新宿中村屋サロン美術館開館と、相馬黒光、荻原碌山のこと。

 

20141125183918511_0001 20141125183918511_0002 上掲フライヤー PDF  中村屋サロン美術館 URL

ロダンの弟子  荻原守衛 碌山 ロクザン
洋画の鬼才  中村  彝 ツネ
彫刻家  高村光太郎
書家 ・ 美術史家  會津八一 ・・・・・・

明治末期から昭和初期にかけて
新宿中村屋を舞台に すぐれた作品を
うみだした芸術家たち。
そしていま、文化と芸術をはぐくんだ新宿の地に
あらたな美術館が誕生します。

中村屋サロン美術館 開館記念特別展
中村屋サロン
―― ここで生まれた、ここから生まれた ――

中村屋サロン美術館の記念すべき第 1 回展覧会は
「中村屋サロン ―― ここで生まれた、ここから生まれた ―― 」 です。
明治末期から、大正、昭和初期にかけて、中村屋には多くの芸術家 ・ 文化人たちが集い、のちに 「 中村屋サロン 」 と呼ばれるようになりました。
本展では 「 中村屋サロン 」 が生まれたまさにこの場所に、そこに集った芸術家たちの作品が集結します。

◯ 会   期
2014年10月29日[水]-2015年02月15日[日]
※  展示替えがあります。 下掲の詳細を参照してください。
◯ 開館時間
10 : 30-19 : 00 (入館は18:40まで)
◯ 休  館 日
毎週火曜日(火曜 が祝祭日の場合は開館、翌日休館)、01月01日
◯ 入 館  料
一般 300円

【 詳細情報 : 中村屋サロン美術館
【 関連情報 : 中村屋の歴史

<中村屋サロンとは――同館フライヤーより>
中村屋の創業者、相馬愛蔵 ・ 相馬 良 リョウ(黒光コッコウ)夫妻は、1901年(明治34)本郷でパン屋 「 中村屋 」 を創業しました。 そして1909年(明治42)には、新宿の現在の地に本店を移転しました。
相馬夫妻は芸術に深い造詣を有していたことから、中村屋には多くの芸術家、文人、演劇人が出入りするようになりました。 それが「中村屋サロン」のはじまりです。

中村屋サロンの中心人物は荻原守衛 (おぎわら-もりえ 以下 碌山 ろくざん 1879-1910 行年30 )でした。
碌山は、相馬愛蔵と同郷の 長野県 南安曇郡 東穂高村 ( 現 : 安曇野市穂高町 ) の出身で、18歳のとき、相馬 良 ( 以下 黒光 コッコウ ) が嫁入りの際に持参した、長尾杢太郎 《亀戸風景》 の油絵ではじめて油絵を知り、画家を志しました。

最初はアメリカに、まもなくフランスで、極貧にあえぎながらの海外研修は07年余におよび、画家志望から彫刻家に転向した荻原碌山が帰国したのは1908年(明治41)のことでした。
帰国後は中村屋のほどちかく、新宿角筈ツノハズにアトリエを設け、中村屋に足しげく通います。
そんな荻原碌山を慕って多くの芸術家が中村屋に出入りするようになり、中村屋は彼らの交流の場になっていきました。 残念なことに、碌山は帰国からわずか02年余ののち、結核のために1910年(明治43)に、30歳の若さで亡くなりました。

その後、中村屋サロンの中心人物となったのが中村 彝(なかむら-つね 1887-1924)でした。
中村 彝はいっとき、中村屋の裏にあったアトリエで生活し、彼のもとにも多くの芸術家が訪れました。 その他、書家 ・ 美術史家の會津八一、女優の松井 須磨子、劇作家の秋田 雨雀、インド独立運動の志士 ラス・ ビハリ ・ ボースなど、多彩な人々が中村屋と関わりを持ちました。

これらの顔ぶれを見ると、明治の終わりから、大正、昭和初期にかけて、中村屋に集った多くの人々が日本の近代芸術 ・ 近代文化に影響を与えたことがわかります。
こんにちになって振り返ると、それは近代日本における大きな芸術の流れのひとつであり、「 中村屋サロン 」  はその舞台となったのです。
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荻原守衛-碌山の三回忌での 相馬一家 と 中村屋サロン の若き芸術家たち。
前列左から、相馬黒光、相馬安雄(長男)、中村 彝、相馬千香(次女)、山本安曇。
後列左から、斎藤与里、戸張孤雁、相馬愛蔵、中原悌二郎、荻原本十(碌山実兄)、柳敬助。
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1909年(明治42)ころの新宿中村屋本店の様子

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荻原碌山が逝去したのち、碌山の作品は相馬黒光らによって、新宿中村屋の店の奥の二階にまとめられ、「 碌山館 」 と名づけて、美術学校の学生など、希望者に見学を許すとともに、厳重に保管されていました。
そののち1916年(大正05)、東京の碌山の兄・本十ホンジュウが、
郷里の生家に作品を送り届け、そこに別棟をつくって 「 碌山館 」 として守られてきました。

南安曇教育会が中心となって、現在の 「 碌山美術館 」 が開館したのは1958年(昭和33)のことでした。
そしてこれからは、北アルプス山麓の 「 碌山美術館 」 と、「 新宿中村屋サロン美術館 」 とが共鳴しながら、碌山を中心とした < 中村屋サロン > の造形家の作品が見られることになりました。
[ 碌山美術館の写真は、2014年11月21日撮影/この項 < 花筏 > にて続く ]

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上掲フライヤー、左) 「 女 」 とだけ題された彫刻作品は、荻原碌山の遺作で、モデルは相馬黒光とされています。
上掲フライヤー、右) 「 少女 」 と題された油彩作品は、中村  彝ツネ の作品で、モデルは相馬家長女 : 俊子とされています。
新宿中村屋につどったこのふたりの造形家は、モデルの裸婦像のスケッチものこしています。

これまで荻原碌山の作品は、郷里、北アルプス山麓の安曇野市穂高町 「 碌山美術館 」 に、中村 彝ツネ の作品は、下落合の 「 新宿区立中村彝アトリエ記念館 」 にひっそりと展示されてきました。
これからは、まさにこれらのひとびとの 愛と美と相剋の地 であった、新宿中村屋の地に、これらの作品が一堂に会することになります。
[ 参考資料 : 『 碌山 愛と美に生きる 』 碌山美術館 平成19年 第三版 ]

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