欧米各地に伝播した製紙における最初の原料は襤褸(ボロ)であり、木材パルプが作られるようになるまでは、衣料襤褸がおもな製紙用の原料であった。
中でもリネン襤褸は強度その他の特性から、高級筆記用紙、書簡用紙、高級ボンド紙、特殊薄葉紙、たばこ用巻紙、脂取り紙などに使用されてきた。
日本製紙パピリア株式会社ではこうした亜麻の特性を生かして、高級書簡用紙、印刷用紙のエクロンライティングのほか、旧三島製紙株式会社が創業以来生産している、たばこ用巻紙、脂取り紙などをつくっている。
ベルギーにある国立亜麻博物館に栽培されている亜麻の原種は、あまり背が高くなく、茎も分岐しているが、可憐な美しい花を有史以来咲かせ続けている。

原さんresized【 原 啓志 (はら-ひろし)さん プロフィール 】
・ 1949年  佐賀県生まれ 幼少時より東京北区で育ち、王子の「紙の博物館」が遊び場だった
・ 1973年  東京農工大学卒業  三島製紙株式会社入社
・ 1984年  農学博士(東京大学)
・ 2008年  日本製紙グループの事業再編に伴い、三島製紙株式会社が日本製紙パピリア株式会社となる
・ 2013年  日本製紙パピリア株式会社常務取締役を退任
・ 2014年  高知県製紙工業会紙産業特別技術支援員(2017年3月契約終了)

この間、三島製紙株式会社・日本製紙パピリア株式会社の、開発室長兼開発研究所所長、吹田工場長、原田工場長、本社技術開発本部長、高知工場長を歴任。
1981年と1989年に紙パルプ技術協会賞受賞。

和紙、非木材繊維、パルプ、紙の表面性、吸液挙動等の研究、シガレットペーパー、情報記録用紙、薄葉印刷用紙、ケナフ紙などの特殊印刷用紙、透き入れ紙、特殊紙の開発を手がけるほか、ISO 9000 シリーズ、PL 法対策にも関与。
紙や特殊紙の講演、執筆も多数。
ヨーロッパの手漉き紙に日本の山野草や小動物などを描いた個展を開く。
洋風の食材をモチーフにしたイラストとデザインで、1997全国カレンダー展日本印刷産業連合会会長賞を受賞など趣味も多い。
著書 : 『紙のおはなし』(日本規格協会)、『印刷用紙とのつきあい方』(印刷学会出版部)
共著 : 「最新加エガイド」、「特殊機能紙」、「現代デザイン事典」、「おもしろい繊維のはなし」、「紙パルプ技術便覧」、「紙パルプ事典」ほか

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「十年ひと昔」という。このごろは「うしなわれた20-25年」ともいう。
製紙業界の中枢にながらく勤務された原 啓志さんとの交流は1992年にはじまった。すなわち「ふた昔半」前からのおつき合いであり、「経済一流、政治三流」とみずから嘯き、外国から揶揄されていたわが国が、国勢の下降をはじめた「失われた20-25年」と合致する。

20171012151428_00001 20171012151428_00002中国最古の字書『説文解字』(後漢の許慎著)より <糸 ・ 糸編の字の一部>
『説文解字』(中国紫禁城図書館 黄山書社 2010年 宋版徐本の復刻本)

25年前とは、やつがれが40代後半、原啓志さんが40代前半、まさに元気と勇気と遊気は旺盛だった。それでもいつお会いしても、「昔はよかった …… 」 というようなはなしに堕することがないことがうれしい。
はじめは「草-ケナフから紙をつくりたい」というやつがれの無謀なこころみが縁だった。
’70年代から中国にいくことが多く、宏大な大地における木材資源の枯渇を眼前にし、その地の十数億のひとたちの、印刷用紙・生活用紙・包装用紙の使用が漸増から激増するのをみて危機感をいだいた。
それで木材資源にかえて「草-ケナフから紙をつくりたい」と希望したが、当時はそんな試みは無謀とされ、たれも耳を貸さなかった。ところがそんな逆風のなか、たった一社、ひとり三島製紙の漢 オトコ たちが協力してくれた。

原さんはいかにも技術者らしく冷静にかたられた。
「草の繊維から布や紙をつくっていたのは、木材パルプよりずっと古い歴史があります。できないことはありません」
紆余曲折はあったが、こうして誕生したのが「ケナフ100」であり、その用紙をもちいて『 Y・M・D-モノ・ヒト・デザイン 飛躍する地場産業への提言』(五十嵐威暢企画、マギー・キンザー佐伯著 1993 品切 朗文堂)をつくって、フランクフルトのブックメッセに出展した。
日・英二ヵ国語表記であったが、メッセでは「草からつくった図書」として話題になった。9784947613097DSCN8199 『 Y・M・D-モノ・ヒト・デザイン 飛躍する地場産業への提言』のときは、その用紙を「ケナフ100」と呼び、いわば小社による三島製紙株式会社への特注品ともいえる、別寸特漉き印刷用紙だった。

《 文字百景 1995年6月-1999年12月 印刷用紙にケナフ100を全冊採用 》
B6 判中綴じの小冊子『文字百景』(組版工学研究会 朗文堂)百冊を、1995年6月-1999年12月、四年半ほどのときをかけて発行した。
印刷用紙は当時の三島製紙「ケナフ100グリーンエイド 四六判横目70kg」、題字製作 : 美登英利さん、フォーマット製作 : 白井敬尚さんであった。
「文字百景と謳ったんだから、百冊だすぞ」、と威勢はよかったが、当初は20-30冊も発行できれば……と内心はおもっていた。幸いおおくの協力者を得て百冊の刊行を終えた。
上掲写真は合本で、国立国会図書館、印刷図書館などが所蔵している。
20171030115826_00001 20171030115826_00002 20171030115826_00003「草からつくった紙-ケナフ」のことはあらかたここにしるした。関心のあるかたは PDFデーターからお読みいただきたい。『文字百景 022』 紙をつくってみました(1996年6月)

〔参考 PDF データー made of kenahupaper 18.70MB 〕 

《朗文堂愛着版『花あしび』(堀 辰雄著)に透かし紋様を入れた特注図書用紙を製造》

Bashibi[1]花あしびによすタイポグラフィつれづれ艸  花あしびによす

あえて朗文堂愛着版と謳った。この図書『花あしび』(堀 辰雄著 2000年 朗文堂)にはつよいおもいいれがあり、また故堀辰雄の夫人:堀多恵子氏の支援もいただいていた。
『花あしび』(堀 辰雄著)の本文用紙は三島製紙「オークバルキーオペーク グリーム」を選択した。
この用紙の原材料はカナダ産の広葉樹を中心としたパルプ材からつくられるもので、図書としての保存性を重視し安定した品質の「中性紙」で、わたしたちの要求にもっともちかい、すぐれた性質を有しており、また小社では書物用紙として普段から使いなれていた。

基本的な用紙の品質や印刷適性は安定していたのでなんの問題もなかったが、それでも市販品としての「オークバルキーオペーク クリーム」をそのまま使用したわけではなかった。
当時は「花あしびスペシャル」とよんでいたが、汎用性のたかい書物用紙を、『花あしび』専用に三島製紙に依頼して、「別寸特抄き」によって、透かし紋様(Water mark)をいれて抄造することにした。

書物としての風合いと重厚感をねらって、すこし厚くて重めの斤量、一平方メートルあたり104.7 g、すなわち四六判千枚あたりの重量が 90 キログラムで、一枚あたりの紙厚が 0.125 mm になる用紙を特別に注文した。
そして原材料のパルプ材には、「なにも足さない、なにも塗らない」を基本として、スーパーカレンダーにつよい圧力をくわえず、やわらかくて、やさしい、しなやかな風合いをねらってつくられた。

書簡用紙とは異なり、書物の本文用紙に透かし紋様をいれるばあいは、あくまでも印刷適性を損なわず、平滑性がある用紙にしあげることがもとめられた。またこの用紙が、印刷、製本などの工程をへて一冊の書物となったときに、あらかじめ指定した基本位置にマークが配置されるように工夫することももとめられた。
そもそも透かし紋様とは、全体が均一で平滑性のあることを目指す印刷用紙に、あえて不均一な部分を加えることになる。この二律背反した要求にこたえるために、すべての抄造工程や、寸法誤差や、紙の収縮を考慮したうえで、マークの形状や、おおきさをきめることがもとめられた。

そのために三島製紙株式会社の力づよいバックアップをいただき、何度か朝四時起きで東名高速道をはしり、三島製紙の主力工場:原田工場に出向いた。朝八時に三島に到着、当然そこには開発室長兼開発研究所所長の原 啓志さんがにこやかに出迎えてくれた。
ともかく巨大で精緻な、用紙の抄造機をみるとわかるが、恣意的で独断的な紋様を工場側に押しつけるだけでは、透かし紋様の抄造には困難をきたすことになる。

『花あしび』の企画では、透かし紋様自体が目的ではなく、堀辰雄先生へのオマージュがもともとのねらいだったから、多恵子夫人から拝借した、故堀辰雄氏愛用の印鑑「堀」の印影をもとに、極力抄造の作業が容易になるように、開発担当者:原 啓志さんの意見をうかがいながらマークの形象に検討をくわえた。
透かし紋様の技術には、用紙にたいして、マークの部分が凸状になる「黒透かし」と、マークの部分が凹状になる「白透かし」と呼ばれる技術がある。
『花あしび』には、マークは凹状の「白透かし」が実施されている。
これらの詳細は<『花あしび』制作ノート>にしるされ、『花あしび』と同梱で販売された。
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《共通の友人:古澤省吾さんから 亜麻 の種子をお分けいただいた》
古澤省吾さん2017.08.15resized古澤省吾さんは神田駿河台で商事会社「株式会社 エヌ・ビー・アール」を営まれている。
きわめて行動力のあるかたで、いずれ本欄でも紹介したい魅力的なかたである。

たまたま同社の事業に「亜麻」があり、種子をすこしお分けいただいた。古澤さんは亜麻のやわらかい種子(仁)から、「亜麻仁油」を製造販売されている。
亜麻は冒頭の原 啓志さんの水彩画のように可憐な花が咲くらしい。そして糸ができ、布ができ、紙ができ、種子からは油ができるらしい。小社のノー学部育種科が夢中になるのもむべなるかなである。公開画像によれば下掲写真のようになる。
いまから播種のとき、春の到来と、「艸木風信帖」への報告がまたれるこのごろである。
亜麻の花

【年末恒例 字学】 ポストカード Postcard と クリスマス Christmas の欧文表記に関する注意点 ー もう Post Card(二単語), X’mas の誤用は卒業、Xmas は慎重に

DSCN2014 DSCN2092カレンダーの残りもあと二枚だけ。
本11月01日、郵便局から<郵便はがき>の年賀状が発売され、まちかどには<年賀状印刷たまわります>ののぼりがはためく候になりました。
この時期、造形者の皆さんは「ことしのクリスマスカード、年賀状はどんなアイデアと印刷にしよう」と、楽しくもあり、悩ましくもなるかたが多いようです。
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例年のことながら、そろそろクリスマスカードや年賀状の準備にとりかかっているかたも多いこのとき、フト ふるい記事をおもいだしました。
どういうわけか造形者の一部、なかんずくデザイナーと称するすひとは横文字に親近感をもつようで、郵便局の<郵便はがき>ではなく、欧文表記による私製の<Card>を印刷されることが多くみられます。
そこでの注意点を ソッと …… 。
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【再掲載】 ポストカード Postcard と クリスマス Christmas DSCN3921

 本項の元記事の掲載は<2014年12月03日 花筏>であった。 テーマと問題点に進展があまりがみられないこともあり、ここに再掲載した。

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カレンダーののこりが、もうすぐあと二枚だけになりそうなこのとき、本コーナーを訪問していただいたゲストの皆さまに、しばしばあやまって使われている英語表記をご紹介したい。
ひとつは 「 郵便はがき ポストカード 」 で、ひとつは 「 クリスマス 」 である。

使用する資料は、英和辞書としてたかい評価がある 『 研究社 新英和大辞典 』 で、これは画像紹介の許可をいただいてある。
もうひとつは、『 THE OXFORD DICTIONARY for WRITERS AND EDITORS 』 ( Oxford University Press, 1981,  p.318) である。
同書は、オックスフォード大学出版局の刊行書で、執筆者と編集者にむけて、あまりに日常化していて、ついうっかり、あぁ知らなかった、というたぐいの表記、間違えやすい英単語を中心に、簡潔に紹介したものである。
同書には意外な記述がみられる。
DSCN3937 ここには 「 post  郵便 」 から派生した英単語を列挙して、「 abbr.  省略語、短縮語 」、「 しばしばスペースを入れて二単語にされていますが、一単語ですよ 」、「 語間にハイフンを入れて表記してください 」 などと説明されている。

すなわち 『 THE OXFORD DICTIONARY for WRITERS AND EDITORS 』 では、 「 郵便はがき ポストカードは  postcard  と一単語にしてください。 post card のように二単語では無いのでご注意を。 省略語は p.c. です 」 と、簡略かつ明確にしるされている。 DSCN3943 DSCN3958 3949 いっぽう 『 研究社 新英和大辞典 』 では、とても丁寧に 「 postcard 」 を説明している。
ここでの標題語 「 post ・ card 」 の中黒点は、音節 ( syllable ) をあらわすものであり、ここに中黒やダッシュやスペースは不要。
さらに 『 研究社 新英和大辞典 』 では、「 郵便はがき (含む : 年賀はがき)」 にたいする日英の比較とともに、わざわざ強調の裏罫をもちいて、「 SYN  synonym  同義語、類義語 」 として、「 絵はがき  と はがき 」、「 postal card,  postcard 」 の使いわけと、英国と米国での相違まで説いている。
ご参考になったであろうか。

この問題は、わが国でもふるくから一部の識者から指摘されており、朗文堂 WebSite では 〈  タイポグラフィ実践用語集 は行 葉書・端書・はがき・ハガキ 〉 で、ずいぶん以前 ( まだ郵政省があって、専用ワープロを使っていた時代 ) から触れられている。

ところが、いまだに展覧会シーズンともなると、各種の造形者、とりわけ印刷メディアに関わることがおおい 「 印刷設計士/グラフィックデザイナー 」 の皆さんから、「 Post  Card 」 と、堂堂と二単語で印刷された 「 Postcard 」 をたくさん頂戴しているかなしい状態がつづいている。
ふつうの生活人は、ほとんど 「官製はがき」 [このことばは、現代でも有効なのであろうか] にしるされた「郵便はがき」を、そのままもちいるので、あまりこのミスは犯さなくて済む。

この 「 印刷設計士/グラフィックデザイナー 」 が犯しがちなミスは 意外とやっかいで、1883年(明治16)ごろから < 公文書では 「 葉書 」 としている > と 『広辞苑』 は説くが、その説明文をみると、すべて 「はがき」 としている。そして郵便局が販売しているカードには<郵便はがき>としるされている。  

いかがでしょう、  「 postcard , Postcard 」 。
「 過ちて改めざるを是を過ちと謂う 」、「 過ちては改むるに憚ることなかれ 」 という。 この名詞語は、名にし負う天下のオックスフォード大学の 執筆者や編集者でも 「 ついうっかり 」 なのであるから、なにも臆することはない。
かくいうやつがれも、しばしばこうした誤用や誤謬をおかしては反省しきりの日日である。 そしてこの記事をみたあとは、「 そんなことは、昔から知ってたさ 」 、「 そんなの常識だろう 」 と、どっしり構えて欲しい。

それでもおひとりでも、正しく 「 postcard,  Postcard 」 をもちいれば、まずは大切なクライアントに迷惑をかけることが無くなり、やがてちいさな波紋がどんどん拡大して、わが国の造形者が恥をかかなくなる日が近からんことを念願している
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《 すこし気がはやいですか。 暮れになったら X’mas はやめて、口語の Xmas も慎重に 》
いっぽう 「 クリスマス 」 は少しやっかいである。
それは某国語辞書 『 広辞苑 』 が、どこか意地になって、クリスマスの項目で 「 Christmas,  Xmas 」 を説明しているからである。

それに牽かれたのであろうか、わが国の一部に 「 X’mas 」 と表記する向きがあるが、これはギリシャ語の「キリスト Xristós」の省略を重複したもので完全に間違いである。

『 THE OXFORD DICTIONARY for WRITERS AND EDITORS 』 では、「 Christmas  クリスマス 」 は執筆者や編集者にとってはあまりに平易であり、関心が乏しいようで、わずかに「 Cristmas (cap.)」 として、文頭を大文字にすること (p.70) 〈 参照/タイポグラフィ実践用語集 き行 キャピタライゼーション : capitalization 〉 として簡略に触れている。

またギリシャ語の「キリスト Xristós」由来の 「 Xmas 」 には、キリスト教徒の一部に抵抗を感ずる向きがあって、やつがれも20年ほど前に来社したアメリカの知人から、
「 ここに来るまでに X’mas,  X’mas Sale のディスプレイがたくさんあった。 あれはクレイジーだ。  Xmas ( エクスマス ) にも、発音からわたしには抵抗がある。 それよりどうして日本では、11月のはじめから Christmas をはじめるのだ 」
と責められたことがあった。

宗教や宗派、そして発音までがからむと、やつがれの手にあまる。 まして某国語辞典の存在もあって困惑していたが、『 研究社 新英和大辞典 』 に、わかりやすく 「 クリスマス 」 の解説があった。
長文にわたるので、その紹介にあたって、画像紹介の許可を研究社からいただくことができた。 そしてことしの暮れは、せめて 「 X’mas,  X’mas Sale 」 を見なくてすむように念願したい。
そしてあくまでも口語で、文章語ではない 「 Xmas,  Xmas Sale 」 を、大量配布される広告や印刷物などへの使用に際しては、おおいに慎重でありたいものである。 DSCN3943 DSCN4098 DSCN4086

【好評図書紹介】 トラヤヌス帝の碑文がかたる 木村雅彦著

9784947613592ヴィネット01号
トラヤヌス帝の碑文がかたる
木 村 雅 彦 著
B5判 76頁 並製本
増 刷 出 来
定 価 : 本体 2,
600円+税

ローマのトラヤヌスの碑文は西暦114年に建立されて、すべてのローマ大文字の
淵源とされるものです。
ここからアイデアを得て、製作された欧文活字書体は数えきれないほどあります。
本書では18世紀のナポレオン3 世による複製以来の原寸拓本採取に成功して
その写真と拓本、大判折り込み 2 点を含む豊富な写真と図版によって
トラヤヌスの碑文の魅力をくまなく紹介しました。
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『 トラヤヌス帝の碑文がかたる』 はイタリア政府との事前のながい交渉の末
木村雅彦、春田(木村)ゆかり夫妻の「 遅くなった新婚旅行 」 として
1999年05月10日、ローマ、フォロロマーノ地区にある「トラヤヌス帝大円柱」での
原寸拓本採取と、撮影が完了したものです。

『 トラヤヌス帝の碑文がかたる』のテキストは日本語だけですが、欧米でもやはり
関心がつよく、外国向け販売もすくなくありません。

ここにあらためて、故ヘルマン・ツァップ氏がのこされたエッセイとともに
トラヤヌス帝の碑文がかたる 』(
木村 雅彦著、朗文堂) をご案内いたします。
ご愛読のほど、よろしくお願いいたします。
トラヤヌス帝トラヤ02トラヤ03トラヤ04──────────

< トラヤヌス帝の碑文のおもいで >  ヘルマン・ツァップ

朗文堂未刊書 『ヘルマン・ツァップ 活字と夢と』より。
Zapf 型押し用亜鉛凸版uuツァップ夫妻
左) Gudrun Zapf von Hesse グドゥルン・ツァップ・フォン・ヘッセ
       1918年01月02日 ドイツ、メクレンブルクうまれ
右) Hermann Zapf ヘルマン・ツァップ
        1918年11月08日-2015年06月04日 ドイツ、ニュルンベルクうまれ

1950年の秋、わたしたちは活字書体のインスピレーションをもとめてイタリアへでかけました。この旅ではもっぱらスケッチブックとカメラを手に、フィレンツェ、ピサ、ローマをおとづれて、ふるいローマ時代の碑文を探しました。
 
ここでの数数の碑文との出会いと、フィレンツェとバチカンの図書館で見たすばらしい書物が、その後のわたしたちの活字設計におおきな影響をあたえました。とりわけ刺激がおおきかったのはトラヤヌス帝の碑文との出会いでした。
文字の美しさを理解するひとならだれでも、西暦114年にローマのフォロ・ロマーノ地区に建造されたトラヤヌス帝の大円柱にしるされた碑文をみて、わたしがいかに有頂天になったかを理解していただけるでしょう。
 
ところが残念なことに、この碑文の位置がたかすぎて、歪みのない、まともな写真を撮ることができませんでした。それでも諦めきれずに奮闘するうちに、どうやらわたしはだれの眼にも明らかなほど夢中になっていたようです。
たまたまそばを通りかかった警備員は、メジャーをもって大円柱に詰め寄るわたしを見て、碑文をはぎ取って地面に引きずりおろそうとしているとおもったのでしょうか、あわてて制止されたことが懐かしくおもいだされます。

Zapf_80-1プリントミケランジェロ・タイトリング(Michelangelo Titling)。この大文字だけの活字書体は、ヘルマン・ツァップによってデザインされた、碑文系書体とされるもののひとつです。朗文堂ホームページのメインタイトルは1999年以来ミケランジェロ・タイトリングがもちいられていjます。
D. Stempel AG /フランクフルト 1950年。

【 詳細情報 : 朗文堂ブックコスミイク トラヤヌス帝の碑文がかたる 】
【 関連情報 : 朗文堂ニュース ご冥福をお祈りいたします。ヘルマン・ツァップ氏を偲ぶ 】

【お知らせ】 5月29日[日]-6月3日[金] 中国の大学からの招聘で出張。無事帰国いたしました。詳細報告は近日中に

皆さま 五月晴れの続くきょうこのごろご壮健でご活躍のことと存じます。
恐縮ですが、北京清華大学からの招聘をうけ、5月29日[日]-6月3日[金]の間
片塩・大石が国外出張となります。
日常業務は平常どおりですが、なにかとご不便をおかけするかも知れません。
ご理解、ご海容のほどお願いいたします。
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{ 新 宿 餘 談 } DSCN7927 DSCN7955 DSCN7956 DSCN7961 DSCN7969 DSCN7960文字壹凜 05月01日>に貧相な花をつけたトロロアオイの開花を報告した。
あまりに貧弱だったのであわてて施肥につとめ、保存してあった種子も別の鉢に播いた。

そのため一週間の留守中に次の開花を迎えそうなほどトロロアオイがよみがえってきた。
新芽の発芽も順調で、本来ならこの鉢に一本をのこして抜きとらなければならない。
密植はかえって害になるとはいえ、せっかく生えてきたものを抜くのはかわいそう。
殺風景だったベランダも生きかえってきて、雀は餌をついばみにくるし鳩まで遊んでいる。
昨年の11月、某国からやってきた種子も元気いっぱいの新芽をだしている。
月はおぼろに霞んで春宵に風情のあるいま
北京への旅立ちを前に、あわただしく本稿をしるす。

【新宿私塾】 講師:有馬トモユキさん、星海社から新刊『いいデザイナーは、見ためのよさから考えない』刊行

有馬トモユキ星海社新書
いいデザイナーは、見ためのよさから考えない
著  者 : 有馬トモユキ
定  価 : 840円(税別)
ISBN:978-4-06-138562-7
発売日 : 2015年4月23日
サイズ : 新書判
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<経営学部出身のデザイナーが思考する、デザインの論理>
「デザイン」は、「デザイナー」と呼ばれる人たちの専売特許ではありません。
ロジカルシンキングやプレゼンテーションと同じ問題解決の「道具」であり、コツさえ学べば誰にでも使いこなすことのできるものなのです。
本書では、書籍やアニメ、スマホアプリなどの身近な題材を元に、デザイナーの思考プロセスを分解。「デザインとは何か」を、一緒に考えていきます。

著者の有馬トモユキは経営学部出身。デザインとビジネスをつなぐのには、おあつらえ向きの人材です。
さあ、「センス」や「絵心」のせいにするのはやめにして、共に「デザインの論理」について学びましょう。あなたの仕事をよいものにするヒントが、たくさん見つかりますよ。
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<著者紹介 : 有馬トモユキ デザイナー>
1985年長崎県生まれ。青山学院大学経営学部卒。タイポグラフィ教育機関「朗文堂 新宿私塾」第9期を修了し、現在は新宿私塾講師。
複数の企業を経て、日本デザ
インセンターに合流。グラフィック、Web,  U I 等複数の領域におけるデザインとコンサルティングに従事している。
その傍ら、TATSDESIGN 名義で商業
コンテンツ作品とそのプロモーション活動を実施。音楽レーベル「GEOGRAPHIC」クリエイティブディレクター、SF レーベル「DAISYWORLD」主宰。
主な仕事に、「ハ
ヤカワSFシリーズ J コレクション」装丁デザイン、TVアニメ『アルドノア・ゼロ』アートワークなど。タイポグラフィを軸としつつ、対象に深くアプローチするデザインを得意とする。車好き。
【 関連URL : TATSDESIGN URL  / 星海社URL

DSCN0517 DSCN0514 DSCN0512   新宿私塾私塾 第26期 講義中の有馬トモユキさん

【追悼】 20世紀後半のタイポグラフィを主導したひと、アドリアン・フルティガー氏逝去

Adrian Frutiger 氏が
2015年9月10日  スイス・ベルンにて逝去されました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
20151004203352856_0006 20151004203352856_0003 20151004215258690_0001 20151004203352856_0014

追  悼
20世紀の壮大な Univers 宇宙をキャンバスとし
鮮烈な Meridien 子午線に軌跡をのこしたひと。

Univers,  Meridien,  OCR – B などの不朽の活字設計をなし
オルリィ空港、シャルル・ド・ゴール空港、パリ地下鉄道の
サインシステムと制定書体を製作し

旧約聖書にもとづき、記号学にもおおきく貢献したひと。
2015年9月10日  スイス・ベルンにて逝去
Adrian Frutiger   1928-2015

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Brief history  Adrian Frutiger

◯ 1928年5月24日  スイス・インターラーケンにて生れる。
のちオットー・シェフリー印刷所にて活字植字工となる

◯ 1949-50年 チユーリッヒ工芸専門学校にて力リグラフィを学ぶ
◯ 1951年  卒業制作の小冊子『Schrift, Ecriture, Lettering 』が縁で、シャルル・ペイニョ社長が率いる、パリのドベルニ & ペイニョ 活字鋳造所に勤務
◯ 仏匤、ドベルニ & ペイニョ 活字鋳造所、独匤・シュテンペル社ほかから、以下の主要活字書体を発表した

Phoebus (1953),  Ondine (1954),   President (1954), Meridien (1957),  Univers (1957),
Opera (1959-60),  Egyptienne (1960),  Apllo (1964),  Serifa (1967),  OCR-B (1968),  lridium (1975),  Frutiger (1976),   Breughel (1982),  lcon (1982), Versailles (1982), Centennial (1986)

◯ 1952-60年 パリの美術工芸学校「エコール・エティエンヌ」にて記号学とタイポグラフィ教育に従事
◯ 1954-68年 フランス国立高等美術工芸学校にてタイポグラフィ教育に従事
◯ 1959年  パリ・オルリィ空港のサインシステムと制定書体の製作
◯ 1962年  パリにアトリエを開設(スタッフ:アンドレ・ギュルトレール、ブルーノ・ブフェリ)
◯ 1070年  新設されたシャルル・ド・ゴール空港のサインシステムと制定書体を製作
◯ 1973年  パリの地下鉄道のサインシステムおよび制定書体を製作
◯ 1976年  シャルル・ド・ゴール空港の制定書体を写植活字用に改刻し「フルティガー」シリーズを製作
◯ エール・フランス社のシンボルマークを製作
◯ SNCF(フランス国有鉄道)ロワシィ駅に長さ250mのコンクリート・レリーフを製作(建築:ポール・アンドルー)
◯ 1980年代 この時代には、メリディエン、ユニヴァースなどの主要な活字書体を、活字自動鋳植機、写植活字、電子活字などのメディア変遷のために、既成活字書体のユニットの再設定や、リデザインに追われた。
◯ 1986年  グーテンベルク賞受賞

◯ 1996年  心臓疾患を患い、その克服後にスイスに住居を移し、ベルン郊外にて製作を継続
◯ 1999年  ドイツ・ライノタイプライブラリー社のために、ユニヴァース・ファミリーの全面改刻を実施。21のファミリーを59へと大幅に拡張した(ディレクター:オットマー・フォーファ)
◯ 2001年  『活字の宇宙』(朗文堂)刊行-品切
◯ 2015年9月10日  スイス・ベルンにて逝去。行年87

20151004215520954_0002世界中でひろく使われている本文用活字をかさねてみると、
ある基本的なパターンがもとめられます。
ギャラモンのようにふるい活字では a の下部のカウンターは小ぶりですし
 e の横棒はたかい位置にあります。
しかし、いろいろな活字をかさね合わせるという方法によってみえてくることは、
 a の下部のカウンターが次第におおきくなり、e の横棒が中央に下がってきていることです。
それは文字としての美しさと、文字の判別性 Legibility とのせめぎあいの結果であり
もっとも読みやすいという、文字の
基本的な目的に合致するのです。
                    Adrian Frutiger  [アドリアン・フルティガー]
──────────

9784947613530

アドリアン・フルティガーは朗文堂に上掲の図書をのこされました。
本体価格:10,000円+税  残部僅少 → 品切れ
A4判 260p 図版多数 2001年刊
朗文堂 ブックコスミイク 既刊書案内

2015年09月03日[木]は、本木昌造140回忌でした。

本木昌造02本木昌造 1824-75年
文政7年6月9日(新暦1824年7月5日)- 明治8年/1875年9月3日

本木家歴代の墓地 長崎市鍛冶屋町5-74 大光寺 2015年05月撮影DSCN9217 DSCN9170 DSCN9167 DSCN9160 DSCN9179これまで看過され、まだ精査が必要だが、本木家墓地、向かって右側の列の中央部、佛座像が彫りこまれたこぶりな墓標は、本木昌造の子息:本木小太郎の墓標とみられている。

下掲写真は長崎諏訪公園にある「本木昌造立像」。戦前は座像の銅像があったが戦時下の金属供出令でうしなわれた。1954年(昭和29)立像として再建されたが。近年は後背部と基礎部の石積みに破損が進行しているようでいささか心配である。
DSCN9269
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新 宿 餘 談

ことしの夏はひとしお暑かった。
そのため、ベランダ花壇の植木などはすっかりげんなりしていたが、新宿御苑の歩道にそって植えられたサルスベリ(百日紅=ヒャクジツコウ、Lagerstroemia indica)は、炎暑にもまけず、くれないの花をいっぱいにつけていた。
「風立ちぬ」 ―― 涼風のたった09月01日、百日紅をすぐ裏の御苑のへりの歩道で撮影してきた。

DSCN1144 DSCN1149百日紅は中国南部の原産で、ミソハギ科の落葉中高木とされる。
花が美しく、耐病性もあり、必要以上に樹髙が大きくならないため、しばしば庭や公園などに植えられるという。

中国では、唐代長安の紫微シビ(宮廷)にこの樹木が多く植えられたため「紫薇」と呼ばれるが、比較的長い間紅の花が咲いていることから「百日紅」ともいう。
和名の「さるすべり」は、幹の肥大と成長にともなって古い樹皮が剥がれ落ち、新しいすべすべした樹皮を猿が登ろうとしても、滑ってしまうということで、「猿も滑る サルスベリ」と表記することもある。実際には敏捷な猿はこの程度では滑ることなく簡単にのぼってしまうという。

夏の炎暑の日日を彩った百日紅も、涼風がたつとともに、多くの花弁を落とし、歩道の一部はくれないの絨毯のように鮮やかだった。
夏も終わりがちかづいた。ときはまさに晩夏である。
いつの間にかカレンダーののころりも四枚だけ、すなわちいつのまにか一年の三分の二がすぎさってしまった。

日中の新宿御苑の杜ではアブラゼミの蟬しぐれであるが、夕まぐれになると、ときおり甲高い声でヒグラシが哭く。長崎の照葉樹林の照りかえしのつよい夏をおもい、はるか長崎を偲んだ。
新宿邨の夏は、喧噪のまっただ中でおわりをむかえつつある。

【クレマチスの丘 ヴァンジ彫刻庭園美術館】 クリスティアーネ・レーア 宙を つつむ

              Christiane Löhr
                  encircling the orbit
クリスティアーネ・レーア  宙を つつむ 

《Little Agglomeration》2015,  Photo : Serge Domingie, © Christiane Löhr

クリスティアーネ・レーア 宙をつつむ
Christiane Löhr : encircling the orbit
会       期 : 2015年4月5日[日]-  8月31日[月]
主       催 : ヴァンジ彫刻庭園美術館
協       力 : タグチファインアート
開館時間 : 10:00-18:00 (入館は閉館の30分前まで)
休  館  日 : 水曜日(祝日の場合は翌日休・4/30は開館)
入  館  料 : 大人1,200円/高・大学生800円/小・中学生500円(400円)
問合わせ : ヴァンジ彫刻庭園美術館  Tel. 055-989-8787

自然から素材を採取し、「空間に生成されるかたち」を探求する作家 クリスティアーネ・レーア
【展覧会概要】
ドイツとイタリアで活躍するクリスティアーネ・レーアの、国内の美術館では初となる展覧会を開催いたします。
レーアは自然から採取してきたタンポポやアザミなど、身近な植物の茎や種子、また馬の毛を素材にし、その特性を活かしたかたちを作りあげていきます。
はかなく細やかな生命の欠片たちが、作家の手作業によって一つ一つ丁寧に組み合わせられた作品は、その小ささの中に普遍的な美しさを感じとることができます。
「空間に生成されるかたち」という彫刻だけでなく平面の作品にも共通するレーアの主要な問題から、かたちは素材の内的な構造に従いながら作られていき、とても軽やかで繊細でありながらも、建築物のような確かな安定を備えています。
作家の身体性と精神が深く根ざしたそれらの作品に対峙するとき、私たちは世界がもつ豊かさに気づくことでしょう。

 本展では、美術館の開放的な空間に広がる彫刻とドローイング作品がご覧いただけます。人と自然、そして環境や物質との関係が問題となり1960年代に起こったアルテ・ポーヴェラやミニマル・アートに影響を受け、幼少期の体験から慣れ親しんだ自然の中に作品の萌芽を見つめるクリスティアーネ・レーア。自然との直接の触れあいから生み出されてきた数々の作品によって、現代に生きる私たちと世界のつながりが、今あらためて問いかけられます。

 【作家紹介】
クリスティアーネ・レーア Christiane Löhr
1965年ドイツ ヴィースバーデン生まれ。
ボン大学でエジプト考古学や歴史学、マインツ大学で芸術教育学などを学んだ後、デュッセルドルフ美術アカデミー ヤニス・クネリス教室修了。美術アカデミー在学中から植物や馬の毛を用いた作品を作り始め、注目を集める。

 現在、ケルン(ドイツ)とプラート(イタリア)を拠点に活動。ミラノ近郊のパンザ・ヴィラ・アンド・コレクションでの個展をはじめ、世界各地で展覧会を開催。主なパブリックコレクションにヴァンジ彫刻庭園美術館(静岡)、ボン市立美術館(ドイツ)、パンザ・コレクション(イタリア)ほか多数。

【 企画詳細 : ヴァンジ彫刻庭園美術館 企画展

残暑お見舞い & 新塾餘談 おもかげのはし

2015残暑見舞い
《 新 宿 餘 談 》

七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに なきぞ悲しき

新宿区神田川に架かる「 面影橋 」ちかくの空き地に咲いていた、名もしらぬ野艸。
このあたりは、江戸千代田城の築造者とされる 太田道灌 の逸話にちなむ「山吹の里」とされ、江戸時代・明治時代には名所のひとつであったという。
いまは周辺に山吹はみあたらないが、橋のたもとにそれをつたえる記念碑がひっそりとたたずむ。 つよい陽射しをさけ、たそかれときにフラリとでかけので、あたりはほのくらく、写真も鮮明ではないが、「おもかげのはし/俤の橋/姿見の橋」とされる、ちいさな橋を紹介したい。DSCN0022 DSCN0034 DSCN0041 DSCN0030 DSCN0046 DSCN0049 DSCN0052いまではなんの風情もないコンクリートの橋ではあるが、神田川にかかるこの橋は、歌人:在原業平がきよらかな水面にその姿をうつしたことから「姿見の橋」とも、あるいは徳川三代将軍家光がこのあたりで鷹狩りの鷹をみつけて「姿見の橋」と名づけたともされる。
「おもかげのはし/俤の橋」の名は、和田於戸姫なるものが、かずかずの悲劇をなげいて、この水面に身をなげうったときの和歌から名づけられたとする。

いずれにしても、漢字だけの「面影橋」よりも、どれもが風情のある名前ではある。
その「おもかげのはし」のたもとに水稲荷神社があり、そこのおおきなマンションに友人が事務所を開設していた。その友人「松本八郎」が逝って、はやいものでまもなく一年になろうとしている。夏のたそかれとき、「おもかげのはし」をたずね、クレマチスの真っ白な花弁を見ながら、勝手に先に逝った友人を偲んだ。

【岡山県立美術館】 微笑みに込められた祈り  円空・木喰展

円空・木喰展バナー
展示物写真1展示物写真2

岡山県立美術館-微笑みに込められた祈り
円空・木喰展

◯ 会   期
2015年7月17日[金]-8月23日[日]
◯ 開館時間

9 時から17時(入館は閉館の30分前まで)
◯ 休  館 日

8月3日[月]、10日[月]、17日[月]
◯ 観  覧 料

一般 : 1,200円、65歳以上 :  1,000円*、高校・大学生 : 700円*、小中学生 : 400円*
*年齢が証明できるものをご提示ください。
◯ 会   場

岡山県立美術館 地下 1F 展示室
◯ 主   催

岡山県立美術館、山陽新聞社、テレビせとうち
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円空(1632-95)は、江戸時代のはじめの寛永9(1632)年に美濃国(岐阜県)に生まれました。

生涯で12万体彫るとの誓願を立てた円空は、32歳で像を彫りはじめてから、元禄8(1695)年に64歳で亡くなるまでの30年余りの間に、全国各地を旅しながら膨大な数の神像や仏像を残しました。
一般的に「円空仏」と呼ばれるそれらの像は、木の形や質感といった素材の魅力が最大限いかされ、鉈(なた)や鑿(のみ)の跡が荒々しく残る力強く鋭いもので、これまでにおよそ5400体が確認されています。

いっぽう木喰(1718-1810)は、享保3(1718)年に甲斐国(山梨県)に生まれ、22歳で得度して仏門に入った後、穀物を断ち木の実や草のみを食べる木食戒の修業を積み、56歳で日本廻国の旅に出ました。
61歳ではじめて像を彫って以来、80歳で一千体、90歳で二千体造像の誓願を立て、文化7(1810)年に93歳でその生涯を閉じるまで彫り続けました。
 「微笑仏」と呼ばれる柔らかな笑みを湛えた丸みのある木喰の神仏像は、これまでに720体余りが確認されています。

本展覧会では、新発見・初公開を含む、円空と木喰の木彫像や関連資料およそ270点を展示することで、祈りを込めて彫り続けた二人の生きざまを紹介し、微笑みを湛えた個性的な円空像・木喰像の魅力に迫ります。[岡山県立美術館サイトより]

【 詳細情報 : 岡山県立美術館 特別展

【Viva la 活版-すばらしき活版】 Viva la 活版 Let’s 豪農の館 Ⅲ 会場のいま

2015暑中見舞い 豪農の館_ロゴViva la 活版 Let’s 豪農の館
【 イベント名 】  Viva la 活版 Let’s 豪農の館
【 展示 期間 】  2015年10月10日[土]-12日[月・祝] 09:00-17:00
【 会       場 】  「北方文化博物館 豪農の館」 内 「吉ヶ平古民家」(登録有形文化財)
           新潟県新潟市江南区沢海 2丁目15-25
【 主       催 】  朗文堂  アダナ・プレス倶楽部
──────────
ことしのアダナ・プレス倶楽部の<Viva la 活版-すばらしき活版>イベントは、<Viva la 活版 Let’s 豪農の館>と題して、新潟市北方文化博物館内、明治初期の農家であった「吉ヶ平民家」を主会場として開催されます。
百数十年前、活版印刷の創始とほぼ同年代に建築されたこの民家は、板敷きの間に囲炉裏がきられていますが、エアコンはありません.。虫除けの網戸、展示用レール、展示用照明などもありません。ただ、ゆたかな自然と、本物の歴史にあふれています。DSCN4205 吉ヶ平古民家 遠景吉ヶ平古民家 吉ヶ平古民家 居間
みのりの秋とともに、北方文化博物館のこの古民家いっぱいに<Viva la 活版 Let’s 豪農の館>が開催される。
「吉ヶ平民家」の前には、かつては稲田がひろがり、地元の小学生たちが田植えから稲刈りまでを担っていた。いまは「大賀ハス」が植えられており、七月下旬からつぎつぎと凜洌とした花をつけているという。
北方博物館学芸員のブログ から納涼をかねて紹介したい。
──────────
北方博物館、移築古民家「「吉ヶ平民家」では、すぐ前にある蓮池の大賀ハス開花後の花托を使って染めた布などを飾った展示、植物染め作家  「浜五」 星名康弘 さんによる作品を展示しています。<水と土の芸術祭2015>市民プロジェクトのひとつです。


中央のグレーの布が大賀ハスの花托(かたく)を使って染めたもの


これは5月に見頃を迎えた大藤棚の「葉」を使って染めたもの。
緑の方は鉄と、黄色の方はミョウバンと反応させて出る色だそうです。
風が入るととてもきれいに揺れます。



【碌山美術館】 荻原碌山 制作の背景-文覚・デスペア・女

愛は芸術、相剋は美なり - Love is Art, Struggle is Beauty.
―― 荻原碌山


平成27年度 夏季・秋季特別企画展
荻原碌山 制作の背景-文覚・デスペア・女

会  期 : 2015年08月01日[土]-11月08日[日] 会期中無休
会  場 : 碌山美術館 第二展示棟    399-8303  長野県安曇野市穂高5095-1

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荻原守衛   《 女 》
作者名 : 荻原守衛 制作年 : 1978年
鋳造サイズ : 98.0×70.0×80.0 cm  技法/素材 : ブロンズ

この彫刻作品は、荻原守衛(碌山)の絶作です。
膝立ちのポーズで、両手を後ろに組んでいながらも前へ上へと伸び上がろうとする胴体。
立ち上がろうとしながらも膝から下は地面についたまま立ち上がれない。
つま先から額までが螺旋構造となり、不安定なポーズでありながら全体の動きの中で統一された美しさを放っています。
また内側から迫ってくる緊張感と力強いエネルギーが観るものを圧倒します。

荻原は、1910年(明治43)に 《 女 》 の石膏像を完成させて亡くなりました。 同年、山本安曇によって鋳造され、その半年後の第 4 回文展に出品されています。その作品は現在、東京国立近代美術館に所蔵されています(重要文化財)が、本作品は、のちに制作された石膏複製より鋳造されたものと考えられています。
[ 上掲写真は新宿中村屋サロン美術館 所蔵/引用許可取得済み]
──────────
荻原守衛(おぎわら もりえ 号 : 碌山 ロクザン 1879-1910年)が残した傑作 《女》(1910年)は、相馬黒光への思いが制作の動機となっています。この作品をより深く理解する上で不可欠なのが 《文覚》(1908年)、《デスペア》(1909年)の二つの作品です。

鎌倉の成就院に自刻像として伝わる木像に、文覚モンガク上人(平安末期-鎌倉時代の真言宗の僧。1139-1203)の苦悩を見て取って制作した《文覚》、女性の悲しみに打ちひしがれる姿に文字通り絶望(despair)を表わした《デスペア》には、当時の荻原の胸中が重ねられています。
最後の作品となった《女》には、それらを昇華した高い精神性が感じられます。それはまた人間の尊厳の表象にもつながるものなのです。

個人的な思いを元にして作られた作品が、普遍的な価値あるものとなっていることは、百年前の作品が現代の我々の心に響いていることからも容易にうなずくことができます。
作品に普遍的価値をもたらした荻原の精神的な深さと芸術の高さ、またそれらの当時における新しさとを、多くの方々に感じ取っていただこうと本企画展を開催いたします。

20150724142207024_000120150724142207024_0002  [上掲フライヤー PDF  rokuzan-bijyutukan 4.5MB ]

[ 季節違いで恐縮だが、以下の碌山美術館の写真は、昨晩秋の2014年11月21日撮影 ]
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DSCN9437 DSCN9439 DSCN9446 DSCN9442 DSCN9466 [ 参考資料 : 『 碌山 愛と美に生きる 』 碌山美術館 平成19年 第三版 ]
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《 新宿餘談-碌山美術館門前の蕎麦は絶品だった 》

昨年の晩秋に所用があって長野県白馬村にでかけた。そのかえりに碌山美術館をおとづれた。北アルプスの高嶺にはすでに冠雪がみられ、木木もすっかり落葉して、館の庭にはカリンが実をたくさんつけていた。
碌山美術館のギャラリーショップ「グズベリーハウス」では、すでに薪ストーブが赤くもえ、そのぬくもりがうれしかった。

「かた 型」のあるものが好きである。「カタ TYPE」とは「定まったカタチ TYPE」を有するものである。だからタイポグラフィ Typography にこだわりがあるし、彫刻にもかなりのこだわりをもっている。
ほんとうはここで荻原碌山と相馬黒光のことを書きたかったのだが、非才にしてそれはならなかった。そこでくだらん蕎麦談義と国自慢になってしまった。読者諸賢のご海容を願う次第である。

信州信濃、田舎うまれやつがれは、蕎麦にはこだわりがある。なにもない、蕎麦だけの「盛り蕎麦」がこのみである。せっかくの香りをとばしてしまう、絆創膏を貼りつけたような海苔や、まして、いかに地元の特産とはいえ、とってつけたようなワサビもいらない。
信州蕎麦には、古来、信州善光寺大門町/八幡屋磯五郎の「七味唐がらし」ときめている(勝手に)。ちなみに「七味」が「ヒチミ」になって発音がつらい東京者(亡妻がそうだった。日比谷はシビヤ)は「七色ナナイロ トンガラシ」である。つまり、ただ蕎麦だけがあればよい。

碌山美術館の正門の前にちいさな蕎麦屋があった。蕎麦処信州でも、いまやなかなか旨い蕎麦にありつくことが少なくなった。はじめて入った店でもあるし、さして期待もせずに、
「大盛りの、盛り蕎麦一枚」
と注文した。そこで一瞬の間があって、店員いわく、
「あの~、ウチの盛りはいくぶん多めなのですが、よろしいですか」
「ああ、結構ですよ。大盛りの蕎麦をください」
──────────
出てきた「大盛り蕎麦」のボリュームにのけぞった。東京ならふつうの「盛り蕎麦」五枚分はたっぷりありそうな大量な蕎麦だった。
最下部写真の手前が、家人がとった、ふつうの「盛り蕎麦」。これだけで東京の「大盛り蕎麦」より分量はありそうだった。その倍量がこの店の「大盛り蕎麦」だった。

食べはじめたら、これが絶品。これぞ、まさしく蕎麦という、腰と香味のある旨い蕎麦だった。
おもへらく、かまで旨い蕎麦を食したのは、子供のころにオヤジの実家で、あるいは戸隠山の山中で、あるいは長野善光寺のちかく、地元客しかいかない蕎麦屋くらいであろうか。
これらの蕎麦で共通しているのは、いずれも水道水をもちいないことのようだった。そもそもオヤジの実家以外の蕎麦屋の蕎麦粉は、おそらくもはや輸入品で、東京でも信州でもおなじものであるとおもわれた。

その食感がはなはだしくことなるのは、蕎麦は、蕎麦うちからはじまって、茹で、水洗いと、大量の水をもちいる。そして付け汁の煮出しにも水がもちいられている。しろうとかんがえだが、この水が水道水だと、どうしてもカルキ臭くなって蕎麦の食味にも影響がありそうである。
たしか碌山美術館前、駐車場脇の蕎麦屋は「寿々喜/すゞき」といったとおもう。このあたりは、北アルプスの湧水が随所にわく。安曇野の銘水はひろく知られるところである。碌山美術館参観の折にはおすすめしたい。
──────────
ところで、新宿朗文堂のちかくにも、なかなか旨い蕎麦屋がある。屋台のような、素朴でちいさな店だが、寡黙なオヤジと、その娘らしきふたりのおばさんが店を切り盛りしている。
なぜここの蕎麦が旨いのかと、画材の世界堂にいった帰りに店の裏をのぞいてみた。そこにはちいさな店には不似合いの、おおきな浄水器が鎮座していた。

この店は冷暖房もほどんどない、吹きさらしにちかい店なので、客の大半は蕎麦と酒好きの中年オヤジとみた。オヤジに連れられて若者も来店するが、かれらは軽薄に掲示板型の「食べ◯◯」などに情報をながさない。そんなことをしたら、多忙のあまりオヤジは過労死し、おばさんふたりは腰痛か疲労骨折かなにかで閉店するに違いないとおもっている。
だから常連客は、店がたて込んでいれば、冷や酒一本と、盛り蕎麦一枚ですますし、すいていれば、山菜の天ぷら、自家製の漬けものなどをとって、たのしく談笑しているのである。
新宿邨もなかなかすてたものではない。

【 既出情報 : 朗文堂ニュース 新宿中村屋サロン美術館開館と、相馬黒光、荻原碌山のこと。2014.11.28 】
【 詳細情報 : 碌山美術館 /  関連情報(姉妹館) : 新宿中村屋サロン美術館

【良書紹介】 『デザイン・ジャーナリズム 取材と共謀 1987-2015』 森山明子著、美学出版

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デザイン・ジャーナリズム 取材と共謀 1987-2015

著    者 : 森 山  明 子
A5 判 変型 ・ 並製 ・ 384頁
価   格 : 本体 2,800円 + 税
発   行 : 美学出版 2015年7月発行 ISBN 978-4-902078-39-8
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昭和から今日まで、めまぐるしく移り変わるデザイン。

デザインジャーナリストとして、その現場に立ち会った著者の執筆活動から八十本余りを厳選して編んだ一書。
徹底して人間肯定の思考であるデザインは、その点ではニュートラルな技術とも、否定を契機とすることの多いアートとも異なる。
こう考える著者がデザインとクロスする表現者も視野に入れ、変わるデザインと変わらない人間精神の相関、人の生を下支えするデザイン像に迫る。

<著者略歴>
森山明子  Akiko Moriyama 
デザインジャーナリスト、武蔵野美術大学教授。
1953年新潟県生まれ。
1975年東京芸術大学美術学部芸術学科卒業。
特許庁意匠課審査官、国際デザイン交流協会勤務を経て、1986年日経マグロウヒル社(現・日経BP社)入社。「日経デザイン」の創刊にかかわり、1993-98年同誌編集長。
1998年から現職、デザイン情報学科所属。
NHKハート展詩選考委員、グッドデザイン賞審査副委員長、芸術工学会副会長・理事、公益財団法人の三宅一生デザイン文化財団理事、日本デザイン振興会評議員などをつとめる。
主著は『まっしぐらの花 ―― 中川幸夫』、『石元泰博 ―― 写真という思考』、『新井淳一 ―― 布・万華鏡』。

【 詳細情報 : 美学出版URL    美学出版フライヤーPDF  bigakusyuppann-handbill 3.89MB 】

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【会員情報】 東京デザインアパートメント101号室:管理人/佐藤豊美さん

佐藤豊美00 佐藤豊美01 佐藤豊美02 佐藤豊美03 Profile Photo
佐藤 豊美  TOYOMI SATO
Art director/Graphic designer

「ぼくの会社はぼくひとりだけ。小さいとは、機敏で情熱的だということ」― David Airey

【プロフィール】
多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業。東京アドデザイナース、寛斎スーパ—スタジオ、日本デザインセンターを経て、フリーランスとして独立。以後、多くの企画、広告、デザインに携わる。
2010 年より、日本デザイナー学院シブヤプロダクツ科でアートディレクションの授業を担当。手作りのブックプロジェクト「紙のプール」。
WEB上のクリエーターアパート<東京デザインアパートメント>を設立し101号室管理人。

佐藤豊美04 佐藤豊美05 佐藤豊美06 佐藤豊美07 佐藤豊美08

 TOKYO DESIGN APARTMENT

東京、明治通りと表参道の交差点。
ここにはかつて、
クリエーターの梁山泊のような様相を呈していた
「原宿セントラルアパート」がありました。
コピーライターの糸井重里さん、カメラマンの浅井慎平さん、
イラストレーターの宇野亜喜良さん、エディトリアルデザイナーの
江島 任さんたちが住み、和田誠さん、金子國義さん、植草甚一さんたちが
出入りしていた不思議な空間が「原宿セントラルアパート」でした。​
あるいは、手塚治虫さん、石ノ森章太郎さんといった漫画家たちが
切磋琢磨しあった、いまや伝説の「トキワ荘」の存在も忘れられません。

そんな刺激的で、エネルギーに満ち、わくわくしたものを生み出す場として
あたらしい<東京デザインアパートメント>を友人たちとつくることにしました。
<東京デザインアパートメント>の住人は、グラフィックデザイナー、映像作家、
建築家、ファッションデザイナーなどで、みな、デザインのプロフェッショナルです。
同じアパート(WEB上)に住む仲間として、多方面のジャンルで活動し、
やわらかい頭をもち、ハートはあったかく、どんなことにも真剣です。
それぞれの部屋で、看板を掲げて、個人あるいは会社として活動していますが、
依頼があれば、内容を吟味し、顔をつきあわせ、問題解決にとりくみます。
そう、長屋感覚です !
──────────
<東京デザインアパートメント>の住人は、WEB上とはいえ、すぐ隣にいる感じ、
誰がなにをやっているのかがわかるサイズ感。
このアパートメントは、家賃も光熱費もいらないので固定費はかかりません。
テーブルを囲み、一杯の珈琲を飲みながら、コトバや絵のキャッチボールをし、
アイデアを練り上げてゆきます。
<東京デザインアパートメント>から生まれるモノやコトにご期待下さい。
ぼくらは、いつも、わくわくしていたいんです。

Enjoy it !

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◆ 佐藤 豊美のシゴト
http://satodesign.tumblr.com/ 
◆ Web上のクリエーターアパート【東京デザインアパートメント】

http://toyomis.wix.com/tokyodesignapartment
◆  APARTMTの住人が書くデザイン周辺のブログ
http://tokyodesignapartment.blogspot.jp

佐藤 豊美  TOYOMI SATO
150-0001 
東京都渋谷区神宮前4-14-19 メゾンAX103
E-mail :  toyomis@mac.com
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造形者の佐藤豊美さんとは、『HELLO NAGINO POSTERS 薙野たかひろ作品集』のブックデザインを担当していただいたおりにおつきあいした。
どういうわけか、小社の周辺には多摩美術大学グラフィックデザイン学科(通称:タマグラ)の卒業生が多い。薙野たかひろ氏もそんなおひとりでながいつきあいだが、その推薦というより、若い佐藤豊美氏がもっとも熱心に『HELLO NAGINO POSTERS 薙野たかひろ作品集』のブックデザインにとり組んでいただいた。

佐藤豊美さんは、このごろふたたびブックデザインのおもしろさに目ざめたようである。
図書をとりまく環境はきびしいが、もともと広告畑の仕事がおおかった経験をいかして、あたらしい時代の、あたらしい図書づくりに意欲的に挑まれている。
そして同僚・友人と<東京デザインアパートメント>を WEB 上にもうけられ、その101室に居をおき、管理人もつとめられている。その心意気や良しとすべきであろう。
精一杯の応援をすべく、ここに佐藤豊美さんを皆さんにご紹介したい。
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◯ 書 名  『HELLO NAGINO POSTERS 薙野たかひろ作品集』
◯ 著 者  薙 野 たかひろ
◯ 装 本  A4寸伸び変形判 112ページ ジャケット付
◯ 定 価  本体 4,400円 + 税
ISBN978-4-947613-81-3
◯ ブックデザイン  佐藤 豊美

明快でポップ、鮮明でシャープなイラストレーションで、独特な造形を多彩なジャンルで展開している薙野たかひろ氏のポスター作品集です。
1963年から2003年の、およそ20余年にわたって制作された「スタジオ・アルタ」のシーズン・ポスター約80点から、著者自身がセレクトした魅力あふれるポスター集が完成しました。
イラストと英文のキャッチ・コピーで構成されたB全判ポスターを、見開きに1点ずつ大胆にレイアウトしました。ですからページを繰るごとに、鮮烈な画像が次つぎに登場し、読者の造形眼に肉薄します。

【 詳細紹介 : 朗文堂ブックコスミイク HELLO NAGINO POSTERS 薙野たかひろ作品集

【友人 森郁男氏紹介】 『瞽女 キクイとハル』(川野楠己著、鉱脈社刊)

長年の友人 : 森郁男さんは、詩人にして造形家であり、とてもおこころのやさしいかたです。
このたび毎年恒例の、ご趣味の薩摩琵琶、正派 正紘会の『 琵琶演奏大会 』 のご案内とともに、 瞽女 キクイとハル 』 ( 川野楠己、鉱脈社 ) のご案内をいただきました。

ちなみに<瞽女 ごぜ>とは、「 盲御前 ( めくらごぜん )」 という敬称に由来する 女性の盲人芸能者のことです。( ウィキペディア : 瞽  女
近世までにはほぼ全国的に活躍し、20世紀には新潟県を中心に、北陸地方などを転々としながら三味線、ときには胡弓を弾き唄い、門付巡業を主として生業とした旅芸人でした。

瞽女 キクイとハル

川 野  楠 己 著
四六判 並製 325ページ
定価 : 2,000円+税
<発行元 ・ 問い合わせ>
鉱  脈  社 880-8551  宮崎市田代町263番地
TEL. 0985-25-1758  FAX. 0985-25-7286
<内容紹介>
視覚障害を持ちながら厳しい修行を続け、芸の世界に生きてきた代表的な二人の生涯に光をあてて、伝統を守り受け継ぐ人々を描く。 第51回点字毎日文化賞の著者による渾身のメッセージ。
<著者について>
川 野 楠 己  (かわの くすみ)
瞽女ゴゼ文化を顕彰する会  発起人 ・ 理事  琵琶盲僧永田法順を記録する会 ・ 元代表、 元 NHK チーフディレクター 昭和05年(1930)東京生まれ。
昭和27年(1952)NHK 入局。  平成2年(1990)定年退職。
その間の25年間 『 視覚障害者向け 』 のラジオ番組の企画制作を担当。 日本の伝統音楽を支えた視覚障害者の活躍に注目、 瞽女や琵琶盲僧をテーマにした番組を数多く制作した。
文化庁芸術祭ラジオ部門で昭和41年文部大臣奨励賞、昭和51年文部大臣優秀賞、昭和61年文部大臣芸術作品賞など3 回、放送文化基金賞 2 回を受賞。 国際コンクール、イタリア賞、日本賞にも出品した。
退職後は瞽女と琵琶盲僧の検証と顕彰をする組織を立ち上げ取り組んでいる。
平成9年には 『 今を生きる琵琶盲僧 ・ 永田法順の世界 』、『 最後の瞽女 小林ハル96歳の絶唱 』 のCDを制作し自費出版した。 2 年後には 『 仏の里の琵琶法師 髙木清玄 』 もリリースした。
【 アマゾン情報 : 瞽女 キクイとハル 強く生きた盲女性たち (みやざき文庫109)

<関連図書> 【 アマゾン情報 : 最後の琵琶盲僧  永田法順 (みやざき文庫92

 

春を待つこころ ー 早春賦の碑

早春賦 20141125122934304_0002

唱歌 『 早春賦 』(そうしゅんふ)は、1913年(大正02年)に発表されたもので、吉丸一昌作詞、中田章作曲の日本の唱歌。
この時代の唱歌によくみられるように、
モーツァルト作曲の歌曲 『 春への憧れ 』 K.596 との曲想の類似性が指摘されている。

この歌碑は、春の訪れがおそい、長野県安曇野市穂高の穂高川の岸辺に建っている。
その脇には、北アルプスの湧水をもちいた「わさび田」がひろがっている。
[ 2014年11月23日 撮影 ]
DSCN9371 DSCN9376 DSCN9360 DSCN9379 DSCN9365 DSCN9367 DSCN9369 DSCN9368【 YouTube : 早春賦   由紀さおり & 安田祥子
【 関連情報 : 早春賦の碑

【書体使用例紹介】 伊藤形成事務所,近作の ほんの一部をご紹介。

犬山焼フライヤー三折り
伊藤嘉津郎カヅオさん、伊藤 恵メグミさんによるデザイン事務所 : 伊藤形成事務所のおふたりとは、ながいおつきあいになります。
もともとおふたりとも、いっときは新宿周辺を職場とされていました。ですからご主人の郷里にもどられ、名古屋に事務所を開設してからも、ときおり新作を送っていただいています。
2013年08月05日には、本欄において <【書体使用例紹介】 伊藤形成事務所  和字:いけはら、総合書体:正調明朝体の使用例をご紹介> として、そのお仕事ぶりの一端をご紹介いたしました。

伊藤形成事務所
460-0008 名古屋市中区栄2-3-16 伏見コンビル307号
Telephone : 052-202-7412  E – mail : ito-keisei@air.ocn.ne.jp

お仕事は、堅実でケレンの無い作風が顧客の信頼を呼び、美術館や博物館の図録、図書製作などが多いようです。
今回もすこし勝手をいって、小社販売書体を使用した製作物を中心にご紹介いたします。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA今井焼フライヤー上) 特別展/今 井 焼 ― 埋もれた創業の記憶 ―
   図録 4c, 1c,  A4判 あじろ綴じ ・ 44ページ
下) 特別展/今 井 焼 ― 埋もれた創業の記憶 ―
   フライヤー  A4判 4c  / 0c

岩田洗心館 : 特別展/今 井 焼 ― 埋もれた創業の記憶 ― の図録製作、フライヤー製作にあたって、表題部分の主要書体として、漢 字 : タイプバンク 花胡蝶、和 字 : 朗文堂 ・ 欣喜堂 Ambition 9 所収 <いけはら> をご使用いただきました。
【 関連URL : 岩田洗心館 URL
 和字Ambition9和字書体のパッケージ 「アンビション Ambition 9 」は、さよひめ、もとい、いけはら、まなぶ、くらもち、ひさなが、ゆかわ、みなみ、たいらの 09 種類の伝統のたかみにある和字を複刻 ・ 再生したもので、「 Ambition  大志」 という意味を込めて命名しました。

わが国の活字書体の開拓にあたって、版下を描いた書家である、池原香穉、久永其頴、湯川梧窓をはじめ、研究者 ・ 企業家として大きな貢献をした、本居宣長、本木昌造、平野富二、吉川半七、江川次之進、青山安吉、津田伊三郎、寿岳文章らの「大志」をたたえて、「欣喜堂和字シリーズ」第 4 弾の名称に「和字 Ambition 9 」を採用しました。

[パッケージ平面設計 : 白井敬尚形成事務所]
【 詳細情報 : 朗文堂タイプコスミイク 和字 Ambition 9

上野雄次展DOC花道家 上野雄次の 花いけ ライブ ・ パフォーマンス
フライヤー  A4判 4c  / 1c

岩田洗心館 : 花道家 上野雄次の 花いけ ライブ ・ パフォーマンスのフライヤー製作にあたって、表題部分の主要書体として、漢 字 : モリサワ 光朝、和 字 : [花]いけ ライブ ・ パフォーマンスに、朗文堂 ・ 欣喜堂 Ambition 9 所収 <ゆかわ> に「太らせ加工」を加えてご使用いただきました

犬山焼フライヤー三折り 犬山焼見開き01犬山本窯 尾関作十郎陶房 犬 山 焼
フライヤー  A4判 変形三つ折り 4c  / 4c

犬山本窯 尾関作十郎陶房 犬 山 焼のパンフレット製作にあたって、主要書体として、漢 字 : タイプバンク 花胡蝶、和 字 : 朗文堂 ・ 欣喜堂 Ambition 9 所収 <もとい> をご使用いただきました。
【 関連URL : 犬山焼本窯元尾関作十郎陶房

ポストカード postcard と クリスマス Christmas

DSCN3943 DSCN3921《 黄金週間 ゴールデンウィークに入りました。皆さまお元気ですか?》
例年この長期休暇、ゴールデンウィークの期間中は〈 朗文堂 〉 と 〈 アダナ ・ プレス倶楽部 〉 の WebSite 双方ともに訪問者が減少します。 長期休暇の乏しいわが国のことですから、皆さまは、旅行に、帰省にと、楽しくゴールデンウィークをお過ごしのことと存じます。

ところでこの休暇を、かつては 「 黄金週間 」 と呼んで、その直前になると、新聞紙面などには賑やかに見出しが躍っていました。 それがいつの間にか 「 ゴールデン ウィーク 」 に転じ、ことしの新聞の見出しには 「 GW 」 と、全角欧文 !? で、縦組みになったタイトルが踊っていました。
このすっかりおなじみとなった 「 ゴールデンウィーク 」 を、『 広辞苑 』 にあたってみました。

【 ゴールデン-ウィーク 】
( 和製語 golden week ) 4月末から5月初めの休日の多い週。 黄金週間。

どうやら 「 ゴールデンウィーク 」 は、「 黄金週間 」 が転じたもので、いわゆる 和製英語 であり、英語圏での会話や表記には使わないほうが安全のようです。
なお 「 ゴールデン-ウィーク 」 のダッシュは、音節 ( syllable ) をあらわすものであり、この語間に 中黒 や ダッシュ は不要です。

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というわけで、せっかくの 「 ゴールデンウィーク 」 に、本コーナーをご訪問していただいたゲストの皆さまに、しばしばあやまって使われている英語表記をご紹介します。
ひとつは 「 郵便はがき ポストカード 」 で、ひとつは 「 クリスマス 」 です。

使用する資料は、英和辞書として高い評価がある 『 研究社 新英和大辞典 』 で、これは画像紹介の許可をいただいておりjます。
もうひとつは、『 THE OXFORD DICTIONARY for WRITERS AND EDITORS 』 (1981,  p.318 ) です。
後者は、オックスフォード大学出版局の刊行書で、執筆者と編集者にむけて、あまりに日常化していて、ついうっかり、あぁ知らなかった、というたぐいの表記、間違えやすい英単語を中心に、簡潔に紹介したものです。
DSCN3937ここには 「 post  郵便 」 から派生した英単語を列挙して、「 abbr.   略称 」、「 しばしばスペースを入れて二単語にされていますが、一単語ですよ 」、「 語間にハイフンを入れて表記してください 」 などと説明されています。
すなわち 『 THE OXFORD DICTIONARY for WRITERS AND EDITORS 』 では、

「 郵便はがき ポストカードは postcard と一単語にしてください。 post card のように二単語では無いのでご注意を。 略語は p.c. です」

この問題はわが国でもふるくから一部の識者から指摘されており、朗文堂 WebSite では 〈 タイポグラフィ実践用語集 は行 葉書・端書・はがき・ハガキ 〉で、ずいぶん以前から触れています。
ところが、いまだに展覧会シーズンともなると、各種の造形者、とりわけ 「 印刷設計士/グラフィックデザイナー」
の皆さまから 「 Post  Card 」 と、堂堂と印刷された 「 Postcard 」 をたくさん頂戴しております。

いかがでしょう。 「 過ちて 改めざるを 是を 過ちと謂う 」、「 過ちては 改むるに憚ることなかれ 」 といいます。 この名詞語は、名にし負う天下のオックスフォード大学の執筆者や編集者でも「ついうっかり」なのですから臆することはありません。
そして 「 ゴールデンウィーク 」 が終わったら、「 そんなことは、昔から知ってたさ 」 、「 そんなの常識だろう 」 と、平然と、どっしり構えてください。

それでもおひとりでも、正しく 「 postcard 」 をもちいれば、まずは大切なクライアントに迷惑をかけることが無くなり、やがてちいさな波紋がどんどん拡大して、わが国の造形者が恥をかかなくなる日も近いことでしょう。
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いっぽう 「 クリスマス 」 は少しやっかいです。
それは某国語辞書 『 広辞苑 』 が、どこか意地になって、クリスマスの項目で 「 Christmas,  Xmas 」 を説明しているからです。

それに牽かれたのでしょうか、わが国の一部に 「 X’mas 」 と表記する向きがありますが、これは省略を重複したもので完全に間違いです。

またギリシャ語由来の 「 Xmas 」 には、キリスト教徒の一部に抵抗を感ずる向きがあって、わたくしも20年ほど前に来社したアメリカの知人から、
「ここに来るまでに X’mas,  X’mas Sale のディスプレイがたくさんあった。 あれはクレイジーだ。  Xmas, エクスマスにも、発音からわたしには抵抗がある。 それよりどうして日本では、11月のはじめから Christmas Sale をはじめるのだ 」
と責められたことがありました。

宗教や宗派、まして発音までがからむと、わたくしの手にあまります。
まして某国語辞典の存在もあって困惑していましたが、『 研究社 新英和大辞典 』 に、わかりやすく 「 クリスマス 」 の解説がありました。 長文にわたりますので、その紹介にあたって、画像紹介の許可を研究社からいただくことができました。
以下は少少時間をいただいて、〈 タイポグラフィ ・ ブログロール花筏 〉でご紹介いたします。そして、ことしの暮れは、せめて 「 X’mas,  X’mas Sale 」 を見なくてすむように念願いたします。

【 関連情報 : 朗文堂好日録-037 なにかとあわただしい師走です。【再掲載】 ポストカード postcard と クリスマス Christmas 2014年12月04日

春の嵐の豪雪でした。お見舞いもうしあげます。

DSCN3250DSCN3257

《02月08日[土]、02月14日[金]、二週つづけての春雪でした》
本来あまり雪が降らない太平洋岸の各地に、大雪が降りつもりました。被害にあわれた皆さまにお見舞い申しあげます。
とりわけ14日[金]は出勤日でしたし、せっかくのバレンタインデーでもありました。
まだ名残の雪がのこっていますし、今週もまた南岸低気圧の襲来も予報されています。
この時期は大学の入試だけでなく、様様なイベントも企画されています。

皆さま天候にご留意されて、花咲きそろう、よき春をお迎えください。
【関連記事:朗文堂アダナ・プレス倶楽部コラム/南岸低気圧大暴れ。ドカ雪2連発で降参です